第五章(三)
第五章(三)
岩崖の湧水の前に着いた時、全員が肩で息をする程に疲れ果て、水を飲んだ後すぐその場に足を投げ出して座り込んでしまった。
腰を上げている事すら辛くなって仰向けに寝転んでしまう者もいる。
大の字になって息を整えながら晃一は、無言で血のついたナイフと右足の靴の先に飛び出ているナイフを洗っている司を見上げた。
その表情はいつになくこわばっている。
「司 大丈夫か? 顔色悪いぞ」
司は何も言わずにちらっと晃一の方を向くと、黙って頷いただけで再び元に戻ると丹念にナイフについた血を洗い流した。
そして、水を切って乾いた岩の上に置くと、今度は上着を脱いでポケットの中の物を全て出すと、じゃぶじゃぶと洗い始めた。
透明な水が血の色に変わっていく。
「紀伊也、とにかく血を洗い流せ」
隣で同じようにナイフについた血を丁寧に洗い流している紀伊也に小声で言うと、紀伊也は無言で頷いた。
「しっかし、すげェタバコの数だな。 一体何箱持って来たんだよ」
起き上がって晃一は呆れたように地面に置かれたタバコの箱の一つを手に取った。
「勝手に吸うなよ」
一本抜きかけた手が止まって、上目遣いに司を見ると、背中を向けてはいるが、じろっと顔だけをこちらに向けていた。
ったく
司は舌打ちすると、上着をバンバンと思い切り振って水しぶきを飛ばした。
「お前なぁ、もうちっと優しくやってやれよ。それじゃあ乾くモンも乾かねぇだろ」
「じゃあ、お前やって」
「自分でやれよ ・・・ 、ケっ、最後は紀伊也かよ」
突きつけるように自分の上着を紀伊也に渡した司に呆れたが、それを当り前のように受け取った紀伊也にも呆れてしまった。
日が暮れる前に薪を集めなければならない。
しかし、既に今夜で4回目にもなると、少し遠くの方まで行かねばならなかった。
紀伊也とスタッフは今朝も通った小川に沿って拾い集めに行く。
司と晃一は元来た道を戻って行った。
「なぁ 司、俺達もこの状況にだいぶ慣れて来てっから正直に話してくれよ。 お前だけ知ってて、何も知らねぇ俺達が全部お前に任せっきりじゃ、割りに合わねぇだろ。 もしかしてホントにヤバイ状況なの? もしそうなら俺だけにでも話してくれよ。何か役に立つかもしれねぇだろ。 まぁ、役に立たねぇかもしれねぇけど、恐怖の分け合いっこなら出来んだろ」
拾い集めた薪を両手に抱え、更にその上に乗せられた晃一は、薪の間から顔を覗かせた。
「晃一が居てくれて良かったよ」
司はフッと笑うと、足元の薪の束を抱えた。
しばらく歩いた所で、晃一は自分の体が異常に重たい感じを受けて立ち止まってしまった。
「止まるな。 とにかく歩け。 もう少しだから」
司に言われて、見れば司も肩で息をしながら足を引き摺るように歩いている。
「何だかここだけ重力が凄いみたいだな」
「重力じゃねぇ、引力だ」
すかさず司に突っ込まれ、晃一は呆気に取られたがいつもの事だ。
少し安心したように息を吐くと、一歩一歩進んだ。
ようやく先の方に炎が見えた瞬間、ふっと足が軽くなり、力を入れていたせいで前につんのめりそうになって慌てて薪を抱え直した。
既に辺りは暗くなり始めている。
木々の先は暗闇と化し、獣でも居るものならその目だけが光って見えそうだ。
「遅かったですね」
西村が少し心配そうに声をかけ、司と晃一の持って来た薪を受け取った。
「いやぁ、なぁんか久しぶりに部活でしごかれた気分だぜ」
足のストレッチをしながら晃一は先程の出来事を話した。
皆、驚いていたが、それももう当り前のように笑いながら聞いていた。
「ホーント、映画ん中のバーチャルの世界だよな。 今日の蛇だってアナコンダの映画あったろ。あれの小型版みたいだしさ。 それに、ぐるぐる同じとこ回って、インディージョーンズか何かみたいだしさ。ありゃあ、まさしく堂々巡りってヤツだぜ。しかも三度目の正直ならず、三度目の嘘ってとこか? 俺、思うんだけどさ、この湧水の前でくるっと回ってワンと言えば、宝物でも掘り出せるんじゃねぇかってさ。 ・・・、 なぁ司、伝説ならその辺ちゃんと詳しく出てんじゃねぇの? 何か言ってたろ、お前。 何だっけ? 碧き石がどうのこうのって。 もうちょっと詳しい言葉みたいのあればなぁ、何かヒントが出そうなのに」
皆を笑わせながら晃一は思いついた事を好き勝手言っていた。
タバコを吸いながら笑ってその様子を見ていた司は、晃一に言われて、湧水の中央の窪みに目をやりながら思い出していた。
「∞ × △ ∞ □ ・・・ 」
何かの呪文のように考えながら口に出している司に皆の視線が集まる。
「何語?」
紀伊也の耳元に顔を近づけ、晃一はボソっと訊いた。
「ラテン語だよ、 ・・・ しっ 」
晃一が何か言いかけたのを紀伊也は制した。
司がタバコを持った手で頭を掻きながら更にブツブツ言っているが、どうやら同じ事を繰り返しているようだ。
「ああ、ダメだ。 全部思い出せねぇよ」
少し悔しそうに吐き捨てると、タバコを吸って中央の赤い炎に向かって煙を吐いた。
「碧き石、朝陽浴びし時、聖なる泉湧き出ずる。 一方は聖なる地へ、一方は悪しき道へ時が分かつ。いずこへ出ずるかはその光の定めるところにある。運命は光のままに・・・」
再びタバコを銜えた司の代わりに紀伊也が言うと、司は軽く頷いて煙を吐いた。
「明日の朝、確かめてみる。 オレの考えが間違っていなけりゃ明後日には出られる筈だ。早くここを出ないとな」
そう言ってタバコを吸うと、火のついたまま指先で後方の上に向かってそれを弾き飛ばした。
バサバサバサっっ・・・
大きな羽音が響き、皆凍りついたようにタバコの行方を追った。
「心配するな、コウモリだよ。 ま、ヴァンパイアだけど」
「って、デカイのか?」
「多分な」
司は笑って晃一に視線を送った。




