第四章(二の3)
まるで春の陽射しのように暖かく眩しい陽の光が降り注ぎ、目の前の小さな湖面をきらきらと輝かせている。湖の周りは緑色の苔で覆われ、所々白い小さな花が咲いていた。三方を先程の柳のような葉で囲われ、湖の奥は両端を小高い岩が挟んで道になっていた。
誘われるように湖の前に立った。そして、両膝をつけて両手で水をすくうと、湖面に映る自分の額にその水を落とす。
それを三度やった時、最後に揺れた湖面を見つめると、やはり と一つ溜息をついて立ち上がった。
真っ直ぐに奥へ続く道を見つめる司の瞳は、かつてない程冷酷で冷めた琥珀色をしていた。
さわさわと風が湖面を揺らした時、奥の岩の間から獣が一頭現れた。
黒に白いまだら模様の四つ足の獣は赤いルビーのような二つの目をしている。
その口には大きな鋭い2本の牙を携えていた。
司は何ら臆する事なく、サーベル・タイガーに近づいた。
お互いゆっくり歩み寄っていたが、次の瞬間、グワっとサーベル・タイガーがその大きな2本の牙を剥いたかと思うと、その大きな体を持ち上げた。
ドサっっ
かわす事なく司はサーベル・タイガーに肩を押さえ込まれて倒された。
今にもその牙が司の喉元を突きそうだった。
“今私がお前の生き血に触れればお前の使令となるのか”
無表情な琥珀色の瞳に向かって赤い眼が語りかけた。
“お前の能力を試そう。太古の森の真実を知るがいい。そして、お前の使命を果すのだ”
「司っ!?」
不意に紀伊也の悲鳴が聴こえた。
その瞬間、首筋に鋭い痛みが走ったが、その目を開けたまま赤い眼を吸い込むように見つめると、次には気が抜けたように目を閉じてしまった。
サーベル・タイガーがゆっくり顔を上げた。
ちらっと紀伊也を見た琥珀色の目は、何もせずにそのまま岩の間へ消えるように去って行ってしまった。
「司っ、しっかりしろっ」
強く揺さぶられ、眠るように閉じていた目を開けると、目の前で紀伊也を始め皆が心配そうに覗き込んでいる。
どれ位長い時間眠ってしまったのだろう。
軽く頭に手をやりながら体を起こすと、頭を左右に振った。
「大丈夫か?」
「ああ、何ともない。大丈夫だ」
全員がホッとしたように息を吐いたが、それよりこの風景に、まるで夢でも見ているのではないかという錯覚を起し兼ねない程、茫然と辺りに見入ってしまっている。
さわさわと心地好い風が頬を撫で、静かに湖面を揺らす。
誘われるように湖のほとりに立つと、皆両手を静かに入れ、それをすくうと口に運んだ。
誰もが何とも言えないこの甘味のある味に笑みを浮かべる。
「True Lake。 真実の湖」
紀伊也に体を支えられながら立ち上がると湖を見つめた。
「ここが?」
「ああ」
「じゃあ、向方は?」
「Eternal Earth。 悠久の大地」
司と紀伊也はサーベル・タイガーの去って行った岩の間の向方を見つめた。
「伝説はやはり・・・」
息を呑んだ紀伊也に司は黙って頷いた。
「戻ろう、早くここから出ないと死んでしまうぞ」
司と紀伊也は同時に自分の腕に目を落として顔色を変えた。
既に日付が変わっている。
「司ぁっ、どうすんだぁ?この水!」
遠くで晃一が呼んでいる。
先程は数メートルしか離れていなかった筈なのに、今では数十メートルの距離がある。
二人は走って皆の所に戻った。
「今まで汲んだ水は全部ここへ捨てろ、返すんだ」
「え?」
「言うとおりにしろっ。説明は後でする。早く捨てるんだっ」
皆驚いたが司の余りに真剣な顔付に誰一人反論する事が出来ず、仕方なく水筒の蓋を開け、全て湖に捨てた。
最後の一滴が落ちた時、湖面全体がサアーっと揺れた。
それを見届けると、司は足元に生えている苔を抜いて湖で軽く洗った。
「これを少し食べておくんだ。あとは水を適当に飲んでおけ」
そう言って口に入れて食べると、湖の水を片手ですくって飲んだ。
言われるとおり、皆も同じようにしたが、思っていた以上に苔は甘酸っぱい。少しと言わず、2,3回同じ事を繰り返したが、司は何も言わずに見ていた。
「持って帰るなよ。大変な事になる」
佐々木が一つをポケットに入れそうになったのを見つけて鋭く言うと、佐々木は首をすくめてそれを口に入れた。
ったく
チッと舌打ちすると、ふと気になって自分の首筋に手を当ててみたが、やはり思ったとおり傷がない。
「急ぐぞっ。早く戻れっ」
紀伊也が出口を見つけ、柳のような葉をめくって最初にその中へ入った。
後にスタッフも続き、晃一が入った。
「何か、もったいねぇな」
晃一が名残惜しそうに呟くと、司は苦笑して「早く行け」とその晃一の背中を押す。
一度振り返ると、さわさわと優しい風が眩く輝いた湖面を静かに揺らしているのが見えた。




