第二十三章(三の2)
「ごめん・・・、ちょっと・・・ 」
ガタガタと震え出してしまった司の肩を抱くと紀伊也も一緒に腰を下ろしたが、心配になって司の顔を覗き込んだ。
これ程までに恐怖に歪んだ司は見た事がない。
あの村で一体何があったというのだろうか。それに、この司をここまでさせたものは一体何なのだろうか。
紀伊也は再び絵を見上げると、それらをじっと見つめた。
何かが自分に向かって語りかけて来そうだ。何処からか声が聴こえるのではないか、ふとそんな気にさせる程の静寂が二人を包んでいた。
紀伊也は、何とか落ち着かせようと息を整えている司に一旦目をやったが、思い切って立ち上がると、再び絵の前に立った。
そして、次の絵を見た。
岩壁から流れ落ちる泉の前に二人の人間が立っていた。
二人はそれぞれの右手を泉に向かってかざしている。
そして、次の絵を見た時、紀伊也は「あっ」という小さな悲鳴を上げると、司に振り向いた。
その声に、ハッとなった司が紀伊也を見上げると、驚愕の眼差しとぶつかった。
「どうした?」
呻くような声を出してしまったが、何とか立ち上がると紀伊也の隣に立って、絵を見たとたん息を呑んでしまった。
「オレ達だ・・・」
岩崖にはめ込まれた碧い石の前に二人の人間がいる。
そして、そこに描かれた影は間違いなく司と紀伊也を表していた。
なぜなら、そこに描かれたものの一つは、漆黒のタランチュラで、もう一つは牙を剥いたハイエナだったからだ。
そして次には、穏やかな表情をしたサーベルタイガー・ヤヌークの顔が描かれていた。
その瞳には澄んだ甘い琥珀が当てがわれていた。
「何なんだよ・・・、これ 」
今まで通って来た道筋が、そのまま絵となって描かれているようだ。
二人はこの上なく驚いてしばらく何も考える事が出来ずに、黙ったままヤヌークの絵の前に立ち尽くしていた。
しかし、やがて、その琥珀の瞳を見つめていると、小刻みに震えていた全身が癒されるように穏やかになっていくのを感じた。
何も考えられずに真っ白になっていた頭の中が次第に色づくように冷静になっていく。
「オレ達って、伝説の中の一部になってしまったのか・・?」
「まさか・・・」
「これって、この絵って、これで終わりなのかな?」
二人は他に絵を探したが、それ以上は何も描かれていない。少し離れた所もよく見てみたが、何もなかった。
辺りを見渡したが、やはり何か描かれているような気配はないし、そのようなものを見つける事は出来なかった。
「ところで紀伊也、この洞窟って、出口はあんのか?」
「出口? ・・・ そう言えば・・・ 」
言われて紀伊也は川の下流を辿って視線を送ったが、その川は壁に吸い込まれるように細く小さくなっている。そして、再び上流に向いた時、「あっ」と驚きの声を出して、二人は慌てて走って行った。
「八方塞がりだ。こんな事って、あるかよ」
司は自分達が突き破って入って来た筈の苔の壁をドンっと拳で叩くと、唇を噛み締めた。
「おかしな事ばかりだ。オレ達、夢でも見てんのかよっ」
忌々しそうに言うと、再び絵を見て回った。
先程と何ら変わりなく描かれている。しかし、それにしては余りにもリアルすぎる絵だ。まるで今まで遭遇した者達はこの絵から飛び出して来たのではないだろうか、そんな気さえする絵だった。
「あれ?」
ふと足を止めた司の隣に紀伊也が立ち、司の指す方に目をやった。
「こんなとこに、こんな絵、あったか?」
「 ・・・、いや、気付かなかった」
それは碧い石の前に立った二人の絵だった。
自分達の影に驚きすぎて見逃していたのだろう。
碧い石の上の方に、太陽が描かれていた。それを取り囲むように惑星が描かれている。
「太陽系だ」
紀伊也が言った時、司は不意に思い出した。
「森羅万象 碧き石の上に成る」
「え?」
「伝説の中の言葉だ。
碧き石、朝陽浴びし時 聖なる泉湧き出づる
一方は聖なる地へ、一方は悪しき道へ 時が分かつ
いずこへ出づるかは その光の定めるところにある
運命は光のままに
迷う事なかれ 光の導くままに その手を伸ばせ
さすれば自ずと見えるであろう
森羅万象 碧き石の上に成る
生あるもの 碧き石に従いて 驕る事なかれ
すべては光の導くままに。
紀伊也、碧き石の意味が分かったぞ」
「え?」
その絵を見つめながら司が口にした言葉に息を呑んだ。
そして、ハッとしたように司を見つめた。
「もしかして・・・」
「そうだ、地球の事だ。地球は別名・碧い星とも言われているからな。それに、この絵が何よりそれを表している。森羅万象とは宇宙の事だ。 そして、全てはこの地球の上に成り立っている。 そういう事だ」
「司、じゃあ この一説の意味は・・」
「ヤヌークの言っていた聖なる森の真実って事だろ。 朝陽は一日の始まり。つまり、夜明けと共に善と悪は両方やって来る。どちらに行くかは己次第。迷わず自分の信じた道を行け、そうすれば必ず道は開ける。そして、全てはこの地球上に成り立っている。生きている限り自然の摂理には逆らうな。そして、自分自身を信じろ。 そういう事だろう」
「自分自身を信じろ・・・」
「そうだ。だから、前に言った事は撤回するよ。オレ達能力者は存在してはいけないって、言ったけど、オレ達も存在していいって、事だ」
納得したように言うと、司はニッと口の端を上げて笑った。
「司」
「だから信じようぜ、自分達を」
司は力強く言うと、自分の右手の平を見つめ、ギュッと握り締めた。




