第十九章(四の2)
「司っ!? しっかりしろっっ」
急いで抱き起こし、大声で呼びかける。が、はぁはぁと短い息をひっきりなしに吐いている司の顔は恐怖と苦痛に歪んでいるだけで、紀伊也の呼び掛けには反応を示さない。
「司っ しっかりしろっ!」
再び大きな声で呼び掛けながら何度か頬を叩いた。
降りしきる雨が大木の葉の隙間を通り抜け、二人に振り注ぐ。
「司っ!」
何度目かの呼び掛けに司の瞼がようやく応えた。
「司っ しっかりしろっ!」
再び頬を叩いて呼び掛けると、薄っすらと目を開け、うつろな琥珀色の瞳が何かを探すように動いた。
「き・・・ 紀伊也・・・?」
ぼんやりする視界の中に幻なのだろうか、ずぶ濡れになった紀伊也の顔が浮かんで見えた。
まさか居る筈がない
信じられずに唇を震わせたが、
「司 しっかりしろ」
と、はっきりと自分の名を呼ぶその声にハッと両目を開けた。
「紀伊也っ!?」
驚いて叫んだつもりだったが、かすれるような声にしかならない。司は息を呑んで本当にこれが、ここに居るのが紀伊也なのか確かめるように見つめた。
「司・・・、良かった ・・・生きて ・・・無事で・・・」
紀伊也は思わず感極まって自分の胸の中に抱き締めると、その痩せた細い肩に顔を埋め、溢れて来る涙を拭った。
「紀伊也、・・・ 何で? ・・・」
耳元で聞こえた司の呟きに体を離したが、自分の力で体を支え起こしている事が出来ない司の体をそのまま腕に抱き止めると、もう一度、目を開けた司を見つめた。
「司、ごめん。・・・来るのが遅かった・・・、もっと早く来ていればこんな事には・・・」
「紀伊・・也、 っ っくぅっ・・・・」
何か言いかけたが、気が付いた事で、忘れていた苦痛に全身を襲われ上手く呼吸する事が出来ない。
何かにすがるようにありったけの力を振り絞って手を伸ばすと、その手を紀伊也の右手が掴んだ。
氷のように冷たくなった司の手に紀伊也の温かい気が送られる。しかし、自分より強力な能力者に今の弱った体力で治癒力を送るのはそう容易い事ではない。
苦痛に歪んだ顔で喘ぐような息をしていた司のうつろな目がゆっくり閉じられると、呼吸と共に紀伊也の右手に感じる力も弱まっていく。
そして、がっくりと全身の力が抜けた時、一瞬その鼓動が止まった。
「司っ!?」
慌てて司の体をガッと揺さぶった。
絡まっていた時計仕掛けのねじが解けたように心臓の鼓動は動き出したが、再び気を失ってしまった司の瞼が動く事はなかった。
降っていた雨音も弱まり、薄雲になって来ると雨が止んだ。雲の隙間からは光が射して来る。その光もあっという間に明るい強い陽射しに変わり、広場の中央に差し込む。
のたうち回っていたアナコンダも強い光と共に息絶えていた。
雨上がりの強い植物臭に混じって血生臭い臭気が漂う。
紀伊也は司を日なたに寝かせるとシャツを脱いで水気を絞り出した。そして、アナコンダの巨体の下敷きになった二つの上着を引っ張り出して大木の幹に打ち付けた。
「これが晃一達の言っていたアナコンダか・・・。 しかし、現実にこれだけ巨大なアナコンダが存在するのか・・・?」
足元に横たわるアナコンダの死骸を見つめながら紀伊也に疑問が浮かぶ。
自分の知り得た知識の中にはこれ程の巨大なアナコンダは存在しない。
まるでこれは図鑑の中で見た太古に存在する蛇の一種のようだった。
しかし今はそんな事を深く追求している時ではない。とにかく行かなければならない。
日が暮れる前に太古の森の入口であるアマゾン川沿いに出なければならないのだ。
「司、頑張ってくれよ。もう少しだから」
そう自分にも言い聞かせるように言うと、再び司を背負い、上着で自分と司の体を縛ると歩き出した。
そして以前司が付けた印を探し、×印を○で囲んだ石を見つけると、その先の道をまっすぐ見つめた。
そして、紀伊也と司は再び密林の中に足を踏み入れた。




