第十八章(ニ)
第十八章(二)
しばらく男は考え込むように入口の方を向いたり、司を見たりしていた。
そんな男を横目に、司は外から聞こえて来る雨音に耳を傾けていた。
騒々しい音は一切しない。
雨に打たれる葉の音、地に跳ね返る音、サーという澄んだ空気を切り裂くこの雨音を聞きながら、ふと何処かで優しいギターの音色でも聴こえて来そうな気がして目を閉じた。
「早く帰りてぇなぁ」
思わず呟くと目を開けて薄暗くなった天井に目をやった。
しかし、再び近づいて来た男にうんざりすると、冷めた眼差しを向けた。
ジャラン・・・
重たい鎖の揺れる音がして、首から肩に掛けてずしっと巻き付いていた鎖が地面に落ちた。
男を見上げたが、次の瞬間、ハッと自分の左胸に視線を落とした。
「おとなしく従えよ。でないとこいつをぶっ放してヤツ等の餌にするぞ」
小声で脅され、拳銃の先が強く押し付けられた。
外は更に雨音が激しさを増し、辺りは夕闇のような暗雲に閉ざされた。
時折雷鳴が轟き、雨粒が大きくなると、滝のような豪雨に変わって行く。
「運が巡るとはこの事だ。ヤツ等はこの雨では絶対に外に出ない。化け物が来るとかいう迷信を信じてやがるからな。この隙に出るぞ。さぁ、立てっ」
今度は銃口を顎に当てると司の右肩をガッと掴んで立ち上がらせようとした。
司としても滅多にないチャンスだ。立ち上がりたかったが、腰を上げただけでズキっと頭が割れるように痛み出す。
それでも柱に掴まると何とか立ち上がった。
男は、はぁはぁと肩で息をしている司を見て、チッと舌打ちし、
「相当飲まされたか。あとでもっと楽にさせてやるから今は我慢しろ」
と言って、司の腕を取ってぐいっと引っ張った。
入口の垂れ幕からそっと外の様子を伺う。
外は今までにないくらいの豪雨に5M先の様子が見えない程だった。
「行くぞ」
男の合図で半ば引きづられるように外に飛び出し走り出したが、叩き付ける豪雨に全身が打ちのめされるように痛む。
今は周囲に気を配っている余裕などない。男について走るのが精一杯だ。
何度足を捕られ、膝をついてしまったか。
バシャバシャと駆ける足音は当然掻き消されていた。
どれ位引きずられるように走っただろう。村を出たのだろうか。男の走る速度が落ちて、早歩き程度になった。
それにつられるように叩き突ける豪雨の勢いも弱まって行く。
「急げっ 雨が止む前に出なけりゃ、俺も捕まっちまう。もっと早く歩けっ」
苛立たしげに言うと、ぐいっと司を引き付け、ガッと拳銃の端で頭を殴った。
それと同時にぬかるんだ窪みに足を捕られ、転んでしまった。
「うわっ おいっ バカっ 何してるっ ・・・ っ!? 」
男が慌てて司を起き上がらせようと手を伸ばした瞬間、不意にとてつもない殺気と、シューっっ という大きな音がして振り向いた。
うわぁぁぁっっっ!! ・・・・
男の悲鳴とその殺気に、ハッと司は顔を上げると、そのままあっと短い悲鳴を上げて釘付けになってしまった。
あの時と同じ大きなアナコンダの真っ赤な口が、ガバーーっと開き、目の前の男を頭から飲み込んだのだ。
そして、肩まで飲み込むと、グワァっと頭を持ち上げ、男の体を一旦宙に浮かすと、グワっ グワっ と飲み込んで行った。
瞬間、司はそのまま顔を伏せ、地面に這いつくばったまま、自分の気配を消すように動かずにいた。
生きた心地がしないとはこの事だろうか。
全身をまるで氷に包まれたような冷気に覆われ、血の気が引いて行くのが自分でも分かる。
ぐにゃっ ぐにゃっ という奇妙な音と、シューーっっ という空気を切り裂くような音が頭上で響いていたが、しばらくするとその音も止み、ザラザラっと蠢く音が聞こえると、殺気が遠のいて行った。
どうやら満足したのか、司の気配には気付かず、体を反転させると、アナコンダはまだ雨の降りしきる密林の奥へと姿を消して行った。
辺りが静かになり、ザーっという雨音だけが響き渡ると、司は恐る恐る頭を上げた。
目の前に男の姿はなく、立ち並ぶ木々の隙間を埋め尽くすように雨が降っているだけだった。辺りはまだ薄暗い。
雨と泥でぐちゃぐちゃになった体をゆっくり起こすと、空を見上げた。
珍しく長雨になりそうだ。
黙ったまま地面に視線を落とすと、男が持っていた拳銃が一丁落ちていた。
それを拾い上げると、右手に持って歩き出した。
一歩足を踏み出すたびに頭が痛む。全身を鉛の鎧にでも覆われているような重みが襲う。
何歩か歩いた所で、そのまま前に倒れそうになって、その都度何とか両足で踏ん張った。
重たい体を引きずりながら、何処へ向かうとも知れず、ただ何かに導かれるように前を向いて進んでいた。




