澄んだ夏空
「なぁ、奈都。どうすればお前は俺を信じてくれる? 他の女なんてどうでもいい、俺はこんなにもお前のことを……」
その悲しげな声とは反対に、口づけはどんどんと深くなり、息が出来ず苦しくなった私は碧を跳ねのける。
ため息をつきながら私を見つめる碧の瞳は、不思議と冷たく揺らいでいった。
「友達にこんなことされるのは嫌ってか?」
「なんで……? どうしてそういうこと言うの? あの日から碧のこと、友達なんて思ったことないよ。むしろ碧の方が私のことを友達扱いしてばっかりじゃん!」
悔しくて、苦しくて、思わず声を荒げていく。
どうして、一番伝えたいはずの人に私の気持ちは伝わらないの?
私の言葉に碧の視線はますます鋭いものになっていった。
「ふーん。そうすると何、俺のことを友達呼ばわりしたあの電話も、もしかしてわざとなの? そうやって俺を煽ってるわけ?」
イラついた様子で私を責めてくる碧の様子に驚いて、私は静かに下を向いていった。
恋をしたら毎日幸せだと思っていたのに。
好きな人と過ごす日々は、楽しいものだと信じていたのに。
想いが通じ合えないということが、こんなにも悲しくて苦しいものだなんて知らなかった。
「……はぁ。ごめん、俺本当に大人げない。そんな顔させたかったわけじゃないのに」
大きくため息をついて、先ほどまでとは違う、悲しそうな声で静かに碧は話を続けていく。
「奈都のこと責めたけど、そもそもこんなのくだらない嫉妬でしかないんだ。昼間のあの電話……ちょっと悔しくてさ。お前は他の男のことを楽しそうに話すし、やっと想いが通じたと思ったのに、奈都にとって俺はまだ友達だったのかって」
嫉妬……?
どういうこと?
だって、碧は私のこと友達みたいに思ってるんじゃないの?
「電話って、あれは碧のこと詮索されるのが恥ずかしくて友達って言っただけ。それに電話の相手だって、会話に出てきた人だってただのクラスメイトだよ。トモコもケンジもカズ……っ」
不意のキスで口を塞がれ、言葉が止まる。
「ねぇ奈都。お願い、呼んでよ」
唇を離してすぐの至近距離、甘く切ない声で囁かれていった。
「他の男なんかじゃなくて、俺の名前を」
見たことのないような碧の表情と、聞いたことのないその声に私の心臓は張り裂けそうなほど、大きな音をかき鳴らしている。
どきどきと緊張しながら、口を開き、静かにその名前を呼んでいった。
「あ、お……」
私の声に碧はほっとしたような表情になり、さっきまでの強引なキスが嘘のように優しいものに変わっていく。
「俺はさ、もう余裕ないんだよ。何年想い続けてたと思うんだ」
碧のてのひらが私の頬に触れていった。
熱くほてった頬には、ひんやりとした碧の体温がとても心地良い。
「神職の息子と言えど、俺だって男なんだ。いつだって、奈都に触れたくて仕方がないし、情けないことにこうやって、キスまででとどめるのも精一杯。わがままなのはわかっているけど、正直俺以外の男の目にさらさせたくないし、奈都に他の男のことなんて考えて欲しくないと思ってしまう」
ぎゅっと抱きしめられると同時に、止まっていた観覧車が静かに動き出し始めていった。
それと同時に、私の碧を想う気持ちもまた、動き出す。
「ごめんね、碧……大好き」
顔をうずめて、自分の正直な想いを素直に語る。
思えば、こうやって言葉にして伝えたことってほとんどなかったかもしれない。
私の言葉に一瞬驚いた様子を見せた碧は、嬉しそうに笑い、私の肩にもたれかかるように顔を近づけていった。
「好きだよ、奈都。このまま夏が終わらなきゃいいのにな……」
ーーこの夏よ、いつまでも長く続いて。
どんなに私たちがそう願い、夏の終わりを拒否しても、時の流れは止まってくれず無情にも実家へと帰る日が訪れた。
そして……私たちは高校生ながら、遠距離恋愛というハードルの高い恋愛をスタートさせていくことになってしまったのだった。
――・――・――・――・――
そんなあの夏の日から、七年後――
「はい着席っ! 今日の日本史の授業では平安時代を勉強します。では早速、皆にとっての平安時代のイメージを先生に教えて下さい」
がらりと教室の扉を開けて、教壇に立ったのはまだ若い女教師。
うだるような夏の暑さに負けない、明るくはきはきとした声でいつものように歴史の授業をスタートさせていった。
教師の声に生徒たちは、口々に自分達の思いを語っていく。
「平安時代かぁ、優雅で綺麗なイメージやなぁ」
「なぁんかあの時代って、暇そう~。遊んでばっかの生活とか夢みたいや」
「陰陽師とか妖怪も平安時代?」
「つーか、平安時代って一番つまんねぇから、早く戦国時代に進んでほしいわ」
生徒達の言葉を嬉しそうに聞く教師を見上げ、一人の女子生徒がきらきらとした目で尋ねていく。
「なぁ、奈都先生はどんなイメージなん? また面白い歴史の話聞かせてくれるんやろ?」
その言葉を聞いて、教室の後ろの方で頬杖をつき、制服を着崩している男子生徒が呆れたように笑っていった。
「おいおい、いくら藤原っちと言えど、あの退屈な時代をおもろくすんのは無理無理」
「こら、有岡! 藤原っちじゃなくて、藤・原・先・生でしょ!」
彼女は人差し指をたてて動かしながら強調するように伝えた後、生徒全員の顔を見渡してふわりと笑った。
「えっと、先生にとっての平安時代はね――――」
生徒たちは時間を忘れて、彼女の授業に引き込まれていく。
――あの日、平安時代に行くことが出来てよかった。貴方に出会えて本当に良かった。
窓の外に広がる青い空を見上げて、彼女は優しく微笑む。
千年前に飛んだあの夏の日に生まれた願い……歴史の真実を伝えたいという夢。
その夢を叶えた彼女の左手の薬指には、千年前に出会った最愛の人と対になった銀のリングがはめられていて。
指輪にはめ込まれた青く澄んだ宝石が、その笑顔のようにきらきらと美しく輝いていたのだった。
半年以上かかり、ようやく夏鶯の空、完結を迎えることが出来ました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
読んでくださる方がいたからこそ、完結できたのだと思います。
本当にありがとうございました!




