97.恋の自覚
デジレは机に腕をついて突っ伏した。隠せていない耳がうっすら赤い。
「そんな、子供じゃないのに」
「好かれているんですよ。前も言いましたけど、好かれるっていいことです」
今回は少し違うけれど、とマリーは心の中で呟く。一度は否定したものの、この言葉で少しでも、デジレがマリーに好かれていると気付いてくれないかと、マリーは願う。
デジレがゆっくり顔を上げる。うっすら頰が赤いその顔で、横目でマリーを窺う。
「そうだけど。はあ、それにしてもマリーには驚かされた。まさか殿下に会って母に連絡を取り、うちまで来るなんて」
「驚きました? あ、じゃあ一番驚くことを教えますね」
先程から驚いて、マリーの言葉にいろいろと反応してくれるデジレが彼女には嬉しかった。キス以来、どう顔を合わせば良いか悩んで、最初は辛かったが、今は普通に話せている。
安心して気を抜いて、マリーは嬉しそうに笑った。
「王太子殿下がルイ様だったんですよ」
デジレが、時が止まったように動きを止めた。
「――は?」
たしかに、デジレは驚いた。
しかし、今までとは違う。
身体をマリーに向ける彼の顔は、真剣そのもので。虚を突かれた感じではなく、言われたことを確認するとても固い雰囲気に、マリーはあれっと戸惑う。
「なぜ、そうとわかった?」
「え、それはあの」
心をざわつかせながら、マリーは右手を持ち上げる。目の前に持っていき、手の甲をじっと見つめた。塗っているシトラスの香りがする。
「挨拶で、手の甲にキスするのありますよね。ルイ様に以前されたのと、王太子殿下のそれが、全く同じで……え」
言い終わる前に、デジレが急に立ち上がった。ついマリーが驚いて彼を見れば、不意に彼女の右手が捕らえられる。抵抗する間も無く、そのまま強く引かれ、手の甲に柔らかく熱いものが触れた。
「きゃっ!」
デジレの口元に、マリーの手の甲がある。唇が触れているとわかると、マリーは恥ずかしさで同じく立ち上がった。
逃れようと手を引いても、デジレはまったく離してくれない。ようやく熱を持った唇が離れると、デジレの深みが増した強いエメラルドの瞳が、マリーの瞳を射抜く。
「わかる?」
「えっ、な、なにが」
「俺のくちびるとわからない? ……くちびるにしたように、もっとしっかりと口づければ」
もう一度手の甲に唇を寄せられて、マリーは羞恥に悲鳴を上げそうになった。
ルイとオーギュストに手の甲にキスされたことを気にしているのだ。そうわかったマリーは、再び唇が触れる前に慌てて口を開く。
「デジレ様! 違います、違うんです!」
マリーは顔を赤くして叫んだ。
「ルイ様、王太子殿下は、手の甲に唇を触れさせなかったんです!」
デジレが止まった。
虚を突かれた顔をする彼に、マリーは必死で言う。
「どちらも、顔を近付けるだけで、キスしなかったんです! なんの感触もなくて逆にびっくりして、手を引いたので、覚えていました。同じだったから、気付いたんです」
瞬きを忘れたように唖然とマリーを見つめるデジレは、途端、脱力して片膝をついた。マリーの右手は掴んだままで、彼女は何事かと焦る。
がっくりと俯いて、マリーからは白金の金髪しか見えないそこから、深く長いため息が聞こえた。
「……私は、殿下の側近として考えてはいけないことを考えてしまった」
ぼそりと呟かれた言葉は、呆然と、後悔の色を滲ませていた。
「え、えっ? どんなことですか?」
「どんなって」
のろのろと動こうとしたデジレは、また動きを止めた。マリーがますます心配になって、彼の様子を窺おうと身をかがめると、デジレがはっとしたように急に顔を上げた。跪く格好の彼と近距離で目が合って、マリーは慌てて身体を離す。
デジレが、マリーを見つめる。今までの真剣で真面目なものでなく、つい今、マリーの存在に気付いたような純粋なエメラルドの瞳がじっとマリーを捉える。なぜか彼からいつも以上の真剣さを感じ、その瞳が向けられていることがとても恥ずかしく、マリーの頰がじわじわと染まる。それでも、その瞳に絡め取られたように、目を離せなかった。
どれだけ見合っていたか、わからない。デジレに握られた手の、口付けられた部分が熱くなるような感覚がして、マリーはとてもくすぐったい。それでも唇を何度も閉じ直して、デジレの視線をしっかり受け止める。
「……いかなければ」
ようやくデジレが口を開いたと思えば、すぐさま立ち上がった。マリーに向いていてた顔は、すでにどこか遠くに向いている。
「え、あの」
「また、すぐに会いに行く」
それだけ言うと、デジレはものすごい勢いで駆け出した。扉を盛大に開け放ち、部屋を飛び出る。そのまままっすぐに廊下を駆ける。
「は、デジレ様?」
部屋の近くに控えていたらしいベルナールが、突然現れたデジレに目を白黒させて、彼が走っていった方に目を向ける。
「ベル、馬! 城に行く!」
「え、今からその格好でですか!」
ベルナールも声を上げながら、デジレと同じ方向に走っていく。
その光景を開かれた扉からぽかんとして眺めていたマリーは、自分が放置されたと気付くまで時間がかかった。




