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くちびる同盟  作者: 風見 十理
五章 離れるくちびる
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89.姉からの叱咤 ★

 



 姉の嫁ぎ先である侯爵邸へ向かう馬車の中、デジレはひたすら、姉が怒っている理由を考えた。

 最近は全く会っておらず、話した記憶もない。彼女は実家によく帰ってきていたものの、それがぱたりと止まってからはめっきり顔をあわさなくなった。寂しいと思うような歳でもないので、デジレはあまり気に留めていなかった。

 侯爵邸に到着すれば、慣れたように家令が案内してくれる。広めの部屋が見えると、デジレと同じ白金の金髪を煌めかせた女性が、背中を向けて座っていた。


「姉上」


 呼び掛ければ、ゆっくりと彼女の顔が動く。鈴蘭を思わせる可憐なその顔には、怒りがありありと浮かんでいた。

 ああやはり怒っていると思いながら、デジレは彼女の言葉を待った。


「オーギュストに、聞いたわよ」


「え?」


 いきなりカロリナの口から出た人物に戸惑っていると、紙がくしゃりと握りつぶされる音がした。彼女の手元を見れば、なんども潰したのか、すっかりしわしわになっている紙が握られている。目の前のテーブルには、デジレがよく見知った封蝋の封筒が見えた。

 彼がオーギュストからの手紙だと気付くと同時に、カロリナは立ち上がってデジレを強く睨む。


「謝るなって、言ったでしょう!」


 叫ばれた言葉に、デジレは一瞬なんのことかと考えた。その様子がますます癪に触ったようで、カロリナはデジレに詰め寄る。


「キスを絶対謝るなって、私言ったわよね! どうして謝ったの!」


「は……」


 デジレの口から、思わず間抜けな声が出た。

 カロリナが言っていることはもちろん覚えていた。最初のキスの後にマリーに会いに行く前に、散々言われたことだ。

 悪いことをしたと思うのに、謝るなと言われたからにはそうすべきかとなんとか謝罪を呑み込んだ。あの時のデジレは混乱していて、どこか周りに従う状態だった。


「あの時は、姉上の言う通り謝っていませんよ」


「そっちじゃないわ、今回よ。二回目! オーギュストの手紙に、デジレが謝ったって言っていたと、書いてあったの!」


 たしかに今回もマリーにキスをしたが、そのことを言っているのかとデジレは目を(しばた)かせる。

 なぜ謝ってはいけないのか、デジレにはさっぱりわからなかった。


「いえ、してはいけないことをしてしまったら、謝らなければいけないでしょう」


「ええ、ふつうに考えるならそうでしょうけど。この場合は違うの! 貴方は女心がわからないから、助言したっていうのに!」


 カロリナはエメラルドの瞳に怒りを(くすぶ)らせている。デジレは、そんな彼女の瞳を見つめる。

 この場合、と言っているが、カロリナは一体何を知っているというのか。オーギュストからの手紙で、どれだけ伝えられるだろうか。

 唇に無意識に力が入る。デジレとマリーの関係も事情も知らないくせに、どれだけデジレが悩んだかも知らないくせに、なぜ怒られなければいけないのか。悶々とする。


「そんなのだから、マリーを悲しませるのでしょう!」


 カロリナの言葉が胸に突き刺さり、同時にデジレの中の何かが切れた。


「キスなんてするつもりなかった!」


 デジレは叫ぶ。強く、きつく、同じ色の目を見返す。

 彼女はそんな彼に少し怯んだが、すぐに同じような強さで目を向けてきて逸らさない。

 相手は女性で、かつ妊婦で声を荒げる相手でないとわかっているのに、デジレは止められなかった。


「どうしてもしたくなって、身体が勝手に動いたのです。そう、勝手にしてしまった。許可も取らずに。謝らなければいけないことでしょう!」


「許可ってなによ! 許可がないとしてはいけないの?」


 当たり前だ、とデジレはカロリナを睨む。

 許される状態ではなかった。例えマリーに聞いたところで、許可が出るはずなかった。好きな人がいる彼女にとってあのキスは、あって欲しくないものだったろうとデジレは思う。

 デジレもマリーも、あのキスでお互い傷付いた。


「不必要だった」


 デジレは浅くなる息を、精一杯深く吸う。


「あれは、なんの必要性もない、不必要なものでした。不必要なキスなんて、してはいけなかった!」


「不必要!?」


 カロリナが信じられないと目を見開く。


「キスに必要も不必要もあるものですか!」


 デジレにつかみかかろうとする勢いで、カロリナが叫ぶ。デジレは動かなかった。

 彼女が怒りと興奮に頰を紅潮させて、もう一度大きく口を開こうとする。しかし傍に控えていた侍女にたしなめられた。体に触るといけないと、ストールを掛けてもらいながら、カロリナはデジレから距離をとってふうと息をはく。


「考えなさい、デジレ。一回目と二回目、なにが違うのか」


 落ち着いているが、強い口調でカロリナが言った。


「用件はこれだけよ。さっさと帰って邸で謹慎していなさい」


 ふいと顔を背けて椅子に座り、もう用は無いと言わんばかりに背中を見せる彼女に、デジレは黙って礼をして部屋を出た。


 なにが違うのか、デジレは廊下を歩きながら考える。

 キスの相手は、同じマリー。いきなりデジレからキスしてしまったのも同じ。

 違うというなら、場所、時間。デジレには前回と違って記憶があり、マリーは気を失うことはなかった。互いに、覚えている。

 だからなんだと、デジレは思う。結局はデジレはするべきでなかったキスを、マリーにしたということは変わらないのだ。同盟など、何の意味もない。

 ただ。デジレはマリーとのキスはしてはいけないことだったと何度も思ってるが、彼女とのキスをしなければよかったと、一度も後悔していない自分に気付いていた。


 いつの間にやら、ここまで自分勝手になったのかと、デジレは笑うしかない。居た堪れない心を誤魔化すために、デジレは足の進みを早めた。



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