78.もしかして
帰りの馬車でも、マリーの隣にはデジレが座っていた。そもそも隣に座った方が良いのかと聞かれては、行きにお願いした身としては、マリーは断るすべがなかった。
馬の蹄が地面を蹴る音と、車輪が上下に揺れながら回る音がする。隣に並ぶと口数が極端に減ってしまうようで、静かな空気が馬車の中に漂う。息苦しくはないが、心臓の音が隣に聞こえてしまうのではと心配になる。ちらちら見るのもおかしくて、鼓動を意識しながらマリーは静かに座っていた。
時間は過ぎるもので、そんな空気も邸に着けば終わりを告げた。
ハンドクリームで滑らかにした手を引いてもらって降りれば、マリーはデジレに笑顔を向ける。
「今日もありがとうございました。楽しかったです」
前回の後の今回で、どうしようかと迷っていたが、なんとかなった。それどころか、嬉しい言葉まで貰えた。
やはりマリーが落ち込んでばかりだと良くないのだと、わかった夜会だった。
このままこれからも対応していけば、きっと大丈夫だ。まだ、一緒にいられる。マリーはどこかほっとしていた。
「じゃあ、また次回お待ちしてますね」
別れるのは口惜しいけれど、次を楽しめば良い。そう思ってデジレを見るが、彼は今日の最初のようにマリーをじっと真剣な目で見てきていた。
また戻った、と不思議に思っていると、急に両方の二の腕を両手で掴まれる。しっかりと捕らえられた状態になって、マリーは目を丸くした。
デジレと距離が近付く。シトラスの香りが鼻腔をくすぐる。デジレの綺麗で吸い込まれそうなエメラルドの瞳がマリーを覗き込む。
いきなりの状態でありながら、マリーは頰に熱がともるのを感じた。
「ど、どうし……」
「自惚れていると罵ってくれても構わない」
声が固い。緊張で少し震えている。
以前彼がマリーに、オーギュストの噂をどこで聞いたかと詰問した時と似ていた。しかし、今回は怒りは感じない。
訳がわからないながらも、マリーは彼の目を何も言わずに見つめた。
デジレが、唇をゆっくりと動かす。
「好きな人は、……もしかして、俺?」
時間が止まった気がした。
息も心臓も全て止まって、マリーは自分がどこかにいってしまったようだった。
――気付かれてしまった。
茫然自失として、ただただデジレを見る。
少し上擦った声だった。気弱なようで、確信があるような声だった。そして、その見慣れた瞳には、うっすらと期待が見える。
マリーはようやく息を吸い込んだ。
言ってしまおうか。ここまで気付かれてしまっては、隠す意味もない。今、肯定の言葉を口にするか、首を縦に振るだけで、デジレにはマリーの気持ちが間違いなく伝わる。
一体何で気付いたのかわからないが、恋愛初心者が気持ちを隠すなど高度なことをできるはずがなかったのだ。気付いたら恋愛小説みたいにうじうじしないで、正直に伝えてしまえばよかったのかもしれない。
デジレの緑にマリーが映る。ずっと、彼女を見ている。
マリーは唇を、開く。
「あ……」
たしかに、ここで肯定すればマリーがデジレを好きだとは伝わる。
でも、伝わってどうなる?
マリーの口の動きが止まった。
デジレは気になる相手との仲を応援するといっていた。それが自分ならば、自らマリーとより仲良くなってくれるのだろうか。そう、例えば、最初に求婚してきたように。責任持って。
心に、影が差す。
彼が今知りたいのは、マリーがデジレを好きかどうかだ。好きか、そうでないか、それしか求めていない。デジレがマリーを好きかどうか、そんなものは関係がない。
もし、デジレがマリーを好きだったら。きっと先に気持ちを告げるだろうし、こんな確かめるようなことをするとは思えない。
「……」
伝えても、マリーが嫌だと思った責任を取る行方が待っているかもしれない。伝えても、マリーがそうなってほしいと思った同じ好きを返してもらえないかもしれない。
そして、この関係はいずれにしても終わるのか。
ずきずきと痛む心に気付いて、マリーはぎゅっと目を閉じた。これ以上目を見られれば、本当に気持ちを悟られてしまいそうだった。
どうしようもなく、辛くて無理だった。
マリーは思い切り――首を横に振った。
腕から手が離れた。
それでもマリーは、目を閉じ、首を振った状態から動かない。
「そうだよな……当たり前だ。何を馬鹿なことを言っているんだ」
自嘲する声がする。かすれ気味の声は、わずかに震えていた。
「おかしなことを聞いて、ごめん」
声から距離を感じて、マリーはうっすら目を開けた。
彼女から距離を置いて立つ彼は、わずかに肩が落ちている。マリーが見ていることに気付かずまだ自嘲する様は、そこに安堵などなく、はっきりとした落胆だった。
ふいと顔を背ける彼の横顔に、一瞬ひどく傷付いた表情を見て、マリーの胸が何かが刺さったように痛む。
「はは、ひどく無様だ。……ごめん、今日はさっさと退散するよ」
無理に笑っているのか、力がない。そのまま彼は何も言わずに馬車に乗り込んだ。
デジレに、嘘をついてしまった。あんな顔をさせてしまった。傷付いた顔などしてほしくなくて、いつもの笑顔が見たかったはずなのに。
マリーは、心臓が切り刻まれたようで苦しくて立っていられず、地面に座り込む。
マリーが選んだ道であるのに、彼女はこれで良いのかわからなかった。




