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くちびる同盟  作者: 風見 十理
四章 近付くくちびる
64/139

64.心の動き

 


 馬車の中は、おそらくいつも通りだった。

 話に乗ってしまえばいつも通り楽しく、デジレといろいろと話をしていればあっという間に本日の目的地に到着した。


 馬車から降りれば、にわかにマリーは緊張した。ルージュに指摘された今までのことが思い出されて、途端に挙動がおかしくなる。それでもいつも通りに振舞わなければならないと思って、幸いにもマリーのおかしさにあまり気付いていないらしいデジレに従って会場に入った。

 明るい場は、当然暗い夜と違ってよく見える。ふと隣を見上げたマリーは、煌めく白い月のような髪の、長い睫毛(まつげ)に縁どられたエメラルドの瞳を持つ、とんでもない美形の男性の横顔に、胸をひとつ高鳴らせた。


 マリーは、自分は現実的な方だと思っていた。恋愛小説は現実でないものと理解して楽しむもので、話のようなことは現実ではあるはずがないと思っていた。完璧な王子様なんてまず恋愛対象でないし、そこそこの男性のいいところをこっそり知るぐらいで丁度よいと思っていた。

 だが実際はどうかといえば、デジレは恋愛小説の王子様相当の男性だ。結局マリーが好きになったのは、そういう相手だった。


「どうかした?」


 急にその美貌を向けられて、慌ててマリーは首を横に振る。

 ルージュが言ったように、デジレは普通に考えれば女性に好かれない方がおかしい。実際にデジレを好きな女性はいたし、マリーだって、その女性のひとりかもしれない。

 それでも、王子様は王子様で、マリーには手が届かない人だ。マリーは恋愛小説のヒロインみたいにお姫様ではなく、ずば抜けた魅力だってない。ルージュに宣言したように、デジレの相手としては明らかに不相応で隣に立つのは不可能だと感じている。

 それなのに。マリーの中で、冷静な自分が懇々(こんこん)とデジレとは上手くいかないと()いているのに、もうひとりのマリーがデジレにときめいている。恋愛小説のヒロインのように恋に浮かれている。抑えようとしても、デジレを前にすると、勝手に冷静な自分を押しのけて前に出てしまう。


「……マリー?」


「は、はい?」


「先程からずっと反応がなかったけれど、話がつまらなかった?」


 眉尻を落とすデジレに気付き、マリーはしまったという顔をした。すっかり物思いにふけって、デジレを放っておいてしまった。


「ごめんなさい、考え事を、していて……」


 デジレと目をあわせば、かっと頰が赤くなる気がして、マリーはすぐに視線を逸らした。目の前の会場を、どこを見るわけでもなく睨む勢いで見つめる。

 デジレを見るたびに、頭が壊れたように格好良いや綺麗としか思わない。今でも危ないのに、彼を見るだけで気持ちが漏れてしまいそうだった。

 会場を見渡しても、なにもなかった。男性など、もはやどうでもいい。くちびるなど、目がいかない。本当は隣を見たいが、今はまだ見られない。


「気になる人がいた?」


「えっ!」


 思わず大きな声を出してしまったせいで、デジレが目を見開く。

 またやってしまったと、マリーは後悔した。てっきり好きだとばれてしまったのかと思ったが、この質問はデジレがいつもしてくる、くちびる同盟の相手探しのためのものだ。

 気になる人はいる。いや、好きな人。でも、本人には言えない。


「ごめんなさい、大声出して」


「いや……」


 気まずい空気が二人の間に漂う。いつも通りとはどうだったのか、マリーは考えれば考えるほどわからなくなっていく。

 デジレが何か言いたげに口を開いて、閉じた。そして、マリーの顔をそれなりの距離を置いて覗く。


「やっぱり、無理していない? 久し振りだから、熱気にあてられたのかもしれない。もう帰ろう。また、いつでも来られるから」


 気遣わしげな声に、マリーは恥ずかしくて俯いた。

 デジレはマリーの足が治っても、気を遣ってくれている。再度もらった夜会の予定表は、二週間分に短くなっていて、夜会も間隔を空けていた。それを見てマリーは、最初にがっかりした。デジレとあまり会えないと感じたからだ。


 恋とは自分勝手だ、とマリーは思う。

 デジレに気持ちを告げたり気付かれたりして、責任を取るように応えられても嫌だなんて、マリーのわがままだ。だから知られたくない、隠すのだというのも、マリーの勝手。もう相手は見つかっているのに、それを告げずに会いたいからとデジレに夜会に連れて行ってもらっているのは、同盟の違反かもしれない。

 そして、デジレは約束通りにマリーの相手探しに協力してくれているのに、マリーは全くデジレの相手探しをしていない。

 マリーは自分が浅ましくていやらしくて、深く恥じ入った。


「ご、ごめんなさい……デジレ様の相手探し、全くせずにぼうっとして」


 何か胸に刺さって痛くて、小声で呟く。


「いや、そんなの気にしないで。マリーの体調の方が大切だ」


 いつもの優しい声に、好きとか憎らしいとか恥ずかしいとか、そういう様々な感情がないまぜになって、マリーは泣きそうになった。



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