60.好きと想い
ルージュは黙って、マリーの真面目な顔を見つめる。
「だから、マリーはデジレ様に好きと伝えないの?」
マリーは深く息を吸って、ゆっくり頷いた。
「それにね、わたし、デジレ様に結婚してと言われたとき、すぐに無理って言ったの。その反応って、結局自分が心の奥底で思っていることなのよ。身分とか立場とか、自分がどうなるかとか、いろんなことを考えてわたしがすぐに判断したこと。自分の考えなんてそうそう変わらないでしょ」
マリーの眉尻が下がる。ルージュはそんな彼女を見ながら、ため息をついた。
「全く、恋って難儀ね」
「ごめんね、ルージュ。物語みたいな恋愛じゃなくて」
「身分とかしがらみによって恋が制限されるなら、私たちをどきどきさせる恋愛小説なんてうまれなかったでしょ」
冷静な声でさらっと返してくるルージュが、マリーを励ましてくれているのがわかって、マリーは小さく微笑んだ。
ルージュはティーカップの紅茶を飲み干して、ソーサーに置く。
「で。デジレ様と、また会うの?」
「うん。また相手探しで夜会に行く」
今日の朝にすぐに手紙で連絡がきた。デジレが来てくれなくてがっかりしたマリーだが、来たら来たでどんな顔をして会えば良いかわからず、これで良かったのだと思うことにした。
「大丈夫なの? 好きな人に自分の相手を探してもらうなんて」
はしばみ色の瞳に不安が込められているのを、マリーはすぐに気付いた。ルージュに安心してもらえるよう、マリーは頑張って口角を上げて、つとめて明るめの声を出した。
「大丈夫。その相手は見つからないから。それに、ルージュが言ってた本来わたしと関わるはずがない天上人、デジレ様とわたしをなんとか繋ぐのは、相手探しのくちびる同盟だけだから」
だから、行かないわけにはいかない。いや、行きたい。
本当はこんな不毛な気持ちに気付いた時点で、さっさと身を引くべきなのかもしれない。どういう顔でデジレと会えばいいのかわからないのに、どうしても会いたくて、無意味なことさえもしたくなる。
「想像外で恋愛小説に書いてなかったこの気持ち、もうちょっと知りたくて。大丈夫、デジレ様に、気持ちに気付かれないように頑張る。そのあたり鈍そうだし、多分いける! それで、それなりに夢見たら、うまく離れるから」
ずきんと胸が痛む。最近の胸の挙動がおかしい。マリーは胸元で手をぐっと握った。
ルージュがしばらくマリーを見つめて、脱力して背中をソファーに預ける。
「はー、まあ好きにして。悲しいことがあったら話ぐらいいくらでも聞いてあげるわ」
「ありがとう」
「そういえば、マリーがデジレ様を好きになったのなら、あのキスって好きな人にしてもらったファーストキスになるんじゃない?」
にやりとする彼女に、マリーはあっさり首を横に振る。
「違う違う。今はそうだけど、あの時はわたしは好きじゃなかったし、好きな人とのキスじゃなかったよ。あと、無理矢理だったし、わたしもなにがなんだか……あれはやっぱり奪われたって思ってる」
「でも、ファーストキスの相手が、好きになったデジレ様でよかったね」
じわっと頰が紅潮して、マリーは俯いたが、ゆっくり頷いた。
「結局、マリーってキスされた時からデジレ様を好きになってたんじゃないの? キスされた後、なんだかやけに必死にデジレ様を非難していたしね。唇を奪った相手を好きになったなんて信じたくなくて、そう無意識にしたんじゃない?」
「え、わからない。もしかしたら、そうかもしれないけど」
マリーは迷うように視線をさまよわせたが、すぐにまっすぐ、ルージュに向き直る。
「そうであってもいいかなって思うけど。そうじゃなくても、今、好きな気持ちが間違いないから、それでいいかな」
ルージュが笑う。彼女はおもむろに立ち上がり、マリーの頭に手を置く。そして、髪が乱れるほど強めに撫でた。
「なによ、なんだか大人びちゃって」
「ちょっ、ちょっとやめて!」
抵抗する前に、頭から手が離れた。少しむっとしてマリーが睨んだルージュは、柔らかく見守るような目付きで、彼女こそが大人びていた。
「無理しなくていいから、マリーらしくいてね」
喉から何かが込み上げてきて、マリーは俯いてから頷いた。
ルージュがまた座り直したのを確認して、マリーがそうだと口を開く。
「そういうことだからね、ルージュ。賭け事はやめてね。こんな本人が言うのってずるいのかもしれないけど、デジレ様とはそうなることはないと思う」
「……考えておくわ」
ルージュが完全にマリーから目を逸らした。
「あっ、その感じ、やめる気ないでしょ!」
「いいじゃない、私はマリーがどうだろうと、マリーの幸せを願ってるってことで!」
「わたしの幸せを賭け事にしないで!」
わあわあ二人が言い合う声が部屋に響く。
こういう少しのじゃれあいが、マリーの気持ちを軽くした。




