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くちびる同盟  作者: 風見 十理
三章  瞳を閉じて
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58.恋の気付き

 



「はい、クリーム缶と口紅」


 マリーはデジレに差し出された袋を受け取った。高価な商品が入るにふさわしい綺麗な袋だった。


「ありがとうございます」


「礼には及ばないよ。お詫びだから」


 そう言う割には、デジレは嬉しそうに笑う。

 彼がいつの間にやら会計を終えて、店を後に帰路についた。馬車の中で渡された袋をマリーはじっと見て、目の前の彼をみる。

 最初はあれほど嫌がっていた狭い二人の空間も、慣れたものだ。いや、目の前に誰もが絶賛するような美青年がいるというのに落ち着いているマリーは少しおかしいのかもしれない。特に今日は、十回彼を見れば十回全て格好良いと思ってしまう。

 スリーズ邸から店までは、案外遠くなかった。マリーの足を案じたデジレは、まだ夜会への参加を再開していない。昼でまだまだ明るいのに、もうすぐ別れなければいけないのかと考えると、マリーはあんまり楽しくなかった。


「それと、マリー。これを」


 デジレが、小さなデザインの綺麗な箱を渡してくる。どうやら贈り物用になっているようだ。反射的に受け取ったマリーは、首を傾げた。


「これ、なんですか?」


「開けてみて」


 少しためらったマリーだが、飾られているリボンを解く。小さな箱をそっと開ければ、見たことのある小ぶりの缶が現れた。


「これって……!」


「それはお詫びではなくて、お礼。今日は付き合ってくれてありがとう、いつも以上に楽しい時間だった」


 デジレの言葉は、心からのものだった。マリーはハンドクリームが入った箱を手でしっかりと持ちながら、自然と湧き出るように笑うデジレを見つめる。


「女性は欲しいものをじっと見つめるものだと姉から聞いて。マリーがそれをずっと見ていたからこれだと思ったんだ。しかもそれは、シトラスの香り。私もその香りが好きだから、なんだか嬉しかった」


 知っている。だっていつも、デジレが香水で付けている香りだ。

 マリーは心があたたかくなって、どこかぎゅっと締め付けられるように感じて、デジレからもらったハンドクリームを胸に抱いた。

 絞り出した感謝の言葉は、小声でどこか泣きそうな声だった。






 早すぎるほど早く、スリーズ邸に着いたとマリーは感じた。

 デジレの手を借りて馬車を降り、いつも通りに邸の前まで送ってもらう。離しがたいとどこかで思う彼の手から、そっと手を離す。

 いつもと違うのは、未だ明るい昼であること。夜会ではなく、買い物に出掛けた後であること。


「マリー。改めて、今日は付き合ってくれて、ありがとう」


「いえ、こちらこそ。ありがとうございます」


 沈黙する。これで終わりかと思うと、名残惜しい。マリーだけそう思っているのかと、デジレのエメラルドの目を覗く。

 視線が合って、しばらく。彼の方から逸らした。


「あ。あの……次の夜会って」


「ああ、そうか。足はもう大丈夫だった。また、連絡するよ」


 どうやって連絡するのか、見舞いのように彼が来てくれるのかとマリーは考えた。そうだったら嬉しい。だがデジレの疲れた顔を思い出すと、そう頼めなかった。

 しょんぼりと視線を落としたマリーに、デジレは目を泳がせて、髪を掻く。


「まだ明るいから、別れるのは変な感じだ。また夜に、こちらに来てしまいそうだ。マリーが足を怪我したからと夜会を取り止めたのは自分だというのに、何度も夜に出掛けようと準備をしてしまってベルに指摘されたよ」


 マリーははっとして顔を上げる。困った顔をしているデジレを見ると、また胸があたたかくなる。胸元で、手をぎゅっと握る。

 同じ気持ちだ!

 口を開こうとしたマリーは、ふと香りに気付いた。

 清涼感があり、爽やかな、優しい香り。そのままデジレを表しているような、たまに心乱すが心安らぐ香り。ふわっとマリーまで届いて、すんと嗅ぐ。


「……あれ、デジレ様。今日はすごく、シトラスの香りがしますね」


「え? いつも通りに付けたはずなんだけれど……」


 デジレは焦って手首などを鼻に近付けて確認する。マリーにはますます香りが強く感じた。


「ごめん、濃い? 臭う?」


「いえ、全然。むしろこの香り、わたしも好……」


 今、なんて言おうとした?

 マリーは口を開けたまま、止まる。

 デジレの端正な顔に、目がいく。

 す、き?

 綺麗な唇に目がいく。

 すき?


「マリー?」


 好き?


 ――ああ!

 手が、自然と口を覆う。

 頰が、一気に染まる。

 絶望のようで希望のような想いが、胸を渦巻く。


「え、そんなに嫌な臭いがする?」


 デジレはとても慌てていた。

 マリーはまともに考えることができないのに、デジレの言ったことは否定しなければと、大きく首を横に振った。


「違います! この香りは、わたし……わたしは」


 好きとは、言えない。嫌いなんて、もっと言えない。だって、好きだから。


「わたし……嫌いじゃないです!」


 目をぎゅっと閉じて精一杯叫んだマリーは、デジレの顔を見ないように、スリーズ邸に駆け込んだ。




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