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くちびる同盟  作者: 風見 十理
後日談
134/139

スリーズ家の夕食①

ジョゼフ視点




「よし、終わった!」


 ジョゼフはすっきりした明るい声を張り上げ、汗を(ぬぐ)った。

 外は暗くなってきているが、彼の仕事にしては終わるのが早い。それもそのはず、今日は上に掛け合って勤務時間を調整して、早く帰れるようにしていた。


「俺は帰る!」


 鼻歌を歌いながら、ジョゼフはさっさと支度をする。帰る準備といっても、彼の荷物はとても少ない。さっと担いで、にこにこ顔で外に向かう。


「ジョゼフ、自主練しないのか?」


「しない! 今日は家で妹が待ってる」


 同僚の問い掛けに、元気に返事をする。なるほどと呆れたような声がしたが、ジョゼフは気にせずに帰路につく。

 今日は、マリーが夕飯を作ってくれる日だ。

 マリーは家のことならほぼできる。スリーズ家の数少ない使用人に、定期的に一斉に休みをとらせており、その日は彼女が家事等を一手に担った。今日はその日だった。

 まさにジョゼフがあっという間もなく、婚約して嫁にいくことが決まってしまった妹と、あと少ししかないだろう家族水入らずの時間を楽しめる貴重な日だ。ジョゼフの口元がゆるむ。


 もともと、マリーはしばしば夕飯を作ってくれていた。しかし最近はあちらこちらに飛び回っているので、機会がめっきり減っていた。

 やれ茶会だ、夜会だ、公爵家だ、伯爵家だとマリーはあまり家にいない。最近ではどんな理由か王城にも通っており、城でマリーと会うことが増えている。


 マリーが家にいない一番の原因は、彼女と婚約したデジレだ。また夜会に出ずっぱりで、それ以外の日は大抵彼の伯爵家に行っている。行きすぎだろうと苦言を呈せば、マリーは少ししょんぼりした後、伯爵家に行く頻度を落としたが、代わりにデジレが来るようになった。最初こそジョゼフに気を遣っていた彼だが、最近はジョゼフがいようといまいが関係なく、堂々とスリーズ邸にやってくる。

 どれだけ会いたいんだよ、とジョゼフは呆れる。


 例えばこの婚約が、はじめての恋に燃えて熱に浮かされたものならば、ジョゼフは遠慮なく止めた。そんなものでは後からマリーが泣くことになるかもしれない。

 実際はというと、マリーは伯爵家に相応しい見聞と社交を身に付けるのだと、はりきってあちらこちらに出向いている。家にいる間もなにやら本を読んで、嬉しそうに勉強している。そこまで頑張らなくてもデジレに任せておけばいいと言っても、彼も頑張っているからと微笑まれた。

 デジレも、午前中は王太子にしっかりと仕え、午後は伯爵家のことをみっちりと学んでいると聞こえていた。そのぎゅうぎゅうな予定の中で、時間を見つけてはマリーに会っているその姿は、とにかく好きがあふれ嬉しそうでいて、気の張りがなく落ち着いていた。時間になれば早々に立ち去るし、だらだらと居続けることはない。


 国王までもが認めた彼らを、反対するものなどまず誰もいない。しかし、ジョゼフはずっと認めないと言い張っていた。


「ただいま!」


 スリーズ邸の玄関を開けると、途端に美味しそうな温かい香りが鼻腔をくすぐる。減っていた腹がきゅうと鳴って、ジョゼフは夕飯がより楽しみになる。


「おかえりなさい、兄さん」


 ぱたぱたと軽い足音をたてて、マリーが迎えにやってくる。優しく笑顔を向けてくるその姿は、ジョゼフにとって至高の可愛さだ。


 王城でよくジョゼフに手を振ってくるようになってから、マリーを見た未婚の騎士たちが、ジョゼフに似ず可愛いとふざけたことを言うものだから、睨んできた。中には本気で見惚れた者もいて、散々妹が可愛いと言っても興味なかったくせにと苛々する。

 その者たちは皆マリーを諦めた。もちろんマリーに婚約者がいることを知っていたこともあるが、大抵マリーとともにいるデジレか、王太子の婚約者である公爵令嬢が牽制(けんせい)するからだ。

 お前たちにはマリーは譲らない、マリーに相応しくないと美しい顔から鋭すぎる目を向けられると、自分相手でないと思っても、ジョゼフは毎度冷や汗が止まらない。


「あの、兄さん」


 ジョゼフは気を戻す。

 今はそんなことを考えている場合ではない。マリーの作った夕飯を食べるのだ。また腹の虫が、同意するように鳴いた。


「すぐに着替えたら食べに行くからな!」


 ジョゼフは上着を脱ぎながらマリーの横を通り、早足で自室に入った。

 汗や汚れが付いた服を着替えて、意気揚々と食事をする小部屋へと向かう。ますます料理の良い香りが強まって、足取りが早くなる。


「今日の夕飯はなんだろな!」


 マリーの料理は全部美味しい。

 狭い部屋に大股で入る。小さなテーブルの奥に焦げ茶髪の父が、傍に同じ色のマリーが。そして、目の前にきらきらと光る白い金髪が見えた。

 この場には似つかわしくない色に、ジョゼフは目が点になった。その白色はくるりと端正な顔を見せて、立ち上がって丁寧に礼をした。


「お邪魔しています」


 すっと上がられた顔には、澄んだ緑色の真面目な瞳がある。


「あの、兄さん。今日わたしが夕飯作るって言ったら、デジレ様が食べたいって言って」


 マリーの控えめで、照れを含んだ声が耳に入った。

 そんなこと聞いたら、こいつは絶対食べたいって言うに決まってる。

 じっと許可を待っているのか、まっすぐに見てくるまだ家族でない男を前にして、ジョゼフは一気に浮かれた気持ちが落ち着いた。


「ああ、そう……まあ、座れ」


 家族水入らずのはずが、水を差されていた。

 デジレが席に座ったのを確認して、ジョゼフはがっくりしながらも、空いていた彼の隣に腰を下ろした。



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