キスの許可①
マリー&マリーローズ視点
「マリー、キスしてもいい?」
デジレは必ず、キスをする前にこう聞いてくる。
マリーはどきどきとうるさい心を落ち着かせるためにしばらく間を置いて、首を縦に振るか、小声ではいと呟き、目を閉じるのだった。
「……という感じで」
マリーは恥ずかしくて俯きながら、ハンドクリームで滑りが良い手をいじった。
光がよく差し込んで明るいこの部屋は、プリムヴェール公爵家の一室で、室内で花を育てる場所らしい。まだ外は寒いがこの場所は暖かく、見栄えも良い上に誰も入ってこないということで、マリーローズが提案した場所だ。
確かに周りには、暖かい季節を先取りしたように色鮮やかな花が咲き誇っている。甘い、特に上品な薔薇の香りがマリーたちのいるテーブルに届くが、マリーは自分が手に纏うシトラスの香りの方をより強く感じた。
つい手の香りを楽しんでいると、菓子が載るプレート越しのマリーローズと目が合い、はっとした。相談していたのだった、と申し訳なさそうに彼女を見れば、その美貌のかんばせの眉間に二本、皺が寄っている。
「ローズ様! 眉間に皺が!」
「ああ、ごめんなさいね」
マリーローズはあっという間に皺を消し去った。しかしその顔は、笑顔ではなく、熟考している賢者のように深刻だ。
「あ、あの変な相談してすみません……」
「いえ? 良いの、なんでもわたくしに話しなさいと言ったから。それで、なんだったかしら。デジレとの惚気が止まらなくて困っている?」
「違います! 惚気てなんていないです。その、デジレ様が、毎度キスの確認をしてくるのが恥ずかしいって、こと、で……」
口にするだけで、どんどんと顔が赤くなっていくのをマリーは自覚した。
仕方ないところがあるとは、わかっている。
デジレは二回、無理矢理マリーにキスしたと思っている。実際、確かにそうだ。一回目はともかく、二回目はマリーは嫌だとは思っていなくても、許可なく勝手にしたことは間違いない。
あの真面目で散々そのことを気にしていたデジレが、両想いになって婚約者になったところで、何も言わずキスできるはずがなかった。
「ああ、そう。つまりデジレが、腰抜けで嫌になったと」
「そうでなくて、ただ、恥ずかしいんです……。許可することが、なんだかキスをねだっているみたいで」
「そう……」
マリーローズが一瞬天を仰いで、ざっくりと手で髪を掻き上げた。ぱちりとしたサファイアの瞳が、マリーを捉える。
「はっきりしないから、いくつか聞くわ。マリーは、デジレからキスされることが嫌なの?」
「そんなことありません!」
「許可を求められて、断ったことは?」
「ないです」
一回もキスを拒んだことはない。
さすがにもう人前ではこりごりなので、デジレにはそれを伝えてある。デジレは一回目のこともあり、ちゃんとわかってくれた。
実際、キスをしてよいか聞いてくる前、デジレは必ず周囲に誰もいないことを確認する。それが合図のように思えて、マリーはますます恥ずかしくなるのだが。
マリーローズはふう、と長い息をはいた。
「困るタイミングもあるでしょう。その時は断れば良いのよ。そうしないと、デジレに伝わらないし学ばないわ」
「困ると思ったことはないですし、すごく気を遣ってくれてます。それにもし断ったりしたら、すごく落ち込みますよ」
想像したくはないが、落ち込む様は目に浮かぶ。そうなれば、きっとデジレはキスをしなくなる。
それは、マリーとしても落ち込むことだ。
落ち込めばいいのよ、と低い呟きが聞こえた気がしたが、マリーは気にしないことにした。
「話を戻すと、デジレからキスの確認をされるのが恥ずかしいということよね。だったら、彼に確認を止めるよう言えば良いのよ」
「だって、そんなことしたら……!」
マリーが目を閉じて、胸元で手を強く握った。
「キスの回数、増えるじゃないですか!」
「増えるわね」
マリーローズが真顔で即座に肯定した。やっぱり、とマリーは顔を手で覆う。
「で、ですよね。ローズ様もそう思いますよね」
「たがを外せばデジレが堪えられるはずないでしょう。それで、マリーはそれの何が問題なのかしら」
マリーローズが自身の頰に手を添える。傾いた顔に従い、甘い桃色がかった美しい金髪がさらりと揺れた。
「……恥ずかしいんです」
「恥ずかしいではわからないわ。マリーはキスが嫌どころか、したいのでしょう。具体的に何が恥ずかしいの? どうしたいの?」
マリーは言葉に詰まり、顔を真っ赤にしてマリーローズのまっすぐな目から視線を逸らした。
恥ずかしさをそっちのけで言えば、マリーはデジレとキスがしたい。同じ想いで唇を合わせるのは、幸せで気持ちよくてたまらない。
もっとしたい、そうは思うが、何も言わずいきなりキスされるには、心の準備がまだできていない。だからといってキスの許可を何度もするのは、もどかしい。正直に言えば、今はそんな気持ちだった。
「いつかは聞かれないでしてもらえるようになりたいんです! でも、まだ心が追いついていなくて、踏み出せないんです!」
もう、仕方ない。そう思ってマリーは思い切り叫んだ。
「そう」
柔らかい綺麗な声がして、マリーローズを見れば、彼女は満足そうに微笑んでいた。
「だったら、頑張りなさい」
「え? 相談は」
「どうせ勝手に解決するような内容じゃない。そんな惚気に、わたくしが言うことなど何もないわ」
完全に興味がなくなったという態度で、マリーローズがケーキをとって食べ始めた。マリーは何か言おうとして口を開いたが、すぐに閉じて同じくケーキを皿に移した。
「それで、マリー。まさか、今日わたくしに会いに来たのは、その惚気相談だけではないわね?」
「惚気じゃないです」
マリーローズに言われて、マリーは慌てて小さな袋を取り出し、中身を出す。そのまま、彼女はマリーローズの前に差し出した。
赤い薔薇柄が蓋の部分に飾られている、丸く平べったい缶だ。
「あら、これは?」
「くちびる用の、クリーム缶です。わたしから、ローズ様がくちびる同盟に加盟した記念に差し上げたくて」
デジレと婚約することになった、とマリーローズに伝えた時、具体的にマリーローズが去った後どうなったのかしっかり聞かれた。その時に結び直したくちびる同盟の話をしたところ、マリーローズが加盟したいと言い出した。
デジレに話すととても渋ったが、今回同盟を結んだ盟主はマリーになるからと任せてくれた。マリーとしては全く問題はなかったので許可したところ、マリーローズはなぜかオーギュストも引き連れて加盟した。
なんとなく同盟を認めてくれたような気がして、マリーは嬉しかった。せっかく加盟してくれたのだからと、マリーは愛用しているクリーム缶と同じものをマリーローズに贈ろうと考えた。




