121.好き
憂いがなく、さらに美しく見えるマリーローズに、マリーはなんだか嬉しかった。
王妃になる、ということは、王になるオーギュストと一緒になるということだ。素質も性格も、お似合いだと思う上に、オーギュストは彼女が好きだから、マリーは心から良かったと思う。
そこでまで考えて、大切なことに気付いた。
「えっ、じゃあ、デジレ様はどうなるんですか?」
焦ったせいで、マリーローズの腕を掴んでしまった。
マリーローズを好きなデジレは、マリーローズが王妃になるなら失恋となる。しかも、相手は彼の主人だ。側近が王妃を好きなど、マリーローズも言っていた通り、物語だけでないとまずい。
必死なマリーに対してマリーローズは冷静に、マリーの頭越しに奥に目を向け、意地悪そうに笑った。
「デジレ? どうでもいいわ。好きにすれば良いのではないの?」
手が離され、マリーローズが後ろに下がる。
寄る辺がなくなり、呆然としてふらりとたたらを踏む。
その時、自分の足音以上の大きな音が、後ろから聞こえた。
「マリー!!」
背後から、大きく大きく、必死な叫び声がした。
マリーは、身体が動かなくなるほど驚く。
誰の声かわからず、恐々と振り返る。
「見つけた」
エメラルドとばっちり目が合う。
背に見える月と同じような、白く輝く金髪が揺れる。息荒く肩が上下しているのに、その姿は神々しかった。
デジレの姿に、驚いた心の音がさらに早くなる。突然の登場に、頭が追いつかない。
彼は、マリーと呼んだ。はっとしてマリーローズを振り返れば彼女は変わらず面白そうなものを見る目で、デジレとマリーを見ていた。
「マリー。わたくしは、今まで一度もデジレにあんなに必死に、名前を呼ばれたことはないわ」
え、とまたデジレを振り返れば、目がすぐに合う。
もしかして、自分の、ことだろうか。
さらにはやる心でマリーローズに確認しようとすれば、すでにマリーローズの姿がなかった。
ひとりにしないで! と叫びそうになった。
「マリー」
耳に馴染む声がする。誰の声かは見なくてもわかる。
足を動かして、しっかりと彼の方へ身体を向ける。
「……はい」
俯きがちなまま目を向ければ、彼の荒れた髪が風を受けてあちらこちらに揺れる。珍しく額には、汗が滲んでいる。シトロニエ邸に行った時、出てきた彼も似たような様子だったが、今回の方が酷かった。
それでも相変わらず、瞳はまっすぐで真剣だ。
「マリー」
好きだと思った名前の呼び方を、そう何度も真剣に呼ばれると恥ずかしい。
頰をだんだんと赤くしながら、マリーは顔を上げた。
「はい。なんでしょうか、デジレ様」
つい、唇に目がいく。
変わらず張りと艶がある彼の唇は、手入れを怠ってこなかったのだろう。マリーが最も好きな唇で、変わらないでいたことが嬉しい。
整った形の唇が、大きく動いた。
「好きなんだ、マリー!」
「え」
目と耳を疑った。
真面目な瞳を見れば、そのままの輝きでまた声が響く。
「マリーが好きだ!」
「え、ええ?」
予想外の言葉だった。
マリーが、好きとは?
そうだ、彼が好きなのは、と彼女が消えた方に向けば、大きな手がマリーの腕を取る。
「違う、マリーローズじゃない! 俺はマリー・スリーズが好きなんだ!」
「あ、の」
「この手が握っているマリーが好きだ!」
「わ、わかっ、わかりましたから! 落ち着いて!」
一番落ち着くべきはマリーだったが、もう頭が爆発しそうだった。
想像や夢で何度も繰り返した言葉を連呼され、理解が追い付かない。しかし耳や身体はしっかり理解しているようで、顔が真っ赤になり、鼓動がとにかくうるさい。
落ち着くためにも腕を離してほしいと、腕を引くものの、デジレはぴくりともせず全く離す気がない。
「いや、わかっていない! 絶対に、誤解なんてさせない! 俺の気持ちを間違いなく知ってもらう」
デジレが強い声で言い、マリーの腕を引く。距離がさらに縮まる。
「俺は、今、俺の目の前にいる、マリー・スリーズが好きだ!」
まっすぐな目で言われれば、心臓が苦しくなる。マリーは唇を少し開いて、呼吸をする。
「わかったならば、マリーの口から確認してほしい」
「か、確認」
「うん」
今から何をするのか、どきどきとする。
デジレが握る手に力が篭る。もう、マリーは離してほしいと思っていなかった。
「マリーの言葉で繰り返して。俺は」
真剣な眼差しと剣幕に、マリーはこくこくと頷いて、うまく動かない唇を動かした。
「えっと、……デジレ様、は」
「マリーが」
「わ、わたしが」
「好きだ」
「すき……」
そっと言ったマリーの言葉が、空に漂い溶ける。
何を言わせられているんだろう。マリーは恥ずかしくて恥ずかしくて、うずくまりたかった。
デジレははっきりとひとつ頷いた。頷かれても、マリーは反応に困るだけだった。
デジレがマリーを好き。そんなマリーが何度も夢に見たことがあるなら。どんなによいことか。
だが、言葉で言わせられると、先程からデジレが何度も言ってきたことと相まって、本当ではないかとじわじわと感じてくる。
目の前の、格好よくて身分も高くて、抜けているけど優しい、マリーが焦がれていた彼が、マリーを好き。マリーと同じ想い。
心を締め付けるなんて表現では生温い。もっと大きく苦しいが、止められないものが心に迫り来る。




