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くちびる同盟  作者: 風見 十理
最終章 くちびるよりも
121/139

121.好き

 


 憂いがなく、さらに美しく見えるマリーローズに、マリーはなんだか嬉しかった。

 王妃になる、ということは、王になるオーギュストと一緒になるということだ。素質も性格も、お似合いだと思う上に、オーギュストは彼女が好きだから、マリーは心から良かったと思う。

 そこでまで考えて、大切なことに気付いた。


「えっ、じゃあ、デジレ様はどうなるんですか?」


 焦ったせいで、マリーローズの腕を掴んでしまった。

 マリーローズを好きなデジレは、マリーローズが王妃になるなら失恋となる。しかも、相手は彼の主人だ。側近が王妃を好きなど、マリーローズも言っていた通り、物語だけでないとまずい。

 必死なマリーに対してマリーローズは冷静に、マリーの頭越しに奥に目を向け、意地悪そうに笑った。


「デジレ? どうでもいいわ。好きにすれば良いのではないの?」


 手が離され、マリーローズが後ろに下がる。

 寄る辺がなくなり、呆然としてふらりとたたらを踏む。

 その時、自分の足音以上の大きな音が、後ろから聞こえた。


「マリー!!」


 背後から、大きく大きく、必死な叫び声がした。

 マリーは、身体が動かなくなるほど驚く。

 誰の声かわからず、恐々と振り返る。


「見つけた」


 エメラルドとばっちり目が合う。

 背に見える月と同じような、白く輝く金髪が揺れる。息荒く肩が上下しているのに、その姿は神々しかった。

 デジレの姿に、驚いた心の音がさらに早くなる。突然の登場に、頭が追いつかない。

 彼は、マリーと呼んだ。はっとしてマリーローズを振り返れば彼女は変わらず面白そうなものを見る目で、デジレとマリーを見ていた。


「マリー。わたくしは、今まで一度もデジレにあんなに必死に、名前を呼ばれたことはないわ」


 え、とまたデジレを振り返れば、目がすぐに合う。

 もしかして、自分の、ことだろうか。

 さらにはやる心でマリーローズに確認しようとすれば、すでにマリーローズの姿がなかった。

 ひとりにしないで! と叫びそうになった。


「マリー」


 耳に馴染む声がする。誰の声かは見なくてもわかる。

 足を動かして、しっかりと彼の方へ身体を向ける。


「……はい」


 俯きがちなまま目を向ければ、彼の荒れた髪が風を受けてあちらこちらに揺れる。珍しく額には、汗が(にじ)んでいる。シトロニエ邸に行った時、出てきた彼も似たような様子だったが、今回の方が酷かった。

 それでも相変わらず、瞳はまっすぐで真剣だ。


「マリー」


 好きだと思った名前の呼び方を、そう何度も真剣に呼ばれると恥ずかしい。

 頰をだんだんと赤くしながら、マリーは顔を上げた。


「はい。なんでしょうか、デジレ様」


 つい、唇に目がいく。

 変わらず張りと艶がある彼の唇は、手入れを怠ってこなかったのだろう。マリーが最も好きな唇で、変わらないでいたことが嬉しい。

 整った形の唇が、大きく動いた。


「好きなんだ、マリー!」


「え」


 目と耳を疑った。

 真面目な瞳を見れば、そのままの輝きでまた声が響く。


「マリーが好きだ!」


「え、ええ?」


 予想外の言葉だった。

 マリーが、好きとは?

 そうだ、彼が好きなのは、と彼女が消えた方に向けば、大きな手がマリーの腕を取る。


「違う、マリーローズじゃない! 俺はマリー・スリーズが好きなんだ!」


「あ、の」


「この手が握っているマリーが好きだ!」


「わ、わかっ、わかりましたから! 落ち着いて!」


 一番落ち着くべきはマリーだったが、もう頭が爆発しそうだった。

 想像や夢で何度も繰り返した言葉を連呼され、理解が追い付かない。しかし耳や身体はしっかり理解しているようで、顔が真っ赤になり、鼓動がとにかくうるさい。

 落ち着くためにも腕を離してほしいと、腕を引くものの、デジレはぴくりともせず全く離す気がない。


「いや、わかっていない! 絶対に、誤解なんてさせない! 俺の気持ちを間違いなく知ってもらう」


 デジレが強い声で言い、マリーの腕を引く。距離がさらに縮まる。

 

「俺は、今、俺の目の前にいる、マリー・スリーズが好きだ!」


 まっすぐな目で言われれば、心臓が苦しくなる。マリーは唇を少し開いて、呼吸をする。


「わかったならば、マリーの口から確認してほしい」


「か、確認」


「うん」


 今から何をするのか、どきどきとする。

 デジレが握る手に力が篭る。もう、マリーは離してほしいと思っていなかった。


「マリーの言葉で繰り返して。俺は」


 真剣な眼差しと剣幕に、マリーはこくこくと頷いて、うまく動かない唇を動かした。


「えっと、……デジレ様、は」


「マリーが」


「わ、わたしが」


「好きだ」


「すき……」


 そっと言ったマリーの言葉が、空に漂い溶ける。

 何を言わせられているんだろう。マリーは恥ずかしくて恥ずかしくて、うずくまりたかった。

 デジレははっきりとひとつ頷いた。頷かれても、マリーは反応に困るだけだった。


 デジレがマリーを好き。そんなマリーが何度も夢に見たことがあるなら。どんなによいことか。

 だが、言葉で言わせられると、先程からデジレが何度も言ってきたことと相まって、本当ではないかとじわじわと感じてくる。

 目の前の、格好よくて身分も高くて、抜けているけど優しい、マリーが焦がれていた彼が、マリーを好き。マリーと同じ想い。

 心を締め付けるなんて表現では生温い。もっと大きく苦しいが、止められないものが心に迫り来る。


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