119.譲れない想い
マリーは、会場から出て左に走って曲がった角で、息を整えていた。
まさか、いるとは思わなかった。
公爵家から迎えが来たので、半ば強制的に連れていかれた。リディが、マリーローズに会うなら負けていられないと言い張って、気合い十分に着飾ってくれた姿で、公爵邸に着いた。
マリーローズに会っていたので、いくらか場所はわかる。ただひとりで夜会など来ることがなく、少々困惑しながらゆっくりと歩を進めた。
マリーローズは庭の奥で会おうと言っていた。その場にまっすぐに向かってもよかったが、もしかしたら会場にいるのではないかと、覗いてしまった。
まさか、デジレがいるとは思わなかった。
マリーローズの家の夜会なら、彼は出るはずだと思っていたのに、彼の姿を見かけてしまうと、そう思った。
しかも、まっすぐな目と合った。先に気付かれて見つめられていた。驚いて、声が出なかったのに、彼から目が離せない。
まばたきを忘れたかのように、マリーと同じく驚いて見てくるデジレの唇が、なにかを紡いだ。
それを見た瞬間。マリーはその場にいることに耐えきれず、廊下に飛び出した。
呼んでいた、呼んでいた。
何度も見てきたのだから、間違えるはずがない。
聞こえなくても、動きでわかった。
マリー、と呼んでいた。
マリーは口元を両手で覆う。
どくどくどくとうるさい胸は、走った影響なのか、緊張したのか、それともときめいているのか全くわからない。
どうして会場にひとりだけデジレがいたのか、マリーローズがいなかったのか、考えることはたくさんあるのに、それらはぽつぽつと浮かんではすぐに消える。久しぶりのデジレの姿が、目を閉じてもまぶたに焼き付いている。
おそらく彼は追いかけてくるだろうが、しばらくしても来る様子はなかったので、マリーは深く呼吸した。
正直言って、デジレと会うにはまだ心の準備が整っていなかった。その前に、まずはマリーローズに会わなければいけない。
騒ぐ心をそのままに、マリーは彼女との約束の場所に行くため、歩き出した。
夜会を開催しているためか、庭の付近まで灯りが用意されている。その灯りをたどって、マリーは庭の奥まで進む。
マリーローズの指定した先は、広い庭のなかでもとてもわかりづらい。大樹はあるが、周りがその場を隠すように囲まれていて、わざわざその奥に行こうとしなければたどり着かない場所だった。
マリーは、一度マリーローズに思い出の場所だと教えてもらったことがある。
灯りから離れて約束の場所に向かえば、その場がぼんやり明るく光っていた。マリーは慌てて走っていく。
飛び込んだ場所には、同じ背丈の少女が立っていた。光に照らされても綺麗に輝く緩やかな髪色に、マリーは見惚れそうになる。しかし、彼女がマリーの方に向いたと同時に、声を上げた。
「ローズ様」
マリーローズはショールを胸元に引き、にこりと笑った。
「マリー。早かったわね」
涼しい風が吹き、お互いのドレスを揺らす。
深い紺色の空は星が煌々と輝く。今日はまだ穏やかな気候だが、時季ゆえに夜は寒い。少々白い息を零すマリーローズは、はっきりとは見えないが、顔が少し健康的な色とは思えなかった。
マリーは、心に浮かんだ心配や申し訳なさを押し込んだ。目の前のマリーローズが待っているのは、そういう彼女の言葉ではないと知っていた。
「先日の、お返事ですが」
マリーローズは穏やかに、しかし真剣なサファイアの瞳を向けてくる。マリーは、青い目で立ち向かった。
すう、と息を吸う。
「デジレ様のマリーは、返せません!」
大きなマリーの声に、マリーローズは特に動じない。
促されるまでもなく、マリーは唇を動かす。
「デジレ様が、呼んでくれたんです。わたしの好きな人が、呼んでくれたんです。だから、例えローズ様の呼び方と同じでも、わたしは、譲れません!」
デジレが名前を呼んでくれたそれだけで、馬鹿みたいに心がときめいた。先程も、呼んだと思っただけで、押し留めた恋心が飛び出した。
必死に押し込んだ気持ちは、開いてしまえばもう、閉じ込められない。
マリーローズに言われたこと。それから考えたこと。今思うこと。マリーは全てに素直に従った。
「わたしは、ローズ様みたいに綺麗じゃないです。品もない。地位だって低い。デジレ様と付き合いが長いわけでないですし、多分、ローズ様のデジレ様を好きな気持ちも、負けていると思います。デジレ様から想われてるのだって」
マリーは、デジレからもらった青いドレスを、ぎゅっと握った。
「絶対無理だ、敵うはずがないって言われても。わたし、諦めません!」
何かを見定めるように、マリーローズは表情を変えずにマリーと対峙する。
寒さが、よりマリーのなかを熱くした。
「容姿を磨きます。品のある行動を学びます。地位はどうすればいいかわかりませんが、なんとかする方法を探します。デジレ様への想いだって、これから追い抜いてみせます。頑張って、彼を振り向かせてみます。笑ってくれても構わないです。でも、わたしは、ローズ様と正直でいたい!」




