115.スリーズ家のマリー
「マリーは、おれたちにとって唯一の大切な妹で、娘なんだぞ!」
マリーの視界が滲んでいく。それでも、マリーは兄の姿をしっかりと見続けた。
「家のためなんかに結婚しなくていい! 好きなやつと結婚させてやるからさ、マリー。相手が平凡でも高貴でも、住む場所が違っても、どこに行ってもマリーが幸せならいいさ。おれたちの願いはそれだけなんだ!」
ジョゼフがちらりと悔しい顔を見せるが、すぐにぐっと口に力を入れて力一杯声を上げる。
「本当はおれたちが母さんの分も幸せにしてやりたいし、それを他人に任せるのは癪だ! でもな、悪いがこれがおれたちがマリーにしてやれる、精一杯なんだ!」
耐えきれず、涙がぼろりとこぼれた。ジョゼフはまたしゃがんで、マリーと視線をあわせる。
「だからさ、幸せになるんだ。おれだって、父さんだって、母さんだってみんな、そう願ってる」
優しい声に、マリーの涙が止まらない。
さすがに少し困ったのか、ジョゼフが髪を掻いて視線をうろつかせる。
「マリーがやっぱり駄目っていうなら、新しい恋してもいい。おれたちはマリーがいいと思う方に向かってほしいから。でもさ」
言いづらそうに口ごもった彼は、決心したようにマリーにしっかりと目を向けた。
「でもさ、あの側近君、夜、家の前でずっとマリーを待ってたんだよ。この寒い時期に、何度も何度も諦めず。絶対もう一度会うんだと。手紙もしつこいくらい来てた。マリーを失恋させたあいつは、おれは未だに許せない! ……許せないけど、兄さんは、もう一度会ってみればいいんじゃないかと、ちょっと思った」
「え……」
マリーは手紙の束を見て、ゆっくり一通ずつ見ていく。
今までで聞いたことがある家が主催のものがある。すべて丁寧に一言添えて、よかったら一緒に行かないかと、押し付けでなく優しく誘っている。迎えに行って待っているなど、一言も書いていない。そんな手紙が、たくさんあった。
夜会に行っていた時の、迎えにきていたデジレを思い出す。マリーが辛いと部屋から出ない間、彼はずっと待っていたのかとわかると、申し訳ないのか嬉しいのか、涙があふれた。
「ほぼ毎晩、来ていたからさ。今夜も来ると思う。会いたかったら、外に出ればいい」
「……でも兄さん」
一番新しい手紙を開いていたマリーは、そっと呟いた。
「もう、手遅れみたい」
手に取ったものには、プリムヴェール公爵家が夜会を開催することが書かれている。この手紙だけ唯一、一緒には行けないとあった。
それはそうだ、とマリーは思う。プリムヴェール公爵家はマリーローズの家だ。彼女が好きなデジレがいかないはずはないし、マリーを連れていくなどありえない。
「無理、かな」
自分が二人のために身を引いた。それでもデジレとマリーローズが並ぶのを想像するだけでも辛い。まして、それを見たり、ほのめかされたりすれば、今のマリーには堪えられる気がしない。
覚悟しなければいけない時は、想像以上に早いかもしれない。
「そんなはずない! そんな簡単に諦めるような目じゃなかった!」
ジョゼフが濡れはじめていた手紙をマリーからひったくり、真剣に読む。読み終わった彼は、苦い顔に心配を滲ませて、マリーに顔を向けた。
マリーは、精一杯微笑んだ。
「あのね、兄さん」
マリーのためにデジレのことについて教えてくれたが、もう駄目かもしれない。夜に来ていると知っても、マリーは会いにいく勇気がなかった。
たとえ上手くいかなくとも。マリーはジョゼフの気持ちが本当に嬉しかった。
「わたし、スリーズ家に生まれてよかった。父さんと、母さんとの娘で、兄さんの妹でよかった」
幸せを願われることは、それだけで幸せなのだと、マリーは知った。
「当たり前だろ! おれだって、こんなかわいい妹がいるって、いつも胸張ってるんだ!」
ジョゼフが少しだけ濡れた声で、叫ぶ。マリーは何度も頷いて、彼に抱きついた。
いつかの夜のように、マリーはわんわんと泣いて兄に縋り付いた。ジョゼフは、とても不器用な手で落ち着かせようと撫でてくる。
幸せになりたい。泣きながらマリーは思う。
こんなにマリーのことを考えてくれる人がいるのだ。父も、兄も。リディたちも。いままで会った、マリーに助言をくれた人々も。当然、デジレも。
そんな人々に囲まれるマリーは幸せだ。しかし、そうではない。マリーがしっかりと、幸せを選んで掴み取ることを祈ってる。
今はまだ、マリーは幸せではない。
どうすればよいのか、マリーはぼんやりと考えはじめた。




