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くちびる同盟  作者: 風見 十理
六章 目を開ける
115/139

115.スリーズ家のマリー



「マリーは、おれたちにとって唯一の大切な妹で、娘なんだぞ!」


 マリーの視界が(にじ)んでいく。それでも、マリーは兄の姿をしっかりと見続けた。


「家のためなんかに結婚しなくていい! 好きなやつと結婚させてやるからさ、マリー。相手が平凡でも高貴でも、住む場所が違っても、どこに行ってもマリーが幸せならいいさ。おれたちの願いはそれだけなんだ!」


 ジョゼフがちらりと悔しい顔を見せるが、すぐにぐっと口に力を入れて力一杯声を上げる。


「本当はおれたちが母さんの分も幸せにしてやりたいし、それを他人に任せるのは(しゃく)だ! でもな、悪いがこれがおれたちがマリーにしてやれる、精一杯なんだ!」


 耐えきれず、涙がぼろりとこぼれた。ジョゼフはまたしゃがんで、マリーと視線をあわせる。


「だからさ、幸せになるんだ。おれだって、父さんだって、母さんだってみんな、そう願ってる」


 優しい声に、マリーの涙が止まらない。

 さすがに少し困ったのか、ジョゼフが髪を掻いて視線をうろつかせる。


「マリーがやっぱり駄目っていうなら、新しい恋してもいい。おれたちはマリーがいいと思う方に向かってほしいから。でもさ」


 言いづらそうに口ごもった彼は、決心したようにマリーにしっかりと目を向けた。


「でもさ、あの側近君、夜、家の前でずっとマリーを待ってたんだよ。この寒い時期に、何度も何度も諦めず。絶対もう一度会うんだと。手紙もしつこいくらい来てた。マリーを失恋させたあいつは、おれは未だに許せない! ……許せないけど、兄さんは、もう一度会ってみればいいんじゃないかと、ちょっと思った」


「え……」


 マリーは手紙の束を見て、ゆっくり一通ずつ見ていく。

 今までで聞いたことがある家が主催のものがある。すべて丁寧に一言添えて、よかったら一緒に行かないかと、押し付けでなく優しく誘っている。迎えに行って待っているなど、一言も書いていない。そんな手紙が、たくさんあった。

 夜会に行っていた時の、迎えにきていたデジレを思い出す。マリーが辛いと部屋から出ない間、彼はずっと待っていたのかとわかると、申し訳ないのか嬉しいのか、涙があふれた。


「ほぼ毎晩、来ていたからさ。今夜も来ると思う。会いたかったら、外に出ればいい」


「……でも兄さん」


 一番新しい手紙を開いていたマリーは、そっと呟いた。


「もう、手遅れみたい」


 手に取ったものには、プリムヴェール公爵家が夜会を開催することが書かれている。この手紙だけ唯一、一緒には行けないとあった。

 それはそうだ、とマリーは思う。プリムヴェール公爵家はマリーローズの家だ。彼女が好きなデジレがいかないはずはないし、マリーを連れていくなどありえない。


「無理、かな」


 自分が二人のために身を引いた。それでもデジレとマリーローズが並ぶのを想像するだけでも辛い。まして、それを見たり、ほのめかされたりすれば、今のマリーには堪えられる気がしない。

 覚悟しなければいけない時は、想像以上に早いかもしれない。


「そんなはずない! そんな簡単に諦めるような目じゃなかった!」


 ジョゼフが濡れはじめていた手紙をマリーからひったくり、真剣に読む。読み終わった彼は、苦い顔に心配を(にじ)ませて、マリーに顔を向けた。

 マリーは、精一杯微笑んだ。


「あのね、兄さん」


 マリーのためにデジレのことについて教えてくれたが、もう駄目かもしれない。夜に来ていると知っても、マリーは会いにいく勇気がなかった。

 たとえ上手くいかなくとも。マリーはジョゼフの気持ちが本当に嬉しかった。


「わたし、スリーズ家に生まれてよかった。父さんと、母さんとの娘で、兄さんの妹でよかった」


 幸せを願われることは、それだけで幸せなのだと、マリーは知った。


「当たり前だろ! おれだって、こんなかわいい妹がいるって、いつも胸張ってるんだ!」


 ジョゼフが少しだけ濡れた声で、叫ぶ。マリーは何度も頷いて、彼に抱きついた。


 いつかの夜のように、マリーはわんわんと泣いて兄に縋り付いた。ジョゼフは、とても不器用な手で落ち着かせようと撫でてくる。

 幸せになりたい。泣きながらマリーは思う。

 こんなにマリーのことを考えてくれる人がいるのだ。父も、兄も。リディたちも。いままで会った、マリーに助言をくれた人々も。当然、デジレも。

 そんな人々に囲まれるマリーは幸せだ。しかし、そうではない。マリーがしっかりと、幸せを選んで掴み取ることを祈ってる。

 今はまだ、マリーは幸せではない。

 どうすればよいのか、マリーはぼんやりと考えはじめた。


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