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くちびる同盟  作者: 風見 十理
六章 目を開ける
112/139

112.もう一度会うまで ★

 



 暗く透き通るほど寒空に、星と月が静かに輝いている。身を刺すような寒さに、デジレは白い息をはきながら身体を震わせた。


「さすがに、寒いな」


「ええ、寒さも山場ですからね」


 馬車の御者席で、しっかりと着込んでいるベルナールが返事をする。デジレはまた白く曇る息を零して、目の前のスリーズ邸を見つめた。


 再び、スリーズ邸に通い始めたのは最近だ。

 どうしてもマリーにもう一度会って話したい。その気持ちだけで、夜会の参加を再開した。

 当然、マリーには直接伝えていないが、手紙は出している。はっきりと迎えに行くとは書いていない。こういう夜会があるからよかったらと、簡単な内容だ。

 夜会の主催者には正直に伝えた。同伴をお願いする相手から色よい返事を貰えないならば行けないと、随分と礼を欠いた話だったにも関わらず、彼らは存外あっさりと了承し、むしろ歓迎して応援してくれた。


「ベル、付き合ってくれてありがとう」


「毎度感謝されなくても結構ですよ。デジレ様を完璧に仕立てるのは好きですが、このように泥臭いデジレ様も悪くないと思いますよ」


 マリーと夜会に行っていた時から、頼めば一言了承だけして付いてきてくれたベルナールが、笑いを含んで言う。


「今日は、気付いてくださると良いですね」


「うん」


 スリーズ邸は、全体として暗い。その中でぼんやりと明るく見えるところには、果たして誰がいるのだろう。デジレはいつも通り、じっと見つめていた。


 ずっと何も変化がなかった邸の玄関が開いたのは、急だった。はっとして息を詰めたデジレは、大柄の人物が灯りを持って彼の方に歩いてくるのを凝視する。

 その人物は、デジレの前で止まった。焦げ茶色の髪が、青の目が、暗闇の中光に照らされ不思議な色を見せる。


「……ああ、兄上のジョゼフ殿」


「君にあにうえと呼ばれる覚えはないな!」


 ジョゼフは変わらず声を張り上げる。

 以前にも言われた内容に、デジレはうっすらと笑った。ジョゼフはどこか苦そうな顔をした。


「こう毎回うちの前で待たれては、迷惑だよ」


「申し訳ありません。邸の中へは一切押し掛けはしませんし、時間が経てば去ります」


「知ってる。数日見てたからな」


 ジョゼフは外の寒さに身を震わせた。自然とはき出される白い息を見て、同じ息をしているデジレに呆れた顔を向ける。


「妹は待っても来ないぞ! 失恋の傷が深くて、ずっと部屋に篭って泣いている」


「失恋」


 デジレは小声で反芻(はんすう)する。

 失恋とは、好きな相手への想いが叶わないと知ることだ。マリーは、好きな相手のことでまた、嘆いているのだろう。

 軽く俯いた彼の唇に、弱々しい笑みが浮かぶ。


「やはりマリーは、誰かを好きなのですね。……だったら、私も失恋だ」


 顔を上げると、すでにその弱さはなくなっていた。


「それでも。もう一度会いたい。この想いを伝えたい。勝手だとは重々承知です。受け入れられるはずがないとはわかっています。それでも、どうしても、マリーに会いたい」


 思いはそれだけ。デジレは、ジョゼフの青い瞳に真剣に訴える。ジョゼフは、そんな彼から目を逸らした。


「……手紙を毎日送っていても、マリーは見ていないぞ。何を書いたって、伝わらない」


「それは構いません。もともと手紙にはたいしたことは書いてありませんし、手紙はあまり信用していません。大切なことは、直接話します」


 すっと息を吸えば、凍える空気が胸に入る。それはすぐに温まって、熱い言葉となって口から出て行く。


「マリーの口から、はっきりと拒絶の言葉を聞かない限りは、諦めきれません。嫌でも、邪魔でも、来るなでもいい。直接その一言、投げられたなら、すっぱり身を引きます。……諦められるかどうかは知りませんが、そのつもりです」


 デジレはしっかりと、ジョゼフに頭を下げた。


「それまでは、マリーに会えるまでは、こちらに待たせてください」


 ジョゼフは何も言わなかった。デジレはただひたすら、こうべを垂れる。


「……なんて、頑固なんだ」


 しばらくして、ジョゼフがため息をついた。


「マリーは来ないっていってるのに。それでもこんな真冬の夜に、来ない相手を待つのか。馬鹿だな」


「はい、馬鹿です」


 頭を上げたデジレは、彼を見て柔らかく微笑んだ。


「馬鹿なりに動いて、今、ここにいます」


 考え込むようなことは、何一つない。デジレは己の心に素直に従って、この場にいた。


「なんでこんな男が……」


 ジョゼフが苦しげに呟く。顔を伏せたために、デジレからは彼がどんな表情をしているかわからない。

 しばしすれば、ジョゼフはデジレを睨みつけて、大きく口を開けた。


「勝手にしろ! 風邪引いても知らないからな!」


 怒鳴るような大声だったが、デジレは徐々に顔をほころばせ、笑顔を見せた。


「ありがとうございます!」


「感謝されるようなことはしてない!」


 もう一度声を張り上げて、ジョゼフはさっとデジレに背を向けた。


「勘違いするなよ。おれが今帰って、マリーに側近君が来ていることを言うわけじゃないからな。せいぜい気付かれると信じて待っていればいいさ!」


 まるで悪役の捨て台詞のようにジョゼフは早口で言うと、走って邸の中に駆け込んだ。そしてスリーズ邸の明りが消え、もう、デジレの前に姿を現わすことはなかった。


「……さて、本日はもう戻りましょうか」


「そうだな、また次だ」


 マリーを見かけることさえできないので、手応えもわからない。それでも少しずつ彼女に近付いていると信じて、デジレは冷え切った身体で馬車に乗り込んだ。




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