109.お前まで ★
誰が好きだと直接伝えられるよりも、雄弁に気持ちを語るマリーの態度に、デジレは打ちひしがれた。こんな状態でデジレがマリーへの想いを打ち明けたところで、結果は知れている。
デジレは、くちびる同盟をなくすつもりだった。
自分で付けた同盟という名の足枷外せば、同盟内容など関係なくなる。そんなもので縛り付けられた関係ではない、ひとりのデジレ・シトロニエとひとりのマリー・スリーズになれる。マリーの好きな相手を探さなくて良い状態で、元々の自分を、改めてマリーには見て欲しかった。
ふたりきりの同盟からマリーが脱退して、同盟は機能しなくなった。結果としてはほぼ同じだ。
「その後は、マリーに感謝されて……別れました」
マリーが感謝して、無理な笑顔をデジレに向けて、今までの思い出を話し始めた時に気付いた。
デジレは同盟を解消しても、その状態で改めてマリーと付き合うつもりでいた。
しかしマリーは、同盟を脱退して、もうデジレとの関係を断ち、会うつもりがないようだった。
最後の別れの言葉のようにつらつらと語るマリーに、デジレは喉が詰まり、黙って聞くしかなかった。当然、別れたくはない。しかしあの時のデジレは、泣く彼女さえも止めるすべがなかった。
身が引きちぎられるような痛みに気付き、ようやく目を開けた時には、応接の間にはデジレだけだった。
「やはりおかしい。なぜそうなる? 話していない、何かがないか?」
オーギュストが腕を組んで、真剣な声で聞く。
話していないこと、とデジレはぼんやり考えた。確かにあった。ただ、今回の同盟脱退について関係はないものだと思っていたことだった。
「あるとしたら、脱退の二日前に公爵邸でローズにマリーを手助けした見返りとしてキスするように言われて、マリーがそれを見ていたことしか」
「待て待て!」
オーギュストが声を張り上げる。彼はぱくぱくと唇を動かし、悪態をつきながら頭を抱えた。一連のオーギュストの行動を、デジレは不思議そうに見つめていた。
「なぜそれを黙っていた! いや、もうどこから言えばいいのか……とにかく!」
オーギュストはデジレの目の前に、音を立てて手をついた。
「キスはしてないだろうな!」
「していません! 直前で止めました! マリーにしかしません!」
「よし……ん、直前? それを見られたなら、スリーズ嬢は絶対に勘違いをしている!」
デジレは、オーギュストの気迫にぽかんとして目を見開く。
マリーがデジレとマリーローズを見て何か勘違いしたかと考えるが、いや、とデジレは口を開いた。
「いや、見られたと気付いた時に追いかけました! 追いつけませんでしたが、家まで走って、会って話そうとしました。結局会えませんでしたが、昨日の脱退の時だって、あの時のことを確認したらわかっているって言っていました!」
後ろめたい事はしていないと思っていたが、マリーを追いかけて話した方が良いと思った。見つからず、スリーズ邸に帰ったかと行ってみれば、彼女の侍女に二日後に話したいことがあると伝えられた。断固として会わせてはくれず、ならば約束の日にと気を取り直した。
脱退の直前に、話した。マリーはすぐにわかっていると言っていた。念押しもした。デジレはその言葉に安堵したので、間違いなかった。
「……聞くが、本当に内容を話したか? スリーズ嬢が見たのは、デジレがマリーローズに頼まれたキスで、実際はしていないと。デジレがキスするのは、スリーズ嬢だけだと」
「そんなもの、当然」
勢いよくオーギュストに顔を向けて、デジレは止まった。
逃げたマリーには結局会えず、伝言もしていない。事情を話そうとしたところ、マリーのわかっているという言葉に遮られた。
デジレは、本当にわかっているかと念押ししただけで、一切内容は話していなかった。
「……していない」
しんとした執務室に、デジレの呟きだけが響いた。
「どうしてお前たちは人には散々自分の気持ちを話すくせして、相手の前ではそう言葉足らずなんだ!」
オーギュストがどうしようもなく苛々した表情で、デジレを強く睨む。
「教えてやろう。お前たちをみたスリーズ嬢はな、お前がマリーローズにキスしたと思い、同時にお前がマリーローズを好きだと勘違いしたんだ!」
「はあ!?」
デジレも机に手をついて立ち上がった。きっとオーギュストを睨め付ける。
「違う! 好きなのはマリーだ!」
「だから勘違いしたんだと言ってるだろう。しっかりと話さないから!」
「ローズではなくて、俺はマリーが好きだ!」
「うるさいな、知っている! 僕に何回も言ってどうする! 僕は最初からわかっていたから、相手に言え!」
デジレはまだ叫びたくなる声を抑え、ぐっと唇を噛んだ。
オーギュストの言う通りならば、マリーの同盟脱退の解釈ががらりと変わってくる。マリーは、デジレとマリーローズのことを考えて、身を引いたと考えるのが妥当だ。
そうは思っても、マリーが好きな相手を想っているという可能性がなくなるわけではない。なにより、彼女は泣いていた。泣くのは、感情の発露だ。
今すぐに話して確かめようと思っても、一度打ちのめされた心はやけに臆病で、なかなか身体が動かなかった。
「いいか、デジレ」
デジレは、オーギュストに顔を向ける。大声を出したせいで肩で息をしているオーギュストは、芯の強いアメジストの目をデジレとしっかりあわせてくる。
「幼馴染だからって、なにもお前まで、恋に気付いてすぐに失恋しなくて良いんだ!」




