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くちびる同盟  作者: 風見 十理
六章 目を開ける
104/139

104.恋を失う

 


 デジレはきっと、間違いなく、この人と決めればその人だけに目を向ける。決して逸らすことはないだろう。

 だからもう、マリーがいくら頑張っても、彼の気持ちがマリーに向くことは二度とない。


 心がばらばらになるような激しい苦痛を覚えた。呼吸がままならなくて、マリーは死んでしまうのではと思う。それでもいいかと力を抜いても、身体は必死に息を吸おうとする。マリーはそれを、とても虚しく感じた。


 なぜ、デジレを好きになったのだろう。ぼんやりとしてぐちゃぐちゃな頭で考える。

 分相応な相手を見つけ、平凡な生活を送ることが目標だったはずだ。デジレはいろんな点が高位すぎて全く条件に当てはまらない上、本来知り合わないはずの世界が違う人で、事故で偶然出会っただけの存在でしかない。分不相応だと最初から思っていたにも関わらず、どうして惹かれたのか。

 仕方なかった、とマリーは自分に答えを出す。

 気付いた時には好きだった。好きになった時などわからない。彼の良いところや好きなところはいくらでも言える。それだけ魅力的だったのだ。

 マリーローズも、それは知っているはずだ。


 マリーは未だ止まる気配がない涙を無理矢理拭った。すぐにまた顔が濡れて、意味はない。

 そう、デジレの相手がマリーローズなら、お似合いだ。マリーはよくマリーローズを知っている。どれだけ良い人物か、知っている。なによりマリーは、デジレもマリーローズも好きだ。

 大好きな二人が幸せになるなら、応援すべきだ。好きな人の幸せを祈ることは、当然のことだ。そうマリーが言ったのだ。

 今、ここでマリーがただをこねても、楽しい思いをする者は誰もいない。祝福すれば、まず二人は幸せになる。マリーは、我慢すればいい。恋心を殺せばいい。


「あのー、マリーさま……」


 リディの扉越しの控えめな声に、ようやく気付いた。心配が(にじ)んでいて、戸惑いも大きい彼女の声音に、マリーは相槌だけ返す。


「デジレさまが来てるんですけど。息を切らして、会いたいって言ってます」


 デジレの名前に、さらに涙がぼろぼろと流れる。心がきつく絞られて、マリーの中で聞くに堪えない悲鳴をあげる。

 どうして来たのだろう。追ってきたんだろう。そう思っても、僅かな期待はつい今ほど断ち砕かれたマリーには、毒にしかならなかった。


「……会わない」


 しゃくりを上げながら放った湿った声は、かすれて明らかに号泣していたとわかる。誤魔化すことは、無理だった。

 顔も、見ていられないほど酷い顔になっているだろう。もう濡れていないところはなく、目頭も鼻もじりじりとして痛い。

 デジレに、会えるはずがなかった。


「でも、伝えて」


 喉から迫り上がる嗚咽を飲み込もうとして、大きく咳き込んだ。公爵邸の二人の姿が脳裏に浮かぶ。叫びたかった。


「二日後、約束の日に、待ってますって。わたしも、話したいことがあります、って」


 デジレは、優しい。

 彼に好きな相手ができたとしても、自らくちびる同盟をなくすことはしないだろう。むしろ、マリーの相手探しにより力を入れるかもしれない。キスの責任を取らねばならないから。

 ならば、マリーが言わなければならない。

 デジレの幸せを考えるのなら、責任感から解放してあげることが、マリーのできることだ。足枷にしかならないくちびる同盟など、もういらない。


「……わかりました! 絶対、伝えますね! そして、絶対に今日は追い返してみせますから!」


 リディが力強い返事をして、走っていく。

 マリーはすぐに目を閉じて、耳を手で覆って、またベッドに埋もれた。少しでも聞こえるかもしれないデジレの声を、聞きたくなかった。

 今までの人生で、ここまで泣いたことがないかもしれないと思うほど、涙と泣き声があふれる。今まで経験したどんな痛みよりも、心に激痛が走る。はじめて経験する津波のように襲いくる感情に、マリーはあらがうすべがなかった。


「わ、かっていたのに」


 自分には、平凡が良いと。デジレは手の届かない人だと。それなりに恋を経験したら、離れるべきだと。それをなあなあと先延ばしにしていたから、今のような目に遭った。


 マリーは顔を上げて、ぼんやりと滲む視界でなんとか暦を見つけ、ふらふらと近付く。印を付けた日付は、二日後だ。

 その日は、デジレと会う最後の日となる。

 彼と会うというのに、明後日が永遠に来なければいいのにと、マリーは突っ伏して泣いた。



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