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騎士王国のぽんこつ姫  作者: 鰤/牙
第一部 勇ましきあの歌声
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   第89話 ジャロリー先生の楽しい魔法学校

「ほう……」


 マスター・ジャロリーは、実に興味深いものを見るかのように目を細めた。


「おぬし、面白いことを言うのう。儂に魔法を教えて欲しいとな?」

「はい」

「おぬしの目の前にいるのは、大陸三大賢者がひとり。魔法の扱いに関しては、皇下時計盤同盟にも匹敵する大魔導士なわけじゃが、それは承知の上であろうな?」

「は、はい」


 ショウタからすれば、『皇下時計盤同盟って何?』って感じではあったが、とりあえず頷いておく。きっとこの世界ですごい強い四天王的なポジションの人たちなのだろう。時計盤というくらいだから、12人いるのだ。この世界が12進法を採用しているならば。

 ともあれ、ショウタは一大決心を固めていた。魔法を習う。いま、自分がこの世界で強くなるための、一番確実な手段であるように思えたのだ。ショウタは自分に魔力があることは知っている。


 アリアスフィリーゼは今、自身の身体をいじめていた。特訓であるという。どうしてここで強くならなければならないのか、ショウタにはわからなかったが、彼女が強くなろうとしている以上、彼もこのままではいられない。


「シャリオ、どう思う?」


 ジャロリーは、横に腰掛けた聖職者の女に尋ねる。酒瓶をラッパ呑みしていた彼女は、ちらりとショウタに視線をやってから、かくん、と小首をかしげた。


「ジャロリーの好きにしたら? アタシから教えられそうなのはベッドマナーくらいよ」

「そうさせてもらう、不良聖女」


 酒は飲むしゲロは吐くし男は漁るし、彼女のどの辺が聖女なのだろう。ショウタが呆れた視線を送ると、シャリオはぺろりと自らの唇を舐めまわした。おそらく酒を舐めとるだけの動作だったのだろうが、妙に艶かしい。が、ショウタの心はこの程度では動じないのであった。

 ちらり、とアリアスフィリーゼの方に視線を向けると、彼女は幾度となく吹き飛ばされ、立ち上がり、そしてまたマグナムに向けて突撃しては、吹き飛ばされるのを繰り返していた。


「あー、そっか」


 ショウタの視線に気づいたか、シャリオはとろんとした瞳を愉快そうに歪ませて、やはり艶やかな笑みを浮かべる。


「なるほどぉ。そっかぁ。良いわねそういうの……」

「な、何がですか?」

「隠すことなんてないじゃない。ジャロリー、前言撤回よ。アタシもお手伝いするわ」

「ふむ?」


 シャリオの言葉に、ジャロリーは腕を組んだまま片眉をあげた。


「まあ、おぬしがそう言うなら、構わんがな。儂もしばらく退屈しそうであったし、ちょいとばかり、カローラを見習って教師の真似事をするのも、良いなと思い始めたところよ」


 どうやら、引き受けてくれるらしい。ショウタがほっと一息をつく。

 だがその直後、彼の目の前にいた2人の様子が一変した。口元に攻撃的な笑みを浮かべたかと思うと、双眸をぎらりと光らせて、全身から凄まじい気迫を漲らせたのである。それは視覚によって判別できるものではなかったはずだが、ショウタははっきりとそれを知覚し、少しばかり、のけぞった。


「うむ。ではやるとするか。喜べ小僧。おぬしに魔導の真髄を教えるのは、大陸三大賢者がひとり、“天地解き明かし大魔導師”マスター・ジャロリーと」

「聖都フィアンデルグ大司祭にして、皇下時計盤同盟ダイアルナイツ第4時席フォー・オクロック“酩酊聖女”シャリオ・グランバーナよ」


 喜べ、と言われても。


 ショウタは苦笑いを浮かべながら、頬を掻いた。

 言われたところで、その凄さを半分も理解できている気がしない。せっかくなら、これを驚けるように、もう少しこの世界のことを勉強しておくべきであったなぁ、と、ショウタは思った。





「さて、ではこの世界の魔法の成り立ちについて、おぬしに説明しよう」


 マスター・ジャロリーとシャリオ・グランバーナによる魔法のお勉強は、バンギランド要塞の一区画にある部屋を借り切って行われた。


「この世界に魔法と呼ばれるものは何種類か存在するが、そのうち人間が使えるものは限られる」


 東京ではアリアスフィリーゼと一緒に医学書を開き、今度はこちらで魔導書を開くわけだ。ショウタはあまり勉強が好きではないが、こればっかりは仕方がない。トラックに積んで持ち込んできた大量のノートと鉛筆を、惜しげもなく投入する。


 ジャロリーの話は、この世界の成り立ちだの、神話時代の戦争だのの話から始まり長々と続いたが、どうやら本来、魔法とは人ならざる者が行使する超常的な力のことを指し示していたらしい。かつて人間は、神の力を借り受けることでのみ、魔法を行使することができたのだという。それを神託魔法と言い、現在でも一部の神官や聖職者は、それを扱うことができる。

 シャリオはこの神託魔法の使い手だ。神の力を間接的に行使するだけあって、その効力は凄まじい。攻撃から支援、回復など、用途は多岐に渡る。


 長い間、一部の特権階級だけが行使することができた魔法。それに似た技術を市井に広めたのが、現在世間一般に認知されている“魔法”だ。この魔法技術は数百年で発達し、今や世界中に広まっている。

 帝国を中心に発達していた錬金術をベースに、世界のメカニズムを解明し、魔導術として開発したのが、大陸三大賢者と呼ばれる3人であるという。


「ジャロリーさんっておいくつなんですか?」

「レデーに歳を尋ねるものではないぞ。まぁ三大賢者の中では儂が2番目に若い」


 つまり大層な婆さんというわけだ。間違っても口にはしないが。


「ま、技術の体系化という点については、やはりカローラの奴めが一番でな。儂はあんまり教えるのが得意ではないのじゃが、そこはそれ、おぬしのポテンシャルに期待しよう」


 わきわきと両手を動かして、ジャロリーは言った。


「で、まあ、魔術には発動形態と干渉形態によって大別されるわけじゃな。発動形態として、紋章魔法や詠唱魔法、干渉形態として黒魔法や白魔法などがある」

「はあ」

「気の無い返事じゃなあ。儂の話は退屈かえ?」

「ああ、いえ。これでも結構やる気はあるんですよ」


 彼女の言葉をノートの写しながら、ショウタは答えた。横に座ったシャリオがずいと身体を寄せ、ノートを覗き込んでくる。酒臭い吐息にちょっぴり目眩がした。


「まぁ、ひとくちに魔法を学びたいと言っても、これだけの形態があるからしてな。おぬしが一体、どのような真似をしたいかにもよる」


 ジャロリーは、人差し指をピンと立てて続けた。


「例えば、遠距離を一瞬で移動するような魔法を……」

「ああ。それはえっと、間に合ってるので、後回しが良いです」


 ショウタがノートを取りながら言うと、ジャロリーは訝しげな顔をする。


「ふむ。そうか? まあ、このあたりは白魔法に属する。儂は、汎用性を求めるならこちらを勧めるな。ものを浮かべたり、飛び上がったりする浮遊レビテートなどは、非常に便利で……」

「それも間に合ってますね……。えぇと、白魔法って、他には回復魔法とかですか?」

「まあ、そうじゃな。攻撃に転用できるものは、あまりないのう。物体や物質に干渉し、動かすのが白魔法じゃ」

「ふんふん」


 ショウタは頷いて、ノートにつらつらと書き連ねていく。

 回復までは使えないが、そう考えると白魔法はショウタが行使する超能力に近しい特性を持つ。筋力の強化や速度の強化などもそうだ。超能力と併用すれば面白いこともできそうだが、今、ショウタが欲しいのは、どちらかと言えば足りない部分を補う力である。


「例えばですけど、」


 ショウタは鉛筆を立てて、ジャロリーに尋ねた。


「鉄の玉を生み出したり、炎や雷を作ったりして攻撃する魔法はなんでしょう?」

「それは黒魔法じゃ。錬金術をベースに、世界の根幹法則や元素に干渉する。結果、現象を引き起こす。まぁ攻撃向きと言えば攻撃向きじゃな。融通が利きにくい分、できることもはっきりしているのが特徴じゃ」

「ふんふん」


 鉛筆をの尻で額をカリカリと掻く。

 ショウタが求めているのは、やはりこちらだ。銃弾やガソリンも無限ではない。それが尽きた時、なんらかの手段で補充するには、白魔法よりも黒魔法の方が向いている。それにショウタの超能力ではリカバリーできない分野だ。


「……となると、僕は黒魔法の方が良いんですが」

「ふぅむ。まぁ適性もあるじゃろうが、おぬしが学びたいと言うなら、止めはせんな」


 ジャロリーは、顎に手をやってそのように呟く。


 彼女はそのまま、魔法の発動形態についての説明を開始した。


 魔法の発動形態は様々だ。大きくは詠唱魔法と紋章魔法に大別されるが、他にも発動状態の魔法を宝石や呪符に閉じ込めた状態で運用する媒介魔法、発動手順を身体の動作に組み込んだ舞踏魔法などが存在し、細かな流派や派閥などを含めると、ジャロリーでも把握しきれない。

 手順は異なれど、魔法を発動することには変わりがない。解明された世界のメカニズムに対して、どのような経路で干渉を行うか。発動形態の違いはその差異でしかないのだ。


 となると、


 ショウタはノートを広げて両手で掴み、しかめっ面を作った。シャリオは相変わらず、真横から気にしないで覗き込んでくる。


「あのう……。くっつかないでもらえます?」

「意外と字が汚いのね」

「これ日本語ですよ。綺麗か汚いかなんてわかるもんですか」


 そう言いつつ、ショウタの文字はあまり綺麗なものではない。殴り書きともなればなおさらだ。


「文字が汚い人に紋章魔法は向かないわね。詠唱型が良いんじゃないかしら」

「もっともオーソドックスではあるがのう。詠唱形態にも圧縮詠唱型や簡略詠唱型など、まぁいろいろあるが」


 発動形態にはさほどこだわるつもりはない。向き不向きがあるなら、それに従うのが一番だ。

 ショウタが魔法を習うにあたり、最終的に目標とするのは、超能力との並行使用である。となると、それを大きく阻害する舞踏魔法は避けたいくらいである。


「ひとまずは、詠唱言語を学んでもらう形になるか。ひとまずルーン型じゃのう。詠唱した言語を視覚的に組み立てるので、練習にはもってこいじゃな。戦場で使うとバレバレになるのじゃが」

「詠唱は、最初はちゃんと声に出して言う必要があると、慣れてくると口の中だけで済ませられるようになるわ。まぁ、その分詠唱に時間を取られるのは変わんないんだけど」


 きっと魔法の発動もプログラミングみたいなものだな。これも、よくある話だ。

 まずはメカニズムを正しく理解した上で、そこに干渉する詠唱言語の勉強をする。詠唱言語を組み立て、魔法式を作り、魔法の発動に至る。説明は大雑把に言うとこんなところである。


 まずは理のお勉強だ。かつて三人の賢者が解き明かしたこの世界のことわりを、ひとつひとつ丁寧に頭に叩き込んでいく作業。地道な地道な、“お勉強”が始まる。


「さぁて、あまり時間があるわけでもないからのう。ここは、おぬしの脳細胞に期待じゃな」

「脳細胞には自信があります。頑張りますよ」

「ほう、言うのう」


 東京でわざわざ、やりたくもない脳の拡張作業に師匠を付き合わせた。脳細胞の使い方はもう少し器用になっている自信がある。

 早速、このような形で使うというのは予想外だったが。高速集中思考コンセントレイト・ドライブのちょっとした応用だ。負荷を軽減するために設けられている脳のプロテクトを解除し、その期間に記憶した情報を後々に引きずり出しやすいよう、シナプス結合を強化する。これに加えて、わずかな集中。ショウタが口をつむぎ、目を閉じて意識を整えるのを見て、やはりジャロリーは少し、訝しげな態度を見せた。


「―――よし」


 ショウタはうっすらと目を開き、頷く。


「準備ができました。はじめてください」





 夜である。その日いちにち、修行施設で稽古をつけてもらったアリアスフィリーゼは、ボロボロになったまま個室に戻った。メロディとマグナムは、嫌な顔ひとつせず、ずっと付き合ってくれたのだが、結局この日は、自分自身の力の未熟さを実感するだけの一日となってしまった。

 全身に青あざや擦り傷ができてしまっていた。白磁のような甲冑は、マグナムの鉄拳の前ではまるで役に立たない。内臓までダイレクトに伝わる衝撃のおかげで、何度か食事を戻しかけた。というか、1回戻した。あの醜態は、他の誰かに見せられるものではない。


 せめて一太刀。


 マグナムの額に、せめて一太刀入れられるように。力だけでも、技だけでも通用しない、自分のすべてを出し切ってなお、まだ彼には届かない。マグナムに届かないということは、他のあらゆる冥獣王に届かないということでもある。

 だから、せめて一太刀……。


 アリアスフィリーゼは、彼女を気遣いついてこようとした他の騎士を断わり、一人、廊下を歩いていた。

 ようやく、自分に割り当てられた部屋へたどり着こうかというところで、彼女は部屋の前に座り込む、一人の少年の影を見つける。少年は、背中を扉に預けたままぐったりとしている。それが誰であるか。アリアスフィリーゼには、すぐにわかった。


「ショウタ……?」

「………」


 返事は、ない。この部屋はショウタに割り当てられた部屋ではないはずだが。

 少し心配になって、アリアスフィリーゼは彼に歩み寄る。そっと頬に触れようとして、まだ甲冑姿であることを思い出した。かといって、ガントレットを外すと汗臭い。触れるべきは触れないべきか、まだちょっとだけ躊躇する。


 そこで、ショウタはぱちり、と目を開いた。


「あ……」

「――――、――――」


 目を開けたショウタは、アリアスフィリーゼと目を合わせると早口で何かをつぶやく。彼の口の動きに合わせて、光のベルトが紡がれ、それは赤い光を放つ紋章となって宙に浮かび上がった。はっ、と気づく。この紋章はほんの一週間前、アメパ堰堤要塞で交戦した、レイシアルが紡いだものによく似ている。


 ばしゃっ。


「わぷっ」


 思わず身構えてしまいそうになった直後、紋章から水が吹き出して、アリアスフィリーゼの頭にぶっ掛かる。

 ぽかんとするアリアスフィリーゼ。前髪が額に張り付き、濡れた毛先からぽたぽたと水が垂れる。


「お帰りなさい、姫騎士殿下」


 そこでショウタは初めて笑みを浮かべた。

 今の水は、一体なんだ。アリアスフィリーゼは目を丸くした。


「しょ、ショウタ。今のは……」

「魔法です。ちょいとしたもんでしょう。……まぁ、頭の記憶力を弄って、ようやく水鉄砲を出せるようになったくらいですが」

「魔法?」

「ええ、殿下が無茶をなさってるみたいですが、止めるのも野暮なので……」


 ショウタは自らの膝を押さえてゆっくり立ち上がった。


「僕も、無茶をしようかと思いまして。ジャロリーさんにちょっとお願いを……」

「マスター・ジャロリーに師事したんですか!?」


 アリアスフィリーゼはびっくりしたように目を見開いた。


「ショウタ、二師に仕えるのは私はどうかと思います。仁と義の問題として! ショウタには、もうヒカルという立派な師匠がいるのでは?」

「大丈夫です。いいですか? せんぱいは師匠で、ジャロリーさんは先生です。僕の世界では、ほら、学校に通ったりしますから、師匠と先生は違う感じのものです」

「む、むー……」


 なんだかうまいことはぐらかそうとしているように見えるのだが、幾分、稽古で疲れたアリアスフィリーゼの脳は、そこまでしっかり働かない。だが、それはどうやらショウタも同様らしい。足元がふらついているし、意味もなく水鉄砲をアリアスフィリーゼに当てたところを考えると、今はまだ、あまり難しいことを考えられる状態ではないのかもしれない。

 そう思った矢先に、ショウタは足をもつれさせ、バランスを崩した。


「あっ……」

「おっと」


 倒れかけたショウタの身体を、アリアスフィリーゼの腕が支える。華奢な彼の身体が、甲冑の上にもつれかかった。胸当てキュイラスに後頭部をぶつけたショウタが、そのままこちらを見上げてきた。アリアスフィリーゼは、少し気まずくて目をそらす。

 今は、あまり密着したくない。汗を掻きっぱなしなのだ。

 ショウタを野山に連れまわす際は、ろくに風呂にも入れない日が続くわけだが、そういう時はきちんと身体を拭いている。そもそも、あれだけ長時間、激しい運動を続けるということ自体が、そもそも滅多にない。


「殿下、月並みな言葉ですけど……」

「は、はい……」

「頑張ってくださいね」


 そこから飛び出た言葉が、意外なものだったので、アリアスフィリーゼは戸惑う。


「殿下のお立場とか重責とか、まぁ、よくわからないんですけど。無理はしないでください、とか、あんまり軽々しく言えない気がしたんで……」


 ショウタは胸当てキュイラスに頭を載せたまま、続けた。


「だから頑張ってください。僕も頑張ります。頑張って魔法覚えます」

「魔法、ですか……」

「ええ。使えたほうが、何かと便利かと思いまして。一応宮廷魔法士の肩書きでやってますし」


 だから、こんなフラフラになるまで修練を積んでいたのか。


 アリアスフィリーゼは魔法にはさほど詳しくない。だが、聞くところによれば、一般的な魔法使いが初歩的な術を使えるようになるまで、最低でも2週間から1ヶ月はかかる。もちろん、修練を始めた時期にもよるらしいのだが。

 それをショウタは1日で成したのだ。彼に特別才能があったとは、アリアスフィリーゼは思わない。彼は自らの脳に負担をかけて、通常であれば2週間かかる行程を、たった1日で終わらせてしまったのだ。


「ショウタ、無茶な真似をして……」

「お互い様でしょう。殿下が無茶をしてるもんだから、僕も……」


 そこで、ショウタは大きなあくびをする。


「……疲れました。部屋に戻って寝ます……。殿下も、また明日……」


 ショウタは、アリアスフィリーゼに預けた身体を起こして、よろよろとバンギランドの廊下を歩き出した。

 振り返り、彼は柔和な笑みを浮かべて、小さく手を振る。


「それじゃあ、おやすみなさい。アリアスフィリーゼ姫騎士殿下」

「はい。おやすみなさい。ショウタ・ホウリン」


 先ほどふらついていたのよりは、いささかしっかりした足取りで、ショウタは廊下を歩いていった。


 アリアスフィリーゼはそこで、先程まで全身に感じていた痛みが、和らいでいるのに気づいた。ショウタが回復系の魔法を使ったとは思えない。そもそも、回復系の魔法は、伝統騎士トラディション王族騎士ロイヤルには効果が薄い。

 どうして痛みが引いたのかはわからない。が、アリアスフィリーゼの心は妙に浮かれていた。このほんのわずかな、数分間のやり取りが、1日かけて疲弊し、追い詰められた彼女の精神を、一気に健全な領域まで引き戻してくれた。


 焦ってはダメだ。今の自分の実力と向き合い、その上でなお、全力を尽くそう。ショウタだってそうしている。


 今は、疲れた身体を休ませよう。汗を流すのは、明日の朝で良い。

 アリアスフィリーゼは、自らにあてがわれた部屋の扉を開けた。





 それから更に、数日が経過した。


「……どう思う?」


 獅子王マグナムは、腕を組んだ状態で隣の女騎士に尋ねる。女騎士はルカ・ファイアロードだ。彼女もまた、腕を組んだ状態で、稽古場足を運んでいた。

 稽古場では現在、アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオが、勇者メロディアス・フィオンを相手に稽古を行っている。アリアスフィリーゼの振るう剣は、メロディにかすりもしていなかったが、その剣さばきは確実に変化してきている。


 彼女の性格を反映するかのように、愚直で、まっすぐだったアリアスフィリーゼの剣は、ここにきて、技巧を凝らした繊細さを帯びるようになってきた。見違える程の変化とまでは言えないし、マグナムにもメロディにも、まだまだ届いてはいないのだが、それでも、彼女の成長は目覚しい。


「焦りが取れたんだろう。ここに来たときに比べて、殿下の表情は柔らかい」

「そうか? 俺にはよくわからん」

「アメパ堰堤要塞の時点から、色々と不安はあったんだけどね。あの頃みたいに張り詰めた様子がない。ボクはいいことだと思うけどね」


 マグナムは『ふぅん』と言って、顎を撫でた。


 アリアスフィリーゼに触発されるようにして、ショウタも魔法の勉強を始めたと聞いていた。

 彼の魔法の師となるマスター・ジャロリーは、騎士王国ともそれなりに縁深い。魔法推進派の中核である貴族騎士ノブレスゴンドワナ候爵は、彼女の教え子だ。教えるのが苦手と公言してはばからないジャロリーにも、それなりに弟子はいて、ゴンドワナ候爵もその1人なのである。

 アメパ堰堤要塞でクーデターを起こしたレイシアル伯爵は、そのゴンドワナ候爵から魔法の初歩を教わっていたと聞く。それを考えると、多少は数奇なめぐり合わせとも言えるのだろうか。


 ショウタの飲み込みは恐ろしいまでに早いらしく、ジャロリーは掘り出し物だと喜んでいた。


「たぁっ!!」

「あっ……!?」


 アリアスフィリーゼの見せた、ほんのわずかな間隙を縫い、メロディの一撃が剣を吹き飛ばした。続いて放たれる、光の速さの拳が、姫騎士殿下を鎧ごと吹き飛ばす。軽々と、という形容すら似合わない、直線的な吹っ飛び方。アリアスフィリーゼは、その身体を強く壁に打ち付け、壁にはヒビが生じた。

 がくり、とうなだれるアリアスフィリーゼだが、すぐにクレーター状に凹んだ壁から抜け出し、両拳を握って構えを取る。メロディは距離を一瞬で詰め、絶え間ない猛攻に転じた。防戦一方となるアリアスフィリーゼだが、その表情は一切の諦念と無縁である。


 この2人が、稽古の終わった夜更けに、こっそり顔を合わせているのを、ルカは知っている。2人とも、よくもまぁこれだけ修練に気合が入るものだと感心するが、おそらくそこで毎回、リフレッシュでもしているのだろう。結構な話だ。


 メロディの一撃が、再びアリアスフィリーゼを吹き飛ばした。2度吹き飛ばされた時点で、アリアスフィリーゼはその一戦では『死亡』した扱いとなり、稽古はイチから仕切り直される。


「なんか、すごい、上から目線な言い方になっちゃうけど……」


 剣を拾い上げるアリアスフィリーゼに、簡単な治癒魔法をかけながら、メロディアスは言った。


「お姉ちゃん、すごい良くなってると思う。“死ぬ”までの時間も伸びたし、調子いいね」

「ふふ、そうですか? メロディと、孤児院で追いかけっこした時が、なんだか懐かしいですね」

「あー、あったねー。あの時はすごいいい勝負だった!」

「随分と差をつけられてしまいましたが、私もまだまだ、成長途上です」


 アリアスフィリーゼは剣を鞘に納め、所定の位置へと戻る。この数日の稽古は、アリアスフィリーゼにもショウタにも、しっかりモノになりそうだ。


 王都への送還が近づきつつある日、超絶無敵大要塞バンギランドに、風雲急を告げるかのような、ひとつの報告が入った。


 咬蛇王の新たなる動き。

 魔獣を中心とした軍勢が、王国東端のランクルス運河詳細を目指し進軍するのを、確認したというものであった。

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