第82話 姫騎士殿下、戦う
『血の匂いに反応すると言ってもな!』
メガネが大声で叫び返す声が、スマホから漏れる。漏れるも何も、スピーカーフォンにしているので当然だが。
『東京だぞ! 血の匂いがする場所なんてどこにでもある。肉屋にスーパー、病院だってそうだ! それを全部止めろって言うのか!?』
「まあ、無理でしょうねえ」
師匠の声は落ち着いたものだった。
ショウタとアリアスフィリーゼの知るコボルトの情報は、さほどメガネ達に有益ではなかったらしい。確かに、東京23区は広い。24番目の区と言われる東京湾の人工浮島を含めれば捜索面積は更に広がる。かつて、騎士王国の西方、ゴンドワナ侯爵領の荒野において、袈裟懸けを含めた獣魔の大規模殲滅作戦が決行された時でさえ、そこまで広いわけではなかったのだ。加えて、あそこは風通しがよく、臭いの拡散しやすい土地だった。
この東京で、紛れ込んだ冥獣コボルトをあぶりだすのは至難の業だ。こちら側から積極的に探していくしかない。
アリアスフィリーゼは、ショウタの部屋の片隅に置かれた、自らの具足一式を眺めていた。
胴当て、籠手、前垂れ脛当て。加えて、彼女の愛剣である三日月宗近もある。特注により超重量を誇る鎧の数々は、畳に大きくめり込んでいた。
「こちらの世界で、これを着ることになるとは……」
偶発的とはいえ、自身の世界から持ち込んだ不始末だ。尻拭いは自らの手で、という決意が、彼女の言葉に滲む。
「すいません、アリアさん。鎧下は洗濯中で……」
「構いません。あちらでも、肌着の上から着たこともありましたし」
「えぇと、あと、これを」
そう言って、ショウタは一台のスマートフォンを取り出す。アリアスフィリーゼは首を傾げてそれを受け取った。
「例の通話用器具ですね」
「はい。いろいろ、連絡を取り合うこともあると思うので」
さらに、ショウタはイヤホンマイクをスマホに接続し、アリアスフィリーゼの右耳にひっかける。片耳だけのタイプのものだ。
「着信が来ると、甲高い音がしてスマホが震動します。その時は、この、コードの真ん中にあるこのボタンを押してください。電話をかけてきた相手と通話ができるようになります。両手を空けたまま話ができるので、戦闘の阻害はしないはずです」
「なるほど……」
「あとは、このスマホをどこにしまうかなんですけど……」
畳に大きくめり込んだ具足一式を眺める。当然、スマホをしまっておけそうなポケットなどはない。ベルトタイプのポーチやポシェットなどを持ってくるか、などと考えていると、当のアリアスフィリーゼはパジャマの胸元をぐいっと引っ張り、その〝中〟を確認してから、スマホを差し込んだ。
はさんだ、と言うべきか。はさめた、と言うべきか。
シャツの上からはっきりわからない程度には、スマホは埋もれてしまっている。
「ま、まあ、それで良いなら良いんですけど……」
「戦闘中は激しく動きますが、胸当てでしっかり固定するのでずり落ちることはないと思います」
「はあ。それで良いなら、良いんですけど……」
アリアスフィリーゼは、特に気にした様子もなく、手慣れた仕草で鎧を装着していく。
「パジャマの上からですか」
「脱いだ方がいいですか?」
「いえ……。鎧の隙間からクマさんが覗くなぁと……」
籠手と胸当ての隙間となる二の腕や、前垂れと脛当ての隙間となる膝の上あたりは、黄色地にクマさんがプリントされた可愛らしいパジャマが丸見えとなっている。あまり緊張感のある絵面ではない。
いや、別に絵面で戦闘するわけではないから、良いのか……。ショウタは頭を掻いた。
「ショウ年! プリンセス!」
リビングから、師匠の呼ぶ声がする。出て行くと、彼女はテーブルの上に地図を大きく広げていた。
「ある程度は絞り込めました。オーリスや街頭カメラ、スパイ衛星の映像をフルに使ってね」
「使ったのはメガネさんですよね?」
「まあそッスね。メガネの方でも、ある程度エージェントを動かしてくれるそうッス」
エージェント、というのは、要するに師匠やショウタのような、メガネと繋がりのある特殊な人物のことだ。内閣特殊異能対策室、というよりは、メガネ個人と直接的なつながりがあって、内特の担う案件の解決に協力する代わり、それぞれの目的を解決するための協力を仰いだり、金銭的な報酬を得たりする。
それは超能力者に留まらない。高野山で修業した僧兵もいるし、流浪の格闘家もいる。何の力も持たない単なる傭兵もいる。ショウタが会ったことのある人物は少ないが、自分が普通だと思っていた世界はこんなにも異能があふれていたのかと呆れた記憶があった。
師匠は、赤いマジックを使って地図に書きこんでいく。
「プリンセスにもわかるよう説明します。わたし達がいるのはここ、北区赤羽。冥獣コボルト達がいると思われるのは、この都心部から湾岸エリアにかけての一帯ッス」
「新宿や池袋も入るんですか……!」
「ギリギリで、上野や秋葉原もね。山手線圏内はほぼ全域と言っても良いでしょう」
ショウタは時計を睨んだ。午後6時。帰路につくサラリーマンや、夏休み中の学生で、まだまだ混雑が絶えない時間帯だ。
「あまり絞り込めていないのは確かッスが、とにかく現場へ向かいます」
「わかりました。アリアさん?」
「ええ、異論はありません」
一同は頷き合い、マンションを飛び出した。夏の日は高い。だが、やがて空は、不吉な血の色に染まろうとしていた。
「動くなッ!」
その警官は、銃口を毛むくじゃらの怪物に向けてそう叫んだ。
新宿の裏路地である。多くの人が行きかう大通りとは違い、ひと気が少ない。そこかしこに設置された室外機が唸りを上げ、路地の温度と湿度を上げていた。
23区内のあらゆる警察署には、現在警視庁から特殊な通達が下っている。品川の倉庫街で起きた、石動会絡みの殺人事件の話だ。犯人グループはいまだ、犯行時の着ぐるみを着たまま別々に逃走中であり、そのいずれも凶器となるものを携行している可能性が高い。警邏を強化し、発見した場合は即座に上へ報告せよというものだった。
警察官の行動はツーマンセルが原則となる。彼の後ろでは、すでに頼りになる同僚が、無線機に呼びかけている。相手は銃のようなものを所持している。至急応援頼む、といったような情報だった。
「……シ、シシシシシ……」
毛むくじゃらは、歯を見せて笑う。とうてい着ぐるみには見えない生物的な動きだった。口元から漏れる黒い靄。赤く光る双眸。そのいずれもが、警官たちの毛むくじゃらに対する疑念をいっそう掻きたてている。
やがて、怪物はその手に持った拳銃を、警官たちへと向けた。
「………!」
警官も、安全装置をおろし、引き金に手をかける。だが、動き自体は毛むくじゃらの方が早かった。ぱんっ、という乾いた音が響いて、弾丸が警官の太腿に着弾する。
「ぐっ……」
「お、おいっ……!」
激痛にうずくまる。同僚が声をかけてきた。心臓や頭を撃たれなかったのは幸運だが、と思い、顔をあげた瞬間、警官は間違いに気づく。
「シシシシシ……」
あの毛むくじゃらは、意図的に足を撃ちぬいたのだ。こちらの逃げ足を封じるために。一撃で致命傷を負わせるだけの正確な腕がありながら、あえてそれをしない。何もできない相手をじわじわといたぶるのを、楽しもうとしているのだ。
同僚に逃げろ、と促すべきか。あるいは、こちらも引き金を引き、日本警察の意地を見せるべきか。首をもたげようとする恐怖心を押さえ込みながら、警官は考える。こいつが快楽殺人犯だとして、このまま何もせず、野に解き放つわけには、
そう思っていた時だ。
ばさ、という音がして、ビルの谷間に何かが降ってくる。コートを翻したそれはおそらく人影だった。警官たちと毛むくじゃらの間に割って入り、長い足で毛むくじゃらの持っていた拳銃を払う。
「いィやッ!」
コートではない。ただのボロきれだ。ボロをまとった男は、毛むくじゃらの怪物とよく似た赤い瞳を、警官たちに向ける。
「あとは任せろ」
「あんたは……」
「さっき頼んでたろ。応援だよ」
それだけ言って、男は怪物と対峙した。怪物はじりじりと後退し、そのまま逃げだしていく。
「ったく……。今日からサービス再開、明後日には一周年だっていうのに、ついてねぇ……!」
わけのわからないことを呟いて、男は怪物の後を追った。その背中を呆然と見守り、同僚がぽつりと呟く。
「いやぁ……。ヒーローっているんだねぇ……」
「ヒーローか? あれ……」
「新宿で一体、見つかったそうッス」
移動中のタクシーの中で、師匠がそう言った。ショウタは窓の外を見る。
「新宿ですか……」
と言っても、広い。
「あとは上野で一体、品川で一体……」
続々と発見の報告がある。メガネが派遣したエージェントが動いているのだろう。
ショウタはそのまま、アリアスフィリーゼに視線を写した。監視カメラに映っていたコボルトの数は、全部で7体。見つけた奴から潰していくしかない。
コボルトは、その道具に対する適応性が極めて厄介な獣魔である。剣や槍といった原始的な武器はもとより、投石器や弓矢など、人間の開発した武器を次々と使いこなしていくことから、コボルトの確認される地域では武器の管理を決して怠らないという風習が生まれた。
そのコボルトが、銃という近代兵器を手にすれば、どうなるか。さすがにそれは使いこなせまい、という楽観視はできなかった。銃どころか、自動車、バイク。この世界に、人を簡単に破壊できる〝武器〟は数多く存在するのだ。
「ショウタ、その〝銃〟というのはなんですか?」
「火薬で金属の弾を打ち出す、中距離用の射撃武器です。弾の大きさにもよりますが、だいたいこれくらい。連射性が高くて、骨や内臓を貫通します」
ショウタの説明に、アリアスフィリーゼは難しい顔をする。
「王国の伝承に伝わる武器と少し似ていますね……。なるほど、その〝銃〟がコボルトの手に渡ると危険だという話は、理解できました」
「射程距離の優れたライフルや、広範囲に同時に弾丸をばらまくショットガンもあります」
「急ぎましょう」
アリアスフィリーゼの声は、徐々に険しいものになっていく。ショウタは頷き、師匠に告げた。
「ひとまず僕とアリアさんは新宿の個体を追います」
「わかりました。ではわたしは品川の奴を」
言うなり、師匠は財布から1万円札を取り出し、タクシーの運ちゃんに叩きつけると、テレポートで車内から消えた。
「えっ、あれっ……!?」
混乱するタクシーの運ちゃん。ショウタも、アリアスフィリーゼの腕をつかむと、同じように万札を叩きつけて、テレポートを使う。二人の姿も、一瞬にして車内から消えてしまった。
「えっ……えええっ!?」
残されるのは2枚の1万円札のみ。タクシーの運ちゃんは目を白黒させながら、車を脇へとよせ、停車させた。
「ま、毎度あり……?」
この、忽然と消えた3人の乗客の話は、それからしばしタクシー業界の間で語り草となるのだが、それはまた別の話である。
タクシー内から何度かのテレポートを繰り返し、ショウタとアリアスフィリーゼは、新宿にある雑居ビルの屋上へとたどり着いた。相変わらず人が多く、この中からコボルトを見つけ出すのは、至難の技だ。と、思われたのだが、
「いました、ショウタ! あそこです!」
言うなり、アリアスフィリーゼは別のビルの屋上を指す。
そこには、確かにコボルトと思しき毛むくじゃらの人影が、長いものを持って下を行きかう人波を見つめていた。それを肩にあてるようにして構えたところで、ショウタははたと確信する。ライフルだ。奴はここから人を撃つ気なのだ。
不意に、真横から強い衝撃が吹き付けた。だん、という音と共に、姫騎士アリアスフィリーゼの身体が跳ねる。星のない東京の空に、異界の騎士が高く躍った。
「はァァァァーッ!」
一切合切の遠慮なく、抜いた剣をコボルトに叩きつけんとする。コボルトはすんでのところでかわし、雑居ビルの屋上には大きなクレーターができた。
やりすぎだ。
ショウタははらはらしながらも、自らもテレポートで後を追う。
アリアスフィリーゼは、三日月宗近を大きく振り回し、狭い屋上でコボルトを追い詰めて行く。抜群の切れ味を誇る稀代の名剣は、姫騎士殿下の膂力と相まって、屋上の錆びついた手すりをスパスパと切り捨てていった。手すりが下の通行人に落下しないよう、ショウタは念力で屋上に引き戻す。
如何に武器を自在に扱えるコボルトとはいえ、至近距離の戦術級騎士を相手どってライフルでは分が悪い。コボルトは得物を捨て、腰から引き抜いた拳銃をアリアスフィリーゼへと向けた。
「アリアさん!」
ぱんっ、という乾いた音がして、赤が散る。弾丸は、アリアスフィリーゼの眉間に正しく命中した。
が、
「てェェいッ!!」
額から血を流しながらも、彼女は一切ひるむことなく、追撃をしかける。屋上の床には、王族騎士の頭蓋を貫通できなかった9ミリ口径のパラベラム弾が、虚しく転がっていた。
「えっ、ええええ~………」
さしものショウタもドン引きである。異世界人恐るべしと言ったところか。身体の作りが違うとは思っていたが、確かに10トントラックの激突にも耐えられるのだから、骨の強度は相当なものなのだろう。
コボルトもこれは予想していなかったのか、アリアスフィリーゼの猛攻を前にして、一気に劣性へと追い込まれる。彼女は剣を左に握ったまま、右手でコボルトの喉元を押さえ込み、そのまま一気に空中へと躍り出た。
まずい、とショウタは思う。
轟音と共に、下から悲鳴があがる。ビルの上から人が二人降ってきたのだ。当然だろう。
幸い、下敷きになった人はいないようだった。もうもうとあがる煙、ひしゃげたアスファルトと歩道のブロック。その中で、冥獣コボルトを押さえ込んだアリアスフィリーゼが、ゆっくりと立ち上がる。群衆は遠巻きに眺めているだけだ。逃げ出す気配すらない。理解が追いついていないのだ。映画の撮影だと、思っているのかもしれない。
ここでショウタが超能力を使い騒ぎを大きくして、彼らをここから遠ざけることは簡単だ。だが、ここは新宿である。人目に触れたり、大勢を巻きこんだりすること自体が、得策ではない。
ショウタが焦る。コボルトが起き上がる。アリアスフィリーゼが飛びのく。
コボルトはそのまま高く跳び、他のビルの壁面を駆け屋上へと逃走する。アリアスフィリーゼも同様にそれを追った。車を避けるように、道路をぴょんぴょんと跳び、二つの影は不夜城新宿の光と闇の中に消えて行く。
「あああああっ、もうッ!」
ショウタは頭を掻きむしった。これでは追いかけるにも一苦労だ。
「忘れてた! あの人たまにぽんこつなんだった!!」
ひとしきりの憤慨を胸に、ショウタは屋上からテレポートした。




