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騎士王国のぽんこつ姫  作者: 鰤/牙
第一部 勇ましきあの歌声
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   第73話 冥き獣(中編)

「雪……?」


 一面真っ白に染まる通路を前に、コンチェルトは首を傾げた。


 アメパ堰堤要塞の2階層部分、1階層部分は、完全に雪に覆われている。ゼルガ山脈自体は、ところどころに万年雪も積もるため雪自体はそう珍しいものでもないのだが、屋内にこれだけの雪が吹き込むことは異常だ。引き連れてきた二人の騎士、レイザーとゲインも、訝しげに眉をひそめている。

 考えられる可能性は魔術だ。レイシアルは氷雪系の魔法に習熟していたはずである。通路一面を雪で覆うだけの魔法を扱えるのは、この要塞内では彼しかいなかった。レイシアルの足取りを追う手がかりになると言えば、そうなのだが。


 あまりにも、らしくない。


 彼は冷静沈着な男だった。時折感情に支配されかける面はあったが、それでも自分の心をコントロールすることが巧みな男だった。何の目的もなく、要塞内の広域にこれだけの雪を降らせる理由に、どうしても見当がつけられないのだ。

 何かがおかしい。何かが狂っている。

 コンチェルトは降り積もる雪の中を、ざく、ざくと進んでいく。そこかしこに、コボルトやゴブリンの骸が転がっていた。おそらく、陽動作戦を行った伝統騎士達の手で葬られたものに、そのまま雪が降り注ぎ凍結してしまったものだろう。


「寒いのは嫌だね……。肌が、がさつく」


 軽口を叩くコンチェルトに、後ろの部下たちが苦笑いを浮かべる。


 しかし状況は不気味だ。陽動に動いていた騎士達の姿が見えていないのが気にかかる。レイシアルだけの仕業とは思えない。オークやオウガといった、大型獣魔がまだ残っているのか、それとも……。

 ざく、と。コンチェルトの足が止まった。レイザーが声をかけてくる。


「提督……?」

「壁の向こうに何かがいる……。下がって」


 そう言って、コンチェルトは腰に下げた2本の剣に手を伸ばす。ちょうど曲がり角から、黒い靄のようなものがしみだしてくるのを見て、レイザー、ゲインもすぐさま身構えた。降り積もった雪が足音を吸い取り、静寂は身の毛がよだつほどであるが、確かに気配は近づいてくる。

 おそらくレイシアルではない。もっと大きなものだ。コンチェルトは歯噛みした。全身を縛るこの術式が邪魔である。戦略級騎士としての実力を存分に振るうことができれば、もっと楽に戦えるというのに。


 徐々に濃くなる黒い靄、白い雪と対照的に映えるコントラストの中から、やがて4、5メーティアはあろうかという巨体が、ゆっくりと姿を現す。


「(オウガか……?)」


 筋骨隆々に盛り上がる体躯と、口元に生えそろう牙は、確かにオウガ特有のものだ。少しばかり大柄すぎる気がしないでもないが、個体によってはこれほどのサイズに成長することはある。しかしそれ以上に、コンチェルトに判断を迷わせたのは、全身からあふれ出る禍々しい黒靄と、血を塗りたくったように紅い、その双眸だ。これらは、オウガの特徴とは合致しない。


 いや、


 視界が怪物の巨体を完全に捉えた時、コンチェルトは目を細めた。

 その胴部を走る、大きな二つの裂傷には見覚えがある。


「(あの傷は、確か地下牢で……)」


 地下牢で討伐したオウガに、コンチェルト自身がつけた傷と、その箇所が一致する。

 死んだオウガが、一度よみがえったとでも言うのか? 一体、何によって? レイシアルにはそれほどの魔法技術があったか? さまざまな疑問が脳裏をよぎるが、直後にはそれらをすべて一蹴する。人間の起こしたクーデターに、獣魔が絡んでいる時点でこれはイレギュラーなのだ。


「あのオウガを討伐する。初めて見る状態なので、十分に注意をするように」

「イエス・ディム・キャプテン」


 レイザーが答え、双刃を構えなおす。異形は、こちらにゆっくり顔を向けると、その口元をにぃっと歪めた。


「(笑った……?)」


 コンチェルトがそのように思ったのと、怪物がその手に握っていたものを、こちらに投げつけてきたのはほぼ同様のタイミングである。騎士提督は、視線を相手から逸らさないようにしながら、最低限の動きで飛来物を回避した。それは、白く積もった雪を撒き散らすようにして、通路の上を転がる。


 びちゃっ。


 それが真横をかすめる瞬間、コンチェルトの頬に液体と、何やらぬめりけのある、柔らかい物体が飛び散った。


「うっ……!!」


 背後で、ゲインのうめき声が聞こえる。コンチェルトはそれだけで、いま真横をかすめたものの正体に、おおよその見当をつけた。だが、振り返るだけの余裕はない。目の前の異形から、ほんの一瞬たりとも目は離せない。

 頬に塗りついたモノを、剣を握ったまま手の甲で拭う。鼻の据えるようなにおい。血や内臓特有の生臭さが、鼻孔へと入り込んだ。


 こいつが、他の騎士たちを。


 その危険性を勘案した上で、生き残った騎士達に陽動を命じたのは自分だ。だからこそ、これ以上の暴挙を放置はできない。もはや疑いようはなかった。目の前にいるのはオウガか、それ以上の戦闘能力を有した脅威だ。


「――――――――――――――――――――ッ!!!」


 怪物の咆哮は音圧を伴う。積もった雪を吹き飛ばし、視界を一瞬にして白く染め上げた。


「来る!!」


 剛腕を振りかざし、怪物の巨躯が迫る。白い壁を割るようにして飛び出してきたその腕は、コンチェルトの胴回りよりもはるかに太い。丸太を突き出したかのようなその一撃をかわし、懐へと飛び込んでいく。標的を失った握り拳は、上側から抉り取るようにして壁を粉砕した。

 パワーが明らかに上がっている。コンチェルトは構えた二本の剣を躍らせた。地下で戦った時より明らかに肥大した身体のため、心臓部をめがけた斬撃が難しい。ひとまず腹部をめがけ両袈裟に切り裂く。ぶしゃあっ、と黒ずんだ血を、正面から被った。


「――――――――――――――――――――ッ!!!」


 かなり深く切り込んだはずだが、それでもオウガは怯んだ気配を見せない。怪物はその足を無造作に動かし、コンチェルトめがけての蹴りを放つ。


「ぐっ……!」


 つま先が、腹部へとめり込んだ。身体が折れる。勢い、コンチェルトの身体は、宙へと放られた。


「提督ッ!」


 レイザーか、ゲインか。部下の騎士がこちらを呼ぶのがわかる。


 改めて、力の戻っていないことがもどかしい。本調子ならば後れを取ることなど、ないはずなのに。

 ええい、女々しい。私は女だが。

 コンチェルト・ノグドラは、力ではなく頭で勝つ方法を教えられた娘ではないのか。とにかく倒せる手段を探す。相手が生き物である以上、心臓を潰し、脳を潰せば確実に絶命する。懐に入るところまではできたのだ。決して不可能ではない。


 コンチェルトは滞空するわずかな時間にそれだけの思考を行った。空中で身体をひねり、雪のクッションになんとか着地する。くすんだ鋼色の髪が跳ね、海色の隻眼が、鋭く吊り上って正面の怪物を見据えた。


「グ、フ……ぐふ、ふ……ふ……」


 不揃いの牙が生えそろう口元から、不気味な音が漏れた。


「笑ってやがる……!」


 ゲインが忌々しげに吐き捨てる。


 コンチェルトは戦力を冷静に分析した。今の自分は、戦術級騎士クラス。キャロルやアイカ達と同程度か、おそらくそれをやや上回る程度だ。レイザーやゲインは、そこから更に2歩ほど引いた位置に納まる。彼らと力を合わせ、この怪物相手にまともに立ち回れるかと言えば、


「二人は、他に生き残っている騎士達との合流を」

「提督は……」

「私はこいつの足止めだ。早いところレイシアルを討っておきたいところだが、これはさすがに野放しにできない」


 じりじりと迫る怪物との距離を一定に保ちながら、コンチェルトは告げた。

 当然、二人は納得をしない。


「何故です、提督!」

「今の提督を一人には……!」

「君たち二人を護りながらは戦えない」


 ぴしゃりと言い放つと、レイザーとゲインは口をつぐんだ。これ以上ごねるようなら、はっきりと告げなければならない。二人は足手まといだと。


 あの怪物の剛腕は、おそらく人間一人の命を容易く叩き潰す。たかだか3人程度で覆せる数の利ではないのだ。ましてや、こちらにはリーチの長くない2本の剣のみ。アメパ式戦術双刃は、こうした狭い通路で侵入者と戦うために発達した剣技であり、人間を凌駕したスペックを持つ怪物に対し、多対一で挑む戦いには不向きである。


「わかりました……」


 レイザーは剣を納め、1歩、2歩と下がる。


「ご健闘をお祈りします。提督」

「ん、結構。君たちもね」

「行くぞゲイン」

「ああ……」


 二人が走り去ろうとするのを、怪物が目で追う。ずい、と動き出した巨体の前に、コンチェルトが飛び出す。


「………!」


 2つの剣を構えなおす。理想は、レイザーとゲインが他の騎士達と合流し、そのままレイシアルを討つこと。だが、そう簡単にはいかないだろう。この強敵を、単騎で撃破する術が必要になる。


「――――――――――――――――――――ッ!!!」


 怪物が咆哮と共に突撃してくる。幸いにして攻撃は大振りだ。交わすことは不可能ではない。拳は雪を舞い上げ、壁を粉砕し、天井を床を穴だらけにしていく。ひとまず相手の動きを見極めるため、回避に徹する。その直線的な動作にようやく目が慣れてきた、その時、


「――――――――――――――――――――ッ!!!」

「なッ……」


 拳のわずかな動作に反応したコンチェルトを待ち構えるようにして、もう一本の腕が横なぎに襲い掛かってくる。フェイントだ、と気づいた時には、痺れるような鈍い衝撃が全身に叩きつけられていた。


「っは……!」


 オウガが、フェイントを? まさか、と思うよりも、しくじった、と思う心の方が強かった。骨を伝い、衝撃が脳にまで及んでいる。剣を2本とも手落とし、雪の中に落下したコンチェルトは、朦朧とする頭を押さえ、なんとか立ち上がった。


 が、その直後に、背中を押さえつけるようにしてオウガの腕が伸びる。


「がッ……!」


 コンチェルトの身体が、雪の中へと沈む。オウガの手のひらが全身を拘束し、頬を雪の冷たい感触が突き刺してきた。潰れた左目のせいで、オウガ側の視界が効かない。べたり、と粘つくような、生暖かい液体が垂れかかってくるのがわかった。鼻を突く悪臭は、先ほどの比ではない。


 腕だけはなんとか動かせる。だが、剣がない。辛うじて顔を動かすと、わずか数十セルチ先に横たわる、愛剣の一振りが視認できた。左腕を柄に伸ばす、が、


「ぐあぁあッ!」


 コンチェルトの態度を楽しむように、オウガの左腕が背骨を圧迫する。


 弄ぶなら、弄べばいい。耐えることには慣れている。命があるだけ、いくらもマシだ。痛みに耐えながら、左腕を伸ばす。だが、そのコンチェルトの思いすら読み取ったかのように。彼女の頭上めがけ、ついにオウガの拳が振り下ろされた。





 冥獣化人ヘルマティオ・レイシアル。


 ゾルテとトリッシュによって事態が鮮明にされていくさなか、突如として現れた障害である。

 もはやクーデターの首魁たるレイシアルが理性のない怪物となった以上、今回の件は終局を迎えつつあると言って良い。ハイゼンベルグ侯爵が率いる後詰め部隊が到着すれば、当初の目的は無事に完遂される。

 だが、いま目の前に現れた窮地は、それまでとはまったく種を異にするものだ。


「――――――――――――――――――――ッ!!!」


 レイシアルの咆哮と共に、周囲に無数の魔法陣が浮かび上がる。魔法陣は待機中の水の分子を固めるかのように、鋭利な氷の槍を生み出していく。主人の腕が乱暴に振られるのを合図として、氷の槍は騎士達へ向けて殺到した。


「ショウタ!」


 キャロルに名を呼ばれ、ショウタは頷く。彼女の指示の意味は理解できている。ショウタは腕を掲げ、そこかしこに転がる兜や籠手を、不可視の力で高く持ち上げる。ひとつひとつを的確に、氷の槍へとぶつけていった。氷槍はぶつけた障害物を取り込むようにして、氷の棺へと閉じ込めた。


 あの氷槍はそういうものだ。ショウタも既に聞いていた。最初に接触した物体を、氷の棺へと閉じ込める。その特性ゆえに、切り払うことができないというのが一番厄介だった。騎士達は避けるしかなく、彼らが避けた場合、背後にいるショウタ達が危険にさらされる。


「せぁぁぁぁッ!」


 これ以上撃たせるわけにはいかないと踏んだか、アイカが真っ先に切り込んでいく。


「………ッ!」


 紅蓮に輝く双眸がそれを睨む。レイシアルは身体を逸らせるようにして斬撃を回避した。アイカの三日月宗近クレセント・デルタが虚しく空を掻っ切る。彼女は、既に剣を抜いていた。


「くっ」


 返す刀でもう一斬。下から上に向けて斬り上げる斬撃と、それに追いすがるようにして放たれたルカの斬撃は、ほぼ同じタイミングだ。上下から降りかかる刀を、しかしレイシアルは避けない。

 黒い靄に包まれた男の口元が、にやりと吊り上る。


「なっ」


 レイシアルは右手でアイカの剣を、左手でルカの剣を受け止めた。声を漏らしたアイカだけでなく、ルカもその双眸を驚愕に見開く。


「アイカ! ルカ!」

「……ふゥン!!」


 叫び声をあげて駆け寄るキャロルに向けて、レイシアルは剣ごとルカを放る。軽装の彼女はいともたやすく宙を跳ね、その身体がキャロルへと激突した。二人は小さな悲鳴をあげて、雪の上をもつれ、転がる。アイカは剣を握る腕に力を込めながら、吹き飛んだ二人に視線を向けた。


「キャロル! ルカ!」

「アイカ殿、前をッ!」


 トリルが叱責し、アイカは改めて前を見る。彼女の膂力をもってしても、レイシアルの身体はぴくりとも動かない。レイシアルは、再び笑みを浮かべると、空いた左手でアイカの喉元を掴み上げる。


「ぐぅっ……!」


 その細腕から発揮されているとは到底思えない力が、アイカの喉を掴んだまま、彼女を壁へと叩きつける。


「アイカ殿!」

「お嬢様!」


 トリルとショウタが次々にその名を呼ぶ。が、レイシアルの双眸が一際赤く光る瞬間、彼らの足元の雪が大きく爆ぜた。


「ぬゥッ……!」


 爆ぜた雪は、風と混じりそのままトリルの足をからめ捕る。駆け寄る足が鈍るその隙に、レイシアルは意識を再びアイカへと戻した。喉を握りつぶさん勢いで、その手には力がこもる。アイカの口から、音にならない声が漏れた。


「……っは……か……ぁ……っ!」


 ぎしり、ぎしり、と軋む音。レイシアルの紅い瞳が愉悦に歪んでいくのがわかる。


 袈裟懸けスラントラインの時と同様だ。冥獣化により理性を失い凶暴化しようと、知能までが衰えるわけではない。特定の獲物に対する執着や嗜虐心を伺わせる行動が散見されるのだ。レイシアルの場合は、それがすなわちアイカである。

 レイシアルのぞっとするほどに冷たい手のひらは、依然としてアイカの喉元に吸い付いたままだ。右手はアイカの剣を受け止めたまま、こちらの身動きは完全に封じられてしまっている。


 先ほど戦ったばかりのレイシアルとは、明らかに違う。冥獣化というのは、これほどまでに身体能力を底上げするものなのか。アイカはなんとか脱そうともがくが、身体を動かせば動かすほどに、首を絞めるレイシアルの右手に力がこもっていく。気道が抑え込まれ、酸素を取り入れようとする口が空しく開閉を繰り返した。


 その時、


貫翔爆砕弩ペネトレイトバスタァァァァァ――――――――ッ!!」


 同田貫を突き出したキャロルが、レイシアルの頭部をめがけて突き込んでくる。


 黒竜式戦術剣技タクティカルドラゴントゥース特有の刺突撃である。レイシアルはアイカの喉元を掴む手を放し、氷の盾を作り出した。キャロルの放った切っ先は、氷を削り取りながら標的から逸れていく。


「………ッ!」


 次いでルカが踏み込みからの斬撃を、レイシアルの右腕に放つ。硬質化した骨が刃を受け止めるも、その手に握られていた三日月宗近の剣身は、瞬間確かに自由になる。アイカの身体は雪の上を転がり、レイシアルからわずかに距離を取った。


「でぇいッ!!」


 更にトリルの巨躯が前に出る。その体格を生かしたショルダータックル。体幹を崩す狙いの一撃は見事に成功した。よろけ、壁に叩きつけられるレイシアル。更にトリルは一歩、二歩進み、キャロルやルカ、そしてアイカを庇うように前に立った。


「ショウタ、アイカを頼む!」


 トリルの腕ごしにレイシアルを睨みつけながら、キャロルが叫んだ。後方で、トリッシュやゾルテを庇っていたショウタが頷くのがわかる。アイカは彼の方に視線をやってから、首を横に振る。


「いえ、問題ありません。行けます……!」

「無理はするなよ! おまえの身に何かあると、いろいろ厄介なんだ!」

「えっ?」


 アイカは自らの喉を押さえながら、思わず聞き返してしまった。


「おまえは貴族騎士ノブレスだろうが!」

「あ、はい。そういう……」


 別に素性がバレたわけではないらしい。アイカの正体を知っているルカとトリルは、互いに顔を見合わせて肩をすくめていた。


「ルカの斬撃でも骨を断てんということは、やはり力押しでは無理だな」

「骨の隙間を狙わなければなりませんね。袈裟懸けの時と同様です」


 細い隙間を狙うのに適任なのは、この中ではキャロルだ。加えて、細かい攻撃が可能であるのはルカか。トリルとアイカは、レイシアルの身体を押さえ込む役に回らねばならない。


 ちらり、とアイカは後ろを振り返る。ショウタが視線を逸らすのがわかった。

 彼の様子は、確かにちょっとおかしい。どこかよそよそしいところがある。出会った頃がそうであったと言えば、そうなのだが。


 まぁ、問いただすのは後だ。王都に帰ってからでもできる。今は、出来ることなら誰ひとりとして死ぬことなく、ここから生還しなければならない。


「――――――――――――――――――――ッ!!!」


 レイシアルが再び咆哮をあげた。再び魔法陣が浮かび上がり、氷槍が生み出されていく。小さく舌打ちをするキャロル。


「どのみち時間はない。トリルとアイカが抑え、私とルカでトドメを狙う。私が脳、ルカが心臓だ。狙えるな」

「………」


 ルカも頷き、剣を構えなおす。アイカは剣を納め、トリルの真横に並んだ。


 レイシアルが腕をなぎ払い、氷槍が投射される。アイカとトリルは、槍を避けるようにして前へと滑り込む。これの対処はショウタに任せるしかない。紅い双眸を、こちらに向けるレイシアル。雪が爆ぜ、風と混じりながら、アイカ達に向けて襲い掛かった。





 再度ショウタが障害物をぶつけ、氷槍による攻撃を阻止する。氷槍を潜り抜けるようにして、アイカとトリルが飛びかかるのを、ショウタはじっと眺めていた。おそらくは、あの袈裟懸けの時と同じ方法を取るつもりだ。過剰に硬質化した冥獣化個体の骨を切断するのはほぼ不可能である。で、あれば、骨と骨の隙間を縫うようにして、急所に一撃を見舞うよりほかはない。


 しかし、あの時は、


 ぎり、と唇を噛む。


 先ほど何度かあったアイカの窮地の際、ショウタは動くことができなかった。ゾルテとトリッシュの護りを命じられたから? それもある。だが、ずっと心の底にあるわだかまりのようなものが、滞留したまま汚泥のようにショウタの足をからめ取っているようだった。


 先ほどコンチェルトに言われたことを考える。


―――いつ、故郷に帰っても良いように、必要以上に仲良くしないというのなら、


―――その態度が正しいと、私は思わない。


 わかっている。わかっているのだ。いつか、別れの時は来てしまう。だが、


―――それが、死別ということもある。


 それだけは、御免だ。ショウタは額を押さえた。

 彼女との別れは来る。それだけは決して回避しえないものだ。ずっと一緒にいられたらなんて思っても、ショウタには帰らなければならない理由がある。最初からわかっていたことだ。それは殿下だって同じことである。別れの時は来る。来るのだ。


 でも、それは今ではない。今であっては、ならない。


 中途半端な思いが、唐突な死別を呼ぶのなら、そんなことは、あってはならない。


「おい、震えてるぞ。大丈夫か?」


 ゾルテが肩をゆすりながら尋ねてくる。ショウタは、いずれ来るであろうその時に張り裂けそうな思いを抱きながら、辛うじて頷いた。


「ええ、大丈夫です」


 この件が片付いたら、ちゃんと話そう。いつか故郷に帰らなければならないことを。そしてそのための手がかりをつかんでしまったことを。別れを恐れて一方的に距離を取るなんてアンフェアだ。すべてを話して、それで殿下がさっきまでの自分と同じ気持ちになったのなら、その時に改めて距離を置けば良いだけの、話である。


「あんた達、レイシアル伯爵を倒すのか」


 ゾルテが、トリッシュの肩を抱きながらそう尋ねた。ショウタはその時初めて、ふたりを振り返る。


「伯爵は、俺たちの親も同然だったんだ」

「はい」

「こんな形で、別れが来るなんて、思っていなかった」

「……はい」


 ショウタは頷いて、視線を前へと戻す。

 自分は生きている。彼女も生きている。それはきっと、幸せなことなのだろうと思った。


 大事な人との別れは、いつどこで訪れるのかわからない。後悔などは、抱きたくはない。


「倒します」


 ショウタは頷く。


「その伯爵だった方が、あなた達を手に書ける前にです」

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