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騎士王国のぽんこつ姫  作者: 鰤/牙
第一部 勇ましきあの歌声
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   第69話 故郷に捧ぐ歌(前編)

 なんなんだ、あの女は!


 レイシアルは、全身の痛みをこらえながら、なんとか通路を駆けていた。

 確かに、こちらの準備が万端であったとは言えない。だが、有利な条件はできていたはずなのだ。それをこうもあっさりと覆されるとはどういうことだ。一人の戦略級騎士と、十数人の戦術級騎士を無力化したのは、間違いなく自分自身の策略の賜物であり、たった三人に後れを取る理由など、ありえなかったはずだ。だというのに!

 このゼルガ山脈は、古来からずっと我がレイシアル家のものだった。はるか東から来た愚かな貴族どもが王国を築き、ここに巨大なダムを建設するまで、この冬山はすべて我々のものであった。どうしてあの連中は、ああも身勝手な真似ばかりしてくれるのか。


 ヘルマティオ・レイシアルは今まで耐えてきた。王国からの冷遇に。根雪の下で春を待つ草花のように、ただただじっと耐えてきた。ゼルガの山々を取り戻し、この凍れる山を再度レイシアル家のものとできるその日が来るのを。下準備を入念に行い、クーデターを成功させた。


 すべて奪ったのはあの女だ。


 殴られた頬が痛む。流れる金髪と緑色の髪。姿見こそ美しいが、あれはまさに蛮族だ。はるか東の帝国よりこの地を訪れ、レイシアル家からすべてを取り上げた、あの憎むべき公族の末裔だ。あの女にだけは負けるわけにいかない。レイシアル家の二度目の敗北を、グランデルドオ王家の人間に認めるわけにはいかないのだ。


『レイシアル……』


 通路を駆ける彼を、呼び止める影があった。足を止め、振り返る。


 そこには、ローブを目深に纏った例の男が立っていた。レイシアルは、ほっと安堵の溜め息をつく。


『ずいぶんとこっぴどくやられたようだな……』

「ああ、不覚をとった」


 努めて平静を装おうとはするものの、その口調は恥辱に震えている。


「脱走した騎士どもの動きはどうだ」

『おまえの指示通り、一部の貴族騎士ノブレスや獣魔たちに向かわせている……。が、連中はどうも、直接戦闘を避けているようだな……』

「ふん、陽動か」


 となると、やはりあの伝統騎士トラディションどもの仲間が脱走の手引きをしたに違いない。

 レイシアルの思考は、ここにいたりようやく、氷のような冷静を取り戻しつつあった。自身は不覚を取ったが、大勢はまだ決していない。逆転の目はある、というよりは、まだまだ優位はこちらに傾いている。兵の動きを、きちんと把握し指示を出すことができれば……、


「そういえば、オウガの冥獣化に成功したと言っていたな」

『うむ』

「それを動かせ。連中を一気に潰す」

『既に種は撒いてある』

「さすがだな」


 冥獣化個体の戦闘能力は、既に実証済みだ。オウガの冥獣化は発揮されるパワー自体が未知数ということもあって、要塞内で使用するつもりはなかったのだが、そうも言ってはいられない。ここで決戦兵力を投入し、一気に片づければ、まだまだリカバリーは可能である。


 このゼルガ山脈を、もう二度と他の者の手に渡したりはしない。


 決意を新たにするヘルマティオ・レイシアルの名を、ローブの男が背後から読んだ。


『レイシアル』

「む、なん……ぐッ!?」


 振り返る瞬間、ローブの中から男の腕が伸びる。レイシアルが反応するよりも早く、鱗の張り付いたその不気味な手が、彼のこめかみをわしづかみにした。細腕からは考えられないほどの膂力が、みしりと、レイシアルの頭蓋骨を軋ませる。

 一瞬の出来事に、レイシアルの理解は追いつかなかった。


「な、何の真似だ! 一体何を……!」

『おまえの負けだ。もう何をしても、連中の勢いは止められん。契約は、これで終了だ』

「ふざけるな! 私はまだ……」

『いや、おまえの負けだよ』


 くっ、くっ、という特徴的な笑いが、ローブの中から漏れる。


「私を殺すのか……! だが、私を殺せば、あのコンチェルトを再び野に放つことになる。いくらおまえでも……」

『心配するな。戦略級騎士は、力を封じたまま確実に処分する。そのためにも、おまえは殺すわけにはいかない。〝最後の実験〟に、付き合ってもらう』


 男はこめかみを掴んだまま、レイシアルの身体を通路の壁に押し付けた。しばらくして、鱗の張り付いた細腕から、黒い煙のようなものが、じわじわと溢れ出しはじめる。男はそこでようやくローブのフードを外し、そのおぞましい顔をレイシアルにはっきりと見せた。

 男の頭部は蛇そのものである。口元からちろちろと舌を覗かせ、その顔をレイシアルへと近づける。だが彼は、既に恐怖を感じる心さえも麻痺しつつあった。男の腕からしみ出す黒い煙が、少しずつレイシアルの正気を奪っていく。


「やめろ……やめ、ろ……!」

『礼を言おう、レイシアル』


 もはや意味をなしていない制止の言葉をあざ笑うかのように、蛇頭の男は言った。


『人畜未踏のゼルガ山脈は、我が軍団の潜伏と実験にはうってつけだった。おかげで、この国にもかなりの兵力を忍びこませることができたよ』

「アジダ……おま、え、は……!」

『おまえが憎んだこの国も、おまえが愛したこの山も、我が主が全て黒く染め上げる。さぁ、おまえもその身体を咬蛇王に捧げるのだ』

『ア……ア、アア………!!』


 アジダと呼ばれた蛇頭の男は、いよいよその全身から黒い煙――冥瘴気を噴き出していく。煙がレイシアルの全身を包み込むと、彼はわずかな痙攣の後にぴくりとも動かなくなった。これから最後の実験が始まる。

 ひと気の一切ない、通路の片隅に、冥瘴気に包まれた男の身体が横たわっている。

 瘴気がレイシアルの中に宿る魔力を食いつぶし、肉体と精神を作り変えていく過程を、アジダは興味深そうに眺めていた。





Episode 69 『故郷に捧ぐ歌』

FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 コンチェルト・ノグドラの部屋は、騎士将校用の居住区画に存在する。騎士提督と言うからにはそれなりに豪華な部屋なのか、あるいはコンチェルトの性格を思わせるような質素な部屋なのか、果たしてどちらだろうと思って踏み込んでみれば、


「前者でしたね……」

「そうですね……」


 ショウタは、道中なんどか会話を交わした伝統騎士と共に、そのようにつぶやいた。


 適度に整えられた調度品が並ぶその部屋は、〝それなりに豪華〟であった。アメパ堰堤要塞の居住区画では標準搭載とされる〝タタミ〟や〝フスマ〟などが置かれているほかは、マーリヴァーナ要塞線で見た騎士将軍アンセムの部屋とさして変わらない。壁には、おそらく特注品と思われる二振りの剣が飾られている。


「ルカを、そこに寝かせて……」

「了解です」


 ルカを背負ってきた伝統騎士がコンチェルトの指示に従い、タタミの上に彼女を横たえる。


「手当ては、任せた……。私はすぐに着替えてくる」


 そう言い、コンチェルトはふすまの向こうへ消えてしまった。伝統騎士達は、勝手知ったる、というわけでもないのだろうが、部屋の中に置かれている医療箱から包帯を取り出し、改めてルカの手当てを開始する。ショウタには特にできることがなさそうで、少しばかりもどかしい。


 それにどうも、この部屋は落ち着かない。


 タタミにフスマ、ショウタの故郷を思わせるものが多すぎるのだ。なるべく、意識すまいとしていた疑問に、自然と意識がいってしまう。

 ルカの言葉では、確かコンチェルトの亡き養父トオン・ノグドラがタタミを発案したと言われている。騎士王国に〝戦術〟の概念を初めて持ち込み、タタミを開発したというトオンは果たして何者なのか。コンチェルトにそれを尋ねればはっきりするのではと思う反面、少し怖い気持ちもある。


 もしもトオンが、ショウタと同じところからやってきた人間であるとするのなら、


 そして、トオン自身が故郷に帰ることができなかったのであるとするのなら、


 ショウタもまた、故郷に帰ることができないと、そうしたことを意味していることに他ならないのではないか。それを知るのには勇気が要る。

 今までは、自分は故郷に帰れるものだと、自然にそう思って過ごしてきた。だが、その前提が崩れるとなると。

 ショウタがグランデルドオ騎士王国に来てから三カ月ほど。もう、と言うべきなのか、まだ、と言うべきなのか。どちらにしても、まだ故郷への未練は消えずにいる。


「あまり、落ち着かない顔をしていますね」


 ルカの手当てをしていた騎士が、顔をあげて言った。ショウタは気まずくなって顔を逸らす。


「ああいえ、その……ルカさんの方は大丈夫ですか?」

「まだ目が覚めませんが落ち着いているようです」

「そうですか、良かったです」


 確かに、ルカはぐっすりと寝息を立てているようだ。手足の骨折部分には添え木が当てなおされ、包帯が巻かれている。全身に見えたはずの裂傷は、既に塞がりかけていた。伝統騎士の驚異的な治癒力を伺わせる。

 と、不意に、


 ぱちり、とルカが目を開けた。


「あっ」


 ショウタが声を挙げる。ルカはきょろきょろと視線を動かし、そのまま上体を起こした。


「あぁっ、ダメですよまだ。寝てなきゃあ」


 伝統騎士の片方が、彼女の肩を押さえ込む。

 ルカはショウタを見るなり、何か話そうとしたが、どうやら顎が動かないらしい。喉の奥から、辛うじて音が漏れてくるだけだったが、自らがしゃべれないのを確認し、おとなしく横になる。骨折していない方の腕をひらひらと振ってきたので、ショウタも手を振って返した。


「とりあえず、僕たちの作戦は成功です。今はコンチェルトさんのお部屋にいます。ここから、隠し通路を通って三階へ」

「………」


 ショウタの言葉に、ルカは頷く。


 ルカの瞳は、そのままショウタを見たまま逸らされない。落ち着かない気持ちになって、ショウタは思わず目を逸らした。こういうとき、師匠のような読心能力があればいいのに、と思ってしまう。ショウタは脳分野の発達区域的に、その辺の能力は会得しにくいらしい。


「な、なんです……?」


 別に、とでも言うように、ルカは目を逸らす。


 ショウタがもやっとした気持ちを抱えていると、奥のフスマが開き、着替え終わったコンチェルトが戻ってくる。蒼を基調とした鎧下制服には、白のラインと金の飾緒がアクセントとしてつけられている。鎧は動きを重視しているのか、最低限の関節部を覆うポイントアーマーに限定されていた。


「おまたせ」

「提督、ディム・ルカが起きました」

「ん……」


 伝統騎士の言葉に、コンチェルトは視線をルカの方へと向けた。


「おはよう、ディム・ルカ……。元気そうで何よりだ」


 こういうのも、元気の内に入るのだろうか、とショウタは思う。


「事情はショウタから聞いている……。そうだね、これから、えぇと……ディム・キャロル達と合流して、ダム制御区画の再制圧に向かうつもりだ。君は、どうする? 望むなら、ここで安静に寝ていてもらっても……構わない、かな。その方が安全だ」


 ルカは返答ができなかったが、その双眸でしっかりとコンチェルトの隻眼を見据えた。しばし、二人の女騎士の間で無言のやり取りが交わされたが、やがてコンチェルトは頷き、このような指示を下した。


「では、彼女も連れて行く。移動の準備を……」

「イエス・ディム」


 伝統騎士たちは、ルカを担架に乗せる。自ら身動き取れないルカは、少々もどかしそうではあったが、仕方がないとあきらめているのか、されるがままだ。ただ、運ばれるさなか、またもショウタの方をちらりと見る。責めるような、というわけではないのだが、何か心の中を見透かしたような目つきに、ショウタは得も言われぬ不安を抱いた。


 聞けることは今のうちに聞いておけと、そう言われたような気がしたのだ。


 コンチェルトは、壁にかけられた二振りの剣を腰に吊るし、部屋の隅に設置された隠し通路への扉を開いた。

 聞けること、聞きたいこと、か。

 ショウタは考え込む。確かに今、自分の中には中途半端な疑問が存在している。これを放置したまま、戦いに臨むなと、そう言っているのだろうか。コンチェルトに聞けば、はっきりとすることではあるのだ。


 騎士提督が隠し通路への扉をくぐろうとしたその時、ショウタは、意を決して口を開く。


「あの……、コンチェルトさん」

「……?」


 くすんだ鋼色の髪がふわりとたなびいて、コンチェルト・ノグドラは振り返った。他の騎士たちも、視線をショウタに向け、ルカだけが溜め息をつきながら天井を眺めている。


「ああいえ、あの、こんなタイミングで申し訳ないんですけど、実は、聞きたいことが……」

「ん……」


 コンチェルトは顎に手をやって、首を傾げた。


「それって、重要……?」

「えぇと、作戦においてはそんなでもないです……」

「君にとっては……?」

「それなりに……」

「じゃあ、聞こう」


 コンチェルトはあっさりと頷き、ルカの担架を抱えた伝統騎士達に視線を向ける。


「君たちは、先に上がっていて。すぐに追いつく。三階まで到着したら、通路内で待機……。私たちが行くまで、動かないこと……。良いね?」

『イエス・ディム・キャプテン!』

「結構。じゃ、またあとでゲット・グローリー


 相変わらず覇気のない激励と共に。騎士提督コンチェルト・ノグドラは手を振った。

 そのまま、くるりと振り返って、ショウタと視線を合わせる。


「君は……命の恩人ということになっている。借りを引きずるのは好きじゃないから……、早めに清算しとこうと思って」

「あ、はい。えっと……」


 コンチェルトのそっけない言葉に出鼻をくじかれることもなく、ショウタは思考を巡らせた。

 一体、何をとっかかりに尋ねればいいだろう。やはり、あの歌かな。


 コンチェルトが捕まっていた隠し牢の前で聞いた、あの歌だ。あれは、ショウタの生まれ故郷にある、〝ふるさと〟をうたう歌だった。何故、コンチェルトがそれを知っているのか、まずそこから聞いていきたい。


「……父さんのことかな」


 だが、先に切りだしてきたのは、なんとコンチェルトの方だった。


「えっ、あの……えっ?」

「君の名前は珍しいから……。そうなのかな、って、思っただけ。……図星?」


 飄々としたコンチェルトの言動は、その感情の色合いがはっきりとしない。だが、改めて尋ねなおされ、ショウタはゆっくりと頷いた。コンチェルト・ノグドラの父、トオン・ノグドラ。彼は、果たして一体何者なのか。それを知りたい。


「名前のことを聞いてきた……ってことは、トオンさんは別の名前があるんですね?」

「うん……。トオノ……なんだったかな。一度聞いたきりだから覚えていないけど、トオン・ノグドラは、自分の本当の名前を忘れないための偽名だって……聞いたよ」


 トオノ。ショウタの故郷では、普遍的な姓のひとつだ。パズルのピースが、ひとつひとつ埋まっていく感覚がある。ショウタは、自らの動悸が早くなるのを感じた。


「……先に言っておくけど、私は、父さんの事情を本人の口から、聞いたわけじゃないよ。ただ……」

「た、ただ……?」

「ただ、そう……。父さんはどこかに帰りたがっていたように見えた……。君の生まれが、父さんの帰りたがっていた場所だっていうなら……。私は、その話をしよう」

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