第63話 反撃
ようやくくたばったか。手こずらせやがって。
動かなくなった女騎士の姿を見て、ヒルベルト・ゲイロンはため息をつく。たった一人でオウガに立ち向かうとは、無謀な奴だった。気丈で器量よしと、ゲイロンからしてみれば、是非泣かせてみたい女ではあったのだが、それを考えるといささか、もったいないような気はした。
コンチェルトのように、地下に繋いで根を上げるまで飼ってやることができれば、それだって良かったのだが。
いや、死体は死体でさすがに使いでもあるだろうが、さすがに原型を留めさせておくような器用さを、オウガに期待することはできない。この地下牢も、激戦の果てにだいぶ崩れてしまった。修繕には時間がかかるだろう。
さっさと骸を片づけ、地下へ向かった連中の後を追うか。部下に嬲られるコンチェルトの姿を見れば、この苛立ちも収まるだろう。そういえば鼠が一匹、入り込んでいたはずだが、まぁ、どうせ一人だ。この女と同じ末路を辿る。
ゲイロンが、オウガに死体の処分を命じようとした、その時だ。ふとした違和感に気付く。
違和感の正体は視線だった。周囲から突き刺さる、槍のような視線。牢に閉じ込めた騎士達が、鉄格子を掴み、その眼を一斉にこちらへ向けていた。ほんの数瞬前まで漂っていた、無力感や恐怖といったたぐいのものは、微塵も漂ってはいない。
「(なんだ、これは……)」
ゲイロンの苛立ちは収まるどころか、一層濃度を増していく。瓦礫の中に埋もれているはずの、女騎士の亡骸を見やった。一方的な力の行使、圧倒的な暴力による蹂躙。こちらのやることは一貫していたはずだ。最初に、生意気な騎士を見せしめに殺したその瞬間、連中の目から光は失われたはずだった。
その時と今、一体何が違うのか。
確かに女騎士は善戦した。だが、それでも無残に命を散らしたのだ。いきり立ったところで、同じ末路を辿るのは目に見えているはずである。連中の目に灯る闘志の正体はなんだ。あの女騎士に死にざまに感じるところでもあったというのか?
ゲイロンは、一切の実害を被ってはいない。だが、一度服従させたはずの奴隷たちに、叛意の込められた視線を向けられるのは、これ以上ないほどの屈辱だった。
もう一度見せしめが必要か。ゲイロンが片手をあげ、オウガに再度の命令を下そうとしたときである。
轟音と共に、隠し牢へつながる通路の扉が、たやすくはじけ飛んだ。
Episode 63 『反撃』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
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その戦いぶりを目の当たりにすれば、コンチェルト・ノグドラが騎士王国に名だたる戦略級騎士がひとり。すなわち、あのアンセム・サザンガルドと肩を並べる最強の騎士であることを、誰もが認めざるを得なかっただろう。身体能力を100分の1に抑え込むという拘束術式は、一体のオウガを屠る上で、何のハンディキャップにもなっていなかった。
まさしく瞬殺という言葉がふさわしい。対峙した時、オウガの巨体が放っていた威圧感ごと、踊るような二刀が切り裂いた。オウガの身体がゆっくりと崩れ去り、切断された五体が床にごろりと落ちていく。
「あのう……」
「ん?」
剣を振り、血を飛ばすコンチェルトに、ショウタは後ろから話しかける。
「弱体化されてたんじゃないんですか……?」
「されていたよ」
されていて、アレか。ショウタは呆気にとられてしまった。以前、アンセムと話をした時のことを思い出す。戦略級騎士が最前線に立つとは、すなわちこういうことなのだ。もう全部、この人で良いんじゃないかなと思ってしまう。
いや、いや。ショウタはかぶりを振った。その考え方こそが危険だと聞いたばかりではないか。微力であっても、コンチェルトのサポートをしなければならない。
「さて、」
コンチェルトの海色の隻眼は闇の中でひときわ強く輝き、オウガと共に地下牢へ降りてきた数名の男女へと向けられる。ショウタも、続いてそちらを向いた。
彼らは心を恐怖に支配され、ゲイロンに恭順の意を示した者たちだ。オウガが瞬殺される、まさにその直前まで、彼らは命じられたままにコンチェルトをいたぶろうという、仄暗い意志に支配されていたに違いない。
だが、オウガがあっけなく打ち倒されたとき、彼らは騎士提督に叛意を抱いた、哀れな裏切り者でしかなかった。それまでとは比べ物にならないほどの恐怖と後悔に、心中が支配されたような、そんな顔をしていた。彼らを見る、騎士提督コンチェルトの表情は厳しい。
一方、ショウタは騎士ではない。彼らの気持ちをよく理解できた。騎士の掟がなんであれ、騎士の誇りがなんであれ、彼らの行いは仕方のないことだったと考えられる。コンチェルトがどのような行動に出るのか、ショウタははらはら見守った。目の余るようなら、止めるつもりもあった。
コンチェルトは、二刀を鞘へ納める。彼らへと足を向け、短い距離を詰める。びくり、と肩をすくめる彼らの前に立つと、騎士提督は短くこう言ったのだ。
「すまなかった」
謝罪と共に、頭を垂れる。くすんだ鋼色の髪が、ふわりと動いた。
「え……?」
動揺を見せる彼らとは対照的に、ショウタはわずかにほっとした。
コンチェルトは続ける。
「このような状況を許したのは私の失態だ。君たちにはつらい思いをさせた」
簡潔な言葉だったが、その中に許しを求める言葉は一切入っていない。それがどのような意図によってかは、直後にわかる。
「もっとも、けじめは必要だ。私にも君たちにも。その沙汰はすべてが終わった後にしよう」
コンチェルトは、顔をあげて優しく微笑んだ。
「それで、良いかい?」
返答は無言であったが、その笑みに応じるかのように、一斉に取り粉われる騎行敬礼が、彼らの心中を雄弁に物語る。彼らの態度が現金だとは、ショウタは思わなかった。よしんば思ったとしても、追及はしなかっただろう。自らの図々しさは、彼らが一番自覚しているはずだからだ。それを恥じて自らの首を撥ねるのが騎士道であると言うのなら、公正な審判が下るまで生き恥を晒せと言う上官の命令に従うのも、騎士道であるのだろう。その辺、解説してくれる殿下もいないので、ショウタは何も言わない。
コンチェルトは、すぐさま表情を引き締め、ショウタへと振り返った。
「待たせたね。急ごう。上では、騎士が一人戦っているんだろう?」
「え、ええ……でも……」
ショウタは一瞬口ごもったが、すぐにかぶりを振った。
「はい。急ぎましょう」
急げばまだ、間に合うかもしれない。正直なところ、ルカが死んでいるかもしれないという実感は、ショウタの中には沸かなかった。オウガの戦闘能力を、直接目の当たりにしたわけではない、という理由はある。少なくとも、コンチェルトがわずか数秒で葬り去ったこの獣魔の姿に、脅威は感じなかった。
だがそれ以上に、あの自信に満ちたルカの笑みが、脳裏にこびりついて離れないのだ。
ショウタとの別行動を認可した、アリアスフィリーゼの誤算がここにある。
ショウタ・ホウリンは、グランデルドオ騎士王国へ訪れて以来、幾度かの戦闘を潜り抜けた。その中には死線と呼びうるものもいくつかはあり、無視できない犠牲者を出した戦いもあった。が、事がここに至るまで、ショウタは身近な人間の死というものを、一切経験していなかったのだ。
ショウタの育った国は平和であった。彼自身はその中で、決して平和とは言えないいくつかの争いには巻き込まれたが、その中で身近な死者を出すことはなかった。戦いの中で、誰かが惨たらしく死ぬかもしれない。そうしてそれが、つい先ほどまで言葉を交わしていた人間かもしれないという可能性を、ショウタは実感として理解していないのだ。
決して現状を楽観しているわけではない。ショウタは真剣そのものだ。
ルカが今、死んでいるかもしれないという事実を、頭では理解している。だが、その事実の意味するところまでは、彼はわかってはいない。
コンチェルト・ノグドラを先頭に、ショウタと騎士達が階段を駆け上がる。
そう、戦場で一度別れた相手に、再会できる保証などどこにもない。ショウタはそれを理解していないのだ。そしてそれは、彼と共に幾度と窮地を潜り抜けてきた姫騎士アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオであったとしても、例外ではない。死別は誰にでも訪れるという恐怖を、ショウタはまだ知らないのだ。
「地下牢に出る! 総員、剣を構え!!」
階段の突き当り、勢いを殺さぬコンチェルトの拳が、鉄扉を強引に叩き割った。
「妙だな」
通路を駆けながら、キャロルがつぶやく。彼女の言葉に、トリル・ドランドランも頷いた。
「ああ、兵の配置が少なすぎる……。というよりも、ここまで一人も見かけていない」
「人手が足りないのではないですか?」
アイカが正直に考えを述べるが、キャロルはすぐにかぶりを振った。
「少なくとも獣魔を手足として使うところは確認されている。見張りを置かない理由にはならんな」
「そうですよね……」
三人は足を止める。
彼らの目的は、ダム区画の制圧である。隠し通路からの潜入、時間を待っての進軍開始は、ほぼ作戦通りの進行だ。戦術級騎士三人の超少数精鋭であれば、その進軍速度は、同戦力の平騎士をかき集めるよりもはるかに速い。敵がコボルトやゴブリンといった、小型獣魔であるならば、この三人で十分対応が可能であるはずだ。
だが、こうも敵に出くわさないとなると、かえって訝しくも思う。
「こちらの動きが、既に察知されているのでしょうか」
アイカが、緊張感の滲む表情で、喜ばしくない可能性を口にする。
相談を続けながらも、進軍の足は緩めない。足音と鎧が軋む音を完全に殺しながら、それでも最低限の移動速度を保ちつつ、三人は廊下を進んだ。
「可能性は否めんな……」
キャロルも愛用のレイピアの柄を構えなおして、言った。
この作戦においては、撤退が許可されている。全滅という最悪の事態を防ぐためだ。進むか、退くか。その判断は、指揮官を任されたキャロルに一任されている。
だが、キャロルには歩調を緩める気配はなかった。アイカとトリルも、黙々、それに従う。
「ルカとショウタは、上手くやっているかな」
キャロルはぽつりとつぶやいた。
別働隊である彼らが、幽閉された騎士達の解放に成功すれば、こちらもぐっと動きやすくなる。が、そうした気配は今のところない。彼らも無理とわかれば引き返してはくるはずだが、それすらないということは、作戦の進行が遅延しているか、あるいはリカバリーのできない致命的なミスを犯しているかの、どちらかとなる。
敵の手に落ちているか、既に死んでいるケース。これがもっとも最悪だ。こちらの動きも相手に気取られるし、そうした相手がダムの決壊を起こす可能性すらある。今はまだ、いずれとも判別がつかないのが、厄介であった。
「アイカ、」
キャロルが振り返りながら尋ねる。
「ショウタから何か届かないのか。こう……テレパス的な……」
「私は魔力がないので、その、そうした便利な芸当は……」
「む、そうか……」
アイカは建前上貴族騎士であるから、期待されたのだろうか。少し申し訳ない気分になってトリルを見る。彼も肩をすくめていた。
他国では、こうした特殊任務の際、特別な訓練を積んだ通信魔法士が随伴すると聞く。離れた場所でも連絡が取れるというのは、さぞ便利なことなのだろう。アイカやキャロルは、それがないのが普通である環境で育ってきたため、特別不便さを感じることはないのだが、ショウタは時折もどかしそうな顔をしていた。
「二人も無事だと良いのですがな」
トリルがぽつりとつぶやく。アイカは頷いた。まったく、その通りだ。
アイカは、ショウタのことを一人の戦士として認識した。だからこそ別行動を認可したのである。が、それは常に、不慮の事態が発生しうるということは、念頭に置いておかねばならなかった。相手を信頼することと、現実から目をそらすことは、同義ではない。
死ぬかもしれない。ショウタか自分の、どちらかが。その可能性は常に付きまとうのだ。
それを思った時、胸中が確かに冷え込むのが、アイカにはわかる。ショウタにはまだまだ生きていて欲しいという思い、一緒にいてほしいという思いがあった。だが今は、それを心の棚に放り鍵をかける。戦いには、必要な未練と邪魔な未練があって、これはどちらかと言えば、後者だ。
ショウタもいつか、彼の国へ帰ってしまう。しかし今は、その時ではない。
別離の時は、まだ先だ。先の、はずだ。
アイカが、ガントレットで強く拳を握った、その時である。
先頭を歩くキャロルの足が、ぴたりと止まった。油断なく同田貫を構える彼女の姿を見て、アイカとトリルはすぐさま察する。アイカも、腰に下げた三日月宗近に、トリルもまた自らの愛剣に手を伸ばし、息をひそめる。
「……待ち伏せされたか?」
ぽつり、とキャロルがつぶやいた。
「それは後ほど思案しましょう。今は切り抜けます」
「ああ」
「承知」
一同の視線は、通路の先、わらわらと集まりつつあるコボルトの集団に向けられている。静まり返っていたはずの通路を、喧騒がつつみつつあった。周囲の扉が開き、奥からはゴブリン達の視線がこちらに向けられている。いずれも小型獣魔だ。オークやオウガのような大型個体は見られない。
「まずはゴブリンどもの頭を潰す。一掃してからコボルトだ」
キャロルの指示に、二人は短く頷いた。
ここに時間をかけてはいられない。すぐさま片づけて、目的地の制圧に向かう。キャロルが床を蹴る音を合図にして、三人の騎士は一方向へ向かって跳ねた。




