調査開始
日中だというのに薄暗い。外なのに空気が澱んでいて、息苦しさを感じる。四方にそびえる窓もないビルの壁は、実はゆっくりと動いていて、人間を押し潰そうとしている。そんな圧力さえ感じる陰気な場所に、彩那は立っていた。自分の通学路、とはいってもほとんど歩いた事はないのだが、そこから横道に一本入っただけで異国のように雰囲気が違う。
彩那は周囲を見渡し、自分以外誰もいないことを確かめてから、カバンに手を入れる。目当ての物が手に触れ、感覚を頼りに掴む。取り出したのは手のひらサイズの、正方形と半円を組み合わせたような奇妙な箱だ。半円部分は透明で、中にさらに小さな半円がついている。三百六十度映せるカメラに似た形だ。実際彼女がこれから行おうとしている事は、カメラを取る事に似ている。手のひらに載せた箱を掲げ、側面についているボタンを押す。
「きゃっ」
中の小さい方の半円がフラッシュのように一瞬光り、辺りを照らす。光をまともに見てしまった彩那の目が眩んだ。
「フラッシュ焚かれるなら先に説明しなさいよ、もう」
頭を振りながらここにはいない陰気な男に悪態をつく。しばらく目をしばたたかせていると、ようやくぼんやりと周囲が見え始めた。改めて辺りを見回し、彩那は息を飲んだ。
先ほどの光景と雰囲気が一変していた。無機質で冷たい印象を与えていたビルの壁のいたるところに巨大な傷跡があった。猫の引っかき傷に良く似ているが、そんな猫がいたらたちまち大騒ぎになっているだろう。
傷の大きさは小さな箇所で既に猫三匹分、一メートルほどの長さがある。大きな箇所のものは人の身長を優に超える。長さもそうだが、削り取られた爪の厚さもまた凄まじい。握りこぶしほどもあるのだ。傷ついた壁の傍にはその削り滓が落ちている。思わずそれに手を伸ばした。触れた瞬間、手を引っ込めた。返ってきたのは冷たく、固いコンクリートの感触だ。ちょっとやそっとでは削れもしないだろう。もしかしたら劣化して、脆くなっているかもしれない。なら、削れても仕方ない。自分を納得させるための、そんな想像は簡単に裏切られた。
「ウルヴァリンでも現れた・・・?」
冗談じみた光景は見た人間に冗談を引き出させる。冗談を言うしかなくなるらしい。知らず、この光景を映し出した箱を、彼女は固く握り締めていた。
「犯人探しだ」
首環を外す条件として坂元が彩那に提示したのは、自分の仕事の手伝いをさせる事だった。
「三日前に、三人の男が病院送りにされた。そいつらをぼろ雑巾みたいにした犯人を捜してくれ」
「ちょっと待ってよ。そんなの暴力事件でしょ、警察の出番じゃないの?」
「残念だが、事件じゃない。だから警察は動いてない」
「事件にならないわけないじゃない。人が三人病院に搬送されたんでしょ? ニュースになるレベルよ」
なら聞くが、と坂元が問う。
「ニュースでやってたか? 新聞でも、テレビでも、ネットでもいい。人が三人搬送された事件を取り扱ってたか?」
見てないけど、と彩那は口を濁した。見た記憶も聞いた記憶もない。
「表に出てないなら、それは事件じゃない」
「何よ、その不正をもみ消す権力者が言いそうな台詞は」
「ただの事実だ。事件てのは、事が起こったから事件なんじゃない。人が騒ぐから事件になる。誰も気づかない事件は事件じゃないんだ」
「でも、騒がれてないのは何か変じゃない? そもそも、どうして事件にすらなってない件をあなたが知って、調べているの?」
「へえ、何でもかんでも答えだけ欲しがる子どもじゃなかったか」
「馬鹿にしないで。こんなの誰でも思いつくことよ」
そりゃ失敬と坂元は肩をすくめた。
「理由は簡単だ。この件はお前のような人間が関わっている」
「私みたいな・・・もしかして」
「そうだ。能力を保有している。僕らはお前や、ポートにいた連中の存在を隠しておきたい。それこそ事件になるからだ」
「ちなみに、いつまで隠し通すつもりなの?」
「お前みたいな頭の固い連中の頭が軟化するか、この世からいなくなるまでだな」
「永遠にこなさそうね」
「どうかな。お前が知らないだけかもしれないぜ」
含みのある笑みを浮かべる。小馬鹿にされているようで面白くない彩那は、ふんと鼻息荒く話を切り上げて、本題の続きを促した。
「とにかく、公にはしたくない。面倒くさいからだ。だから、事件そのものをなかった事にした。搬送された病院は都合のいい事に僕らの身内が経営していたし、警察よりも先に処理班が事件の証拠を目に見えないように消した。だから、表沙汰になってない」
「搬送された男性って生きてるの?」
「一応な」
「じゃあ、遅かれ早かれ、事件になるでしょ? 本人が騒ぐんだから」
「それも心配ない」
「・・・口を封じるつもりなの?」
こいつらならありえると彩那は危惧した。彩那の質問に、坂元は意地の悪い笑みを返すだけだ。
「とにかく、お前は僕の課題をこなせ。犯人を探し出して、僕の元に連れて来い」
坂元が事件の概要を語る。
事件は三日前の夕方十八時ごろ。現場は彩那が通うスメラギ女子大付属の近くだ。自分の生活圏内で事件が起こっていたことにも驚きだが、何も気づかなかったというのも驚きだった。生徒会長などやっていると、生徒の話を良く耳にする。事件などという刺激を生徒が見逃すはずがない。が、そんな話は出回っていない。坂元たちが上手く『隠した』という事だろう。
また、彩那はここにきて、一つの推測を頭に思い浮かべていた。
「ねえ」
「ん?」
「もしかして、犯人ってうちの生徒?」
お、という顔で坂元が彼女を見た。
「さっき、その、ポート、だっけ、にいた時ルシフルって人が、私の学校云々のことを話してた。学校があなたの調べてる件と関係してるって」
「犯人と決まったわけじゃない。何一つ確証がないからな。ただ、何か関係している人間がいる事は確かだ。現場にこいつが落ちてた」
坂元が机に小さなバッジを置いた。両足で立つ獅子が彫られた校章。スメラギ女子大付属のものに間違いなかった。
「女子高調べるのは、さすがに男の僕じゃ敷居が高くてね」
「あなたみたいなのが近くをうろついたら、すぐに警官が来るわね」
「来るわね、じゃない。来た」
「え?」
「通りかかっただけで守衛に警戒されて、多分通報されてる。その後職質を受けたからな。何とか切り抜けたが」
「嘘でしょ。冗談だったのに」
「こっちは冗談じゃなかった。で、僕なら警戒されているが、お前なら警戒どころか、全員喜んで話をしてくれるだろう」
「まずは、落し主を探せ、ってことね」
坂元は頷き、また何かを取り出して、机に置いた。上部が透明な半円状になっている箱だ。
「これを持ってけ」
「何これ」
「真実を映す鏡、現代版だ。これを現場で使えば、僕たちが隠した事件現場の本当の姿が見れる。一度見てくるといい。ルールを守る大切さが良くわかるだろうよ」
「どういう事?」
「行って、見て、感じて来いよ。僕がうんちく垂れるよりよっぽど良い。・・・あ、それと」
タブレットを取り出し、画面を操作して彩那に手渡す。
「能力の限定解除許可証だ。そこに書いてある説明をよく読んで、末尾に名前を書け」
「また、変な首環つける気じゃないでしょうね?」
「逆だ。僕の権限で、お前の能力をある一定の条件化なら使っても良いと許可する。たとえば、暴漢に襲われて命の危機が迫ってるときとか、事件解決のためとか」
「そんなの、どうやって判断するの? 大切なときに使って首が絞まるとか嫌なんだけど」
「大丈夫だ。人間の想像も及ばないような最先端テクノロジーによって判断されるからな」
「・・・それって、あなたもわからないって事じゃないの?」
仕方なく、彩那は調査に乗り出した。首環を外すために。
さっさと終わらせる。自由を取り戻す。そう意気込んで現場に到着し、真実を映すという鏡を使い、真実を見た。
戦慄が走った。自分の能力などかわいいものだ。この力に人間が晒されたら、ぼろ雑巾にもなる。圧倒的な暴力の痕跡だった。
ルールを守る大切さがわかる。
坂元が言った事が少しわかった。こんな力を枷もなく振るわれたら危険すぎる。かといって、自分のこれまでの行いをすぐさま反省するような可愛げは彩那にはない。人は人、自分は自分。自分は上手く使っていると今も思っている。
「ん? ちょっと待ってよ・・・」
今更ながら、とんでもない事に彩那は気づいた。
もしかして、こんな力を持つ人間を探せというのか? こんな、大の男をぼろ雑巾にする奴を? 無理難題にもほどがあるんじゃないか?
坂元の話に最終的に乗ったのは間違いだったのか。あの時は悔しさと怒りで、奴を見返すために話を聞くことを選択したが、こんな話になるなんて聞いていない。坂元に言わせれば「今話しただろ?」なんだろうが。
「はめられた・・・」
歯を食いしばり、天を見上げた。四角に切り取られた空は、ゆっくりと雲がかかりだしていた。
続きを書かせて頂きました。
自分がこれまで考えた事のないキャラクターを作るのってこんなに難しいのだな、と痛感しております。
しかもスポット出演ならまだしも、話の中核というか、主役に据えてしまった。
うん、やばいね。ヤヴァイ・・・
なぜこんな挑戦をしてしまったのか理解に苦しむぜ。過去の自分・・・
さておきここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。
またよろしければ、次回も遊びに来てください。
お待ちしております。
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