27.それでも、俺は
「……嫌だ」
俺はユリシーズの目を見て訴える。
「俺は帰らない」――と。
ユリシーズの気持ちを知っていながら。己の無力さを自覚していながら、それでも――と。
「でも……お前の言うことも理解できる。セシルとグレンがいればリリアーナは大丈夫だろう。リリアーナに、今の俺はきっと必要ない。そんなことはとっくにわかってるんだ」
「ならどうして? 僕らがここにいるのはリリアーナが心配だったからだろう? 君はリリアーナを守りたくて、ここまで付いてきたはずだ。でも今の君にその目的は果たせない。もしまた君が倒れたとき、一番傷付くのは誰だと思う? それは僕じゃない――リリアーナだ。君の最も大切な彼女が泣くことになる。君はそのことを、本当に理解しているのか?」
ああ――そうだ。ユリシーズの言うことは正しくて、いつだって正論で、一つも間違っていなくて。
ユリシーズは俺のこともリリアーナのことも、とても大切に思ってくれている。
その気持ちは、痛いほど伝わってくる。
でも、それでも俺は諦めたくない。この場所から逃げ出したくない。
「――アレク。悪いことは言わないよ。一度王都に戻って、そこで魔法の練習を再会したらいい。五日でこれだけできるようになったんだ。あと一ヵ月も練習すればもっと上手に魔法を使えるようになるよ。次のことはそのあと考えたっていいじゃないか。幸い国境の瘴気の浄化は順調に進んでいるみたいだし、それが終わればリリアーナも王都に戻ってくる。だから、僕らは一足先に帰ろう? 僕は……君の身体が心配なんだ」
そう言って、俺をまっすぐに見つめるユリシーズの瞳。
その強い眼差しに、俺は一瞬気圧されそうになって――けれど、どうにか首を振る。
「それじゃあ駄目なんだ」
「何が? どうして駄目なの? 何か他に理由があるの? あるなら、ちゃんと説明してくれなきゃわからない」
「悪い、説明はできない。でも一つだけ言えることがある。……王都には、ロイドがいないってことだ」
「…………」
「俺の身体のこと……俺自身にもよくわからないし、いつからこうだったのかもわからない。生まれつきなのか、後天的なものなのかすら。でも、誰ひとり気付かなかったことにあいつだけが気が付いた。だから俺は、この身体をどうにかできるのはあいつだけだと思ってる」
――だから、と、俺は続ける。
「お前の気持ちは嬉しいけど、俺は帰らない。リリアーナのこと抜きにして……俺は、俺自身のためにこの身体を治したいんだ」
「…………」
「ごめんな」
俺が謝ると、ユリシーズは俺に一歩も引く気がないことを悟ったのだろう。
それ以上は何も言わず、けれど納得はしていない様子で、部屋から出て行った。
俺はその背中を見送り、再び眼下の街を見下ろす。
そして、今しがたユリシーズに言われた内容について考えた。
実際問題、俺の身体はあと数日で何とかできるようなものではない。
俺の今の魔法では魔力を消費しきるには至らないし、それができなければロイドの力を借りることもできない。
ロイドに治してもらわなければ、俺はラスボスへの道を進むことになってしまう。
そうなれば、その先に待つのは"死"だけだ。
だがそこまで考えて、俺はふと気が付いた。
俺の運命がリリアーナに殺されることだと言うのなら、逆に言えば、俺はリリアーナに殺されるまで死なないということになるのではないか?
自殺なんかは別にして、リリアーナや攻略対象者の関わらないところでは、俺に死亡フラグは立たないのではないか?
――だとしたら……。
「……なんだよ、もっと早く気付けばよかった」
絶対的な保証はないけれど、それでも試す価値はある。
たとえ失敗しても、きっと死ぬほどのことにはなるまい。
(そうと決まれば善は急げだ)
もしユリシーズに知られれば、絶対に止められてしまうだろうから。
今夜のうちに片を付けなければならない。
俺は自室を出てロイドの部屋へと向かった。
何度か扉をノックすると、眠気まなこのロイドが扉の隙間から顔を覗かせる。
「ロイド、悪い。こんな時間に」
「……ん~? ……どうしたの~?」
「お前に頼みがあって。入っていいか?」
「ん……どーぞぉ」
この時間だ。ロイドは当然寝ていたのだろう。
大きなあくびをしながら、ロイドは俺を中に入れてくれた。
月明りだけが差し込む暗い部屋で、俺たちはベッドに並んで座る。
「……それで……頼みって……何? 僕…………眠い」
「ああ、そうだよな。悪い、手短に言う。――ロイド、俺に魔法を使ってくれないか? 魔力の滞りを治す魔法を、今すぐ俺に使ってくれないか?」
「…………え…………?」
するとロイドは眠気が覚めたのか、パッと両目を見開いた。
その顔が珍しく真顔になり……暗闇の中で俺を見上げる。
「本気?」
「ああ、本気だ」
「死ぬかもしれないよ?」
「わかってる。わかってて頼んでる」
「…………」
探るような目で俺を見つめるロイド。
その唇が、微かに嗤った。
「いいよ」
そう言ったロイドの瞳は、まるで坑道で初めて会ったときのように、妖しく微笑んでいる。
「君の頼みを聞いてあげる。でもこれだけは伝えておくね。――今から僕のすることは、この世界で誰もやったことのないことだ。君の中の閉じた魔力の通り道に、無理やり僕の魔力を注ぎ込んでこじ開ける。きっとものすごく痛いよ。痛くて痛くて、いっそ殺してほしいと思うかもしれない。どれくらいかかるかもわからないし、成功しても何日も痛むかもしれない。後遺症が残るかもしれないよ」
「…………」
「答えて、アレク。今の話を聞いても、君の決心は揺らがない? 君には本当にその覚悟がある?」
「…………」
正直言えばすごく怖い。怖くないはずがない。
それでも――俺の決心は揺らがないから。
俺が頷くと、ロイドは納得したのだろうか。
すくっとベッドから立ち上がり、どういうわけかクローゼットを物色し始めた。
いったい何をするのかと見ていると、戻ってきたロイドの手に握られていたのは、数本のロープとフェイスタオルで……。
――何だか、とても嫌な予感がする。
「……え。お前、それ何に使うの……?」
恐る恐る尋ねると、満面の笑みを浮かべるロイド。
「もちろん、これで君を縛るんだよ。途中で暴れられたら困るからね」
「――!?!?!?」
俺は戦慄する。
「なっ……、何もそこまでしなくてもいいだろ……!?」
「しないとダメ。手足四本ともベッドに括りつけるからね。あと口も塞がないと。君の叫び声で誰かが駆け付けてきても困るし、食いしばって奥歯が割れるのも防がないと」
「い……嫌だッ! 俺、ちゃんと耐えるから、それだけはやめてくれ……!」
「えー? 今さらそんなこと言っちゃうの? 君が縛られてくれないなら、僕も君の頼みは聞けないよ?」
「……ッ」
(こいつ……鬼畜すぎる……! )
――ああ、だが、こんなことで時間を食っている場合ではない。
俺は、今夜中に片を付けると決めたのだから。
俺は仕方なく承諾する。
「わかった。だがこれだけは約束してくれ。――俺は痛みに気絶するかもしれない。すぐに目を覚ますかもわからない。だから、全てが終わったとき俺が目覚めなかったら、お前がロープを外してくれ。すぐにだ。……俺は、他の誰かにそんな屈辱的な姿を見られるのは……絶対に耐えられない」
「うん、そうだね。僕も、できればそういうのは一人で楽しみたい方だし」
「…………」
ロイドの笑みに、俺の心は不安でいっぱいになる。
俺はもしかして選択を間違えたのではないか? ――と。
(いや……でも、今はロイドに頼るしか……)
俺はベッドに這い上がった。
そしてロイドの手によって……手足をベッドに縛られ、口を塞がれる。
前世の記憶も含め、人生で最も屈辱的な気分を味わいながら……。
――ああ、でも、今だけだ。少しの間だけ……痛みに耐えれば……。
今夜だけ……耐えれば……。
「じゃあ、始めるよ」
その声と同時に、ロイドの両手が俺の身体に触れる。
瞬間、触れられた場所に刺すような痛みが走り――それが全身に広がって……。
「――――ッ!!!!」
あまりの痛みに、声にならない悲鳴を上げる。
そして俺はあまりにもあっさりと、意識を手放したのだった。




