夜の葛藤
「んぅ………」
来海の口から、寝ているがゆえにトロンとした甘い声が漏れ出る。しかも、唾液混じりの水音。
来海の頭が乗っかっている俺の肩が思わず跳ねそうになるが、来海の頭を揺らすわけにはいくまいという涙ぐましい使命感により、何とか耐えた。
相変わらず俺の腕は絡め取られ、母性の象徴が無防備にも薄い生地越しに押し付けられていた。
もはや、来海の抱き枕と化している俺。
興奮するな、という方が無理な話だ。
「んん………」
「…………はあ…」
俺がこんなにも葛藤しているというのに、眠り姫こと来海は、すやすやと子供のように眠っていた。
たく、こっちの気も知らないで。
あー、もう可愛いよ。こんちきしょう。
きちんと閉じられている桜色の唇に、俺は思わず視線が吸い込まれる。部屋の灯りは消したが、目も慣れてきて、至近距離で俺は彼女の顔を眺めていた。
伏せた長い睫毛に、綺麗なリップ。
もうこんなんキス待ち顔じゃないか……?
思わず唇にキスしたくなかったが、流石になあと思った。多分来海なら怒らない……というか、そのまあ、喜んでくれるとは思う……などという自惚れもあるけど。
でも、今日は自重しておこう。
今日は、首筋やら肩やら俺の好きにしてしまったし。
それに………恋人になってから初めてのキスは、来海が起きてる時がいい。彼女の反応を、見たい。
どんな表情してくれるのかーーー恋人になったからの醍醐味を、よく味わいたいというのが本音だった。
おう。だから、今日は俺はいい子でいますとも、来海ちゃん。
俺は微笑んで、来海の頭を撫でた。これが、俺の今日許されてる精一杯だ。
……と、思ったのになぁ……!!
来海の身体がもぞもぞと動いた。俺の脚の腿に、来海の太腿あたりがぴたりとくっつく。ちなみに来海の太腿って、俺は自分の頬に感触が刻まれてるレベル。思い出すだけで、柔らかい最高の心地を提供してくれるのだが、下半身に接触してるのは初めてだった。おおう、だいぶ距離が……うん、ゼロ距離だな……空いてる隙間がないな……?
なあ、無防備すぎない……?
しかも、足の先で、ちょんちょんと俺の膝裏を攻めてきた。
何なん?可愛いなの?大人のお姉さんかと思ったら、今度は子供みたいなことしちゃうんか?
そして、極め付けにはこんなことを呟き出した。
「ん………碧くん、だめ……そんなとこ恥ずかし……ううん……」
「おい、ちょいと待て。何の夢を見てるのかねお嬢さん?」
「や………ん、い、いじわる……そんなとこ……でも、そんな碧くんも好き………」
「ねぇ、本当に何の夢見てる?」
「………ん、んん……強引なん…だから、……碧くんのえっち………」
「…………夢の中の俺は、何してるの……?」
何か…現実の俺はすごい誠実に頑張ってるのに、来海の夢の中で俺、変な扱い受けてないか?
俺今すげー色々な葛藤してる最中なんだが。褒めてほしいくらいよ?
なあ、来海に何をしたら、俺はえっちとか言われる羽目になるの。いや、まあ、来海にえっちとか言われるのはそれはそれで俺は喜んでしまいそうではあるが、とにかく…強引に、とかしたりしないぞ?
来海がちょっとそういう類なのが好きなのは知ってるけど、シャイな俺にそんな芸当できるわけがなかろうて。
いや、まあ、来海がそういうの望んでるなら、頑張ってやりたいけど……。
根が根だからなぁ、向いてない気がする。
俺が悶々としていると、その夢語りにはまだ続きがあった。来海の顔が、ふにゃりと緩んだ。
そして、言う。
「うふふ……碧くん…………好き……だーいすき…」
「……っ」
寝てるお姫様から、まさかカウンター喰らうと思ってなかったので、俺は普段よりいっそう動揺した。
部屋が暗くて、彼女が起きてなくて……良かったと思った。俺の顔は多分、今すごく赤くなって情けない顔してる気がする。
だから………!そういうとこだぞ、ほんと……っ。
恥ずかしい屋で、
意外と…素直に見えて素直じゃないくせに。
無邪気にそうやっていつも俺を翻弄してくる。
肝心なところで、絶対勝てないのだ俺は。
でも、そんなことを彼女はきっと知らない。
俺だって、ちょっとは悔しい。
こうもやられてばっかりは、男が廃るというものだ。
俺は頭を下げて、胸元に半分乗っかってる来海の方をしっかりと見た。
「………お、俺も、だ……だい…」
同じ言葉を、眠っている彼女にお返ししようとした。
大好き、なんていつもの勢いでするっと出てくると思った。
でも、肝心なところで俺はシャイだった。
こういうところが、変わらないままだ。
元々…ストレートにそんな言葉を吐くのは、本当はあんまり得意ではない。彼女が絶対受け入れてくれると分かっていても、自分の気持ちを表明して、相手にまるごと差し出すのは、……とても勇気がいる。
誰かに感情を見せるのは、俺にとっては、俺のすべてを相手に余すところなく見せる行為。
感情、というのは、つくづく望むようにコントロールするのは得意なのに、何もしない無防備な状態を晒すのは、その分苦手だ。
「…………だ…っ……好きだぞ、俺も………」
当然、彼女は寝ているので、返事などない。
代わりに、夢がひと段落ついたのか、くぅくぅという呼吸音が聞こえてくる。
……これでも、かなり成長した方なんだ。勘弁してくれ。
俺は気恥ずかしくなりながら、もう明日も学校だからと、何とか瞼を下ろした。
頑張って五感の機能を低下させようとしたが、当然無理な話で。
寧ろ、研ぎ澄まされてしまって、この後もなかなか朝方まで寝付けなかったのは、言うまでもなかろう。




