添い寝
「碧くん〜」
俺に背を向けていた来海が、ちょっと俺の方を振り返る。身長に加えて、座高も男の俺の方が高いので、来海が俺を見上げる形になった。
来海の部屋のベッドの上にて。
恋人になって初めてのお泊まり。イコール、我慢効くかいや効かんだろの理性大放棄事案。
和室の一件でお互い気恥ずかしくなっていたが……来海は回復したのか、俺が宮野家の和室かリビングをお借りして寝る算段だったのを、見事にノーサイン。
来海の両親も止めないし、頼みの綱の義弟は、俺の妹と何かあったのか自分の部屋に早くに引っ込んでしまったし。
俺は、来海の部屋に自然と身を置くことに。
来海は、今夜、本気で同じベッドで寝るつもりらしい。
……なあ、俺をどうしたいんだ、来海ちゃん。
出すぞ?
手出すぞ。
………まあ、今日は、出さないが。
既に出してないかお前、というのは、言わぬが花。
俺が色々とやらかしてる来海の首筋と肩を後ろから眺める。
恥ずい。そして、興奮してきた。や、やめよう、見るのはやめよう。今の俺の精神衛生上よくない。
はい、やめましょう。
それはそうと、それ以上のことは、色々と踏むべき段階というものがある。
いくら来海が魅力的な女の子とはいえ、俺にも常識くらいはーーーーーー
「ねえ、………して?」
「………く、来海」
「…んん、……してぇ?」
来海が、こつんと、俺の胸板に頭を預けた。
……俺がほんとーに、ほんとーに、昔からされてしまえば激よわの、上目遣いでばっちり見つめながら。
おいおい。ここぞとばかりに、ベッドの上でクリティカルヒット決めるのやめよう?
「…なあ、言い方ぁ…っ!?それっぽいの、やめて?俺、今マジで理性ギリギリだからな!?もしや、わざとやってらっしゃるのかね、来海ちゃんや!」
「うん!そうなのですっ!来海ちゃんは、そろそろ反撃ターンを碧くんにしたいのです!」
「ああ、見事に食らってるよ…!完璧にやられちゃってんだよこっちは……!くう、何で俺の彼女は、こんな大優勝で可愛いんだ………?」
「やったー」
すりすり、と俺の胸板に、頭のみならず頬を擦り寄せてくる来海。
俺の視界の下のほうで、黒髪の頭が揺れている。
………。
………うん。本当に俺をどうしたいんだ、来海は、よう…!
そういう意味じゃないと分かってるのに、変な期待してしまう自分がいて、ああもうどうしようかと思った。状況から見て、絶対違うって分かってるのに、つい期待してしまうのは……うん、俺、お年頃の男子高校生ですし?仕方ないと思うんだ(開き直り)。
ていうか来海が含みを持たせた感じでねだってくるからしょうがないだろ。あえてそれっぽく誘って、俺の理性が振り切れた場合のワンチャン狙ってるぞこの子多分。今まで耐え忍んで来た過去の俺がリソース。
「ねえ、碧くん……して?」
「……ああ」
俺は来海から、ヘアブラシを受け取った。来海のお気に入り。中央が盛り上がったクッションブラシだ。
ドライヤーで既に乾かしてある来海の髪に、俺は、ブラシをかけた。
そう、先ほどから「して?」と俺に可愛くねだっていたのは、ブラッシングのことだった。
……イヤ、ワカッテタヨ。モチロン。
来海の髪は細くて、本当はよく絡まりやすい。
でも、たった今俺がかけてみると、ブラシの毛がすっ…と通って、滑らかな髪の具合が伝わってくる。
お手入れ、頑張ってるんだろうなあ……。
来海の、女の子の努力の結晶に、脱帽した。
俺は最低限の髪の手入れくらいしかしてないので、来海の頑張りにただただ感銘を受けた。
「髪は女の命」というのは、平安時代に生まれた考え方らしいが、なるほど。当時の人々が、女性の髪を神聖視してたのも、頷けた。
こんな艶やかな長い黒髪は、きっと見た男の心を奪うに違いない。後ろ姿で、靡くその髪に、心惹かれる。
俺はブラッシングを終えて、ブラシを来海のベッドサイドのテーブルに置いた。そこが定位置だった。
俺は、来海の頭をてっぺんよりも下あたりから、そっと撫でた。その触り心地は、極上と言う他ない。
撫でられるのが好きな来海は、ご機嫌そうな顔を浮かべた。もっとして、とでも言うように、俺に頭を近づけた。
つくづく、甘え上手になってくれたんだなぁと思う。
静かな時間が流れた。元々、こういう会話のない時間も、俺と来海はたくさん共有してきたのだ。ーー特にあの頃は。
部屋にかけられた時計が、秒針を刻む。
カコ、カコ、とアナログの音がしていた。
見れば、もう22時台が終わろうとしている。
来海の頭がちょっと動いた。
ふぁあ、と欠伸を小さく噛み殺す呼吸音。
俺は、子供みたいに眠気に襲われ始めた彼女に笑った。いくつになっても、こういうところは変わらない。しかも、本人はこっそりしているつもりでいるのだ。
…バレバレなのに。
彼女が愛らしくてたまらない。
「…………寝る?」
「………ううん………もう、ちょっと……」
明らかに眠たそうな声が、来海から返ってくる。俺は、微笑ましくてもう一度笑った。
夜は早く眠りに就いて、朝には弱い。
寝るのが大好きな眠り姫は、もうちょっと頑張って、今日は起きていたいらしい。
「……碧くんが、うちに泊まるの、…久しぶりだね……」
「ああ。いつぶりだろ。……中1?」
「うん。私が夏休みの宿題…やり忘れてて……碧くんも、珍しく慌ててた……」
「うん、そうだったな。結局、朝までかかってさ。寝る暇もなくて、次の日2人とも徹夜のフラフラの頭で始業式行ったなあ……」
懐かしい。
俺も来海も、長期休暇の課題は、早めにまとめて終わらせるタイプだ。しかし、その年はしっかり者の来海らしからぬ確認不足で、提出予定のテキストが丸々2冊終わってないことが判明し、急遽この部屋にこもって2人がかりで終わらせたのだ。
答えを丸写しでもすればすぐに終わったのだろうが、真面目な来海はきちんと全部自分の実力で解きたいとのことだったので、勉強は割と得意な俺が、来海が解けないところはマンツーマンで教えたのだ。
中学は、結構、俺もガリ勉…とまでは行かないが、勉強しかしてなかった覚えがある。今は、完全にその時代の勉強貯金で生きてる。
「ふふふ。ごめんね…?…ふふ、ほんと、碧くんは、昔から優しいよね………」
「まあ、そりゃあ、好きな子には優しくしますよいくらでも?」
「えー、……ふふ、照れちゃう…」
来海がちょっと口を上品に押さえて、微笑む。
声がふわふわしてきたので、そろそろ時間かと察せられた。来海が寝る時間だ。
来海の頭がカクン、と揺れた。
「……寝よっか」
「うん……」
今度は、もう眠さのピークだったのか、来海が頷く。
来海の身体をそっとベッドに横たわらせて、布団をかけた。来海は、ほとんど瞼が閉じていて、長い睫毛が伏せていた。
俺は、ぽんぽんと布団の上から、彼女をいたわるように優しく叩いた。
来海の寝顔は、あどけなさを残しつつも、綺麗なパーツが揃って、美少女の完璧調和だった。
でも幼少期からずっと見てきた俺にとっては、どちらかというと前者の感想が浮かんでくる。ともに過ごした年月の感慨深さがよく…心に沁みてきた。
「おやすみ」
俺は、ベッドから立ち上がった。来海が寝ついたのを確認して、マットレスを揺らさないように静かに。
…うん、まあ。
一緒に寝るのは、やっぱり自分が何もしない保証がなくて、心配になるというか。
来海は少女漫画的シチュエーションが好きみたいだし、やっぱりこだわりたいというか。理想は叶えてやりたいものなのだ。
俺は自分の欲を抑えて、理想の恋人同士のシチュエーションを来海に体験させてあげられるようになるには、まだちょっと早いだろうということで。
一階の和室かリビングに布団借りて寝ようとしてーーーーーー
ベッドから伸びた手が、俺の指を掴んだ。
生まれたての赤ん坊が、自分に差し出された指をそっと握るように。
俺の指も、優しく握られる。
来海は、ちょっと拗ねたような顔で、もう…、と呟いた。
「……どこ行っちゃうの碧くん。だーめ。今日は、2人で、一緒に寝るのです…」
「……う。来海ちゃんよ…俺、恋人になったから…その、まあまあ…我慢が効かないと思うんだ……?」
「何でもしていーから、一緒寝よう……?」
「………か、可愛っ、ああ、もう、何でそんなこと言っちゃうか……うちの彼女は……」
多分、眠たくて意識がふわふわしてるんだろう。
普段の彼女なら照れてしまいそうな、俺への殺し文句を、ストレートにかけてきた。
俺は内心で悶えて、強情に拒む理由もないので、素直に降参した。
1人で寝るか、ちょっと理性をフルで働かせて可愛い来海と寝るか。………そんなの、後者に決まっておるだろ。こほん。
では、し、失礼して……?
俺は布団をめくって、来海の隣にそおっと並んだ。布団の中は、既に来海の体温でぽかぽか暖かかった。これが来海の体温かぁ。……いや、何だその感想。
俺は体温が平生より低いので、体温の高い来海のぬくもりは、より一層身に染みるものだった。
「………碧くん……ん…おやすみ……」
「……おやすみ、来海」
俺は、目を閉じてーーーーーー
否、眠れるはずがなかろう諸君……!
来海はわざとなのか、無意識なのかーーーまあ多分後者だがーーー俺の身体にすりすりと寄った。
俺の肩に頬を乗せ、俺の左腕を両腕できゅうと絡め取った。彼女の豊満な胸が、無防備にも俺の腕に押し付けられる。おう、感触……。インダイレクトだけど、限りなくダイレクトだぞ、お?…ネグリジェが薄いおかげ……いや……薄いせいだ。
しかもまだ部屋のシーリングライトを消す前だったので、その形が俺の腕に当たって少し沈んでいるのまで見えてしまった。
…………。
俺は10秒くらい葛藤してから、ベッド脇のリモコンに手を伸ばし、部屋の明かりを消した。
さて。
我慢大会が始まってしまったぜ……。




