都の揶揄いと和泉の不穏
「………おう。改めて、俺は何てことを……」
「……うう。…私、もうちょっと自制すべきなのでは……」
来海の白い首筋に、赤い跡。
しかも、それに………
い、いや、言うまい。絶対言うまい。
来海が透明感抜群の色白美少女だからなのか、俺がやりすぎたのか、随分と濃く浮かんでいた。
………後者ではないと思いたい。
来海が不安そうにねだってきたから、これは、俺なりの意思表示のつもりだった。距離感のバグってた幼馴染時代でも、超えなかったラインの恋人たちの行為。それをすることで、来海に俺側の気持ちを実感して欲しかった。
多分……来海を安心させるという意味では目的を達成したのだが。
冷静になってみると、…まあ、恥ずかしいもんだ。
キスマって、あれじゃないか。
すごーい。指輪といい、付き合ってから独占欲の塊みたいなことしかしないじゃん俺……(遠い目)
俺と来海が玄関の廊下で、そんな気恥ずかしい雰囲気に、これまた気恥ずかしくなってその場で固まっていると、パタパタとスリッパの音がした。
リビングと玄関を繋ぐドアががちゃりと開いて、顔を覗かせたのは、来海の母親の都さん。
俺と来海を交互に見て、不思議そうな顔をした。
「あらー?2人とも玄関で何してるのぉ?」
ぎくっ。
俺と来海の肩が跳ねた。
もはやこれは習性みたいなものである。都さんは、心を読めるのかというレベルで、ズバリ正解を言い当ててくるため、こういう不意打ちの登場は、俺も来海もガードに回る。
来海は慌てて、背中に流れていた黒髪を胸元に流し変えて、髪を整えた。ストレートロングの髪のおかげで、来海の首のサイドは、すっかり隠れた。
お風呂上がりの髪を整えました、というナチュラルな手つき。
グッジョブだ、来海!
でもなぁ……、別の箇所が見えてるんだ。
首は隠されてるけど、一番俺が都さんに見られたくなかった部分が見えちゃってるんだぁ…?
い、いや、微妙に髪が流れて見えなさそうだし。
行けるわ。
今日ばかりは、都さんに敗北を喫するわけにはならんのだ。
俺は都さんに笑いかけた。いかん、玄関でたむろしていた適当な理由を、簡潔に述べなければ。コンマ1秒さえ、このお方に思考時間を与えてはなるまい。
「あはは…俺が来海のお風呂上がりの姿に、見惚れて左往右往………」
「あらあ?うふふ。やっぱり親子ねぇ。私もお父さんに初めてしたのは、マーキングからだったもの」
「俺が、見惚れ………」
「あら、いいわね〜くるちゃんっ。私の場合、お父さんがなかなか手強くて、向こうからしてくれたのは私が言ってやっとだったものぉ」
「…………」
「うふふ。さっきの和室に居た時かしら?碧ちゃんやるわねぇ」
都さんが微笑ましそうに俺たちを見てくる。
俺は硬直し、来海はぶわあっと顔を赤らめた。
もう言い訳する気力も、あるまい。
…………ああ。
無慈悲っ!
あの、ちょっとは、配慮してくれませんかね…!?
くぅっ!
何でこの人こんなこっちの事情丸裸にしてくんだ、いつもいつもーーーーーーっっ!!
やっぱり読心能力持ってんだろ、この人妻!?
彼女の母親に直接指摘されて、生温かい目を向けられるって、何の精神修行だ!?
気まずいの極みだぞ!?
あ、来海が顔を覆い出した。
来海はぷるぷると震えていた。その弾みで、首筋にまとわりついていた黒髪が、軌道を逸れる。
はらりと後ろに流れた何房かによって、さらに自ら証拠を差し出すことにーーーーー!
来海ちゃんよう!
それを都さんが見逃さない筈もなく。
「あらあら」と何故か嬉しそうな顔をした。
「愛されてるわねぇ、くるちゃんたら」
「…………っ、愛され……!?」
「み、都さんやめてくれっ!??それ以上言わないでくださいマジで頼みます、俺のライフが死ぬからマジで!!」
俺は、必死だった。
来海がさきほど恥ずかしそうに、俺に髪を持ち上げて見せたのは、首筋だけ。
つまり、そこしか来海は認識してないということ!
言うな、絶対都さん言うなよ……
別に最初は来海が分かってても良いと思ってたのだが、今の時点で来海にバレてないなら、これ以上はバレたくないのが俺の正直な気持ちだった。
さて、何故か?
とんでもなく恥ずかしいからだよ!
自分のデリケートなところに触れられる可能性大だからだよ!
都さんは、頬に手を当てた。首を傾ける。
「あらあ、でもくるちゃん首しか気付いてないみたいだし……」
「……?…お母さん、どういうこと……?」
「だぁ、都さんっ!!!!頼むから、頼みますから、今日は俺のサイドについてください、マジで頼むからぁぁ!?」
「あらあら」
都さんがのほほんと笑った。俺は焦っていた。
読めない。俺の人生の中で、この人が一番、次の手が読めない人なのだ。
どっちだ……俺に味方してくれるのか、ポロッと口にして俺と来海をまとめて揶揄うのか。
来海のことが大好きな都さんなら、来海の照れてる表情の見たさに後者を選ぶ可能性が非常に高かった。
やがて、審判が下った。
「うふふ。今日のところは、都さんは、男の子の味方をしてあげましょう」
俺は、ほおっと、脱力した。緊張していた神経が、一気に弛緩していく。
来海は、不思議そうな顔をしていた。彼女からしたら、俺と都さんのやり取りは要領を得ないものに思えたに違いない。うん、それでいいのだ来海ちゃん。
しかし、それで終わらないのが都さんの、都さんたる所以だったーーーーー
俺にそおっと近付き、俺の耳に手を当てて囁いた。
愉快そうな笑いを交えている息が、僅かにかかった。
俺は、もうこの人に何を言われるか、この時点で察していた。
「…ふふ…碧ちゃん」
「すみませんごめんなさいお宅の娘さんに欲がつい出てしまいました」
「……それは全然大丈夫よおー。ふふ…それにしても、都さん、びっくりよう…」
「………」
「………碧ちゃんって、くるちゃんの肩が大好物だったのねぇ…」
「言い方っ!??大好物とか言わないでくれますかねマ・ジ・で!?せめて肩フェチと言ってくれる!?」
「だって、アレ〜、結構碧ちゃん、くるちゃんの肩ぱくりと噛んでるもーーーーー」
「反省してますからマジでやめてくださいマジで……!!」
「うふふふふ」
都さんは、微笑んだ。
やられた。もう俺のライフはゼロである。残機はなし。こてんぱんに精神がやられてある。
俺は顔を覆った。
俺の性癖が彼女より先にその母親に知られるって、何の拷問だよ……?!
そうだよ、そうですよ。こちとら首と肩の間のカーブ…後ろからそれを眺めるのが最高の愉悦!肩が華奢であればあるほど、たまらん。来海はその点最高……というか来海がそうだから、俺の嗜好がそうなったと言うべきか。
でも後ろから眺めるときに興奮するって、それって肩じゃなくうなじに興奮してるんじゃないか?
という疑問もあり、肩フェチでなく、首から肩までの後ろ姿全部なのでは?という、自分でもよく分からないことになってます、はい。
何で俺は彼女の家で、自分の性癖の分析してるんだろうね……。
がちゃり、とドアが再び開いた。
今度は、来海の弟の和泉だ。まだ風呂には入っていないようで、ラフなTシャツ姿1枚だ。春も本格的で、最近は、随分と暖かくなった。
都さんにそっくりな顔が、怪訝そうな表情を浮かべた。
「………え。3人で何してるの。こんな玄関先で」
ごもっともです和泉くん。
和泉は、玄関からリビングに向かう廊下とは別の廊下にあるトイレに行きたかったらしく、不思議そうな顔で俺たちのそばを通り抜けていった。
しかし、和泉は途中でぎょっとした顔をして、固まった。中学生になり、ぐんと背を伸ばした和泉と女子高生の来海の目線は、さほど変わらない。
来海の方が、数センチ高いかというくらいだ。
和泉は、ばっちりと来海の首やら肩を直視してしまっていた。俺の方を、そおっと向く。
悲しそうな顔をしていた。
俺は、慌てた。
な…!ち、違うんだ和泉!
それ以上は何もしてない、健全だ!
いつも「翠にやりすぎないようにな」と言ってくる兄貴分が、自分はちゃっかりしてるというのに、軽蔑したのかもしれない。
でも、お前は中学生なりたてだから、しょうがなくないか?!
いや、まあ、俺が悪いっていうか、中学生の教育に悪いことしてしまった…!
俺は和泉に、そおっと忍び寄った。
俺がさきほど都さんにされたごとく、俺も和泉に声をひそめて、誤解をとこうと言葉を発した。
「ち、違うんだ和泉……兄貴を軽蔑しないでくれ……本当にアレだけなんだ……」
「ーーーーえ?」
和泉が、間の抜けた声を出した。どうしたの急に、と言わんばかりの声色だったので、俺も戸惑う。
和泉は、首を傾げて、合点が行ったように「ああ…」と呟いた。
「何だ、違うよ碧兄ちゃん。別に碧兄ちゃんのことは信頼してるし、それは2人のことだから、僕は構わないよ」
過度な姉への甘やかしは規制するものの、一歩引いたところは、和泉らしかった。
「そうか…」
「うん」
「………え?じゃあ、何で和泉はさっき悲しそうな顔してたんだ?」
「…………、いや、それはさ……」
和泉の顔が、再び翳った。
思い詰めたような、暗い顔をしていた。
「………結局、自分と相手の熱量が同じかどうかだよね………」
ぽつり、と和泉が呟いた。
俺は、静かに瞬きした。
「…和泉?どうしたんだ?……何か悩みがあるなら俺か遼介さんにでも……」
「え?…ああ、ううん。何でもないよ?今日はお姉ちゃんと碧兄ちゃん見て、胸焼けしてるだけだよ」
「………胸焼け……?」
「あーうん。碧兄ちゃんは、そのままもう、突っ走っててください。それがいいと思います」
和泉はちょっと笑ったーーーー年齢にそぐわない何倍も大人びたーーーー表情を浮かべて、廊下の向こう側を歩いて去って行った。
………どうしたんだ、和泉…?




