長篠さん
俺は、溜め息を吐いた。
俺は現在、隣の市のはやぶさ保育園に来ていた。
純粋無垢な子供たちのパラダイスを前にしては、こんなところ居ていいんですか?みたいな謎の罪深さを感じる。
「はあ、子供ってどうしてこんな可愛いんだ…?俺絶対、将来子供に甘い父親になってる自信ある……早く来海にそっくりの姉妹と男の子が見たい……でも娘が出来たら、お嫁に出したくないな……」
「あのー、安定に所構わず未来予想図語り出すのやめな?子供がびっくりするでしょうが」
颯が子供をあやしながら爽やかな笑みを浮かべた。おいお前さんや、みたいに、やんわりと俺に釘を打ってくる。
俺は、園児たちのおままごとの父親役をこなしながら、颯に積年の悩みを吐露した。
「でもなぁ、颯。迷ってるんだ……実は、俺と来海の両方の遺伝子引き継いだ子って、どんな子かなあとそれはそれで、ロマンがあるんだ!でも、俺は来海にそっくりな子も、もう一度来海の幼少期育ててるみたいで絶対に嬉しいんだ!どうしよう!」
「……あのー、聞いてるかな?ここでする話じゃ、絶対にないよね。碧はもう少し自重しようか?」
「すみません」
仏のように優しい颯にも、流石に叱られた。保育園児たちの前で、アホみたいな話するなと爽やかに怒られた。
うん、俺が悪いわ。
「はなのにいちゃんー!あしょぼ!」
「おー、ののちゃんじゃないか。いいぞー」
空港の迷子事件(?)にて、先日に知り合っていた茶髪天パのカールが特徴的な幼女こと、ののちゃんに遊びに誘われる。
ちなみに「はなのにいちゃん」と呼ばれてる所以はよく分からないが、恐らく俺が姉の長篠さんとの仲直り代わりに、ののちゃんに自作の花冠をあげたからだと思われる。
花の冠くれたお兄ちゃん→はなのにいちゃん
と思われる。
すると、おままごとでママ役をやっていた幼女と、娘役をやっていた幼女が、俺の制服のブレザーの袖をぐいっと、引っ張った。
「「パパはだめ!」」
えー、可愛い。
「や!はなのにいちゃん、ののとあしょぶの!」
ののちゃんにも、もう片方の袖を引っ張られた。
3人の幼女に挟まれていた。しかも、何か取り合われてるみたいで、嬉しい。
うむ。来海と子供にモテることほど、この世で幸福なものはない。
子供はいいのよ、子供は。
これが同年代だったら……、
いや、絶対有り得ないけどね?そんなことは絶対起こり得ないが……来海王女が一生口をきいてくれなくなりそうていうか、なる。
でも、来海も子供好きなので、この光景は可愛いと言うに違いなかった。
すぐ近くで谷山が、悔しそうな顔をしていた。何か昨日も見た気がする。
「おま、大倉!何で子供にまでモテるんだよ!顔か!顔なのか!」
「ふ、悪いな谷山。子供に優しいオーラが、溢れてしまってるんだ多分…」
「失礼な!俺に出てないって言うのかぁー!?」
「いや、冗談だって。谷山はこのボランティア誘って来てくれてる時点で優しいって、知ってるぞ?」
谷山は、ちょっと口ごもった。俺が谷山を面と向かって褒めるのなんて、殆ど初めてだった。
「え、な、何だよ急に……」
「…でも悪い。幼女人気は俺がいただく。お前はガキンチョ部門を目指せ」
「だぁーーっ!ムカつくーー!」
いいじゃないか谷山。さっきから、男の子のたちに大人気だ。ちょっと気のいいヤンチャ兄ちゃんみたいな感じで、一緒に遊びやすいんだろうな。
あたりを見ると、失恋の傷を癒しにやって来た来海ガチ勢の那須は、女の子男の子ともに平和そうに遊んでいた。昨日いきなり泣いてきた女は、無事にHPを回復しつつあるらしい。
表情が「きゃわわ…!」と緩んでいた。
問題のぐへへ女子は、特に子供と絡まず、ずっとマジでぐへへしていた。子供に話しかけるのが苦手なのかと、保育士さんが気を回してくれてたのだが、「私眺める専なので」と言って、断っていた。
お前、何しに来たんだ…?
「パパー!」
「こっちなの!」
「ののなの!」
幼女の三つ巴は佳境に入っていた。
ぐぇー、可愛いけどちぎれるう。俺のブレザーが七分袖になってまうー!
でも可愛いから、オールオッケーです!
全然止める気のない俺を、見かねた颯が、助け舟を出してくれた。
「りなちゃん。みくちゃん。僕がパパ役じゃ駄目?」
「「………っ!!」」
りなちゃんとみくちゃんの、顔がぷしゅ〜とほんのり赤く染まる。
そりゃそうだ。颯は正統派爽やかイケメンにして、幼女から見たら王子様みたいなフェイスをしている。
これで彼女居たことないって言うから驚くよな……
颯も、なかなかに罪深い男である。
「「パパ〜!!」」
颯に抱きつく、りなちゃんとみくちゃん。
あれ?
何かあんなに争ってたのに、あっさり捨てられた元パパ。悲しいったら、ありゃしないぜ。
幼女部門1位は、この親友だった。くそう。
「これで、はなのにいちゃん、のののね!」
ののちゃんは、ニコニコして俺の手をぐいーっと引っ張った。大丈夫だ、俺にはこの幼女がまだ残ってくれている!
ののちゃんは、せっせとお絵描きボードに絵を描いた。
丸を描いて、その左右に線が3本ずつ。
くるっと、俺に見せた。
「これ、なーんでしょ!」
「……うーん、猫?」
「せぇーかい!」
正解だったらしい。良かった良かった。
幼少期に来海に似たような質問をされて、「昆虫」と答えてしまい、猫を描いたつもりだった来海を泣かせてしまったことがある。耳がなかったんで、丸を胴体だと思い、ヒゲの線を脚だと思ってしまったのだ。
俺はいたく反省し、絵の造詣を深め、以来は絶対にお絵描きクイズを外したことがない。ちょっとばかし、画伯な来海ちゃんではあるが、小学校時代の絵しりとりも俺は外さなかった。
同級生たちには、「何で分かるんだよこれが…」と寧ろドン引きされた覚えがある。うむ!大変名誉なことである。
よく分からない絵の正解を当てることにおいて、俺の右に出る者はいないと自負しているぞ!
ののちゃんは、せっせっと、次の絵を描いた。
「あのえ、いおちゃん、はなのにいちゃんに会いたいって、ゆってたのー」
「…お?そうなのか」
いおちゃんというのは、長篠伊緒。ののちゃんの姉である、長篠さんのことだ。
「うん!たすけてもらったから、いろいろおれーしたいって!」
「そんな、いいのに」
俺は苦笑した。お礼されるようなことをした覚えはない。ちょっとお節介焼いただけだ。あの花たちを買ったのは、長篠さん自身だし。
俺はせいぜいその形を整えたくらいだ。
ののちゃんは、ニコニコして、じゃーん!と次の絵を俺に見せた。
「これは、なーんでしょ!」
「………うーむ…」
む、難しい。年齢相応と言うべきか、それともののちゃんがなかなかの画伯なのか、よく分かんない絵マスターの俺が、返答に困窮していた。
に、人間…?
2人組らしい。
でも、顔が全然分からんから、誰か分かんないぞ…。
でも、順当に行くなら家族だな。
自分の家族の誰かを、書いたに違いない。
身長がだいぶ差があるが、ののちゃんと長篠さんのペアにしては、差がなさすぎる。
つまり!
「ママとパパか?」
「ぶー!ちがーます!」
外してしまった。
「せーかいはねぇ!」
「うん」
「ーーーいおちゃんと、はなのにいちゃん!」
子供の純粋な笑みに、俺は一瞬、反応が遅れる。
「2人、なかよしなゆの!」
意図しない意図に、俺は大人げなかった。笑みを浮かべながら、子供だからと片づけながら、何となく苦しかった。
俺は、こんなたわいのない言葉も上手く返せない自分が心底嫌いなのに、絶対に捨てられない。
俺は、にこにこと笑った。
「俺のことも描いてくれたんだ、ありがとう」
「えへへ!」
「あ。そうだ、沖縄行ったんだろ、ののちゃんー!どうだったー、聞かせて?」
「あ、しょうなの、しょうなの!あのね、すいぞっかん行ってねー!それでね……」
一生懸命に家族で行った沖縄旅行の話を、身振り手振りで伝えてくれるののちゃんは、子供らしく可愛らしかった。
******
夕方。
続々と、保育園にはお迎えの保護者たちがやって来ていた。高校生の俺たちがその園児の引き渡しの手伝いをしていると、「偉いのねー」と寛容な態度で見守ってくれていた。
「ののちゃん、お姉ちゃんがお迎えに来たよ〜」
保育士の先生が、ののちゃんに向かって声をかけた。
俺とお話をしていたののちゃんは、鞄も何も持たずに行ってしまう。
姉の長篠さんの元へ、ぼふんとダイブする。
「いおちゃん!あのね、あのね!はなのにいちゃん、いゆよ!」
「おかえり、のの。……って、え?」
不思議そうな長篠さんの声が、ガラス越しに聞こえた。
俺は、ちょっとどうしようかと迷った。
でも自意識過剰だなと思ったので、そのままで居た。
もしののちゃんの話が本当だとして、お礼しますの展開に持ち込まなければいいだけの話。
ののちゃんは、鞄と水筒を取りに教室に再び戻ってくる。
長篠さんは、扉の開いた隙間から、驚いた顔を覗かせた。目が合った。
「お、大倉さん……っ!」
「どうも……?」
長篠さんは、あわあわとして、開いた隙間から「あのう」と俺に声をかけたらしかった。
「まさか会えるなんてっ!わ、私、あの時のこと、本当に感謝してて!あの後、沖縄旅行っ、おかげで楽しめたんです!せめて連絡先聞いておけば良かったなって、ずっと後悔してて……!でも、良かったです!」
長篠さんは、喜色を露わにして、言った。
「連絡先教えてください。あ、あの時の…お礼したいんです!」




