ホワイトデーの前夜
下校中にコンビニに寄り、来海はアイス、俺はチキンを買って、駅の近くのベンチでそれを食べながら話をしていた。
ぱく、とチョコアイスに齧りつく来海は、甘いものが好きな彼女らしい笑顔だったと記しておく。俺も部活帰りだったので、その分だけ美味しかった。コンビニのホットスナックって、腹減ってると無性に食いたくなったり。
高架線路を走る電車が、ガタンガタンとレールの継ぎ目にある隙間を通過していくジョイント音。時たま通過する急行列車は羽音のよう。
そんなそばで、俺と来海は今日あったお互いのクラスの出来事なんかを共有して、自然と笑い合っていた。もう買ったものは食べ終わってしまったけど、しばらくそんな風にたわいのない日常に笑い合っていた。
気付くとなかなかにいい時間で、慌てて2人で駅に駆け込んだ。
来海を家まで送っていくと、来海の母親の都さんがちょうど外に出ていて、青春ねぇ、なんていう風に微笑まれたのは、ちょっと照れ臭かった。
「おやすみ。また明日な」
「うん!おやすみなさい。また明日ね、碧くん」
俺が手を振ると、来海は一生懸命手を振り返してくれた。宮野家に灯っている明かりが、僅かに、夜の中で彼女の笑顔を照らして、俺に見せてくれた。
ドキリとした。綺麗だと思った。
雰囲気も仕草も、可愛さや愛おしさが先行するけれど、その夜の光に照らされて浮かぶ彼女の顔が、とても綺麗だった。
いつの間に、彼女はこんな大人になっていたのかと、その妖艶な彼女の姿に、俺の心臓が波打った。
俺は名残惜しくて、来海が家に入るところまで見送ろうとした。でも、来海は来海で、俺の後ろ姿を見届けるつもりだったらしい。どちらも見つめ合ったまま動かなくて、俺たちは笑った。
「あら?くるちゃん、早く中に入りなさい〜。もうお夕飯よー」
結局。
玄関の奥に居た都さんにそう声をかけられ、来海が中に入って、俺がその姿を見送った。去り際に、もう一度バイバイを交わした。
俺は片手を下ろして、宮野家から5軒先の自分の家へと帰った。ほんのすぐそこだったけど、その間に今日の恋人じみた時間を思い出して、噛み締めた。
一緒に寄り道したこと。
おやすみを言い合ったこと。
………ああ幸せだ。恋人になれて良かった。
そう、心から思ったものだ。
「ただいまー」
「おかえり、お兄ちゃん」
自分の家に帰ると、妹の翠が夕食の支度をしていた。ので、それに加わった。
我が家は、両親不在のことが多いので、そう珍しくない光景だ。
途中で、翠が、フライパンに水を入れすぎたせいで煙が充満し、それに慌ててるのを俺が大笑いしたら、腕をつねられた。うむ、地味に痛いな。
中学1年生の女子は、まだまだ料理は勉強中だ。
翠と夕食をとって後片付けした後、俺は夕食前と同じくキッチンに立っていた。
「さて、じゃあやりますかー」
俺は袖をよいしょと捲り、やる気十分で冷蔵庫から材料を取り出した。今なら鼻歌を歌える気がする…来海と寄り道できたおかげで、俺はただいま上機嫌だ。
試しにやってみた。自分が音痴すぎて死ぬかと思った。やめよう。自分が鼻歌を歌って何の利益があるか。いや、ない。誰のためにもならない非生産的な行いである。ちなみに、料理中の意趣返しとばかりに、それを聞いていた妹が笑ってきた。天誅。
翠がカウンター越しに、キッチンの上を覗いた。珍しく、俺のやることに興味があるらしい。
「お兄ちゃん。それ何作るの」
「マカロン。翠よ。明日は何の日だ?」
ヒント。来海の誕生日の4日後。
これでも分からないという方は、来海ちゃん検定失格である。来年の受検をお待ちしております。
ちなみに来海の誕生日は、3月10日だ。
翠は、首を傾げていたが、合点がいったらしかった。正解を口にする。
「……あ、ホワイトデーか。来海ちゃんにお返し?」
「ああ。本当は既製品にしようと思ったんだが、来海がこっちがいいと言ってな」
高級チョコレートでもお返ししようと思ったのだが、来海に「碧くんの手作りが欲しい」とバレンタインの時点で言われていたので、今年は腕によりをかけて作ることにしたのだ。
ほぼ毎日料理はしてるので、スイーツ作りもそれなりに得意である。来海がスイーツ好きなのが大いに関係しているのは、言うまでもなかろう。スマホでよく元パティシエのショート動画が流れてきたりするのは、内緒だ。
……あ、いや、知られてたわ。あの子、俺のスマホ巡回してるからたまに。俺のスマホに秘密などあって無いようなものだった。よきよき。
ひとまず述べておくと、俺は好きな女の子の胃袋も掴むまでが、理想である。
「あー、確かに。来海ちゃんならお兄ちゃんの手作り欲しがりそう。まあお兄ちゃん基本的に何でも上手だしね。……………………歌以外」
「うむ、我が親愛なる妹。お褒めいただきありがとう!最後の一言はこちらで抹消しておく」
俺は妹の余計な言葉は聞き流し、作業に移った。粉砂糖、アーモンドプードルを何度かふるいにかけ、次にガナッシュ作りに取り掛かる。
バニラビーンズに包丁で切り込みを入れ、種をしごきだして、生クリームに投入。
ちなみに個人的なこだわりポイントは、ここでバニラエッセンスで済ませるのではなく、あくまでバニラビーンズを使用したことだ。タヒチ産の高級品を、風味づけのために使用。
来海は気付かないだろうが、それでもいい。来海に贈るモノならば、とことんこだわるのが俺の流儀…!来海のためなら、何でもプライスレス。
俺が順調に工程を進め、マカロンの生地をスイスメレンゲしたあたりで、正面のキッチンカウンターから、まだ見つめている翠に気付く。
じーっと、特に表情を変化させないで、俺の手元を見ている。と言っても、別に俺の手つきに見入っているとかではないと分かるのが、残念だ。分かってしまうのが、兄の定め。
うーん。つくづく父親に似て、あまり感情と表情が直結していない妹である。
俺は苦笑しながら、翠に話しかけた。
「心配しなくても、和泉ならちゃんとお返し用意してると思うぞ?」
「………っ、や、私は別に…………違うもん」
「くく、分かりやすいな翠は」
「ち、違うし」
にべもなく否定されるが、ちょっと図星のように、口がとんがっているのが証拠だった。
宮野和泉。来海の弟に、この妹は恋してる。というかまあ、両想いだけど。
何故まだ付き合ってないのかだけが、この2人の間に横たわる、世紀末の謎である。マジで何で?
まあ、言っても中学生になりたてだから、そんなもんか?
双方の気持ちを知っていて、見守っている兄としては、かなりヤキモキさせられる。だから、和泉に訊いても、微妙な顔をよくされる。
「そんなの翠ちゃんに訊いてよ」とのこと。
いや、お前が勇気を出さなくてどうする。翠だって自分から行く性格じゃないんだから、和泉からの告白待ちだろう、と俺は思うし、和泉にそう言うのだが。
だが、和泉は、やはり微妙な顔をする。
……はあ、やれやれ和泉くんは。翠が待ちきれなくなってそのうちフラれても知らないぞー。
とまあ、そんなことはないとは分かってるけど。
「………私もリクエストすれば良かった」
「何を?」
「………………。和泉の手作り」
「アイツ料理できるっけ?」
「できない」
「じゃあそもそも駄目やん。………うーん。アイツに言っておこうか?料理できない男は今どきモテないぞーって」
うむ。和泉はちょっとばかし不器用というか。
料理はその最上で、アイツがいつかフライパンでキャンプファイヤーしてたのは流石にヒヤヒヤした。あの時はキャンプ場が燃えるかと思った。
遼介さんが、『僕に似ちゃったねぇ』なんてのほほんと言っていたのだから、さらに困った記憶がある。
俺の言葉に、翠はさらに口を尖らせた。じとーっと俺を見る。
「…いいーのっ。そこがいいーの。和泉は、ぶきっちょなくらいが可愛いの」
「まったく…お前は、昔から和泉には甘いんだから」
「そんなことない」
「残念。ありますー」
「ない」
「ある」
「ないったら、ない。てか、お兄ちゃんにだけは言われたくない。来海ちゃんを甘やかすことしか生き甲斐のないお兄ちゃんにだけは絶対言われたくない!」
かちん。
妹のは正論だが、それは俺のアイデンティティに踏み込んできやがってる…!
俺はハンドミキサーでグルグルと、ボウルの中をかき混ぜた。作動音が、ぶうぅんと響く。
「いいだろ、別に!?女の子はいいだろ、甘えてくれてなんぼだろうがよ!可愛いんだから!甘えてくれるのが寧ろありがとうございますなの!逆に男を甘やかして一体何になるんだ!」
「いやそれただの自分の好みじゃん!願望じゃん!相変わらずキモい!」
「キモいとか兄に言うなー!俺がタフネスに見せかけたガラスのハートの持ち主なの知らないのか!?妹にキモいと言われた兄の心情!俺は全国の兄に共感する!」
「妹にキモいって言われない兄もいると思う」
「そんな妹が果たしてリアルに存在するのか…?」
「居るんじゃない?私はちなみに言うけど」
「言わないでくれる?」
そんな押し問答をしていると、生地が出来上がった。
それを絞り袋に移して、シートに生地を均一になるように絞っていく。
よしよし、なかなか上出来だ。
「……あ、そういや。聞いてなかったけど。今年のバレンタイン、翠は和泉に何あげたんだ?」
「え、ああ。…お兄ちゃんが来海ちゃんに貰ったのと一緒だよ。今年は来海ちゃんと一緒に作ったから」
「あ、そういやそうだった。宮野家で一緒に作ったんだったな。てことは、ドーナツだ」
「うん、そう。味はちょっと変えてあるけど。お兄ちゃんと違って、和泉は甘いの好きだし」
面倒見の良いお姉さんな来海である。
一緒に作ることにして、翠のことを手伝ってくれたのだろう。うーん、そういうとこが、最高に好き。
来海は、料理の才を与えられし美少女だからな。
スイーツは、特に。
俺は甘いものは全然食べられるが…
それほどではある。
ので、来海は毎年甘さ控えめな手作りのスイーツを贈ってくれていて、今年はドーナツだった。
ビターオレンジのドーナツ。
ビターなチョコレートソースに、砂糖漬けのオレンジが載せられていて、極上の美味しさだったことをここに記しておこう。
めっちゃ美味しかった。
来海が都さんと作って、俺に初めてくれたのも、そういえばドーナツだったなーーーーーーあ。
「…………ああ、もしかして……」
思い当たることがあって、思わず口がにやける。
ただのこじつけかもしれないし、合ってるかは分からない。でも、多分………当たってる気がする。
多分、いや、絶対そうだと思う……。
来海なら、考えそう。
やばい、にやける。にやけが止まらん!
「え。何、お兄ちゃん急に何でニヤニヤし出したの……キモい」
「ふ、好きなだけ言え妹よ。お兄ちゃんは、幸せな真実に気付いてしまったので、無敵だ」
「………はあ……?」
翠が不思議そうな顔をしたが、俺は頰を緩めた。
ーーーーバレンタインに来海が告白してくれたとするのならば、すなわち。
来海が今年のバレンタインにドーナツを俺に贈ったのは、それが……昔に、初めて俺にくれたのが、ドーナツだったからではないだろうか。
俺たちの間の思い出を、告白という大切な日に、重ねたのではないか。
………考えすぎか?
でも、多分………
「そういうとこなんだよなぁ、俺が来海を好きなのは」
俺は、静かにそう呟いた。
ドーナツ :「永遠に続く愛」「あなたが大好き」
マカロン :「あなたは特別な存在」
らしいです。いちゃいちゃしやがって、このカップル…




