オペレーション:パルクダトラクション3
「ヴィンセント!!」
凪の悲鳴が響く。彼女はヴィンセントのところへ向かおうとするが、敵のズィーラー兵たちがそれを阻む。ヴィンセントの手から槍が離れる。最後にマルガレーテは彼にこう声をかけた。
「さようなら。あなた、結構いい男だったわよ」
少しだけ寂しげにそう言って、マルガレーテは槍を振り払う。支えを失い、ヴィンセントの身体は下へと落ちていく。そちらへ視線を向けることもなく、彼女は撤退する魔法士部隊を追う部下達と合流する。
「閣下!」
「一人残さず仕留めなさい」
「はっ!」
マルガレーテが加わったことで、ズィーラー兵たちの動きがさらに良くなる。たちまち陽菜たちは苦しくなった。ヴィンセントのこともあり、陽菜たちは必死に戦っている。だがそれでもまるで詰め将棋のように、彼女たちは押し込まれていった。
復讐心は徐々に萎み、代わりに焦燥が心を蝕んでいく。気付けば陽菜はずっと一人で戦っていた。凪とは完全に分断されてしまっている。防戦一方で、聖樹の果実に溜めておいた魔力がどんどん減っていく。このままではジリ貧だと分かっているが、耐える以外に何もできない。
「どうしよう、ユーグ! このままじゃ……!」
「焦っちゃダメだ! とにかく今は耐えて!」
「あら、戦闘中におしゃべり? ダメよ? わたしみたいな悪い大人につけ込まれちゃうわ」
陽菜にとっては集中力を乱したつもりもないほんの一瞬。その一瞬でマルガレーテは陽菜に肉薄した。彼女が構える槍の穂先が鈍く輝く。そこにヴィンセントの血が残っていることに気付いて、陽菜は顔面を蒼白にした。
陽菜は反射的に杖を横にして構え、全力で魔法障壁を張る。だがマルガレーテの目から見れば、それはいかにも拙い障壁だった。彼女は壮絶な笑みを浮かべて槍を引く。彼女は一殺を確信していた。だが彼女が槍を突くことはなかった。超長距離から放たれた魔力砲撃が、彼女の部下達をなぎ払ったのである。
「なにっ!?」
マルガレーテが思わず振り返る。その隙に陽菜は杖をフルスイングした。杖は槍で防がれたが、マルガレーテを弾き飛ばすことには成功。辛くも彼女は虎口を逃れた。
一方のマルガレーテは、すでに陽菜のことなど意識の外だった。彼女が探るのは砲撃が行われた方角。先ほどの超長距離砲撃、地球側にあんなことができる戦力はなかったはずだ。
だとすれば大当たりを引いたかもしれない。彼女は緊張しつつも小さく口の端を歪める。次の瞬間、彼女はゾクリと背中を震わせた。
「お久しぶりね、マルガレーテ将軍」
親しみを感じさせないその声は、マルガレーテの背後から聞こえた。彼女は振り向きざまに槍を振るったが、その一撃は容易く受け止められる。受け止めたのは、彼女が思った通りの存在だった。
「生きていたのね……! 聖樹の神子!」
年の頃は二十歳前後か。マルガレーテの記憶にある神子の姿より、ずいぶんと大人びている。それも当然か、と彼女は思った。何しろあれからもう六年である。そして六年ぶりに姿を現わした聖樹の神子は、感情の読み取れない眼をマルガレーテに向けてこう尋ねた。
「将軍、聖杯はどこ?」
「聖杯? どうしてそんなことを聞くのかしら。貴女には関係のないことでしょう?」
「やっぱり皇帝のところかしら?」
「それよりも聖樹の精髄について聞きたいわぁ」
かみ合わない会話をしながら、神子とマルガレーテは火花を散らす。やがてマルガレーテに話す気がないことが分かると、神子は小さくため息を吐いて槍を放した。マルガレーテは少し訝しみながら距離を取る。彼女の周囲に生き残った部下達が集まった。
集まった部下は全体の三分の二ほど。つまり三分の一弱が先ほどの魔力砲撃で撃墜されたことになる。その損失にマルガレーテは険しい顔をした。ただ同時に当然の結果だと受け入れている部分もある。
(なにしろズィーラーの主力艦隊を相手に一人で遅滞戦闘ができるんですものね……)
六年前のことを思い出し、マルガレーテはさらに顔を険しくする。あの戦いで、神子一人のためにどれだけの損失を被ったことか。さらに言えばそれ以前からも、ズィーラー軍はずっと聖樹の神子に悩まされていた。
そもそもアーヴル軍の防衛線を突破した後、全軍で聖樹へ殺到しなかったのは、そこには神子がおり、正面切って戦えば甚大な被害を受けることが予想されたからだ。そのためズィーラー軍はル・アーヴルの各地を占領し、アーヴルという政体を解体するという戦略を採らざるを得なかったのである。
(まあ、何にしても……)
何にしても、ここで神子が出てきてくれたことはありがたい。マルガレーテはそう思った。神子の存在自体はありがたくないが、しかしその存在を知らないまま地球侵略作戦の最終段階を発動させていたら、恐らく作戦は失敗していただろう。そしてその作戦の失敗はズィーラーの滅亡を意味する。不安要素のあぶり出しは、どうしても必要だったのだ。
(これでわたしの作戦も満額回答)
険しい表情とは裏腹に、マルガレーテは内心で達成感を覚えていた。彼女が行っていた作戦には目的が幾つかあった。
第一に地球人を混沌獣に変えるための研究を行い、そのデータを大帝のもとへ送ること。第二に、その研究をエサにして敵魔法士戦力をおびき寄せ、これを撃滅すること。そして第三に、地球とアーヴル側の切り札となる戦力をあぶり出すこと。
このうち最重要なのは三つ目。だが一番目と二番目はともかく、三番目の目的は達成できるか分からなかった。だがこうして聖樹の神子が出てきたのだから、予想外の成果と言って良いだろう。マルガレーテらは生きて帰れそうにないが、そんなことは志願したときから覚悟している。
(あとはこの情報を大帝へ送れば……)
任務完了である。マルガレーテは「聖樹の神子、現る」の情報を送ろうとした。しかし送れない。何度やっても、情報の送信ができないのだ。焦る彼女に、神子は小さくしかし確かにニヤリと笑ってこう告げる。
「ムダよ。通信機は破壊した。それから、このあたりはジャミングしてあるの。特に魔法的なメッセージのやりとりは禁止」
「……っ」
「情報を送れなくて焦る。ということはこの先、わたしがいたら作戦に支障が出るのかしら」
「……」
「無反応、か。やりにくい。でもズィーラーの切り札と言えばやっぱり聖杯よね。聖杯を使って何をする気なのかは分からないけど、わたしならそれを阻止し得る。貴女たちはそう思っているんじゃないの?」
神子がそう問い掛ける。マルガレーテは何も答えなかった。だが神子に言われたことはほとんど図星で、だからこそこの情報は必ずや大帝に届けなければならない。だが次元を隔てて通信を行うための通信機は破壊された。
そうである以上、あとは個人転移魔法で帰還するしかない。だがそれができるのは部隊の中でマルガレーテただ一人。部下達を見捨てて行くことになる。死を覚悟して、いや死を望んでこの作戦に志願したというのに。
『閣下、行って下さい』
『我々が時間を稼ぎます』
『どうかこの情報を大帝に』
部下達からの秘匿通信。雑音が酷いが、この距離なら通じるらしい。通信にはのせず、マルガレーテは「すまない」と心の中で呟いた。最後の懸念は、ここで大きな反応を見せることで神子が予感を確信に変えてしまうこと。だがそれも今更だ。マルガレーテは心を決めた。
陽菜「悪い女!」
マルガレーテ「口が悪いわよ、お嬢ちゃん」




