アルベラン 三
戦場となったのはアレンドルの森であった。
この一帯は真っ直ぐと伸び、枝振りの高いアルガナの木々が中心となる。
アルガナは良質な木材となるが、伐採のしやすさも一つの利点。
浅く広く根を張るアルガナの周囲には藪が生い茂ることはなく、下生えが大地を覆う程度――運搬などの各種作業もやりやすい。
槍や盾、弓に矢、建物に至るまであらゆるものに木材を使う。
良質なアルガナの根付く森は非常に高い価値があり、それを戦で奪い合うということも少なくなかった。
見通しはそれほど悪くはないが、森は森。
疎らな藪の茂みが遠景を阻害し、視界良好とは言いがたい。
「足を急がしてるならそろそろ出てきてもおかしくない。改めて周囲に気を付けろと尻に伝えておけ。脇腹にだけは食らいつかれたくはない」
「了解」
革鎧を着込み、背中に大盾を背負ったゴーデウスの言葉に側の男が指示を出す。
ゴーデウス達が通っているのは森を抜ける道の一つ。馬車を通すために切り拓かれたものだった。
一帯は足元も確かだが、小山程度に多少の起伏。
本体を進めるにはやはりこの道を通るほかない。
ガーカの戦士はほとんど鎧を身につけない代わりに、大きな丸盾を使う。
木材はアルガナであり、縁と拳用にくり抜かれた中央に鉄の補強が施された頑強なものであり、色取り取りのシンボルがそこに描かれていた。
彼らの中で盾はある種、剣以上に神聖視されており、盾を与えられることが戦士の証明。
己のシンボルを刻んだ盾は戦場で決して手放してはならぬという決まりがあるほどで、人の盾を足で跨いだという理由で殺されることもある。
それだけに盾の扱いは皆巧みであり、ガーカが広い土地を支配する理由の一つ。
基本的に隊列を組まず、群れで斬り掛かる点は多くの部族と同じであったが、彼らは状況に応じて周囲の者と連携し、即席で盾の壁を築き上げた。
仮に周囲にあるのが見ず知らずの者であっても、咄嗟の判断で守りを固め、冷静に打開策を練る柔軟さが彼らの武器。
その姿を滑稽な亀と嘲笑った多くの部族は、隙間なく迫る壁の如き彼らに圧倒され、崩れたところを討ち取られた。
戦とは流れ――特に森での戦闘は状況把握が困難である。
勝ち負けはその場の空気で決まると言って良く、破ることの出来ない盾の壁は多くの戦士崩れにとっては手も足も出ない無敵の壁。
一人が怯めばそれを見た者も怯み、いかに精強な戦士が数人いたところで、大勢が決してしまえばその空気は巻き返せない。
そして彼らのもう一つの武器は投げ斧。
彼らは弓をあまり使わない代わりに、そのほとんどが投げ斧を二本腰に提げ、内の一本を開戦時、そして二本目を相手を崩した段階で用いる。
相手の勢いを一本目で殺し、押しつぶせるならそれで良し。
それが叶わずとも盾の壁でやり過ごして圧を掛け、二本目の斧で相手を完全に瓦解させて勝利する。
それが『ガーカの二振り』と呼ばれる基本戦術。
戦術と言うよりは簡単な取り決め事程度であったが、統制が取れず群れで戦う多くに対し、彼らは大きく優位を取った。
ただ、完全無欠は存在しないもの。
彼らの装備はこの時代においては重装備と言え、機動力で後れを取った。
簡素な鎧と剣の一振り、あるいは弓を担いだ身軽な軽装な相手に対し柔軟性で負けており、特に遭遇戦では劣勢に陥る場合が多い。
最低限の糧食などは持たせてあるものの、装備の分限界もあり、大きな戦いとなれば馬車を用意せねばならず動きが限られる。
ガーカが大敗を喫するのは決まって、そういう弱味を狙われた時だった。
特にアルドスは恐ろしい。
彼らはガーカと対照的に、長剣を強く神聖視する文化。
死をも恐れず両手で剣を振り回す彼らの獰猛さは知られており、間違って乱戦にでもなれば一瞬で流れを持って行かれる。
投げ斧を真正面から剣で防ぐ狂戦士の集団。
乱戦に持ち込まれることだけは必ず避けなければならなかった。
複数部族を支配する大族にはそれぞれ強味がある。
祖先から受け継いで来た文化や信仰から生じる違い――その価値を証明し続けた部族が周囲を支配し、大族と呼ばれる。
掻き集めたのは二千と少し。
悪くない数であったが、だからと言って油断は出来ない。
恐怖とは見えない魔物。
自分達が不利だ、と思った瞬間には臆病風が伝播した。
そしてそうなった瞬間、どれだけの数があろうと集団は瓦解する
ガーカは岩を自負したが、アルドスとは雷雨を伴う嵐であった。
一瞬でもこちらが岩でなくなれば、その瞬間に圧倒されるだろう。
「大族長、アルドスの集団が前方十里の距離に」
「はっ、ガーカに真っ向勝負と来たか。足を止めろ、縦列から戦闘態勢だ!」
伝令の言葉に吠えると、兜を被り、背中に担いだ盾を左腕に装着する。
右腰には二本の投げ斧を提げ、背中には五尺の短槍、左腰には大振りな斧。
ガーカの戦士階級にあるものとしては標準的な装備。
頬を守るチークガード付きの鉄兜の上には突起と馬の尾。
年季の入ったもので、ガーカの大族長が受け継ぐ兜。
革鎧は銅と手足を守る。
盾と矢除け――入れ墨のまじないを信奉し、半裸で戦う男達も少なくないが、ゴーデウスは冷静なリアリストであった。
多少動きは制限され、不便ではあるが、鎧の有用性は理解している。
盾と身一つで敵に立ち向かう者こそ勇者と持てはやされる風潮には呆れていた。
偶然盾の隙間から飛び込んだ矢の一本、石の一つが致命傷になることもある。
自分の代では手甲や脚甲、欲を言えば兜程度は被らせたい、と考えていた。
戦士が皆全身に鎧を着込んだ上で盾を構えれば、これほど頼もしいことはない。
相手は強固な盾を抜き、鎧を抜かねば致命傷を与えられない。
そうなれば降り注ぐ矢を恐れることなく前へ進むガーカの戦士達は、敵の群れを転がる巨岩のように押しつぶすだろう。
いっそ重装の弱味を背負うのであれば突き抜けた方が良い、というのが彼の考えであったが、戦士達は現実と幻想の狭間で生きていた。
防具一つを身に付けず、多くの敵を殺して生還するのは確かに勇者。
無駄に危険を冒せば冒すほどに、戦士として評価される。
合理的だという理由で、彼らの持つ戦士としての理想像をそう易々と取り払うことも出来ない。
何とも悩ましいことだ、と半数近い入れ墨半裸の男達を眺め、腰の投げ斧を引き抜き、手慣らしにくるりと投げた。
調子は上々――アルドスを相手に、この戦を大勝に収めれば、まだ多くに侮られている自分が大族長として認められる。
どういうつもりか、真正面から挑んできたというのは僥倖であった。
「第一の斧は必ず合わせろと伝えろ。最初から最後まで、流れを渡さぬまま押しつぶす」
対するアルドス――エンレイネの側では戦列が整えられていた。
「アルマス、ロッディア。言っていた通り、お前達には中央を任せる」
「了解! へへ、ありがとうございます大族長!」
「だが、勝手な動きは慎め。必ず左右と歩調を合わせろ」
その言葉にアルドス傘下の族長、アルマスとロッディアは眉を顰めた。
「何度も言ってますが、エンレイネの腰抜け共に合わせてちゃ勝てる戦も勝てなくなりますぜ」
「……アルベランの戦を体感するための一戦だ。重要な中央に配した以上は文句を言わずに従え。お前達の役割は盾――剣は別にある」
その言葉に二人は不満を浮かべつつも、腰の剣を叩くように応じる。
そしてベルナイクから背を向け、彼らにつく戦士達のところへと向かいながら嘆息する。
「輝ける者も、あの大敗で牙を抜かれちまったらしい」
「嘆かわしいことだ。これからはアルドスの時代が来ると思ってたんだが」
エンレイネへの大敗。
二人はそこに居合わせなかった男達であった。
話を聞く限り小賢しい策にハマって一網打尽にされたようであったが、ベルナイクはバザリーシェという子供をアルベランと認め、恭順を示したらしい。
聞いた時には耳を疑ったが、実際に見れば目を疑った。
幼少から誰にもおもねることのなかったベルナイクが、バザリーシェのような小娘に膝を突いて接しているのだから。
案外幼女趣味なのかも知れない、などという笑い話も、それがこの先も続いていくというなら笑い話にもならない。
今回の戦い方については耳が痛いほどに聞かされた。
しかしどう聞いても小細工を弄した小賢しい戦い方。
武と武を示し、競い合う戦士の戦いなどではない。
少なくとも、彼らがアルドス大族長に求めていた姿ではなかった。
ベルナイクを軽んずる戦士はアルドスにいない。
幼少から類い希なる才覚を見せ、たった一人での狼藍退治。
そして先代との決闘の場には全ての族長が立ち合う中、手も足も出させずにその剣技にて圧倒した。
彼こそがアルベラン、と語る声さえもあり、アルマスとロッディアも尋常ならぬ傑物として彼には強く敬意を向けていた。
アルドスは剣と武勇こそを評価する。
四十を超える彼らからすれば随分な若者と言えたが、彼らはアルドスの戦士としてベルナイクのことは認めていたし、純粋に期待もしていた。
しかしこのところ、ベルナイクは彼らが望まぬ方向に進んでいる。
バザリーシェのような小娘に頭を踏みつけられ、そしてアルマス達にもそれを強要し、毎日やらされるのは横並びで歩く練習。
ベルナイクと共に敗れた連中は罰として受け止めれば良い。
だが、その場に居合わせなかった彼らからすれば納得が行かない。
愚弄され、頭に血の上ったベルナイクが大敗を喫した。
それは良い。
とはいえそれは単なる結果。
勝つこともあれば負けることもあるのが戦いである。
彼らにはそういう分別はあるし、負けることは恥ではない。
改めて勝負を挑み、勝ちをもぎ取ればそれで良く、戦士とはそういうものだ。
だというのにその一敗に囚われ小娘相手にへりくだり、それを傘下の族長達にも命じる姿は彼らの思う戦士の在り方とはかけ離れていた。
これまで見せてきた偉大な戦士としてのベルナイクに敬意を払い従っては来たものの、この先もこれが続くとなれば耐えがたい。
「まぁ、目新しいものに惑わされるのは若者の常だ。大族長もまだまだ若い。才はあるが、俺達に比べて積み重ねてきたものが足らず、芯が固まっていないところも多いんだろう」
アルマスは笑いながら言った。
「そういうところを補ってやるのも俺達の役目……アルドスの戦い方ってもんを改めて見せてやりゃいいさ。タイミングを見てどん、とな」
「は、悪くねぇ」
「ここのところ辟易していたが、あれこれ言っても大族長の才能は本物だ。あれに代わる大族長ってもんは中々居ない。俺達の役目は大樹を育てること……いらない枝を切り落とすのが役目だろうさ」
そうして自分達の戦士の前に二人は並んで立つ。
アルドスの戦士達はガーカの戦士達のような盾を使わぬ代わり、革の鎧兜で頭胴、手足を守る。
動きを阻害せぬよう、腕と腿に装甲はないものの、彼らの第一は剣。
一本の剣は敵を切り裂く武器であり、その身を守る盾である。
戦士とは鋭き鋼である、という彼らの信仰が土台にあり、ガーカの戦士が盾を与えられるように、アルドスの戦士が戦士となった際に与えられるのは一振りの剣。
剣の一本で全てをこなすことが戦士の理想とされていた。
この時代、主戦場は森である。
木々の枝葉が射界を遮り、先日起きたように矢の一斉射を受けるという状況はそれほど多いわけではない。
至近の間合い、出会い頭の遭遇戦から始まることが多く、矢の攻撃は散発的なものがほとんど。
鎧を貫く強弓を引くものや、鎧の隙間を抜く一部の手練れはともかく、動き回る戦士達を矢で射貫く技量の持ち主はそれほど多くなかった。
流石にほとんどの戦士は高速で飛来する矢を剣で切り落とすほどの技量を持ち合わせてはいなかったが、矢で射貫かれて死ぬことは恥ではない。
むしろその技量を持つ相手の腕前を称えるというのが戦士の在り方。
各々が個別に走る戦い方も全くの無謀な蛮勇という訳ではなく、矢や飛来物を躱すため散開――機動力を重視した結果であった。
多くの場合それは良い結果を彼らにもたらし、数多の部族を恐怖させた。
剣一本に全てを捧げた彼らの技量はその他の追随を許さない。
敵の集団に一人二人でも斬り込めば、相手はその技量の差に驚き乱れ、乱戦となればもはや一方的な蹂躙となる。
そして個を極端に重視すればこそ、一部の極まった戦士が場を支配する。
ベルナイクのように飛来する矢さえも切り裂き、数人を瞬時に両断する人外の戦士は、たった一人で戦いそのものを掌握する。
精々は百や二百の小競り合い、互いに千も集めれば大いくさと呼ばれるこの時代において、個に偏重した戦い方というものは決して間違いではなかった。
百人を斬り倒す戦士を止められるのは、同じく一握りの戦士だけ。
戦の強さとは個を追求していくことだという考えはある面で正しく、ベルナイクに対する彼らの反感も真っ当なものだと言えた。
「喜べ。俺達は中央ど真ん中、最先頭だ」
アルマスの言葉に戦士達は一様に喜色を浮かべる。
戦場で敵を斬る。
彼らは皆、そのために己が生まれたと疑わない。
「だが大族長は先日の大敗に少しばかり及び腰になっているらしい。いつものように突っ込まず、エンレイネの腰抜け共と合わせろとのことだ」
その言葉に戦士達は顔を見合わせる。
目の前にある二人の族長と同様、このところの『訓練』には辟易しているものが多かった。
「輝ける者もまだまだ若い、陰ることもあるだろう。だが太陽を雲が覆うならば、それを吹き飛ばすのがアルドスの戦士というもの」
「先日の敗北は俺達が同行しなかったが故。まずは合図を待つがいい」
アルマスの言葉に続けたロッディアは剣を引き抜き、頭上に突き上げる。
「俺達が雲を薙ぐ大風となり、大族長の雲を払ってやろうじゃないか」
その言葉に咆吼を返すように、戦士達は剣を引き抜き、突き上げた。
二人が去って行ったところで、ベルナイクの前に現れたのはミツクロニアだった。
「大変なお役目ですな。アルドスの戦士達は皆勇壮……多くの反発があるというのは分かっていましたが」
「他人事だなミツクロニア。まさか、俺に面倒を押しつけたいがためにへりくだった振りをしているのか?」
「斜に見過ぎでしょう、それは。私ではアルドスの戦士も従いません」
ミツクロニアは苦笑する。
押せば引き、手応えはなく、だというのに纏わり付くような男だった。
これで無能ならば有無を言わさず斬り殺している。
「俺は現状の形も間違いとは思わん。むしろ、森を主戦場とした戦いにおいて、アルドスの戦い方は一つの完成形と言える」
「そこに関しては一つの理がありますな。ただ一つを追求すればこそ、得られる強さというものはある。剣という一点において、アルドスの右に出る者はないでしょう」
小細工を弄さず、己の技量を高めた戦士の集団。
真っ直ぐな鋼のような精神性であればこそ、その強さは保たれる。
「ただ、あくまで一つの理。一つの完成形。要は石拳……物事には良し悪しが有り、相性がある。私はアルドスを変えぬまま、バザリーシェ様の手足としたい」
「……?」
「バザリーシェ様はあの知性と才覚。良くも悪くも、他人についての理解が薄い。自分と他人というものがあまりにかけ離れすぎているのでしょう」
ミツクロニアは憂い顔で口にした。
「バザリーシェ様はアルドスが何故強いのか、については理解出来ていないと言えます。戦士を数として捉え、そして例えば一の力を持つ戦士は一である、と極めて単純なものの見方をなさることがある」
「この仕組み自体、そういうものと言える」
手足のように集団を動かす。
個としての自主性を廃したその仕組みは、人を道具とする発想だった。
バザリーシェは人間をどこか、駒か何かのように眺めていた。
「ええ。私がバザリーシェ様に不安を抱くのはその一点。アルドスの戦士はエンレイネの戦士とは違う。アルドスの戦士が強くあるのはその環境や信念、そこで培われてきたものがあるからこそ」
ミツクロニアは再び苦笑し、周囲にある戦士達を眺めた。
「バザリーシェ様はそういう部分を軽視なさるが、なればこそ私の役目はそこを補うこと。そしてバザリーシェ様の望むものを、望む形のまま与えること。……僭越ながらあれこれと指導はしましたが、アルドスは現状のままで良い」
そして正面――木々の向こうを眺める。
「同様にガーカも同じく。我らエンレイネは得手とする鍛冶や工作、土台を固め、アルドスは敵を切り裂く鋭き刃となり、そしてガーカは敵の攻勢を受け止める強固な盾に」
そして右手に手刀、左手に拳を作り、微笑んだ。
「……大切なことは、各々が最善の能力を発揮するための役割を担い、それを全うさせること。そのために必要なのは規律にばかり手足を縛られたアルドスの戦士ではありませんからな」
「我慢しろと?」
「今しばらく」
その答えに、ベルナイクは嘆息する。
「まぁいい、お前に乗ってやると決めたことだ。未だお前の望む全貌とやらは見えていないが、これが万を超える頃には見えてくるのだろう?」
「ええ、間違いなく」
「そのためにやるべきことをせねばな」
咆吼のような声が、アルマスとロッディアが向かった先から響き、目を細める。
「……辛いお役目ではありますが」
「死ぬも生きるも連中次第……俺の要求は伝えた。死ねばそれまで、ということだ」
バザリーシェは子供のように無邪気であった。
根底で自分とその他を別の生き物か何かのように見ていて、自分の飼う家畜の世話をするかの如く、と言えば正しいか。
あるいは花壇の手入れをする如く、であろうか。
『アルマスとロッディアのグループは早めに間引いておきたいですわ。出来れば次の戦いで、適当に処理して下さいまし』
悪意もなく、笑う姿はアルベラン。
彼女は決して神ではなく、言葉通りの神の子だった。





