アルベラン 二
森を拓いた広大な訓練場では、整列した男達。
マエヘススメ、トマレ、ミギヲムケ、と声を響かせ、その通りに男達は動く。
「下らん訓練だ」
「しかし、必要な訓練でもあります」
その様を呆れながら眺めるベルナイクに、ミツクロニアが言った。
アルドスの戦士達も不満の声を口にしていたが、先日の戦とバザリーシェの存在もあり、反抗にまでは到っていない。
「アルドスの戦士達は強い。例えば十人と十人でやり合うなら大抵の相手に勝るでしょう。しかし強い戦士のみを千人、あるいは万を揃えるということは難しいもの。山の上だけではなく、裾も使わねばその数は揃わない」
「理屈は分かる。だが、あれでは戦士達も力量を発揮出来まい」
規格の統一というのは理解出来なくもない。
確かに整然と隊列を組み、統制の取れた行動には強さがある。
例え戦えぬような女子供であろうと、百人が揃って長槍を突き出せば、戦士であっても正面から突破するのは至難であった。
一対一で太刀打ち出来ない相手であろうと、戦列は技量を補う。
弱者の戦いとしては理に適っていた。
だが、弱者に合わせる側、個としての強さは犠牲にされる。
「仰る通り……実際のところ、アルドスの戦士達には槌を担ってもらいたいと考えています」
「槌?」
「今例えるなら私が金床」
そうしてミツクロニアはベルナイクに向き直り、
「バザリーシェ様が槌ですな」
「っ……」
その言葉と同時、気配もなく背中から飛びつくのはバザリーシェ。
銀の髪を揺らしながら、楽しげに少女は肩の上で微笑んだ。
「ふふん、勉強は頑張ってるかしら?」
「今は基本を学んでいただいているところです」
眉を顰めると、ミツクロニアは笑う。
「整然と向き合う戦列に目を奪わせ、両翼より背後に回り込ませた槌で叩く。古くは鉄床戦術と呼ばれた戦い方です。戦列を金床に、機動力ある騎兵を槌とした」
「ベルナイクの負けですわ。馬になってくださいまし」
バザリーシェは幼稚な子供であった。
うんざりしながら嘆息し、されるがまま。
背中から飛び乗ったバザリーシェを無視した。
「では何故俺の戦士にあのような無駄なことを?」
「戦列の強味と弱味を理解してもらうためです。何故戦列が強いのか、それに打ち勝つためにはどうやって崩すべきか――内側からなら感覚で理解出来る部分も多いでしょう」
「全員お馬鹿な人達ばかりならともかく、かつてあった戦術……多少知恵のある連中はすぐに学んで真似てきますわ。そうなった時のため、勉強として学ぶ必要があるってミツクロニアが言いましたの」
ふふん、とバザリーシェは尋ねる。
「集団における勝敗、優劣はどこで決まると?」
「一人がより多くを殺した方の勝ちだ」
「正しい解釈ですわね。戦力同数であれば、一人が二人殺せる側が強いですわ。では問題は、どうやって一人に二人を殺させるか。……ミツクロニア」
は、とミツクロニアはしゃがみ込み、足元にナイフの柄で線を引く。
戦列を示す長方形と、方向を示す矢印だった。
「例えば百人五列の長槍戦列に、この前のアルドスみたいな戦士が立ち向かってきたとして、先頭で何が起こっているかベルナイクは理解出来てますの?」
「……?」
「ばらばらに飛び込んでくるアルドスの戦士達……こちらが二十人並んでいるところに、先頭は精々十人足らず。しかもこっちは前三列の槍も含めて手数は実質六十ですわ」
長方形の前に小石がいくつか置かれていく。
「得物の長さの分、攻撃が先に届くのはこちら。一人が槍の壁を抜けようとするならば、六人の槍を躱して斬り倒さなければなりませんの。六対一で抜けられるような人間はそんなにいませんわ」
単純に考えればの話ですけれど、とバザリーシェは告げる。
「大切な事は常に先手を取ること、多対一の状況を作ること。一人二人の槍を躱せる人間も、五人六人となれば躱せない。得物の長さで先手を取れれば、こちらは無傷で、相手の数だけが減る訳ですもの、戦況はより優位になりますわ」
実際、先日の戦いでエンレイネの死者はゼロだった。
負傷した者が何人かいた程度であったと聞く。
「横合いからの弓もそう。相手の攻撃の届かぬ位置から、一方的に攻撃が出来る。先日の戦いでは、アルドスの戦士達は一人として剣の届く間合いに踏み入ることが出来ず、攻撃を受けただけ。……前の長槍を崩すべき、あるいは横の弓を狩るべき、各々が迷いバラバラに動いて多対一で討たれ、そこでトドメに背後から」
気持ちいいくらいの完勝でしたわね、とバザリーシェは微笑んだ。
それに関して異論はなかった。
「まぁわたしがいましたもの。万に一つもベルナイクに勝ち目はなかったですけれど、わたしがいなかったと仮定すればあそこからでも十分勝機はあった。それは何かしら?」
「……横の弓兵を切り抜け、仕切り直す」
「そうですわね。あなたの指揮で全員が一丸となってどちらかの弓兵を切り抜ければ仕切り直せましたもの。でも、それでも動きはバラバラ……大損害を被って、一度集落まで戻って戦士を再招集という形になったのではないかしら」
アルドスの戦士は強い。
だが、確かにバザリーシェの言うとおり、冷静に見ればそうなっただろう。
一方を向けば一方に背後から射貫かれる。
「数の戦いは算学ですわ。個の殺傷力ではなく、集団としての殺傷力が勝るものが勝つ。局所的な数的有利をいくつも作り、相手に何もさせずに殺す。そうするため自在に動かせるよう訓練する。無論、あなたやミツクロニアのように多少の有利を覆す人間もいますけれど、それは個別に対処すれば良いだけですわね」
くすくすくす、と上機嫌な様子でバザリーシェは耳元で笑う。
「数が増えれば増えるほど、個の力は薄れるもの。万の軍勢を揃えた頃、一人の力は小さなものですもの。……あなたがわたしの片腕として、万の兵を率いたいと思うならば、彼らを手足のように扱う術を身に付けなくては」
「……万を超える兵を集めた先は?」
「北のクレィシャラナを滅ぼしますわ」
眉を顰める。
この数百年、北部一帯を支配する大部族であった。
宙を舞うグリフィンを乗騎とする戦士達の集団であり、数十に及ぶ周辺部族を天の高みから支配する。
この一帯までその支配は届いていないが、その名を知らぬ者はいない。
いずれ数十年後の目標としてベルナイクも考えていた。
だがバザリーシェは恐らく、ここ数年の目標として口にしている。
「グリフィンも精々千匹程度、クレィシャラナ自体の兵力は五千にも届かないそうですもの。多少手間と労力を割くことにはなりそうですけれど、そんなに難しいことじゃないですわ」
「策がある……と?」
「そうですわね。いくつかありますけれど……そのためにもあなたが、わたしの片腕に足る存在だということを証明して欲しい、というところかしら」
ぴょん、とようやく飛び降りると、眩しそうに空を見上げた。
「心配することも、恐れることもない、窮屈で煩わしい全部から解放されるような場所をここに築きますわ。毎日ぐっすり好きなだけ寝て、好きなだけ食べて、好きなだけ遊べるような場所……」
それからベルナイクの腰の剣を引き抜き、裾をひらりと舞わせるように。
「……人も木々もグリフィンも、必要あらば竜でさえ」
小さな少女は鋭き鋼を太陽へ。
「妨げる全てをわたしが裂いて、日陰の民を太陽の下へと導きますの」
――高き天へと、その切っ先を突き立てる。
子供のような声音を響かせ、傲岸不遜。
ものを知らぬ幼稚さの極みと言え、けれどただの幼稚と口に出来ぬほどにバザリーシェのその姿はあまりに美しく、堂に入っていた。
再びくるりと向き直り、宝石のような瞳を向けて微笑んだ。
「来月、ガーカを攻めますわ。……指揮はあなた、お目付役はミツクロニア。そこでわたしの片腕に足る存在であると証明を」
見上げるようで、見下す瞳。
絶対的な確信と、自信に満ちた紫色。
彼女はまさしく、正真正銘のアルベランであった。
「――アルドスが攻めて来た、だと?」
伝令の言葉に、ソファに寝転びながら神官の講義を受けていたガーカの若長、ゴーデウスは身を起こす。
硬い黒髪を伸ばして後ろで纏め、髭は生えるがまま。
両頬には族長を示す左右対称の幾何学的な入れ墨。
二十歳を過ぎたばかり――父であった先代が魔獣との戦いで急逝し、大族長の座についてまだ半年ほど。
問うた言葉には喜色が交じっていた。
「何人だ?」
「正確な数は……しかし、千はいそうだと」
「は、中々の大所帯だな。来る日も来る日も爺のつまらねぇ話を聞かされてうんざりしていたが、楽しくなりそうじゃねぇか」
真白い長髭を三つ編みにしたローブの老神官、ラーセルはその言葉に眉を顰める。
「大族長として学ぶべき記録と掟です」
「そんなもんはお前らが覚えておきゃいいだろう。大族長ってもんは戦場で戦士を率いて働くもんだ。百の言葉を覚えているだけの大族長より、百の首を取る大族長を戦士は望む」
「そのお言葉に返すなら、百の首を取り、百の言葉を知る大族長になればより尊敬もされましょう。先代はそうなさっていました」
呆れたように首を振る。
木簡や書物ではなく、特に南部から西部に位置する多くの部族では、口伝による知識の継承が好まれた。
「しかし、今日の口授はこれまでとしましょう。アルドスはどこに?」
「狼煙はミクレの丘のようです」
「……三日か」
「戦鐘を鳴らせ。最低限の人数を残して、全ての戦士を集める。相手はアルドス……中々の戦になるぞ」
は、と伝令の男は走り出し、ゴーデウスは口元に笑みを。
「大族長になって早々、面白いことになったもんだ。小競り合いじゃなく、アルドスは本気だな。……相手はあのベルナイク、か」
「倍の人数を集めて尚、決して油断はならぬ相手です」
ベルナイクの名は周辺世界に知られている。
数多の狼を率いる、人の身の丈を超える巨大な狼――狼藍をたった一人で狩った傑物。
縄張り争いでは個として強靱な翠虎や紫熊に敗れ、追いやられることも多いが、人の身で相手する場合、これほど恐ろしい相手もいない。
知能が高く、無数の狼を使役する狼藍は気まぐれに出会った人を狩る多くの捕食魔獣と違い、集落そのものを狩りの対象とした。
狼藍率いる群れに襲われ、集落の人間が一人残らず喰らい尽くされたという凄惨な話は過去の記録にいくつも残っている。
十年前にも同様の襲撃がアルドス支配下の集落で起き、先代アルドス大族長はまだ成人したばかりのベルナイクにこれの討伐を命じた。
先々代の大族長の息子であり、才気目覚ましいベルナイクを危険視していたが故――断れば臆病者と名誉を失う、合法的な処刑と言うべき命令。
ベルナイクが並ではないのはここからであった。
同行をと口にする戦士達を拒むとたった一人で狼藍の群れに挑み、一昼夜を戦い続け、これを成し遂げ帰ってきた。
目映い暁光に照らされながら狼藍の大牙を持ち帰り、堂々たる足取り。
それ故、その二つ名は輝ける者。
ベルナイクはアルドスにある戦士達から絶大な敬意を集めた。
その後は二十二の若さで先代族長に決闘を挑み、これを制して大族長の座をもぎ取り、多くの部族は彼の率いるアルドスに強く警戒している。
ガーカの先代大族長も同様、数年の内にこちらへ牙を向けるだろう、と準備を怠っていなかった。
代替わりから半年――ガーカの戦士は傘下も含めて三千を超えるとはいえ、距離を考えれば猶予は三日。
集まるのは精々が二千だろう。
倍の人数があるとはいえ、ベルナイクを相手には幾分心許ない。
連れてきた千は元より精強で知られるアルドスの精鋭に違いなく、そして代替わりして間もなくのゴーデウスはあまりに若い。
武勇もある。
人に好かれ、才覚にも恵まれていたが、あまりに経験が不足していた。
将来は先代に劣らぬ大族長になるだろう、とラーセルは考えていたものの、未だ大きな実績のないゴーデウスを軽んじる戦士達もいないではない。
そしてそれを肌で感じているのだろう。
ゴーデウスは周囲から認められるための手柄を強く求めていた。
「……ゴーデウス様、たった一人で狼藍を狩るために必要なものは何だと?」
「あぁ? 心配性な爺だな。流石に俺もベルナイクを侮っちゃいない、決闘なんて馬鹿げたことは言い出さねぇよ」
「並ならぬ剣腕の持ち主であることは確か……しかしそれだけではありません」
ラーセルは真面目な顔でゴーデウスを見つめる。
「群れを率いる狼藍をたった一人で仕留めるには、強さだけではなく多くの知恵と慎重さも必要です。不利な状況を避けて粘り、策を練り、一瞬の機会を逃さず命を奪わねば狼藍の率いる狼共に喰らい尽くされるでしょう」
「あっちには何か考えがあると?」
「さて。しかし、勝つべくして勝ちに来ている、ということはよく考えた方がよろしい。アルドスが出てきたと言うことは、こちらが倍以上の戦士を集めることを想定した上で、勝てると踏んだということです」
ベルナイクが単なる豪傑であれば、狼藍に食い殺されていただろう。
決闘も同様。
狼藍討伐から七年、しっかりと地盤を固めてから先代大族長に挑み、誰にも有無を言わさぬ形で大族長の座をもぎ取った。
ただ強いだけではなく、力の使いどころを弁える冷静さを併せ持つ男。
決して油断は出来ない。
「……もう数年は後かと考えていましたが、代替わりから間もない今のタイミングを逃す手はないと考えたのか」
「逆に俺を侮っているならそれは大歓迎だが。しかし、例の噂はやはり下らん噂だったようだな」
「ベルナイクが敗れたという?」
「それだ。小物相手に惨敗しただとか」
先日流れてきた噂話であった。
傘下の部族がアルドスへの反抗を示し、ベルナイク自らその制裁に向かったものの惨敗を喫した、などという内容。
愚物が大族長になってしまったせいで崩壊したという話はいくつもある。
とはいえあのベルナイク率いるアルドス。
そんな話があり得るものかと思っていたのだが、こうして踏み入ってきた現状を見れば、噂は噂だったのだろう。
内側に憂慮を残した状態で他に攻め入るのは、よほどの愚物くらいであった。
「何にせよ、俺にとっても悪い話じゃない。あのベルナイクを打ち負かせば向こう十年は手出し出来ないだろう。俺も戦士達に認められ、安心してガーカの土地を広げていける」
「くれぐれも、手柄首をと勇み足にならぬよう。打ち負かせたとて欲を掻き、首まで望めばまさかもあり得る相手です」
「心配性は爺の常だな。耳にタコだぜ、全く」
呆れたようにゴーデウスは立ち上がり、言った。
「しばらく集落のことは任せるぜ爺」
「ええ、ご武運を……無事の帰還を祈っております」
頭を下げるとゴーデウスは部屋を出て行く。
赤子の頃から面倒を見てきた、孫のような相手――口も含めて欠点も多いが、才と未来ある愛しい若者である。
不安が悪い形で的中しなければ良いが、と、武勇の神へと祈りを捧げた。





