兎剣 狂狂朱 中
そこは城下街にある小屋敷。
小さな庭と厩がある程度のもので、周囲には似たような造りの建物が多かった。
庭で木剣を構えるのはボジーと老兵、タルタ=バウルゾン。
比較的長身と言えるボジーよりも背丈があり、その手足もすらりと長い。
白髪と白髭を蓄え、肉は多少落ちているようだが、衣服の隙間から見える体は古木のよう。
鍛錬に鍛錬を重ねた古兵の圧がある。
黒髪を後ろで束ねた恋人、サラニスは不安そうにこちらを見つめ、ボジーは頷く。
「ボジーと言ったな」
「はい」
「あれからふた月足らず……それでわしをどうにか出来ると?」
「決して落胆はさせないと思っております」
真っ直ぐと見つめて告げると、老兵は頷く。
「よろしい。では、覚悟はあるな?」
「……覚悟?」
「この勝負に二度はない。前回のような無様を晒すならば、二度とサラニスに会わぬと誓え」
「お爺さま、そんな……」
「静かになさい」
そして木剣を突きつけた。
ボジーが絶句すると、タルタは笑う。
「答えは? 今ならば、このまま引き返しても構わん」
その言葉の意味を考え、目を閉じて。
「……分かりました。誓いましょう」
真っ直ぐ告げると、タルタは静かに目を閉じ、再び構えを取る。
「先手は譲ろう。いつ来ても構わない」
「……はい」
サラニスが息を飲み、ボジーは呼吸を整える。
深く、長く、静かに――早鐘を打つ心臓を落ち着けるように。
剣術指南所で何よりも教わることは、剣術よりも心構え。
入れ込まず、冷静に、稽古のつもりで実戦に臨むこと。
肩を竦め強ばらせ、それから静かに脱力を。
緊張で定まらない足元に深く重心を落とし、それから緩めて中央に。
胸でもなく腰でもなく、へその上下に重心を。
まず整えるべきは形から。
腹が据われば震えは止まる。
震えが止まれば、心も静まる。
心が静まれば視野が広がり、浅い呼吸は深くなる。
目の前にいる老兵は剣達者。
しかし、カルアやあのアルベリネアほどではない。
彼女らと対峙することを思えば、ずっと気が楽であった。
手も足も出ないということはない。
五間の間合い。
ボジーがこの老兵に斬り掛かるにはやや遠く、あちらからは刃圏だろう。
しかし、先手を譲ると言った以上、間合いを選ぶはこちらであった。
「……?」
構えを解くと無造作に、歩くように距離を詰めた。
一瞬の困惑を浮かべた老兵は、無意識に斬り掛かろうと反応した体を止め、その間にボジーは二歩、一間の間合いを詰めた。
四間からならば、技量の差を超え剣は届く。
「はっ!」
「っ……!」
姿勢を深く、全力の踏み込みで一歩。
右からの薙ぎ払い――深く入る一撃であり、受けるには重い。
体捌きでは躱せぬ一閃に、老兵は後方へ跳ぶ。
その右脇で着地するのではなく、蹴るように老兵の後方へ。
流石は戦場の武人。こちらの剣を最小限に躱す小さな跳躍であったが、なればこそ背後を取れる。
『くるくるしゅっ、とんたっどんっです』
ここの所、寝ても覚めても頭の中に響いていたアルベリネアの妙な擬音が頭に流れ、軽やかに背後を取り、しゃがみ込むように跳躍の姿勢。
縮めた全身を弾けさせるように、放つは渾身の突き。
決まった――
「うっ、ぐ……っ!?」
そう思った瞬間、腹部に衝撃。
胃液がせり上がるような激痛に崩れ落ち、蹲る。
見れば、老兵の手には逆手に持った木剣。
振り向くことなく背後に突き出された切っ先が、ボジーの鳩尾を抉っていた。
「ボジー!!」
声を張り上げ駆け寄ったサラニスがボジーの肩を抱く。
それに反応も出来ず、蹲るボジーに、老兵は振り返った。
「……それは、アルベリネアの剣か」
それから、懐かしいものを見た、と静かに笑う。
それから、屋敷の応接間へと連れられ、ソファに座らせられる。
老兵――タルタ自ら酒杯に酒を注ぐと、自分とボジーの前に。
「酒は飲めるか?」
「はい、大分落ち着いて来ましたので……」
腹の激痛も流石に落ち着いていた。
彼は鷹揚に頷くと酒杯を持ち上げ、ボジーも応じる。
そして一口付けると、サラニスに言った。
「……祝福されるべき日だ。夕食には良いものを」
「っ……はい、お爺さま」
サラニスはほっとしたように笑顔を浮かべ、ボジーに目を向ける。
ボジーもまた、笑みを浮かべて頷くと、彼女はそのまま買い物に出て行く。
「それでは……」
「見事な剣とは言わん。まだまだ甘く、鋭さに欠けている」
「……はい」
「だが、勝つべくして振るわれた剣であった。先手を譲るという言葉の利を最大限用い、間合いの差を堂々潰しての一閃。……名誉や飾りの剣ではなく、まさに勝利を手にするための剣。あの道場では良い教えを受けているらしい」
ボジーは頭を下げつつ安堵する。
仮に先手を譲られたなら、堂々と距離を潰せ、と言われていた。
それは卑怯なのではないかと思ったのだが、
『お馬鹿は早死にするよ。あのね、先手を譲ると言われた時点で主導権を奪われてるの。格下が素直に斬り掛かって来たところで、防げないと思う?』
そういうことだと言われれば、確かにと思える。
受けるつもりで構える相手に、斬り掛かることを強制されるようなもの。
動く側が主導権を握っているとは限らない。
むしろ言われたとおりに動く側は、待つ側に踊らされていることになる。
『うさちゃん流の基本は主導権を握り続けること。うさちゃんくらい極めてたら話は別だけど、秘剣くるくるしゅっだって要するに、主導権を握り続けるための体捌きなんだから。まずは主導権を取り返してから振るわなきゃ』
使えるものは全てを使う。
落ちているものは投げて良く、砂を掛けても良い。
仲間のところに逃げることさえ戦い方。
あの道場で教えられるのはそのような心構えであった。
子供が剣を振るうのは普通、格好良さを求めてだろう。
今でさえそういう形を求めていたし、正々堂々に自然と拘る。
けれどあの道場で常に教えられるのは、戦い方ではなく、勝ち方一つ。
卑怯な間合いの詰め方を詰られるどころか褒められたことに意外さを覚え、けれど軍人とはそういうものなのだろうと納得もあった。
自分は若くあったし、それなりに才能もある方だと思っている。
黒旗特務の師範代、その何人かと比べれば恐らく自分の方が剣は上だろう。
けれど例えば、実戦でいざ殺し合えと言われ、殺されるのがどちらかと言えばボジーであった。
軍人と剣達者とはそういうものだ。
命をやり取りを目的としてきた者と、そうでない者の差は大きい。
「平和な時代になった。素晴らしいことであるとは思うが……平和な世では必ず失われるものがある。分かるか?」
「……覚悟、でしょうか?」
「そう。君は良い若者だ。未熟であるが覚悟を決め、己が守るべきもののため、勝てぬ相手に勝つ気で挑んだ。……サラニスも君にならば任せられる」
そう言って、静かに酒杯を傾ける。
ボジーは視線を泳がせて、口にした。
「……しかし、足元にも及びませんでした」
「そんなことはない。逆手の一撃――あれは五分の勘だ。君が今一歩冷静であれば外せていたし、そうでなくても五分で外れただろう。本来勝ち筋ない相手を五分の勝負に立たせた時点で、君の勝ちと言って良い。少なくとも君は最善を尽くし、私は認めた」
タルタは笑い、命のやり取りではない、と続ける。
「君には未来があるのだ。不満があれば欠かさず鍛えたまえ。その心がけを忘れぬように……仮にこの先、サラニスに危険が迫った時、君ならば守れるだろう。……私とは違う」
それから自嘲するように目を伏せた。
「私は君や彼ら同様、平民の出身でな。故郷の村を賊に焼かれ、軍人となることを志した。二度とあのような無法者に、焼かれる村がないように……守るべきものを守れるようにと、そういう人間になりたくてな」
その言葉を聞いて、息を呑む。
『――わたしの記憶が正しければ、バウルゾン大隊長ってクリシェ様が処罰した人だと思うんだけど』
ミアの言葉を思い出しながら、視線を揺らした。
「今も忘れられん。母に樽の中へ押し込められ、声を殺していた時のことを。一晩中悲鳴が響いて、そこには母の声もあった。……私は何も出来ず、樽の中で声を殺して泣き、怯えながら……事が終わって二日ほどして、ようやく樽の外に出た」
思い出しているのだろう。
こめかみを押さえる指が震えていた。
「……人間とは、同じ人間にここまで出来るものなのかと、そう思うほどの有様であった。人の悪意とは底知れぬものだ。嘆き、泣き叫んでも、母達の苦しみは消えず、その命も帰って来ることはない。……復讐のために昼夜問わず剣を振り続け、軍に入ったつもりであった。だが……私は母が陵辱される間も、樽に閉じこもっていた臆病者だった」
嘆息し、顔を上げる。
「王権戦争を知っているかね?」
「はい、それは……その、お話も何度か」
「あれは二十の半ばだな。君の師達とは逆……私がいたのは王弟殿下の側。竜の顎では女王陛下に剣を向ける立場で……アルベリネアの剣はそこで見た」
「っ……」
「こうして息をしている通り、私は臆病者……挑んだ勇者は皆殺された。……あの方の剣とは、そのようなものだ」
思い知らされたよ、と再び老兵は自嘲する。
村を焼かれて復讐のために生きることを決めたが、しばらくして村を襲った賊が軍に捕らえられ、処刑された事を知った。
復讐する相手を失い、次にどうすれば良いかと思えば、同じような人間を出さぬ事。
幸い背丈があったこともあり、年齢を偽り十四で軍に。
教官に殴られながらも実戦に出たいと繰り返し、十五になると治安維持や賊の討伐を主任務とする、常時雇用の百人隊に配属となった。
職業兵士となれる人間は一握り。
何万という人間を常時雇用出来るほどのゆとりはどこにもないし、基本的には百人隊長以上が職業兵士として扱われ、王から与えられる軍事費もそのように計算される。
それより下は通常予備役として、有事の際に徴兵、編成されることになるが、国防を任せられる武人たるもの、その責務を軽んじてはならない、という美意識が軍人貴族にはある。
私財を投じて兵長までを常時雇用することが一般的で、場合によってはクリシュタンド軍のように伍長を含めた人間全てを常時雇用する場合もある。
それとは別に私兵として、兵士を含めて常時雇用する場合もあった。
タルタが配属されたのは、そういう常時雇用の百人隊。
ボルゾー=ベルセン軍団長という槍使いの豪傑が雇用、指揮する、勇壮な百人隊であった。
職業兵士である以上、当然ながら求められるものは多い。
タルタを除けば皆十を超えて年上で、歴戦の猛者ばかり。
最初に配属された時には「こんなガキがどうしているのか」と随分可愛がられたものであった。
恐らくその隊に配属されたこと自体、口先ばかりは威勢が良いタルタに現実を教えてやろうという気まぐれと優しさ。
お前では無理だと諦めさせるつもりだったのだろうが、それでも必死に食らいつき、何度か賊の討伐に挑めば、タルタも彼らに仲間として迎え入れられた。
『仮に最後の一人になったとしても、死兵となって食らいつけ』
隊では幾度もそう聞かされた。
他の百人隊とは違い、この隊だけは逃げてはならない。
隊のため、そして守るべきもののために己を捨てて尽くすのだと、そう聞かされた。
無論荒くれ者も多い場所であったし、金に汚い人間や下品な人間も多くいる。
彼ら全てが善良であったかと言えば否であったが、少なくともその教えのために命を捧げる勇者の集まりであったことは確かであった。
昨夜揉めていた者同士であっても、戦いの場であればお互いを助け合い、命を尽くす。
親兄弟の如くに絆は強固であり、そして隊は家族であるのだと彼らは語った。
最年少の隊員として彼らと共に過ごす内、心の底からタルタも彼らを父や兄のように慕うようになり、そうした折りに始まったのが王権戦争。
王家の戦い。
果たして理がどちらにあるかは分からなかったし、仮にどちらか一方が正しかったとしても、隊を抜けてまで肩入れすることはなかっただろう。
隊は新たに手にした家族であり、己が何より守るべきものであった。
しばらくして、軍団長は中央軍、ヴィリング将軍の指揮下でベルナイクの戦いへ。
その戦いに勝利した後、山嶺の砦を補強するため、その指揮を執っていた。
当然ながら、タルタ達はその護衛としてその場に。
特に浮かれていた訳ではなく、気が緩んでいたわけでもなかったように思う。
勝利とはいえ、追撃戦でヴィリング軍は多くの死傷者を出している。
そして工兵を守らねばならないという状況、伏撃は十分に警戒していた。
工兵は一応兵士であるが、大工や職人の出身者ばかり。
当然、剣や槍の使い方程度は学んではいるが、築城やそれに伴う木材加工が主な仕事である彼らは戦いにおいて素人同然であり、そういう点で頼りにはならない。
まともに訓練を受けてさえ、殺し合いの心構えというものは出来るものではないし、その訓練が片手間であれば尚のこと。
味方と言うよりも保護対象であった。
そういう何かを守らねばならない、という戦いは難しい。
単純な戦いであれば、極論己の身を守るだけで良い。
殺されぬために相手を殺すというのは単純だ。迷う必要がない。
仲間を守るのも良い。
同じ釜の飯を食う、家族のような相手。
そうであれば、迷うことなく自然と体は動くだろう。
けれど、全く見ず知らずの相手を守らなければならない、という状況は迷いを生む。
それが人ではなく、拠点であってもそう。
理屈の上ではその大切さを分かっていても、心の中で迷いが生じる。
『本当に自分の命を捨ててでも守るべきものなのか』
という、そういう迷いだ。
そして迷った瞬間、兵士は組織部品から、ただの人間へと変わってしまう。
「賊退治とは違う。相手はあのクリシュタンドの軍だ。敗れたとは言え崩れておらず、もし仮に現れたなら向こうは死兵――己の命を賭して奇襲を掛けるだろう」
「……はい」
「僅かな迷いを見せれば、一気に突き崩されることもあり得る。工兵を守る、軍団長をお守りすると余計なことは考えなくていい。己の身を守れ、お前はひとまずそれで構わん」
日が暮れて、篝火が夜闇を照らし始めた頃だろう。
当時の班長はそう言った。
賊退治の経験はあっても、戦では素人の若造。
そんなタルタを気遣ったのだろう。
クリシュタンド軍の精強さは知っていた。
追撃戦で一個軍団がほぼ壊滅、というのは尋常のことではない。
撤退戦で殿を務めたというクリシェ=クリシュタンドの常軌を逸した剣腕はこちらにも伝わっており、追撃戦のあまりの凄惨さに狂を発したものさえあった。
クリシュタンド軍は未だ、敗残兵の集まりではない。
間違いない勝ち戦であると驕る人間は極一部、多くは未だ警戒心を弱めていなかった。
家柄ではなく、実力で軍団長の座を勝ち取ったボルゾー=ベルセンをベルナイクに置いたのも、ヴィリング将軍が同様の警戒心を持っていたためだろう。
槍使いの豪傑、実戦経験も豊富であり、甘えがない。
念入りに周辺の偵察は行なっていたし、歩哨も十分以上に立てていたように思う。
軽い指示を終えると昼に眠り、日が落ちてから目覚め、タルタ達の前に顔を出し、歩哨達の様子を自ら見て回っていた。
上官としては驕ったところのない、素晴らしい武人であった。
笑いながら兵士の肩を叩く、そういう気さくな人物。
無論、一兵士であったタルタには雲の上の人ではあったが、悪評を聞いた覚えはない。
その時のことはよく覚えていた。
夜、歩哨交代の時間を知らせるため、仲間の天幕に向かっていたところだろう。
山の東側から響いたのは悲鳴。
そして敵襲を知らせる声に、少し遅れて鐘の音。
巡回歩哨からの知らせもなく、突如の奇襲であった。
一瞬硬直していたタルタもすぐさま走り、天幕に向かえば、眠っていた隊の者達もすぐに飛び起き、剣を掴んで集合していた。
「タルタ、他の連中を軍団長のところへ!」
「っ、は!」
鎧も身につけていない百人隊長の声に、来た道を駆け戻り班長達に声を掛けて、再び隊の所へ。
砦の周囲は半里四方ほどが拓かれている程度。
西の端にいた班長達とは途中で合流し、中央に戻ってくるまでほんの僅かな時間であった。
しかし、東の端から襲撃してきた敵は既に中央へと斬り込んでいた。
正気を疑う光景だろう。
見える影はたった一人――それが、クリシェ=クリシュタンド。
銀色の髪を舞わせ、踊るように兵士を薙ぐ。
戦っているのは隊の仲間であったが、タルタが歯も立たないような男達を通りすがり、たった一閃で斬り殺した。
思わずタルタは固まり、班長すらも同様であったように思う。
彼女が率いているはずの連中を探し、その姿が見えないことに困惑し、そうした折りに砦の南側から悲鳴と鐘の音。
柵を跳び越え向かってくるのは彼女の率いる百人隊。
瞬時に櫓の上にいた兵士を斬り殺し、蹴落とし、周辺にいた歩哨を壊滅させていた。
数は多くなかったはずだが、夜闇は恐怖を増幅させる。
木組みの篝火を松明のように天幕や資材に投げつけ、驚くほどの速度で駆ける彼らの姿を見れば、それがたった百人などとは思えなかった。
その時のタルタには、その何倍もの伏兵が奇襲を掛けてきたかのように見えた。
それが正真正銘、百人隊一つを用いたクリシェ=クリシュタンドの奇襲であったと知ったのはしばらく後のことだ。
たった一人で一個軍団に陽動を仕掛けて意識を逸らし、百人隊一つで横撃を。
その場にいて、目にしても、常識が理解することを拒んでいた。
正確に状況を把握していたのは、砦の上にあった軍団長や大隊長くらいのものだろう。
「なるほど、貴様がクリシェ=クリシュタンドか! この奇襲、敵ながら見事……このボルゾー=ベルセンが相手になろう!」
声が響き振り返れば、砦から降りてきたのは軍団長ボルゾー=ベルセン。
多くの声や指示が周囲に響いていたが、タルタには遠い彼方の声のようであった。
他の兵も同様――動けず立ち止まっている者がほとんど。
この混乱では声は届かず、兵を掌握出来ないと知り、まずは注目を集めるため、己が彼女の相手をせねばと判断したのだと思う。
高みに近づくほど、彼我の実力は理解出来るもの。
槍の使い手で知られる軍団長。
砦の上から彼女の実力の程を見ていた彼が、蛮勇で声を張り上げたとは思えない。
それでも彼女の前に降りたのは、周囲の注目を集め、得手の槍が存分に振るえるように。
兵数はこちらが圧倒している。
彼女を討てずともその動きを止めれば、混乱から立ち直れば、こちらの勝ちだ。
冷静に時間を稼ぐため、軍団長は最善の策を採ったのだと思う。
周囲三人を斬り殺した彼女は言葉で応じることなく、その流れで踏み込んだ。
地を這うが如くの低姿勢。
繰り出したのは右の薙ぎ払い。
槍の間合いをものともせず、彼女はその内側へ入り込んでいた。
軍団長は咄嗟に気付いて後方へ跳躍したが、彼女はそれを追い越すようにくるりと回り、背後を取った。
軍団長の力量は知られたとおりのもの。
不利を悟った瞬間には槍の石突きで背後を突こうとしたが、彼女は容易に脇の下を潜って引き裂きながら、身を捻って首を一閃。
一拍遅れて血花が咲いて、軍団長の体は崩れ落ち。
――百人いれば百人が死ぬ、あれはそういう魔剣であった。
「それは……」
「君が先ほど見せた剣だ。アルベリネアから教わったのか?」
「……はい」
答えると、酒杯を傾けながら老兵は頷く。
アルベリネアが戦場で用いた必殺剣――くるくるしゅっ、などとふざけた名前で呼んではいたが、振るわれる側の視点で見れば、欠片も笑えるものではあるまい。
「ぞっとするような、芯から凍えるような……美しき死の剣舞。今も鮮明に覚えている。そうでなければ、先の勝負は君の勝ちであっただろう。何十年と経て、ベルセン軍団長の気持ちが理解出来たように思う」
苦笑して、続ける。
「無論、付け焼き刃……アルベリネアではああはなるまい。とはいえ、良い剣であったことは間違いない。敗色濃厚な戦いで諦めず、それでも決して負けてはならぬと振るった覚悟の剣。修練の差と天運で勝利を手にはしたが、私はその境地に到れなんだ」
「……そんなことは」
「母が陵辱されてる間も、樽に入って震えていた小僧。……弱い男なのだ、私は」
老兵は、暖炉の上に飾られた優美な剣を眺めた。
瞼を狭め、寂しげに。
「優美な剣を腰に提げ、勇壮な鎧を身につけて、軍人の振りをしても変わらない」





