クリシェのクリシェ 宵の口
朝食作りは基本的に二人。
昼食作りはまちまちで、夕食作りは大抵三人。
稀にセレネが暇潰しにと参加する日もあるのだが、今日に関してはいつも通り。
クレシェンタはお馬鹿でわがままでだらしがなく、素直になれない甘えんぼうであるのだが、料理をさせると中々のもの。
文句と悪態ばかりはいつまで経っても減らないものの、仕事は真面目で丁寧である。
何だかんだと言いながら料理するのは好きなようで、頼まれた仕事は責任を持ってこなした。
任せてあげることが大事(ベリー語録より引用)という言葉は、ガイコツ語録にもある言葉。
当時はキースに軍団の副官相当の仕事を任せる際、ミアの提案もあり使われることになったのだが、責任を与えられ、そしてそれに足ると評価されることはモチベーションを高め成長を促すもの。
クリシェがベリーにメニューを任せられる際の緊張と、小さな一歩を踏み出し、その期待に応えられた際の喜びたるや言葉にすることも難しい。
どうしようもない妹ではあるが、流石はクリシェの妹でもある。
クレシェンタもベリーに仕事を任せられれば悪態を吐きながらも張り切り、時にクリシェをも唸らせるような結果を叩き出した。
今手に持つ彫刻入りカボチャの器はまさに、張り切ったクレシェンタの傑作である。
空を覆うは星月灯り。
蓋のされたカボチャと籠を手に、窪地に空間固定された扉を開けば竜が二頭。
その少し手前の根っこに腰掛けるリラが一人。
にょきにょきと伸びた世界樹の周囲では無数の光――お馬鹿な精霊達が淡い燐光を放ちながら、ひゅるひゅるめらめらすいすいとあちらこちらで泳ぎ回り飛び回り、足元ではとてとてぴょんぴょん、あちらこちらを走り回る。
精霊を見ていると何となく、昔ミア達の道場で見掛けた子供達を思い出した。
景色を見ても、何が面白いのか分からない。
そんなクリシェに、思い出作りを楽しんでいるのだと昔ベリーが口にしたことがあった。
当時はちゃんと理解は出来ていなかったし、今も全部を理解出来ているのかは分からなかったが、ベリーが言っていた楽しみというのは多分これに近しいものなのだろう。
似てるもの、似たような状況に触れると不意に、頭の中に思い浮かぶ。
持ってきたクッキーが少なく、それを巡って子供達が喧嘩をしていただとか、思い返せば随分困ったこともあったのだが、そんな記憶さえ振り返って見れば楽しく。
不思議であるが、きっとそういうもの。
クリシェには思い出せない記憶というものはない。
けれど不意に浮かぶ思い出は、ただ思い出すよりもずっと楽しいもので、ベリーの口にしていた思い出も多分そういうものなのだと、今は何となく理解が出来た。
クリシェがそう思えるのもまさに、ベリーが沢山の思い出を作ろうとしてくれたから。
何でもない記憶をふと思い出す度、ちょっとした旅の思い出を振り返っては嬉しくなった。
スカートを捲ろうと飛び回る困った風精を魔法で飛ばしつつ、リラのところへ。
「く、クリシェ様……」
気付いた様子のリラがいつも通り、胸と腰だけを隠した格好で振り返った。
クレィシャラナは露出が好きな人達の集まりである。
太ももや腹を他人に見せるのは駄目、はしたない、とクリシェは幼少から教えられ、街で暮らすようになっても同様。
淑女の中の淑女たるベリーが何よりそうした衣装を好むこともあって、クリシェもそうした格好を好むのだが、クレィシャラナでは逆にひらひらとした衣装がはしたないものであるらしい。
常識というものは難しいもの。
しかし例えば、ベリーが仮にリラのように露出を好む文化の人間であれば、クリシェもあっさりそちらに鞍替えしていた可能性は大いにあっただろう。
そういうものだと考えると仕方のないことに思えた。
物事は色んな角度から、というのもベリーの教えである。
暑いときはともかく、寒いときくらいはもう少し楽な格好をすれば良いと思ったりはするのだが、これに関してはあまり言わないようにしていた。
「えへへ、リラにもカボチャのグラタンを持って来たのです」
「今は、その、修行中で……」
「はい。今は修行中だって知ってはいたのですが、リラの分も作ってしまって。修行の中休みに丁度良いかと思いまして」
「な、中休み……」
うんうんとクリシェは頷いた。
「もう一年くらい我慢してますし、すっごくおいしく食べられる時期が来たんじゃないかと。どうですか?」
蓋を開くと、濃厚なカボチャの香り。
それを嗅いだリラは喉を鳴らし、食い入るようにグラタンを見つめた。
「今日のカボチャグラタンはですね、ベリーがわざわざクリシェのために丹精込めて作ってくれた最高のカボチャグラタンなのです。だからリラにも食べて欲しくて」
「わ、わたしにも……」
「はい、木の実や山菜ばっかり食べてたリラならきっと、感動するくらいおいしいです」
リラは人一倍――お屋敷では一番の食いしん坊。
ただ、食のありがたみを忘れてしまう、という理由から、定期的に修行という名の我慢を行う趣味があった。
美味しい食事を我慢したり、ふかふかのベッドで寝ずに野宿したりと修行は色々なのだが、我慢をすることで我慢を終えた後の喜びが膨れあがるという点が魅力であるらしい。
禁欲明けにお屋敷でくつろぐ姿は確かに、言葉で言い表せないほど幸せそうである。
自分がリラのような生活を送った後、ベリーの手料理を食べたならばどうなるか。
満腹にもかかわらず、想像するだけで唾液が滲みそうであった。
村を出たクリシェが初めて食べたベリーの手料理は天地がひっくり返るような衝撃であったが、とはいえ再びその感動を再び味わうためにとそこまで自分を追い込める自信はクリシェにはない。
そう考えると、美味しい料理を食べるためだけにこれほど頑張るリラは、クリシェを圧倒する美食家と言える。
美食のためにここまでやるのかという、ある種の尊敬の念さえ抱いていた。
偶然キッチンに顔を出したエルヴェナが自分も手伝いたい、とカボチャをくり抜いた結果、カボチャのグラタンが一つ増えたのであるが、良い機会。
今日のカボチャグラタンは絶品、リラのそんな努力に報いることが出来る最高の美食である。
カボチャとスプーンを手渡すと、リラは震える手でグラタンをひとすくい。
恐る恐ると口付け、味わい、目を閉じて、
「……リラ?」
閉じた瞼から、静かに涙が零れ落ちる。
「おいしい……です。すごく……」
喉を鳴らすと呆けたように空を見上げて目元を拭い、再びグラタンを見つめた。
嬉し涙というもの――感極まるとはこのことである。
クリシェも経験はあるものだが、食事をするだけで嬉し涙を流したことはない。
よほど我慢をしていたのだろうと微笑んで、籠の中のパンを見せた。
「一応パンも持ってきたのですが、食べますか? えへへ、こっちも焼きたてなのです」
リラは頷くと、恐る恐るパンを手に取り齧り付く。
グラタンを口にしてはパンを食べ、夢中になったよう。
一つ目のパンはあっさりとリラのお腹の中へと消えていく。
「いっぱい食べていいですからね。中休み……んー、あ、そうです。明日はリラの大好きなお肉の串焼きパーティーしましょうか」
「そ、それは……」
「大丈夫です。一年も我慢したんですし、ちょっとくらい贅沢したって平気です。きっとすーっごくおいしく食べられますよ」
「ちょ、ちょっと……」
「はい、ちょっとくらい修行をお休みしたって誰も怒りませんし……ですよね、リーガレイブさん」
尋ねると、大きな眼をこちらに向けて魔力をびりびり震わせた。
『我に聞いてどうする。好きに喰らえば良かろう』
「ほら、リーガレイブさんもこう言ってますし」
「り、リーガレイブ様も……」
「はい。どうしても修行を続けたいなら無理には誘わないのですが……我慢は体の毒って言いますし、無理をするのは良くないです。ちょっとだけなら大丈夫ですよ」
パンとカボチャをリラはしばらく眺めると、
「そ、そうですね、断るのも……わ、悪いですし」
欲望に塗れた瞳で頷いた。
そうしてリラと分かれ、屋敷に戻り。
丁度、庭にいたのはぐるるんに餌をやるエルヴェナだった。
「お帰りなさいませ。どうでしたか?」
「えへへ、明日はリラの大好きなお肉の串焼きにしようかと」
「そうですか。ふふ、良かったですね」
「はい、エルヴェナのおかげです」
エルヴェナは嬉しそうに笑ってクリシェの頭を撫でた。
副使用人長はクリシェであるが、しかしエルヴェナは中々のもの。
無論能力の上でクリシェやベリーには及ばないものの、人の気持ちを察し、それとなく世話をする、ということに掛けてはクリシェも舌を巻く部分があった。
「もしかして、わかっていてリラのカボチャを用意したんですか?」
「まさか、そんなことは。クリシェ様達が楽しそうにしてましたから、つい」
ニコニコと告げるエルヴェナにふむふむと頷く。
「どちらにしてもエルヴェナのおかげですね。おいしくご飯を食べるためとはいえ、リラは少し我慢をしすぎだと思うのです。そうやってエルヴェナが心配して、気に掛けてくれているということはリラにもちゃんと伝わっていると思いますよ」
「そうでしょうか……時々邪魔をしてしまっているのではないかと不安で」
「大丈夫です。誠実さや真心は、いつかちゃんと伝わるものなのです」
ベリー語録を引用しつつ、うんうんと頷く。
エルヴェナは少し悪戯好きなところはあるが、気遣いの出来る良い子である。
能力の優劣だなんてものはおまけ(ベリー語録から引用)という言葉もあるように、使用人の道とは何をしたか、ではなく、何を考えてそうしたか、という部分が大事。
他人を良く観察し、それとなく気配りをして、小さな幸せを相手に与える。
それこそが使用人の根っこというべき部分であり、エルヴェナはそういう意味で使用人道というものをよく分かっていた。
仮に意図的でなかったにしろ、無意識にリラを気遣っての行動だったのかもしれない。
エルヴェナはこのような場合、大抵否定するものだが、恐らくは謙遜。
己の手柄を誇らぬこともまた使用人というもの。
こうしたことは、分かるものにだけ分かれば良いのである。
あえてそこには深く触れず、クリシェは告げる。
「ぐるるんの世話が終わったらエルヴェナも休んでいいですからね」
「はい。あ……そうです」
「……?」
エルヴェナが思い出したように、ぐるるん小屋の棚に置いていた壺を見せる。
首を傾げると蓋を開け、漂ってきたのは酒精の香り。
「……お酒ですか?」
「はい。猿酒のようなものだと思うのですが……」
「猿酒……」
動物が果物などを貯蓄した結果、勝手に出来る酒だとされている。
ただ、それは方便。
大抵の場合、単なる酒の隠し場所であったり、そういう建前で密造された酒なのではないか、という見解が多かった。
「農場の近くで精霊がクリシェ様達のワイン造りを見て真似をしていたようですね。猿酒というより精霊酒……森の中でお酒造りを楽しんでいたようです」
「……なるほど」
精霊は実にお馬鹿な生き物である。
頭の悪くなったクレシェンタのような生き物で、その場その時で深く物事を考えずに生きていた。
勝手に畑の果実を集めて酒を造っていても不思議ではない。
「それでひとまず、クリシェ様にご確認いただこうかと」
「か、確認……」
「はい、確認です」
ニコニコと告げるエルヴェナに、クリシェは目を泳がせる。
「で、でもですね、エルヴェナ。最近はまたセレネが飲酒禁止だって怒ってますから……」
「もちろん、理解しております。返して来た方が良いと仰るなら、わたしもそうしようと考えているのですが、ここはひとまずクリシェ様のご判断を仰ごうかと思いまして……」
「な、なるほど……」
漂う酒精を浴びながら、壺の中身を見る。
不純物は取り除かれており、綺麗なもの――そのまま飲めそうな酒であった。
「軽く味見をして見たところ、中々飲みやすい良いお酒でした」
「飲みやすい……」
「ええ。……無論、飲酒を勧めている訳ではないのですが、ご確認くらいはされるものと思い、持って来たもので……、返してきましょうか?」
エルヴェナに尋ねられ、慌てて首を振る。
「それには……そ、その、及ばないのです。た、確かに確認は大切ですね」
「かしこまりました。どうしましょう、これからお風呂に入られるでしょうし、クリシェ様のお部屋に置いて来ましょうか?」
「そ、そうですね……ここは使用人長として、ベリーにも確認してもらわないといけませんし」
「ええ、ええ。……ここだけの話なのですが、実はご確認いただきたいお酒はまだありまして」
耳打ちするようにエルヴェナは顔を寄せる。
「精霊達はいくつかのグループでお酒造りをしているようなのです。それぞれ違いがあるようで……クリシェ様のご希望あらば、後日また折を見て、そちらのご確認も、と」
「後日……」
「ええ。いつでも」
エルヴェナは笑顔で離れると、それでは、と一礼して去って行く。
香る酒精に頬を赤らめ、クリシェはぐるるんを見つめた。
「こ、これはですね。大事な確認で、使用人の大切なお仕事ですからね」
言い聞かせるような主人の言葉を、分かっているのかいないのか。
ぐるるんはぐるるぅ、と気のない返事を返して欠伸を漏らした。
クリシェの一日において、湯浴みはとても大切な日課である。
早朝に目覚め、エプロンドレスを身につけてから気を緩める暇などなく働いて、そうした疲れを明日に残さぬよう取り除く大切な休息時間。
クリシェにとってそうであるように、ベリーにとっては尚のこと。
未熟なクリシェは何だかんだと甘えてしまうものだが、ベリーはいつも甘やかす側。
いつ何時も使用人としての己を崩さぬベリーにお返し出来る貴重な時間であった。
「わたくしに髪を洗わせるなんて不遜な赤毛ですわね、全く」
「ふふ、申し訳ありません」
この時ばかりはごろごろだらだらとだらしがないクレシェンタも協力し、いつもながらぷりぷりと悪態を吐きつつも丁寧に。
やれば出来る子というのはミア達の道場で良く聞いた言葉であるが、クレシェンタは文字通りのやれば出来る子。
ベリーの髪をあわあわと清める所作には文句の付け所がない。
クレシェンタが髪を洗うなら、クリシェが洗うのは体である。
たっぷり泡立て、絹を滑らせるように。
指の先から細心の注意を払って清め、丁寧に。
触れる度いつも思うのだが、何とも触り心地が良い体であった。
張りがありながらもふにふにと柔らかく、押せば沈んで柔らかく跳ね返す。
余計な力を一切使わない者だけが有するクッション性。
クレシェンタ――恐らくクリシェの体もそうであるのだが、胸も尻も控え目。
肉付きがあまり良くないクリシェ達と違い、ベリーはあちこちが大きい。
鶏で例えるならば手羽先ともも肉ほどの差があった。
クリシェとしては手羽先も嫌いではないのだが、やはりどこが一番好きかと言えば、食べ応えがあり、齧り付きたくなるジューシーなもも肉。
そしてベリーの体とはもも肉であり、クリシェの求める全てを兼ね備えていた。
この意見はクレシェンタも同じくなようで、ベリーに抱っこがお気に入り。
求められれば極上のクッションにもなるというのが一流の使用人なのである。
そして単純な肉付きの問題だけではなく、ベリーは抱き方も良い。
抱っこされると自然に快適な位置へと誘導され、重心が安定。
そのままぐっすりと安眠してしまえそうな心地よさ。
身じろぎしようと追随し、抱く側からすれば微妙に面倒な体勢であっても、相手に合わせて奉仕する。
尊敬すべき奉仕精神。
しかし、そうした小さな疲労の蓄積は積み重なるもの。
この湯浴みではそんなベリーの心のエプロンドレスを解くように奉仕する――それが副使用人長であるクリシェの務めである。
「えへへ、気持ちいいですか?」
「は、はい、とても……」
クリシェはベリーに洗ってもらうのが大好きで心地よいのだが、ベリーはむしろ少し苦手であるらしく、いつも少し恥ずかしそうな顔をする。
洗い方が問題なのかと色々と試行錯誤したのだが、そういうことではないそうで、こんな時でもベリーは淑女。
肌を見られるのが恥ずかしい、恥ずかしがり屋さんなのである。
触り心地良し、クッション性良し、緩みながらもしなやかな、天性の使用人としての肉体。
クリシェからすれば何一つ恥じ入るところはない裸体なのだが、その羞恥心は恐らく、淑女は肌を見せないというところから来ているのだろう。
時々恥ずかしがらないこともあるのが不思議であるが、その違いとは何かと言えば心のエプロンドレスを纏っているか否かにあるのではないかと考えていた。
ベリーとは使用人であり、使用人とはベリーである。
そう思えるほどにベリーはご奉仕第一。
普段の日常、朝起きて眠るまでベリーは使用人として生きていた。
こうして裸になっても使用人であり、奉仕されるという状況が落ち着かないのだろう。
奉仕されることにさえ恥じらいを覚えるほどの、使用人精神。
それ自体は見事なもの、流石はベリーと尊敬するのだが、しかししかし、それではいけない。
時には休息も大事(ベリー語録より引用)という言葉があるように、ベリーにも心のエプロンドレスを解き、休息する時間も必要である。
そしてクリシェの一番の役目は何かと言えば、そんなベリーにご奉仕すること。
ベリーの体中を泡だらけにすると、膝に跨がりじっと見つめ、対するベリーは視線を泳がせた。
口付けをすると少し体が緊張し、そのまま三度。
ベリーは柔らかく、クリシェの体を押し離す。
その目にはほんの少し怒ったような、責めるような、そんな色。
エプロンドレスの帯の向こうに裸のベリーが顔を覗かせ、すぐに消え。
「ぁ、後は自分で洗いますから大丈夫ですよ」
視線を揺らしたそんな言葉に、はい、と微笑み頷いた。
セレネとクレシェンタが似ている、とベリーは言った。
甘え方だけではなく、喜怒哀楽がはっきりしていて、すぐに何かと顔に出る。
そういうところもそうだろう。
考え方が似ているクレシェンタと違い、セレネが何を考えているかまでは先ほどのようにはっきり分かるわけではないのだが、それでも恐らく分かりやすい方。
感情がそのまま顔に出たし、そういうところは何となくわかる。
そうであれば、反対なのがベリーだろう
アーネやリラはセレネ寄り、エルヴェナは少しベリー寄り。
感情が顔に出る前に、ほんの少し間がある感じ。
そうでない時も当然あるが、思考順序が少し違うのだろうと思っていた。
セレネが透き通ったスープなら、ベリーは例えばパイで覆った見えないスープ。
パイに覆われ香ばしく、けれど中身は見えず、外側だけしか分からない。
オニオンスープなのだと思っていたら、入っているのはグラタンなのかも知れず、割ってみるまでどんなものかも想像出来ず。
分かっているのはただ、それが美味しいことくらい。
スプーンを差し込めばあっさり割れるようなパイ生地が、いつもベリーを覆っていた。
湯船に浸かり、寄りかかれば、沈み込むように受け止めて。
かと思えば、時には優しくクリシェの体を押し返す。
ベリーは大人で、クリシェは子供。
いつでもクリシェの一歩先。
そんなベリーが綺麗だと思う気持ちはもちろんあって、けれどクリシェは使用人。
他の全部でそうであっても、ベリーのお世話はクリシェの仕事。
クリシェがいつも甘えるように、ベリーに甘えて欲しいと思うのだ。
浴室を出て寝間着へと着替えると、アーネに声を掛けつつキッチンに。
セレネ用に用意していたクッキーは既にエルヴェナが持って行っている様子。
三人分のクッキーを部屋へと運ぶと、ベリーとクレシェンタがすぐに、棚に置かれた壺に気付いた。
普段は寝酒のワインが置かれている場所(現在寝酒用ワインもセレネの管理下にある)に、その壺は堂々と鎮座していた。
「それは……」
「……微妙にお酒の匂いがしますわね」
「そうなのです。これはですね――」
と先ほどエルヴェナから聞いた内容を説明しつつ、机の上に。
クレシェンタは側に置かれた、エルヴェナが持って来たであろうワイングラスを横に並べる。
ベリーはクリシェとクレシェンタを見ながら、頬を赤らめ嘆息を。
「……もう。またお嬢さまに怒られますよ?」
「えへへ、でも精霊が造ったものですし、確認しておくべきだと思うのです」
「造らせたのは多分エルヴェナ様だと思いますけれどね」
「……? そうなのですか?」
「証拠はありませんけれど……精霊と一緒で、悪戯好きな方ですから」
ベリーは苦笑しソファに座ると、壺の中身をワイングラスへ。
魔力のせいか、ほんのりと淡く光った琥珀色。
「……綺麗」
ベリーはぽつりと呟いて、そんなベリーの横顔を眺めてクリシェは微笑む。
「複雑なことをさせるのは難しいと思っていましたが、案外出来るものですね」
「精霊も出始めの頃に比べれば多少知能は高くなってますもの。稚拙でも魔法は使えますし、この程度の作業くらいは多少躾ければ出来るのではないかしら」
「ふふ、今度色々試してみましょうか」
ベリーは言って、ワイングラスを三人の前に。
彼女を挟んで乾杯しては口付けて、口の中へ。
言っていたとおり爽やかで飲みやすいお酒であった。
酒精は薄めでジュースのよう。
気温調節を覗けば手作業程度のクリシェ達と違い、魔法を用いて醸造しているのだろう。
様々な果実の甘みと酸味が合わさって、喉の奥へとさらさら流れた。
「飲みやすいお酒ですね。クリシェ様達のお口にも合いそうな」
「はいっ、すっごく美味しいです」
言って壺に手を伸ばそうとすると、ベリーはすすす、と壺を遠くへ。
「駄目ですよ。一応禁止、ということになってるんですから……今日は味見だけです」
「……駄目ですか?」
「そ、そういう目をしてもですね……」
じーっと見つめると、ベリーは視線を泳がせ。
それを見ていたクレシェンタとふと目が合うと、
「……あ」
理解したように遠ざけた壺を奪って、自分のグラスへお酒を注いだ。
「使用人の分際で何様のつもりなのかしら? ベリー、ここの主人はセレネ様ではなく、この世界を創造した偉大なる女王であるわたくしとおねえさま。主人が飲みたいと言えば全てを差し出すのが臣下というものですわ」
「悪い道に進もうとするご主人様に諫言するのも、臣下の務めだと思いますけれど……」
困ったように笑うベリーに、クレシェンタは壺を突きつけた。
「あいにく、わたくしにはあなた達のような無能の言葉なんて必要ありませんの。カラスの鳴き声の方がまだ聞く気になりますわ。……ご主人様の酒が飲めませんの?」
「……もう」
グラスを傾けると中の琥珀を飲み干して、ほう、と熱を帯びた吐息を漏らす。
それからグラスを差し出すと、クレシェンタは楽しそうに酒を注ぐ。
「怒られても知りませんからね」
「わたくしが怒られる筋合いなんてありませんわ」
「まぁ」
そんなことを言いながら苦笑して。
クリシェもグラスを差し出し、注がせていると、
「……クリシェ様も、わるい子です」
耳元で囁くように、そんな声。
心臓の跳ねるような責める口調に、はい、と頬を赤らめ静かに答えた。
甘いベリーのトゲのある声。
仄かに香る蜂蜜に、酒精が混ざって不思議な香り。
崩したパイのその奥に、使用人ではないベリーが少しだけ、顔を覗かせる。
クレシェンタと代わりばんこでお酒を注ぎ、ベリーの頬はほんのり赤く。
クリシェ達は酒に強くはないものの、ベリーは結構お酒に強い。
二人で注いで丁度良く、最初は小言を口にして、けれど次第にそれも途絶えて。
ただただその目が責めるように、時折こちらに向けられる。
怒っているような薄茶の瞳。
日暮れの赤い夕日のように、顔が焼けるようなそんな視線。
いつも覆い隠した内側で、泡立つような感情の色。
ベリーはいつでも大人であって、使用人。
セレネのように怒ったりせず、責めたりもせず――喜怒哀楽の楽ばかり。
けれどいつかベリーが言ったように、誰もが同じ人間だった。
心のスープはきちんとあって、同じ具材で出来ていて、ベリーはそれを表に出したりしないだけ。
吹きこぼれるまで我慢するだけ。
ベリーはいつでも使用人。
自分のために時間を使ったりしない人間。
だからこそ、クリシェはそんな彼女に時間を使って奉仕する。
パイをスプーンで崩して、中のスープをかき混ぜるように。
怒らないベリーを怒らせて、わるい子になるのがクリシェのお仕事。
悪態の消えた妹と、代わりばんこでキスをして、舌を差し込みわるいキス。
お酒の味を舌で味わい、確かめていると頬を挟まれ離されて。
「クリシェ様がわるいんですからね」
告げた言葉に、はい、と答える。
賢いベリーの子供のような言い訳を、耳にしては微笑んで。
「……えへへ、わるいのはクリシェです」
答える言葉はいつもの通り。
ベリーの一番ずるいところは、負ける言い訳をくれること。
ベリーの一番優しいところは、願えば負けてもくれること。
いつも最後には諦めて、お馬鹿なクリシェに怒った振り。
一歩先から距離を縮めて、同じところに来てくれる。
クリシェの体をソファの上に押し倒し、怒った様子でベリーは一言。
「わるいクリシェ様には罰として、お仕置きしないといけませんね」
そんな言葉にクリシェは笑い、お昼のセレネを思い出す。
「……?」
「お昼にセレネが、同じようなこと言ってましたから」
ベリーはますます頬を赤らめ、嘆息し。
「そういうことは言わないんです」
クリシェに口付け、叱るように口にした。
そうしてクリシェは宵の口。
今日も明日も明後日も、クリシェは未熟な使用人。
甘やかされては追いつけないまま、ぐるぐると同じところを回るように、同じことの繰り返し。
ベリーが描いたお屋敷に、毎日毎日くるくると、甘えてばかりでもらってばかり。
それで良いのだとベリーは言って、いつもクリシェを甘やかす。
「クリシェ様はいつからこんなにわるい子になってしまったのでしょうね」
だからこそ、ベリーが描く見慣れた世界に、袖を引いてはわがままを。
優しいベリーを困らせ怒らせ、こうして夜には、世界で一番のエプロンドレスを解かせて。
「昔からずーっと、わるい子かもです」
クリシェの望むクリシェは、そういうクリシェ。
「……今のクリシェは、ベリーと見つけたクリシェですから」
ベリーが望んだ、そういうクリシェ。
ちょっぴりずるくてわるい子が、この先ずっと、クリシェのクリシェ。





