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戦国異聞 池田さん  作者: べくのすけ
激戦と慟哭編
235/239

大樹が朽ち果てる日 其の肆

 Fiction Warning 妄想警報発令

 お坊さんが助走をつけて殴りたくなるべくのすけ論、はっじまるニャー。


 摂津国石山寺

 石山寺の本堂には多数の僧侶が集い、ある議題について意見を言い合う。本堂の奥には浄土真宗本願寺派第11世宗主にして法主を務める本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)が座る。年齢は21歳と若いが、12歳で法主となり本願寺の発展に尽くしてきた。その前に三人の坊官が座る。

 下間頼照(しもづまらいしょう)。58歳三坊官筆頭と目される僧侶で、実行力と発言力は石山寺でも及ぶ者は居ない。内務外交にも秀でており、彼が居なければ石山寺は維持出来なかったとさえ評価されている。実質的に本願寺No.2。

 下間頼廉(らいれん)。26歳。石山寺において軍事防衛を担う僧侶。自身も大柄で筋肉隆々な身体付きではあるが、見た目に反して思慮深く、学識も豊かな僧侶である。性格は豪放磊落(ごうほうらいらく)だが、短絡的な行動は嫌う。

 下間頼龍(らいりゅう)。12歳。三坊官最年少で、発言力は皆無。現在は後見人である下間頼資(らいし)の下で勉強中。

 この三人の後ろに本願寺の僧侶が30人ほど並んで座っている。

 議題は「織田信長の石山寺破却命令に対して、戦うか否か」を話し合っている。話し合うと言っても穏やかではない。正に喧々諤々。殆どが織田信長の非道を訴える者が多数だ。

 この言論の嵐に法主である顕如もうんざりしてくる。これではまるで武士の様ではないか、と。顕如は過激な意見を抑えようとするが、そこに下間頼照の鋭い言葉が飛ぶ。


「では、法主様は石山寺を破却すると仰いますか?」


 僧侶の多数の声に推される様に、頼照の言葉は本堂に響き渡る。先程まで喧々諤々と騒がしかった僧侶達は次第に口を紡ぐ様に静かになる。自分達の意見は頼照が言ってくれる、という様な空気が堂を支配する。誰もが顕如の言葉を待っている。頼照の言葉に対する返答を待っている。


「そうではない。しかし戦など俗世の行いだ。僧侶である我々が戦をするなど、仏教として正しい行いなのかと考えてしまう」


「正しい正しくないを論じている場合ではありません。石山寺が破却されれば、我々は畿内における拠点を全て失う事になるのです。山科本願寺の再興もままならぬ現状で、石山寺まで失えば、本願寺の存続にすら関わります」


 顕如は戦争を俗事と捉えている。それは俗人の行いであって、俗世から離れた僧侶の行いではないと。俗世から離れた筈の僧侶が戦争に係るなど、仏教僧として正しくないと主張する。

 しかし、頼照は否定する。既に事態は正しい正しくないを論じている時ではない。信長は石は投げたのだ、ならばその石を受け止めるか打ち返すかを決めなければならない。受け止めれば、彼等は石山寺を失う。行ける先は長島か加賀国か。顕如の身を護る事を考えれば、選択肢はこの二つ。しかし、それは本願寺の畿内布教拠点喪失となり、浄土真宗本願寺派は一地方宗派に落ちる事を意味している。それは衰退に他ならないのだ。


「しかし、先代法主は信徒の力を行使した事を大いに悔やまれていた。同じ(てつ)を踏む事になる」


「法主様、天文の乱とは状況が違います。織田信長は幕府を蔑ろにし、その強硬姿勢に各大名は反感を強めております。それ故に、多方面から大名達が攻撃する事態となりました。これは織田信長の悪徳に相違ありません」


 それでも顕如は躊躇う。それは彼の父親である先代法主・証如の苦悩を思い出すからだ。

 本願寺証如は細川晴元に要請されて一向一揆を指導した。当初の目的は三好元長の討伐である。細川晴元は細川京兆家の家督を巡る争いに勝利した。その中で功績抜群だった三好元長の発言力と存在感は強大なものになっていた。これを鬱陶しいと感じた細川晴元は本願寺の力に目を付けた訳だ。首尾良く三好元長を殺害する事には成功したが、烏合の略奪衆と化した一向一揆は暴走してしまった。そして細川晴元から法華宗徒を差し向けられて山科本願寺は焼失、証如は石山寺に逃げるしかなかった。その後、京の都の法華宗は細川晴元に比叡山延暦寺を差し向けられて撃滅される事になるが。

 証如は王法為本に則って細川晴元の助力をした事を後悔した。本願寺の発展の為と幕府に近付いた結果が、ただ利用されて捨てられただけだった。

 父親の苦悩を知っているからこそ、顕如は躊躇っている。我々も俗世の欲望に巻き込まれるだけではないのか、と。

 しかし頼照は状況が違うと反論する。天文の乱は確かに細川晴元の都合で利用されただけだった。問題は彼の邪悪さを見抜けなかった事だと、頼照は考えている。しかし今回は細川京兆家の内紛ではない。

 織田信長は強勢でありながら、周りとは協調していない。その上で本願寺そのものに攻勢を掛けているのが問題となる。

 以前は、他人の火の粉を払ったら火傷したものだ。今回は火の粉が本願寺に降り注いでいる。いくらかの火傷は覚悟して臨まなければならない。

 そして頼照は周りの大名も動くと言う。それだけ織田信長が悪徳の存在なのだと主張する。


「悪徳か……。相手が悪徳だから武力を振るえ、というのか?」


「滅ぼすまでやる必要は御座いません。あくまで織田信長が己の行状を改めれば良いのです。一時的措置と見るのが宜しいかと」


「信長が改めなければ?」


「己の不明を悔いる結果になりましょう。我々が戦い続ける必要はありません。周りの大名が餓虎となって喰い合うだけです」


 下間頼照は戦争の目的を『織田信長が己の行状を改めるまで』とした。つまり滅ぼすまで戦うつもりはなく、あくまで織田家の勢力を削れば良いという事だ。勢力が減退すれば、信長は勝手に己の行状を改める事になる。と言うか、手出しが出来なくなっていくという訳だ。

 信長が改めない?そんな事は有り得ない。何故か?戦国の餓虎がそんな弱った獲物を放置する訳がないからだ。つまり改めないなら、餓虎の餌食となって消滅するだけだ。頼照はそんな行為に係る気は一切無い。本願寺は大名ではないのだから。


「何れにしても、織田信長の意志は鮮明です。それに対する本願寺僧侶の意志も。皆は法主様を守りたいのです。ご許可を頂けますか?」


「……分かった。準備を進めてくれ」


「はい。滞りなく準備を進めます」


 そう言うと、下間頼照は顕如に一礼をしてから本堂を退席した。

 話し合いの後、下間頼廉は直ぐに広間を出た。歩き去る下間頼照に追い付く為だ。

 頼照の言い分は理解る。石山寺を破却など認める訳にはいかない、たとえ武力を用いたとしても。それは頼廉とて同じ気持ちだ。

 しかし下間頼照は何かを隠している。彼の言い分には疑念があるからだ。

 まず、織田信長の書状だ。書状に関しては信長の花押も有り、本物なのだろう。問題はそれを持って来た筈の織田家の使者を誰も見ていない事だ。下間頼照は多くの外交を担当しているので、織田家の使者に対応するのは当たり前だ。しかし、この内容となると、緊急の会合を開き、結果を伝えるまで使者を待たせるのが通例となる。

 なのに何故、織田家の使者を勝手に帰した?いったい何時、来たのか?あれ程、戦争に否定的だった頼照が何故、積極的に戦争をしようとするのか?頼廉は焦燥に駆られながら頼照に追い付く。


「どういう事なんです、頼照殿!?」


「聞いた通りだ、頼廉。準備を進めよ」


「話は終わっておりません!」


「これ以上の問答は不要だ」


 追い付いてきた頼廉に、頼照は取り合わない。そこには明確な強い意志を感じる。こうなった頼照は意見を翻す事はない。そして数多の論客と渡り合ってきた外交強者の彼に、頼廉の弁舌など通用しないだろう。

 頼廉は考える。何故、彼はこうなった。何か切っ掛けはあった筈だ。織田信長から無法な要求があったとしても、粘り強く交渉する筈なのだ。その姿勢を捨てさせる何かが。

 そこまで考えた時、頼廉の脳裏にある男の存在が浮かぶ。少し前に頼照に会いに来た男。仰祇屋仁兵衛。あの男が直接現れるなど珍しい事もあるものだ、とその時は思っただけだった。しかし彼は頼照の変心に係わっているのではないか?と今なら思う。ならばネタはこれしかないと、頼廉は核心に切り込む。


「頼照殿、まさかとは思いますが、未だに加賀国に拘ってはおられますまいな!」


「……」


『加賀国』という言葉を聞いて、下間頼照はピクリと反応して立ち止まる。

 下間頼照と仰祇屋仁兵衛を繋ぐ糸。それは加賀国についてだ。かの国が一向一揆の手に落ちたその時から、敦賀の近江商人との繋がりが有る。時代的には応仁の乱の後くらいだ。

 一向一揆に加賀国支配など笑える程に不可能だった。それを可能としたのは、武家の性格そのままに僧侶を名乗る『武家坊主』と、それを自らの利益の為に利用する『近江商人』である。

 当初、近江商人は越後守護代・長尾為景を一向一揆に攻撃させていた。長尾為景が魚津の利益を押領したからだ。これが越中一向一揆の動機である。一向一揆は宗教などではなく、商人の利益の為に動かされていたのだ。しかし長尾家は為景が没しても魚津を手放す事はなかった。為景以上の軍事的天才・長尾景虎(上杉景虎)が現れてしまったからだ。この意味では越中一向一揆は大失敗に終わる。

 仰祇屋仁兵衛が台頭すると一向一揆は主に越前国に集中する様になる。こちらも芳しくはない。如何に大勢を集めても朝倉家の軍神・朝倉宗滴に歯が立たなかった。朝倉宗滴没後は少しづつ一揆勢が圧す展開にはなっている。

 これが近江商人の何の利益になるのかが頼廉には分からない。だからこそ仰祇屋仁兵衛は不気味なのだ。そして戦争と略奪に酔う武家坊主も頼廉は唾棄すべきと考えている。実際に彼の所には加賀一向一揆指導者である七里頼周(しちりよりちか)を糾弾する信徒の訴えが多数届いている始末だ。そして、こちらが何を言っても、七里頼周は態度を一向に改めない。


「頼照殿、もう加賀国はお捨てなされ!あの武家坊主共に何を言っても無駄です!」


「加賀国を見捨てる、だと?親鸞聖人は「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と言われたのだぞ!忘れているのか!?」


「そ、それは……」


 親鸞聖人はこう言ったとされる。「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と。これを『悪人正機』と言い、浄土真宗では重要な意味を持っている。意味は「善人は幸せになれる。悪人なら尚更だ」となる。素人が聞けば「何言ってんの、コイツ?」となるだろう。

 言葉はこう続く。しかるを世の人つねにいわく「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」、と。これは「皆は常にこう言うだろう。悪人が幸せになれるなら、善人は尚更幸せになれる、と」という意味だ。つまり親鸞聖人は世の中の人々と逆の事を言っていると、ハッキリと認識した上で発言しているのだ。言葉自体は間違っていない事になる。問題は『善悪』の定義だ。これが人によって異なる。

 まず全ての人を『悪』とする説。『悪』の意味は煩悩や迷いの事で、これを晴らす事が出来ない人を指す。こう定義すれば全ての人こそ救われるのだと、とても耳障りの良い言葉に聞こえる。はて?それでは『善』とは何だ?『善悪』は相対的な価値観である。『悪』が居てはじめて『善』を感じる。他人には起きていない悪い事象に遭った時に、人は不幸だと感じる。幸が有って不幸が成り立つ。同様に、善が有って悪が成り立つ。全ての人が悪だとした場合、善が成り立たない。善が存在しない。では煩悩や迷いが晴れない人は……ただの『普通』と言うべきではないか、となる。それなら善だの悪だの言う必要すらない。まあ、幸不幸は心の持ち様であるというのはその通りだ。「煩悩多い拙僧だって往生するんだから、みんなも大丈夫だ。心配するな」と言いたいのかも知れない。

 また、これは人の善悪ではなく、仏教義における善悪である、とする論がある。つまり『五戒』を守る人(僧侶)が善、生活の為に『五戒』を犯す一般人が悪。だから僧侶が幸せになれるなら、一般人だってそれ以上に幸せになれる。という意味だと。……??何を言っているのか??そもそも『五戒』を守れる人間など存在しない。『五戒』とは不殺生戒(生き物を殺さない)、不偸盗戒(盗みをしない)、不邪淫戒(不適切な性行為をしない)、不妄語戒(嘘をつかない)、不飲酒戒(酒を飲まない)の五つである。このうちの不殺生戒ですら人間は守れない。人間が一歩踏み出すだけでどれだけの生物を踏み潰しているのか、ご存知か?現代はミクロの生物まで存在している事が判っているのだ。認識していなければ踏み潰して構わないのか?無意識(覚えていない)なら人を車で轢き殺しても無罪か?という話になってくる。つまり『善』が存在しない。では何に対して『悪』と言っているのか分からなくなる。まことに宗教と科学は相性が悪い。

 他には、善悪は『煩悩』であるとする論もある。煩悩が少ない、煩悩に打ち勝てる者を『善』、煩悩多き、煩悩を抑え切れない者を『悪』とする考え方だ。……自己紹介かな?妻帯肉食飲酒僧侶よ。そう、親鸞聖人自身が煩悩を抑え切れない僧侶で、比叡山で修業していた頃から煩悩が捨てられないと悩んでいたくらいだ。そんな時に親鸞聖人はある夢を見たという。その夢に現れた菩薩様はこう言った「君が罪を犯しても、私が極楽に送ってあげる。(破戒を)やっちゃいなよ、YOU」(だいぶフランクにしておりますニャー)と。もう頭が痛い。これを真に受けた親鸞聖人はマジで妻帯肉食飲酒を行う。よく法然上人から破門にされなかったものだと思うが、この師匠が認めた説もある。善悪を煩悩と定義すると、親鸞聖人は「煩悩が多い拙僧こそ往生するべきだよね」と言っている事になる。自分LOVEか?うん、頭痛い。

 我々は既に曲解しているのではなかろうか?この『善悪』を難しく捉えていないだろうか?これはただの『善悪』ではないのか?という論。つまり善人と悪人は、そのまま善人と悪人でしかないという事だ。では何故、善人より悪人の方が幸せになれる、となるのか?これは『心』の持ち様であると考える。善人が善人のまま生きて往生した。これは幸せなのだろう。ならば悪人が悔い改め、善人となるべく行を積んで往生したなら更に幸せではないか。と諭しているのではないかと。キズ付かずに生きてきた人より、キズ付いて生きてきた人の方が他人に優しくできる、みたいな感じか。悪人がそうなる為には、自分の力だけで変わるのは難しい。何らかの『他の力』が必要だろう。まあ、何が切っ掛けになるのか判らないから、ふんわりと更生に協力してあげなさいと言ってる感じがする。結論としては「悔い改めない悪人の事は最初から話してねえ」ではなかろうか。

 個人的にではあるが、親鸞聖人の言葉は『胡蝶の夢』と同じ結論なのだと思う。『胡蝶の夢』は荘子の話で、内容は省略するが結論は「理解らない事を考えていても理解らない。そんな事で悩むな」である。つまり親鸞聖人も「往生とかどうなるか理解らないもので、今から悩んでもしょうがない。どうせ皆、往生するって」と言っているのではないか、と。しかし宗教的にはこの論は受け入れられないだろう。何故ならこの論は『突き放し』に相当する。端的に「考えても無駄だ」と言っているからだ。現代の宗教の主流はやはり人に寄り添うもので、突き放しは厳禁なのだ。

 こういう所も仏陀と同じ考えに辿り着いたのだなと感じる。仏陀も徳を積む為に修行を頑張る弟子に「自然界の徳と人間の考える徳は別物だから無駄だぞ」と人のやる気を削ぐ様な事を言っている。もう仏陀は理解していたのだ。古代インドで当たり前とされていた輪廻転生など存在しない、と。死んだ後の事など知らんし、知る事もない、と。


「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は善悪の定義をしっかりと行っていない為、あらゆる意味に捉えられてしまう。もし、現代に親鸞聖人が蘇ったとしたら、説を唱えた全員をグーパンで殴ってくる可能性が割と高い。

 何方にせよ、下間頼照は曲解をしている。彼は悪人だからこそ教え導き正さねばならないと考えているのだ。それが親鸞聖人の目指した理想なのだ、と固く信じている。こういう自分の信じる正義を疑わない確信犯には何を言っても無駄である。自分の正義を疑う事は無いからだ。


「理解るか、頼廉。加賀の宗徒は救わねばならないのだ。それが親鸞聖人の教えだろう」


「しかし、彼等は聞く耳を持ちませぬ」


「だからこそだ。時間を掛けて粘り強く説得するのだ。その為にも石山寺の保持は絶対。織田信長の都合で明け渡す訳にはいかぬ。お前も理解るだろう」


 下間頼照は加賀国の宗徒を救うという大義に囚われている。それこそが親鸞聖人の望みであると確信している。

 その理想を実現する為にも石山寺は保持しなければならないと、彼は語る。これに対して、頼廉は有効な反撃が出来ない。学問でも弁舌でも、彼は頼照に及んでいないからだ。


「しかし、その為に殺生戒を犯せと仰るか」


「親鸞聖人は「僧侶もまた人である」と仰った。武家が武力を行使するならば、こちらも相応の対抗措置を採らねばならぬ。相手が武器を振り翳しているのに、平和など説いても斬り殺されるだけだ」


「むう……」


 親鸞聖人は妻帯肉食していた『破戒僧侶』である事は有名だ。では何故、彼は破戒に到ったのか?菩薩様が夢で言ったから、とかいう与太話に付き合う気は無い。個人的な考えだが、これは『親鸞聖人の悟り』の表れなのだと思う。即ち『五戒って無駄じゃね?悟りと何の関係があるのさ?』である。そう、彼は辿り着いてしまったのだ。あの仏陀と同じ『悟り』に。仏陀の悟り、それは『修行って無駄じゃね?』である。

 ……仏陀は激しい修行の末に辿り着いたのは「修行って無駄だわ」という悟りである。これは何故、仏陀が修行しているのか?という経緯から知らねば理解出来ない。

 仏陀はシャーキャ族の王子という出身だ。本名はゴータマ・シッダールタ。紀元前5~7世紀の人。当然だが、その頃のインドに仏教は無い。しかし共通の物は古代インドには存在している。それは『僧侶』と『輪廻転生』だ。仏陀自身は王子であり、良い暮らしをしていたのだろう。しかし時は紀元前、殆どの人々は貧困と戦争と病魔の脅威に晒されていた。シャーキャ族は戦争が弱く、他の国から攻撃を受けていた。故に彼の周りは苦しみが満ちていた。これを見た仏陀は「この苦しみが永遠に続くのか」と恐怖した。輪廻転生の思想があった為、この苦しみの世界に未来永劫、閉じ込められていると彼は感じた。だから仏陀は王子として国を強く豊かに改革する……などという事は一切無く、「僧侶になりまーす」と言って一人で逃げた。これが仏陀だ。こ・れ・が・仏陀である。(大事な事なので2回)

 どうやら僧侶とは自然発生したもので男性は比丘(びく)、女性は比丘尼(びくに)と呼ばれたそうだ。当初は現代の『托鉢僧(たくはつそう)』と同義で、自分では食べ物を得ず、他人からの施しのみで生活する人々だったそうだ。

 僧侶の発生に輪廻転生が係わる。誰が言いだしたのか「徳を積めば人間に生まれ変わる。徳が少ないと虫に生まれ変わる」という話が広まり、徳を効率良く積む修行を行う僧侶が現れたという。

 これが仏陀の時代に一大ムーブメントとなっていた。表面的には輪廻転生で人間に生まれ変わる為だが、その根底には「こんな修行出来る私カッケェ!」という考えがある。つまり修行を成し遂げる事で尊敬されたい訳だ。これがモチベーションとなり、僧侶達は競う様に狂った修行を編み出していった。

 だが仏陀はこの修行によって苦しみの世界から逃れる事が出来るのではないかと考えた。徳を積みまくれば人間以上の選択肢が現れるのではないか、と。輪廻転生は選択式ではないのだが。

 そして仏陀はあらゆる修行に挑戦しては乗り越え、周りから大きく尊敬された。しかし仏陀は満足出来ない。それはそうだ、彼の目的は『苦しみからの解放(自分だけ)』なのだから。これが仏陀だ。こ・れ・が・仏陀である。(大事な事なので2回)

 ある時、仏陀は究極の修行とされる『断食修行』に挑む。しかしこの修行は失敗し、空腹に堪えかねた仏陀は一杯の乳粥を口にしてしまう。その乳粥に仏陀は『幸せの味』を感じ、そして悟った。「私は苦しみから逃れたくて修行をしているのに、修行で苦しむなんて本末転倒じゃないか」と。そして仏陀は「修行って無駄だな」という悟りに辿り着いたのである。

 この修行の失敗で一時期名声を落とした仏陀だったが、その後の彼は修行より言葉で弟子達を導く様になったという。そう、彼は悟ったのだ。修行で苦しみから逃れるなど不可能であると。

 そして、仏陀が逃れたい『苦しみの世界』は他人の苦しみなんだから見なけりゃいい、という結論に辿り着いたのである。他人(自分以外の全て)を愛さなければ苦しまずに済む。それが仏陀の『愛別離苦』という悟りだ。これが仏陀だ。こ・れ・が・仏陀である。(大事な事なので2回)

 仏陀は輪廻転生など存在しないと悟っていた。この時点で彼の望みである『苦しみの世界からの解放』は達成された。しかし仏教には輪廻転生の考え方は残っている。何故か?理由など簡単で、仏陀は言わなかったのだ。別に誰が何を信じようと構わないからだ。

 そう、仏陀は他人に興味が無い。救う手段はあったのに、『愛別離苦』によって家族も国民も見捨てた男だ、面構えが違う。

 古代インドには『軍隊の前を僧侶が横切ったら帰らないといけない』という常識があった。仏陀はそれを利用して祖国に攻め込む軍隊の前を横切りまくっていたのだ。しかし『愛別離苦』を悟った後は、アッサリ止めた。そしてシャーキャ族の王国はアッサリ滅びた。まあ、仏陀が居なくなれば結果は同じなので、遅いか早いかの違いだが。


 親鸞聖人もこの仏陀と同じ事を悟ったのだろう。彼も煩悩を払う為に、五戒を守り修行に明け暮れた。しかし煩悩は消えない。では私は悟れないのか?往生出来ないのか?……あれ?それ、関係無くね?と気付いてしまった。

 煩悩が有るのに往生出来る人がいる事に説明が付かない。殺戮三昧の鎌倉武士ですら往生する輩が居るのに。あらゆる高僧と会ったが、全員に煩悩が有る。法然師であっても「世の人々を救いたい」という『欲』がある。それは煩悩だ。じゃあ五戒は何の為に有るんだ?世の中を良くする為に心掛けようね、という程度で、悟りや往生とは関係ないのではないかと感じたのだ。五戒そのものには『意味が無い』事に気付いたのだ。気付いてしまった。五戒には『意味が無い』事を気付かせる事に『意味が有る』のだと。


「それはちと暴論ではないか、頼照殿」


「これは頼資殿」


 話に割って入ったのは老僧侶、下間頼資だった。年齢は69歳で頼照の先輩に当たる。現在は下間頼龍の後見役を務めている。腰は折れてきており、少し健康が心配になる。しかし、言葉ははっきりしており、頼照にも忌憚ない意見を言える数少ない人物だ。


「親鸞聖人が暴力を容認するとは思えぬよ」


「では、無抵抗で石山寺を明け渡せ、と?」


「いや、そうではないのじゃが。今の織田家は日の出の勢い、戦って守り切れるのかがのう」


「問題はありません。今回は織田家に対して多方面から仕掛けます。」


 石山寺を明け渡すのか?この言葉は最強に近い。本願寺の僧侶の全てがそれだけは避けたいと願っているからだ。

 頼資としては戦争をしても勝てないのではないかという心配をしている。それくらい織田信長の成長速度は異常というしかない。その様は信長が時流にこの上なく乗っている様にしか見えない程だ。

 それに対し、頼照は織田信長と単独で戦う訳ではないと強調する。


「今回の戦い、石山寺の防衛は頼廉に任せる」


「頼照殿はどうされるのですか?」


「私は長島願証寺を指導しに行く。後学の為、頼龍を連れて行くつもりだ」


 頼照は石山寺の防衛指揮を頼廉に委ねる。そして自身は長島に行くと宣言する。その際に三坊官の下間頼龍を連れて行くとも。

 その言葉に頼資は激しく反応した。


「ま、待ってくれ!頼龍はまだ12歳じゃ、戦場は早過ぎる!」


「三坊官たる者がいつまでも子供気分では困りますので、この機に戦場を学ばせます。心配せずとも、前線には出しませんよ」


「しかし……、それでも頼龍だけはやめてくれ。頼む!」


「なりませんな。風雲、急を告げます。本格的な嵐の時に役に立たないでは済みません」


「そんな……」


 長島に頼龍を連れて行くと聞いて、頼資は反対する。彼にとって頼龍は、今は亡き下間真頼から託された子供なのだ。それこそ我が子にも等しく養育してきたのだ。それを12歳で戦場に連れて行くなど、とても承服出来ない。

 しかし頼照には取り付く島すら無い。表情すら揺るがない。まるで感情の全てを捨ててきた様に。

 彼は言い終わると膝から崩れ落ちる頼資を一瞥し去って行った。


「何故、こうなってしまったんだ……」


 頼廉は呆然とするしかない。横には今にも泣き崩れそうな頼資も居る。どうしてこうなった。彼等の頭にはこれしか浮かばない。

 いったい誰の企みなのだ?いったい誰が悪いのだ?この程度の事も分からないまま、彼等は戦争をしなければならなくなった。

 こういう聖人の裏話は割と有りますニャー。例えばイエス・キリストさん。『隣人を愛せよ』はとても有名ですニャー。人々が皆、隣人を愛せば世界平和も夢ではないですニャー。しかし、キリストさんは他宗教の神様は『ハエ扱い』しています。……何かおかしくないかニャー?他宗教の神様をハエ呼ばわりしておいて、世界中の隣人と仲良くなれる訳ないじゃん。そしてべくのすけは妄想するのです。何故、キリストさんは『隣人を愛せよ』とか言ったのか?他宗教の人々とは仲良くなれないなら、コレはユダヤ人にのみ言っているのではないか、と。古代のユダヤ人は完全な『拝金主義』であり、他人を騙してでも儲けた者は偉い、という感じでした。それをキリストさんは「隣人を騙して金儲けとか何を考えてるんだよ!もっと隣人を愛してやれよ!」と訴えたのではないか。そんな妄想をしてしまいますニャー。これがべくのすけ論となっています。断片を拾って繋ぎ合わせて補完する訳ですニャー。つまり『妄想』ってこと、うっさいニャーw


 下間頼龍くん12歳。彼の妻は池田恒興くんの養女だったりします(史実)。まだ結婚はしてないですが、どう考えてもレギュラーとして利用価値が高いですニャー。本願寺との早期講和や織田家との折衝に使えます。将来性は抜群です。順慶くんと絡ませようかと考えておりますニャー。

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― 新着の感想 ―
日本史には詳しくないので、下間頼龍くん12歳がフラグ立ってそうな人間に戦場に連れていかれるとか悲劇フラグか?と思いましたが、将来性抜群でレギュラー入りできそうな史実持ちなら、生存フラグが立ちそうで一安…
親鸞聖人はガチで偉大な宗教人だけど、法事ではあんまり呼びたくないタイプの人だと思うなあ(笑) しかし、本願寺にとって寝耳に水の石山退去からの挙兵。どうしてこうなった。 まあ、誰よりも、織田信長が驚愕す…
下間頼龍がニャーの養女と結婚してて、その息子がニャーの息子に仕えて池田姓を貰ってるとか。面白いねぇ。 長島は桑名の近くだし、ニャーと早いこと会うこともありそう。おいしいは正義。
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