「聖女、〈夜哭く牙(よなく・きば)〉と対峙す」
王都から遠く離れた“聖女降臨の森”。
その深奥に潜む瘴気の源を祓うべく、聖女と騎士団は浄化の旅へ。
だが現れたのは、予想を超えた存在――Sランク魔獣〈夜哭く牙〉。
聖女に課せられた試練は、もはやただの任務ではない。
死の咆哮が森を揺らし、空に満月が浮かぶとき……
ひとつの“視線”が、戦場を見つめていた。
今までの小型魔獣とは、まるで格が違った。
全身を漆黒の瘴気に包まれたその巨獣――〈夜哭く牙〉は、ただそこにいるだけで肌が粟立つような圧を放っていた。空気が重く、喉の奥がひりつく。
Sランク魔獣――聞いてないんだけど!?
一瞬、足がすくみそうになる。けれど――なぜか、不思議と“恐怖”ではなかった。
(……ヴィルゼルのときの方が、もっと禍々しかった)
あの時の彼は、得体の知れない圧と、深淵のような静けさを纏っていた。比べれば、今のこれはまだ“獣”だ。
「聖女様、私が前へ!」
アースファルトさんが剣を抜き、私の前に立ちはだかる。
その背に、魔法師たちや騎士団が続く。全員が武器を構え、一触即発の構えを見せた。
だけど、私はそっとアースファルトさんの肩に手を置いた。
「大丈夫です。私を信じて、少し下がっていてください」
そう静かに微笑みかけると、彼は一瞬だけ目を見開き、すぐに頬を染めてうなずいた。
「……で、では……お任せいたします。ご無理は、なさらぬように」
私は深く息を吸い込み、目を閉じた。
身体の中に流れる“光”の力に意識を集中する。
(いける――)
そっと右手をかざし、言葉を放つ。
「浄化」
静かに唱えた瞬間、空間が一変した。
まるで天から降り注ぐような純白の光が、私の手から放たれる。
シュウゥゥゥゥ……ンッ!
まばゆい波動が森を貫き、〈夜哭く牙〉の巨体を包み込んだ。
その威力は、今までとは段違い――私自身、力が“進化”しているのをはっきり感じた。
魔獣は呻き声をあげながら、その場に崩れ落ちた。
だが――まだ、立ち上がろうとしている。
(まだ戦うつもり……? でも、これ以上……)
私はとどめを刺すべく、再び右手を掲げた。
そのとき――
「パチ、パチ、パチ……」
背後から、場違いな拍手の音が響いた。
振り向くと――そこには、例の人物がいた。
「流石だね、カナコ。君は本当に強い。ますます欲しくなったよ」
宵闇を切り裂くような低く響く声。
黒衣をまとい、冷たい金の瞳が私を見つめている。
――ヴィルゼル。
「ただ、この魔獣は私の眷属でね。死なせるわけにはいかない。……もう戦う意思はない。引いてくれないか?」
その言葉どおり、〈夜哭く牙〉は力なく伏していた。
もはや、攻撃の意思はない。
(……ヴィルゼルが止めるなら、もう必要ないよね)
「……わかったわ。じゃあ今日は、見逃してあげる」
私がそう言うと、ヴィルゼルは口の端をわずかに上げて微笑んだ。
「ありがとう。やっぱり君は優しい。――もっと側にいたいけど、今日は引こう。また改めて口説きに行くよ」
「なっ……な、何言って……っ!」
顔が熱くなる。あんな状況なのに、動揺してしまった自分に心の中でツッコミを入れた。不覚すぎる。
ヴィルゼルはゆっくりと踵を返し、バサリとマントを翻す。
漆黒の布が風に舞い、その中へ〈夜哭く牙〉の姿が溶けていく。
「また会おう、カナコ」
その言葉を最後に、彼の姿は空間ごとすっと掻き消えた。
静まり返った森の中に、しばし沈黙が落ちる。
……次の瞬間。
私は、緊張の糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「――っ!」
アースファルトさんが慌てて駆け寄る声を遠くに聞きながら、
私はそのまま、深い眠りに落ちていった。
ご覧いただきありがとうございます!
今回は、聖女初任務のクライマックス、
強敵〈夜哭く牙〉との直接対決となりました!
戦いの裏で、“何者か”が気配だけを残して去っていきましたが――
彼の名は、次回以降で明かされます。
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いつも本当にありがとうございます。
次回、さらに波乱の予感……どうぞお楽しみに!




