131話 報告
「帰ったぞー」
歴史のあるシバの王宮にて、まるで家に帰ったオヤジのようにそう言った直後、凄絶な衝撃が頬に響き、空中できりもみしながら吹き飛んでいった。
「応、何か言うことはないのか」
「……すみません、随分と勝手しました」
「良し。これ以上俺から言うことはない」
レイアの手に引かれてアベルは立ち上がる。顔を上げると、そこには玉座に座るエンジェの姿があった。
「……アベル」
ぷるぷると俯きながら震えている。
「アルぅううーーーー!」
「ちょ……」
高所にある玉座から飛び出してくるエンジェの勢いを軽減しながら優しく受け止める。玉座の横に控えていた小鴉丸が「人払いしててよかった……」と大きくため息を吐いた。
「危ないだろ。女王に何かあればどうするんだよ」
「えへへ、ごめんね。でも嬉しくって……」
腕の中ではにかんだ。「全く、変わらないな」と安らぎを感じでいたところで、ある違和感に気づいた。
「あ、そういえばいつにするの?」
「えっ、いつって?」
「エリーちゃんと結婚」
ブッ、とアベルは思わず吹き出した。
「わたしと君とは婚約はしているけど、側室みたいな感じに近いよね」
「う……でも……」
「あ、大丈夫だよ。正室を迎えるつもりはないから」
「待って、そういうことではないんだが……」
お構いなしに続けられる。確かに王にはならない異例的な婚約でアベルが側室のような立ち位置に近いのは確かだが、それを言われては何も言えなかった。
「それに、エリーちゃんならいいと思うんだ」
「………えっ」
「も〜、なにその顔。どれだけ彼女が待ってむぐぅ」
「ちょっと! 何口走ってるのよ!」
『光動』で移動してきたエリーゼがエンジェの口を塞ぎにかかった。
「だって……」
「それは言わない約束でしょ!」
いつの間にか、まるで姉妹のように戯れる彼女たちの姿を見て、道を違えていなければこんな光景もあり得ただろうか、と離れた距離で呟く。
「あ、また遠い顔してる!」
「自分は程遠い場所だな〜とか思ってんでしょ!」
「いや、そんなことはないが……」
ぎゃあぎゃあと詰め寄られる。エンジェは面白半分に、エリーゼはやや本気で言っている。このままではキリがない、と思ったアベルは逃げの一手を取った。
「……ダイアナは大丈夫だったのか」
「あっ、うん。大丈夫よ。もう少し安静していれば寿命を全うできる体にまで全快するって」
「そうか、それはよかった」
あっ逃げたねとエンジェが小さく呟いた。確かに逃げたが『それ』に気づいてしまった今は結婚の話をすることはできない。先にこの話をするのが筋だろう。
「……エンジェ、いつ出来たんだ?」
「へぁ?」「えっ?」
エンジェは自分を、エリーゼはエンジェを見て驚く。
「……気づいていたんだ」
飛び込んできたエンジェを受け止めた時に感じた違和感、それは感じる気配の数だった。エンジェの内包する魔力がおなかに集中している。
「……見たところ、1ヶ月ってところかな。そんなことに気づかなかったなんて……どれだけ自分を見失っていたか、我ながら不甲斐なさに猛省するばかりだよ」
ぽりぽりと頭を掻きながら、自分の優柔不断さが招いた現状を噛み締めていた。
そんな自分の様子を不安そうに見つめるエンジェだった。エリーゼはというと、まだパクパクと驚きが冷めやらぬ様子。
その様子に小さく笑った後、目を閉じて気持ちを入れ替えて、彼女たちの前で膝をついて再決意する。
「今、この瞬間は生まれてくる子のことを喜ばせて欲しい。正直、いまだに信じられない自分もいるけれど、君の子を授かれてとても嬉しいよ」
「あ……」
「だから、ほんの少し……少しだけ後になってしまうけど、必ずエリーとの約束は果たすよ」
「うん……ありがとう」
授かった子を心底から祝ってくれた。彼が本当の意味で帰ってきたのだと実感したエンジェは喜びが溢れて、涙が止まらなかった。
「エリー、不甲斐ない俺を今は許さなくていい。だから、約束についてはもう少しだけ待って欲しい」
そこでようやく我に返ったエリーゼは、ぷくぷくと頬を膨らませる。
「………むぅ」
無言でアベルの前に出てきて、右足のすねをガンガンと蹴られる。
「痛い痛い、ごめん、ごめんよ」
「色々と言いたいことはあるけど……今は我慢してあげるわ。あとで覚悟してなさいよ!」
「うん、ごめん」
己の最低さは承知している。だからこそ、通さなければならない筋もあるし、これから先も彼女たちに誠実さを示さなければならない。いや……示すのだ。
「エンジェ、確か今、アリッサたちの学校が倭ノ国へ交流留学に行ってるんだよな?」
エンジェはすぐに涙を拭き取って、真剣な表情に切り替えた。先ほどまでの爛漫な雰囲気は消え去り、女王の威厳も併せ持った顔へと変わった。
「うん、ちょっと前から兆候は見られていたけど、先刻に報告があったよ」
「了解。すぐに発つよ」
「えっ、でも……」
帰ってきたばかりなのに、と少しだけ暗い表情になるエンジェだったが、すぐ様にアベルは顔を振った。
「大丈夫だよ。むしろ今すぐ動かないといても立っていられないくらいだから。……それに準備はしてあるんでしょ?」
「……ふふ、何もかも見通しだね。小鴉丸」
「はい、門前にて整えております」
彼ならばすぐに動くだろうと予め準備はしていたのだ。神胤やその他必要な装備を門前に用意している。
すぐに出立するべく踵を返す前に、そっぽを向くエリーゼの方に顔を向けた。
「エリー、一人じゃ手が足りないかもしれない。君が構わないと言うのなら一緒に戦って欲しい」
「……! 分かったわ!」
今まで他人に頼ってこなかった彼が自分を頼ってくれている。それが嬉しくないはずがなかった。
「エリーゼ様の装備も用意してあります」
この状況も予想し準備させていた女王に少しだけ差をつけられた気がして少し拗ねながらもアベルの隣へと向かった。
「ダイアナのことは……」
「大丈夫だよ。あとはわたしたちに任せて」
力強い言葉に頷き、憂いを残すことなく踵を返す。
「じゃあ、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
今までの自分を超えて、託してくれた者たちに恥じないよう尽くせる全てを賭けて戦い続ける。
その結果、運良く成せることがあっても、どうしようもないこともある。運命は思い通りにならないものだ。
だけど、これだけは自信を持って言える。
───託された想いは、もう捨てない。
もう、道を違えることはないだろう。
◇◆
こうして、彼の苦悩と試練は終わりを告げた。
この後の彼の物語は崖から転落していくように加速していく。その果てに栄光は掴まなかったが、彼は誰よりも満足して受け入れた。
だから、これは私の我が儘。
彼を知る一人として、どうか。彼の英雄譚が名も知らぬ君の元に届いてほしい。幾多の物語を綴った本が並べられる棚の中で、この本を手にしてほしい。
……どうか、どうか。
彼という英雄がいたことを知ってほしい───。
読んでくださりありがとうございます。
これにて六章完結です。これから新章に突入する前にいくつか幕間を書きながら、一章の大改稿に着手しますので、追っていただけると幸いです!
※幕間に主人公たちは登場しない予定です。




