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127話 あなたの幸せ


 ここは世界と完全に隔絶された空間だ。魔神といた異空間とはまた異なる、魂に刻まれた記憶レコードの再現を繰り返しているのだ。そこに俺の選択肢などなく、過去の出来事をそのままなぞっているのだ。


「君、は……なんでここに……」


 過去は変えられないように、俺の記憶に他者が干渉してくることなどあり得ない。それこそ他者の魂と融合し、書き換えでもしない限り起こり得ない。


『あぁ……よかった』


 ぐしぐしと涙目になった目を拭い、エリーは安堵をもらした後、慌てるように俺の手を取った。


『早く戻るわよ! ダイアナが留めてるうちに!』


 ダイアナ……そうか。魂と肉体の境界が曖昧で、それがゆえに他者の魂へ干渉できる特異体質に変質していたのか。


 それでも一歩間違えればダイアナ自身も消えてしまうリスクを抱えているはずだが、そんなリスクを顧みず彼女エリーをここに送ってくれたのだろう。


 でも……


「エリー、ごめん」


 俺はエリーの手を引き離して立ち止まった。


「もう、疲れたんだ」


『アル……』


 ここまで来てしまったのなら仕方ない。俺にはもう戻る気がない。この世界に留まって消えたい。


「何も得ることがなければ、何を失われない。今の世界の方がまだマシだったんだ」


 そう、マシだ。前世の頃の方がまだ幸福だった。

 物足りない日常だったけど、それでも幸福な日常だったのだ。これ以上、何を求めるというのだ。


『……じゃあ、なんでそんなに悲しそうな顔をしてるのよ』


 俺は大粒の涙を溢していた。

 なぜだろう。擦っても涙が止まらない。


「……あれ、おかしいな。もうとっくに……諦めたと思っていたのにな」


 なんで、こんなにも名残惜しいのだろうか。


 繰り返す追憶の中で考え続けた結果、諦めることを選択した。そのことに悔いはあれど、後悔はない。


「二度と失わないために戦ったのに、また失ってしまった。何度も失うくらいなら、俺が消えてしまったほうがいい。そう思ってたのに……」


 すると、両頬に衝撃と痛みが走った。

 目の前に近づいてきた灰色の瞳が俺を映し出した。


『アートはあんたが好きだったから全てを賭けたのよ。なのに、あんたはアートの想いを捨てるの?』


「…………っ」


『捨て切れないから、そんなに迷っているのでしょ』


 まるで、エリーの瞳が鏡写しのように、俺の迷いをあっさりと曝け出した。そんなこと分かっている。分かっているが、もうそれは叶わない夢となったのだ。


「………俺はただ、あいつに……アートに幸せになって欲しかった。だから……」


『だったら、幸せにしたらいいじゃない』


「え……?」


 その言葉に、ぽかんと惚けた。アートはもう死んでいるのに、どうやって幸せにしてやれるというのだ。


『いつもアートが言ってたわ。アルが笑っているとつい自分のことのように嬉しくなるって。きっとアルの幸せが、アートの幸せだったのよ』


 ああ───、そんなこと言ってたのか。

 俺の前では照れ臭くて言わなかったのだろうか。


『だから、アルが幸せにならなきゃいけないのよ』


「───………」


 ストン、と。


 呆気なく、驚くほどあっさりと納得した。

 今までが馬鹿らしいとさえも思えてくる。


 自分が幸せになるとか、そんなこと考えたことなかった。なりたいとも思わなかった。


 何もないからこそ、周りを支えてあげなきゃと背負い込んでいた。幸せになってほしい、と願っていた。


 だから、アートには自分の幸せに生きて欲しい。


 そう思ったから世界をやり直そうとした。誰もが幸せになれるならば、それで良いと思っていた。


 でも、そんなことで良いのだろうか。


「……でも俺はこぶぅっ!?」


 えっ、マジで痛い。超痛い。

 平手ではなく、握り拳で殴られた。


『───ッ、ばかッ!あんたはいつもそう!あんたが罪を感じる必要なんてないのに、何でもかんでも背負い込んで!』


 涙がらにそう言われた。

 こんなに痛いのもいつぶりだろうか。


 ああ、いつからか俺は……


『アートの為にも幸せにならないといけないのよ!こんなところで、勝手に人生詰んでんじゃないわよ!』


「……あ」


 この世界では精一杯生きると決めておいて、精一杯をやろうとしなかった。俺は生きることを、いつの間にか諦めようとしていたのか。


『あんたは、あんたに生きて欲しいって思う人が沢山いるのよ。みんな、みんなに……苦しんで生きろと一度でも言われたの!?』


 言われなかった。言っていない。

 越えろと、任せたと、大丈夫だと、言われた。


 みんな、俺に託していった。


『あんたがもしも、生きている者にしか理由を作れないと言うのなら───、私が理由になるわ』


 むん、と大きくなった胸を張るエリー。そう言われると思ってなくて、俺はまたしても呆然とした。


 少し間を開いて、小さく吹き出してしまった。


「……ふっ、それ男の方が言うべきやつだよな」


『う、うるさいわね!』


 赤面しながらそっぽを向くエリーゼ。


 そうだな、全く不甲斐のないやつだな。俺は。


「……手間をかけたね。俺はもう大丈夫だよ」


 きゅっと拳を握りしめて再確認する。何度も何度も挫折を味わおうと屈するな、と言ってくれた人の言葉を思い出す。


 忘れてはいけないことを忘れていた。


『あっ、体が透けて……』


 気がつけば、エリーの姿が薄くなっている。

 維持する魔力が足りなくなっているのだろう。


「大丈夫だ。少し待て」


 エリーの肩に触れて、魔力を流し込む。


「星々は道標、暗闇は魔、全てを内包せし世界樹よ、汝らを導きたまえ。今こそ魔を以って道標を示さん」


 薄くなっていた姿が鮮明になると同時に、空に向かって白い『糸』が光柱のようになって登っていく。


「今度はこちらから道を作った。ついでに、ダイアナの魂の磨耗も修復しておいたから戻って看てあげて」


『あんたはどうするの?』


「ちょっと言わなければならないことがある。だから先に行っていてくれ」


『……分かったわ! 約束よ!』


 約束か。俺からはしようしてこなかった。

 なら今度は───


「ううん、それは俺に言わせて」


『えっ?』


 光柱の先へ浮かんでいく彼女の手を掴み取って、今度こそ誓いを口にする。


「エリー、俺は生きて……必ずお前たちを幸せにしてみせる。だから、安心して待っていて欲しい」


 俺の手から離れていく彼女は見開いて、照れくさそうに笑って握り返してくれた。


『うん! 待ってるわよ!』


 握った手を離し、元の場所へ還る彼女を見送った。


 光柱が収束して消えるまで見届け、俺は振り返る。


「………さて」


 さっき分かったことがある。追憶の世界に俺を完全に幽閉したと思っていたが、そうではなかった。


 最初から抜け穴を用意していたのだ。そうでなければ、エリーがこの世界に入ってこれるなど天地がひっくり返ってもあり得ない。


 それが指し示すは、最初から用意されていた鍵穴を開けることができる資格……『鍵』を最初から持っていたから、エリーは入ってこれたのだ。


 最初から最後まで試されていたということだ。


 ならばこそ、俺は試練に応えることが筋だろう。

 そう、決着をつけなければならないのだ。


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