111話 欲したもの
雨に打たれて波紋が重なって揺れる。
音だけが、嫌に近く聞こえる。
(な、んで……私がこんな目に……)
それは、遠い遠い記憶。
(何で!なんで!なんでなんでなんでなんで!?)
薄汚れた子供はある貴族の息子だった。
貴族とはいえ、平民と比べて一つ高い士爵家だ。
(なんで……なん………)
少し前までは、平民の友達と遊んでいた。
そして、勤勉にも学んで成績を父親に褒めら、母親の作ったお祝いのシチューを頬張っていた。
(死にたく、ない)
ある日、その全てがひっくり返った。
民草と対等な立場と考える父親の考えが疎まれていたことが原因で、高位貴族に嵌められた。
屋敷は全焼し、父親は屋敷とともに焼かれ、母親は国を仇なす犯罪者として追われて殺された。
それだけではなく、領土の民も共に焼かれた。
(死にたくない 死にたくない 死にたくない)
例外なく子供も狙われ、逃走していた。
外の世界をろくに知らない子供は為す術もなく行き倒れ、小路で死にかけていた。
(死にたく……ない)
雨に打たれて体が冷え、震えが止まらない。
腹もくぼみ、あばらが浮き出て、まるで死人のようになっていた。
(……ものだ)
生きたい、という執念だけが突き動かした。
こんなところで死んでたまるか、と。
(私の命は……私のものだ)
それは、死にゆく体には叶わぬ【強欲】だった。
「うっ、あ、あぁ……!」
生きる為には動いて、ゴミをも漁らねばならない。
ろくに動けない体をよじらせながらも進む。
すると、大通りの光に高貴そうな男が現れた。
「全てに裏切られた子よ、君は何を望む?」
男は白い手袋を外し、薄汚れた少年に差し伸べた。
(私は……)
酷く痩せた体を引きずらせて、その男の手を掴む。
(……私から奪った全てを奪ってやる)
そう渇望し、その力を与えられた。
あらゆるものを奪う力を手に入れた。
与えられた【強欲】をふるい、全てを奪ってきた。
領土も、国も、財宝も、信頼も、絆も、命も……
あるときは、解放軍の指導者として多くの貴族を粛清したが、面白くなくなった。
あるときは、大商人として様々な高級食物を牛耳ったが、飽きた。
あるときは、一国の王として君臨したこともあり、多くの財を手に入れたが、面倒くさくなった。
そうして、何もかも欲した先に終ぞ。
(わしは……何が欲しかった?)
分からなくなっていた。
手に入れることの悦びを感じなくなっていた。
手中におさめても愉悦に浸れなくなっていた。
貴族を貶めても快感を味わえなくなっていた。
欲の果てに、全てに飽いていた。
満たされなくなっていたのだ。
しかし、【強欲】という衝動だけは止まらない。
空く心の孔を埋めるかのように奪い続けた。
手に入れて、手に入れて、手に入れて。
奪って、奪って、奪って。
そして、今。
(ちくしょう、ちくしょう)
為す術もなく首を刎ねられ、空を舞っていた。
転じる視界の中で見た剣士の目は……憐みだった。
(そんな目で……わしを見るな)
その目に酷く嫌悪を感じる。
同情に、怒りを感じるほどに憎い。
なぜ、こんなにも忌まわしく思うのだ。
(わしは……不幸なんかじゃない)
憐みとは、恵まれぬ者に向けられるもの。
望むものは全て手にした者に向けるべきではない。
(………そうだ)
全てなんか要らなかった。
欲しかったものは、ごくありふれたもの。
(私は……)
子供の頃に感じていたものが愛おしくて、もう一度あの頃に戻りたかった。
親に褒められて、友達と遊んで、光に満ちた世界を取り戻したかった。
そう───、それは平凡な欲望。
誰もが願う単純なものだった。
(……ただ、幸せになりたかったんだ)
ゴトリ、と。
老人の首が地に堕ち、闇に沈んでいく。
これが【強欲】の最後だった。
◇◆
血が付着した白い剣を払う。
黒剣士は踵を返して、サキへと向かっていった。
「まさか……『因果断ち』?」
正しいかは分からないが、間違いなく概念が剣に込められいる。そして、概念を剣に付与できるならば、【強欲】が通用しなかったのも説明できる。
『無いものと認識させる』
黒剣士は存在しないとアワリに認識させた。
つまり、無いものを奪おうとしていることと同義。
アワリの権能が発動しなかったのだ。
「…………」
黒剣士は、項垂れるサキの前へと立った。
これはまずいか、とゴウは左手を握りしめた。
「サキ」
深淵より呼びかけるような声に肩を震わせた。
「真の敵とは何か……いま一度考えろ」
思いのほか優しく、怒りにも満ちた声だった。
そして、去るように黒剣士は踵を返した。
直後。
天井が崩壊し、何かが降ってくる。
飛来するは、黒雷を帯びた蒼の三叉槍だった。
「気操流・原式『気剣』」
黒剣士は生成した白剣で弾き、空を舞った三叉槍は地面に刺さった。
「えっ……?」
突き立つ三叉槍が浮き、煙の方へと飛んでいく。
すると、剣士の前に、気怠げな槍士が立っていた。
「─────【憂鬱】ですか」
「えぇ、出来る限り戦いたくなかったんだがね」
互いに憂鬱色を浮かべながらも、手にする武器を握りしめた。
凄まじい衝撃の後、黒剣士は城外に叩き出された。
読んでくださりありがとうございます。




