108話 力の先
その女は、檻の中で生まれた。
かつて存在したという『虫人族』と『巨人族』の混血児で珍しい外見で、ある貴族に買われた。
「ギャハハ!もっと啼け!喚けぇ!」
買われた先々で鎖に繋がれ、まるで狂獣のように扱われた。豚のように膨れた貴族に『教育』と称した暴力に遭わされた。抵抗しようにも、魔術刻印の制約により激痛が走りまともに声が出なくなるのだ。
民権もなく、ましてや人権もない。
毎日棒で殴られ、鞭で叩かれ、気絶しても水をかけられて覚まされる。いくら買ったものとはいえ、幼子も同然だった己を壊すかのように暴力を振るわれるのか。
それは異様に頑丈な体のせいだ。体表は虫の甲殻のように硬く、体躯も巨人の血を引き、幼いながらも人並みよりは遥かに大きかった。
異様に頑丈な体のせいで慈悲すらなかった。それだけではなく、四つ腕という醜い姿で同情のかけらすらなかったのだろう。
そして、ある日全身に酷い打撲で気絶して、檻に投げ入れられた。そこで、ある少女と出会った。
「うわ……酷い」
「…………」
ベッ、と溜まった血を吐き出し、乱暴に壁に座る。
興味なさげに眠ろうとすると少女が近づいて来た。
「神聖なる使徒よ、傷つきし汝に癒しを与えん」
「何を……」
「『回復光』」
痣だらけとなった体が元に戻っていく。
そして、少し怯えながら話しかけてきた。
「わ、わたしはラミアよ! あなたの名前は?」
「…………フン」
下半身が蛇の、妙に元気な子だった。
表裏のなさそうな子だったが、治したからといって信用するほど、お人好しでもない。その日は沈黙を通し、そのまま眠った。
「おはよう!」
「……」
一方的に話しかけてきて鬱陶しかった。
何も話していないのに、嬉々と声をかけてきた。
「ねえねえ、手が四つあるってどんな感じなの?」
「話しかけ……」
「うわあ、すごい筋肉」
興味津々に腕を触られ、乱暴に振り払う。
「話しかけるな。己に関わるな」
それだけを言って、無視を続けた。
そして、今日も拷問場に連れて行かれ、手酷く殴られた。体じゅうに痣を作り、激痛によって気絶してしまったところで檻に叩き戻される。
「う、神聖なる………」
手を払い、睨んで敵意を見せる。
「やめろ」
「え、でも……」
手当てしたからといって、すぐ信用するほど甘くないということを身をもって知っていた。
貴族が用意した『壊さないための措置』と考えていたからだ。つまり怪我が治れば、それだけ殴られる。
少しでも怪我が多い方が殴られなくて済むのだ。
「うぅ、でもぉ……」
涙で潤んだ瞳にたじろぐ。
「……ちっ」
人の接し方など知らない。
生まれながらに人を疑ってきた弊害だ。
どうするべきか、とそっぽを向く。
「う、うぅ〜……」
はあ、とため息をつき、視線は合わせず呟いた。
「……己はイーラだ」
すると、ラミアは嬉しそうに笑った。
純粋な笑顔に、少しは信用してみても良いかもしれないと思った。
「イーラ! よろしくね!」
それから毎日のように話しかけてきて、いつの間にか言葉も交わすようになっていた。
『教育』は苦痛だったが、それ以上にラミアのことに興味を持ち始めていた。信用した訳ではないが、嬉々として語る彼女の話を聞いてみたくなったのだ。
ラミアが自分と同じく檻の中で生まれた人族であることや、貴族に買われて転々としてきたことなど、出生についても教えてくれた。
そして、妹と一緒に見たという外の世界について語ってくれた。
己には知らない光景だが、ラミアの輝く瞳を見ていると興味が否応なく湧き上がってくる。
天は青く、地は緑色で覆われ、とても大きい世界だという。
どんな光景か想像もできないが、きっと自由な世界なのだろう。
「あっ、ねえねえ、私たちってもう『友達』よね?」
「……『友達』って何だ?」
「えっ、えーと……」
うーん、と顎に指をやり悩む。
「分かんない!」
イーラは頭を落としてため息を吐いた。
「でもね、きっとそうなんじゃないかって思うんだ」
手を大きく広げて、地面に寝転がった。
「ほら、こうしていつも隣にいて、お互いに気持ちを見せ合えている、そんな相手が『友達』って言えるんじゃないかな?」
にか、と爛漫の笑顔でそう言った。
「そうなのか。そんなヤツは大切にしたいな」
「うん!」
誰も信用できない世界で、安堵を覚えた瞬間だった。ひとときではあったが、捨てたものじゃないかもしれないと思えたのだ。
そして、一つの目標ができた。
いつか『自由』になって、世界を己の目で見たい。
薄暗い世界で、今の境遇が当たり前のものだと思っていた己にとって、鮮烈に美しい夢だった。
それから、ラミアとはいつまで一緒にいられるかは分からないが、願わくば一緒に……
そう……思った矢先に裏切られた。
「神聖なる使徒よ、傷つきし汝に哀れみを与えよ」
ラミアは顔を伏せて、何か堪えるように詠唱した。
魔術を発動させた瞬間に見えた彼女の瞳が、黒く濁っていた。
「『聖絶』」
ひどい目眩に襲われ、意識が遠のいていく。
そして、唇を噛みちぎり、抵抗するように突き放した。
「やめろぉ!」
吹き飛ばされたラミアは壁に叩きつけられる。
すると、突然ラミアの口から血が溢れた。
「ごぼっ、ごぶっ……」
壁に叩きつけたせいではない。
この状態は今まで何度か見てきた。
「……【死の契約】」
魔術刻印による罰を与えられたのだ。
課せられた誓約を破り、その罰に死が与えられた。
「なぜ……」
裏切られた。騙された。
……否、分かってはいた。
元よりこんな世界だったのだ。
友達であろうと己がために裏切る。
約束していようと、私欲のためなら破る。
そんな世界なのだ。誰も彼も信用できない。
そう、最初から誰にも頼らなければ───。
「………ごめんね、イーラ」
最後の言葉が、理解できなかった。
べちゃり、と血の湖に手が崩れ落ちた。
ラミアの瞳から光が消え、そのまま死んだ。
そして、開かれた手にはペンダントがあった。
そこにはラミアと、もう一人の少女が写っていた。
「なんだ、そういうことかよ」
ペンダントに写る子……
妹と己を秤にかけ、ラミアは選んだのだ。
「……お前の決断は、裏切りに他ならない」
認めたくはないが、それも否定はしない。
自由はなく、選ばざる得なかったのだ。
「己は諦めない。自由を手に入れるまでは……」
自由になるにはどうすれば良いか。
「力だ……」
強くならなければならない。
力があれば、誰も死ななくて済んだ。
「力が、要る」
ふつふつと怒りが湧き上がる。
己の愚かさが腹立たしい。己の無力に苛つく。
なぜ、己はこんなにも弱い───
「実に良い、純粋な感情はいつ見ても素晴らしい」
「っ!?」
道化の仮面を被った男が檻の前にいた。
看守にも気付かれている様子はなかった。
「私は与える者。さあ、君は何を望む?」
檻から手を差し伸べられる。
「……己に」
その時は誰でも良かった。
理不尽に、不条理に抗う手段が欲しかった。
クソったれな世界を壊したかった。
「『力』をよこせ」
こうして、己は力を得た。
与えられた力は【憤怒】を体現する力だった。
しかし、魔術刻印を破るほどではなかった。
せいぜい指を動かす程度の抵抗しかできない。
だから、半年間、沈黙を貫いた。
いくら殴られろうと、唾をかけられようと耐えた。
うめき声一つすらもったいない。
ふつふつと腹の底から湧き上がる怒りを抑え続けた。体を支配するほどの憤怒を絶やさないように、檻の中でも徹底的に自分を痛めつけた。
ほどなくして、ついにその時は来た。
魔術刻印では縛れぬほどの『力』を引き出せるようになり、自分を貶めた貴族に罰を与えた。
「やった……やった!」
与えられた力を以て、己を貶めた富豪を鏖殺した。
抵抗も許さず、ただ一方的に殴り殺した。
「ハ、ハハ……」
それは、まさに狂喜だった。
震える血みどろの拳を見つめて、己の行いに恐怖するよりも歓喜が勝ったのだ。
「ハッ、ハハハハハハハハッ!!!」
力さえあれば自由になれる。
力があれば思うままに生きられる。
そう、何者にも負けない『力』の先に───
◆◇
雪嵐のなか、凄絶な爆発が響く。
平原を覆う積雪を巻き起こしながら豪腕を振るう。
「怒羅啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞ァ!」
迅滅狼は『忿怒の魔王』───そう呼ばれた。
鬼気迫る強さに、絶大な暴威に『魔王』とヒトが勝手に呼称し始めた。そして、強さに嘘偽りはなく、真実として【魔王】をも討った。
「ちいっ! ヒラヒラと鬱陶しい!」
だが、その女は違う。単なる呼称ではない。
確固たる資格を持って存在する者のひとり。
その女は、怒りを司る【憤怒】。
「気操流・乱式」
対峙するは、漆黒の剣士。
「『渦雷』」
剣士の体から生えた刺々しい刃の渦が迫る。
だが、意に介さず拳を振り回した。
「幻影か!」
ラリアート気味に振るった腕は空を切った。
そして、隙だらけとなった背後に影が現れる。
「幻式『幽歩』」
完全に背後を取った。
そして、生成した剣を振るおうとした瞬間、いつの間にか極太の腕が剣士の脇腹を突き刺さっていた。
「憤ッ!」
剣士はきりもみしながら、雪原をえぐり滑った。
「その程度かぁ!!!」
剣士は即座に体勢を持ち直す。
追撃とばかり、上から二本の腕が振り下ろされる。
「原式『功鎧』」
豪!と衝撃が雪原を突き抜けた。
イーラの拳を片剣一本で受けたのだ。
「くく、くはははははは!!」
「…………何が面白いのですか」
「あぁ、面白いぜ! 【魔王】と対等に戦えるなど、数えるほどしかいないからな!!」
イーラが押す力を強めた瞬間、脱力で流される。
そして、崩れた体に掌打を叩き込む。
「気操流・原式『気衝』」
脇腹に衝撃が貫かれ、距離が開く。
「乱式『迅雷陣』」
続けて、縦横無尽に動きながらの剣撃。
まともに受けるイーラだが、全く効いていない。
「効かん、効かんぞぉ!!」
【憤怒】の能力は、【修羅】に類似している。
攻撃を受けるほどに進化する【修羅】に対し、
【憤怒】は名の通り、怒るほどに進化する。
どちらも無限に進化する能力だが、【憤怒】のデメリットはひとつ。
怒りに呑まれ、見境がなくなること。
それだけ。
【修羅】のように魔力を要さず、ダメージを受ける必要もない。ただ、怒るだけで無限に増大するのだ。
「もっとだ、もっと見せてみろ!【亡霊】ォオ!!」
怒るほどに【真なる魔王】に迫る。
現時点で最も近しい者がこの女である。
「怒羅ァ!!」
一撃が激震を生み、常軌を逸した力が雪原を巻き起こす。天地を揺るがす拳をひたすらに振るわれる。
「阿羅啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞ァ!」
絶頂に達したイーラに勝てる者など存在しない。
暴れ狂う怪物を前に、誰もが畏怖し、膝をつく。
これが【魔王】たるゆえんである。
「怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒!!」
だが───……相手が悪かった。
「気操流・破式 」
雪が捲き上るなか、剣士は掌を繰り出した。
「『破導衝』」
「グハァッ!?」
貫かれる衝撃。血反吐を吐きながら吹き飛ぶ。
「これが【憤怒】の力ですか」
呆れるように、ため息を吐いた。
「……アートの方が強かったですよ」
読んでくださりありがとうございます。




