106話 消えた火
───その頃。
はるか彼方の樹海にて、ある戦いが始まった。
「フハハハハハハハハハ!」
高らかに笑うは、炎の精霊。
光背より射出される炎の速射砲が、薙ぎ払うように一掃した。
「《原初の火》……」
そして、追われるは暗殺者。面倒くさそうな顔を浮かべなから、滑るように地を駆けて回避していた。
「俗世の英雄よ、この地で何をやっていたか答えよ」
「それを答える必要がありますか?」
答える気がない、とばかりの無表情で明言した。
「そうか、ならば力すぐで吐かせるまで」
アドラヌスの体から途轍もない熱波が放たれる。
肌を焼くような熱風に、暗殺者は顔を歪めた。
「『天火』」
アドラヌスの背に浮かぶ六つの炎が一つへと集う。
炎球が収束され、白い小さな炎球に変化した。
「滅せよ」
そして、放たれた『それ』は一直線に大地を切り裂き、ひとコンマ遅れて爆炎が辺り一面を包み込んだ。
「ッッ!」
それだけに留まらず、あらゆる生物を死滅させる火を薙ぎ、火の粉が夥しく吹き荒れる。
森羅を破壊するかのように業火が燃え盛り、灰燼の一欠片すらも残さず、あらゆる生物を死滅せしめる。
「【邪神】を滅せし英雄よ、この程度で死ぬまい?」
精霊は天災そのものだと云われるが、凄絶な火嵐の渦中にいる其者は、精霊の枠組みさえも超えている。
───《原初の火》。
其者は、精霊としての次元が違う。
原初より生きた精霊の一体で、生まれたその時より溜め込まれた『火』は何者にも消せず、ヒトなる身では決して抗えぬ存在だ。
しかし、暗殺者もまた人外……英雄の一人である。
「ほう、無傷で逃れ切るか」
アドラヌスの背後に、『影』が佇んでいた。
気配ですぐに暗殺者のものであると理解する。
「だが、逃げるだけ───」
ほんの僅か。
向けていた注視が緩んだ秒にも満たない油断。
たったそれだけの隙で、暗殺者の姿は消失した。
「爆」
消えたことを知覚したアドラヌスは、辺り一面を爆炎で一掃する。自分をも超える速度、そして、姿なき敵に対する単純明快な、力すぐの解決策だ。
ただ、それはこの暗殺者には通用しない。
ゆらり、と陽炎が揺らめくかの如く、アドラヌスの背後へと回った。
「そこか」
振り向くも、そこは虚無。
何もなかった。
「いや……上か!」
アドラヌスの顔に影が落とされ、見上げる。
だが───、そこにも何もなかった。
その次の瞬間。
アドラヌスは勢いよく体を仰け反らせた。
「……これが《幽幻》か」
精霊の頬に、深い傷跡が残る。
傷跡はすぐに癒えたが、暗殺者の姿が見えない。
見えざる敵と化した暗殺者は、炎さえも翻弄する。
影潜み、透明化、心理術、転移、幽歩、幻術……
あらゆる技法が能力へと認められるまでに昇華させた暗殺者こそが六英雄《幽幻》なのだ。
「ならば、これはどうだ?───『天火』」
ちょこざいな技に、アドラヌスはまたしても単純な力技で押し返すことにした。
白球を手前へ移動させ、僅かに揺らぐ。
直後───『それ』は炸裂した。
「『明星』」
焦土と化した地を削り、大地そのものを……いや。
今度は風ひとつもなく───空間が消滅する。
アドラヌスを中心に巨大なクレーターが穿たれた。
◆◇
ヒュゥ、と。静寂の風が遅れて靡く。
大孔に浮かぶ『火』はヒトとは隔絶された存在であることを否応なく思い知らされる。
「…………流石に差は歴然ですか」
膝をつきながら暗殺者は、精霊を見据えた。
なんら問題なさそうな表情だが、現状は最悪。
消滅の恒星から完全に逃れ切れず、片腕を失った。
血が吹き出し、暗殺者はとっさに操糸術で縛る。
「腕を失ってなお、表情ひとつ崩さんか」
片腕を失って正気でいられるヒトなど存在しない。
叫び声ひとつすらあげない生物もいない。
そして、圧倒的なまでの力の差を目の当たりにして恐怖の色すらない。飄々とした態度が異質なのだ。
「…………はぁ」
それに、何だ。この嫌な気配は。
「やはり《幽幻》では、一手足りませんか……」
傷つけられはしたが、それだけだ。
アドラヌスの核にすら届かず、倒すには存在そのものを消し去りでもしない限り不可能だ。そして、打ち倒すには『人外』の力でも足りない。
そんなことは───当然、分かっている。
ぐにゃぁ、と暗殺者の顔が歪む。
【原初なる者よ、我を何者と心得る】
暗殺者の雰囲気が、気配が全く別物へと変わった。
そして、腕の断面から触手がうねり、再生される。
【其方の真名は『───』】
「…………なぜ、その名を……」
初めて、アドラヌスの表情が驚きに染まる。
【原初より生ける灯火よ、誰の裁定を以って世界に命を根づかせている】
先ほどまでの希薄な気配が一変した。
膨れ上がっていく魔力と、圧倒的な存在感。
【我は其方を否定する】
「────貴様ァ!!!」
アドラヌスは憤慨を露わにした。
一瞬で消し飛ばさんばかりの熱波を放ちながら、怒り赴くまま突貫した。
【さあ、命なき無へと回帰せよ】
告げられる。
神なる言葉は現実へと変える。
令するは魔力の回帰。それは生命の否定。
精霊は、魔力そのもの。
魔力の否定は【死】を意味する。
「───────」
魂が抜かれるように、内包する『火』が消失した。
突貫の勢いが消え、アドラヌスは崩れ落ちる。
「…………貴、様……」
朽ちゆく炎。灰となりゆく体。
もはや、燃え滓同様だった。
【神言に抗う意思をまだ残しているとは……だが、それ以上は何も出来まい】
それを一瞥して、暗殺者は踵を返す。
歩を進めようとした足が止まる。
【…………】
縋り付くように足を掴まれていた。
しかし、掴む力が弱い。最後の力を振り絞ってのことだろう、とすぐさま払い、手が灰となって散っていく。
【さて『計画』に支障はないが、少し急がねば……】
考えながら歩を進める。
が、またしても足を引かれる。
「貴様は……この我、が………」
行かせまい、と片方の灰の手に掴まれていたのだ。
掠れる意識の中、燻る闘志だけは潰えていない。
【……鬱陶しい。火なき灰如きに何が出来る】
仕方ないとばかり、腰の剣に手をかける。
【今度こそ、終わりだ】
アドラヌスの背を突き、とどめを刺す。
しかし、それでも掴む手は緩まなかった。
魔力は完全に消えたはず、と訝しげに目を細める。
【………】
よく凝らすと、灰の中から白い光が溢れている。
そして、白い輝きが一気に強まった。
【うっ……!?】
消えたはずの魔力が、途轍もなく膨れ上がる。
潰えた魔を吹き返す方法など一つでしかない。
【……それは、まさか!】
熾烈な光が、さらに強まっていく。
放たれる輝きは魔力なき者のそれではない。
【まさかーーーーー!!!】
生を燃やして放たれる光は、命の輝き。
「……貴様は、この我が全霊を以って道連れにしてやろう」
最後に、不敵な笑みを浮かべて解放する。
「『天火明命』」
瞬間、光の奔流が樹海を呑み込んだ。
そして……灰すら残さず、原初の一柱は消滅した。
◇◆
シバ国の界隈で剣を振る紅色の巨騎士。
剣を地に突き刺し、大きく息を吐く。
「ニーベルゲン団長、そろそろ時間です!」
「応、後少しで向かう。先に行っていろ」
承知しました、と大きな声で返答して去っていく。
これから騎士団全員で鍛錬の時間だが、その前の運動に巨剣での素振り百を九セットやっていたのだ。
「よし、後一セットだ」
日課まで少しだ、と巨剣を掴む
すると、刀身のひとかけらが欠け落ちる。
「─────アドラヌス様?」
紅の巨騎士は、彼方に消えた気配に想いを馳せた。
読んでくださりありがとうございます。
一旦、ここまでが中編となります。




