87話 君だけの英雄
戦争は終結した。暴王ネロが死んだことで支配されていた兵は解放された。未だに錯乱状態にある者や重傷者も数多くいる中、オリヴィエを中心に革命軍の幹部たちが仕切っている。場に来ていたという、ウォーロクもいつの間にか姿を消していたそうだ。
そして、革命軍の頭領のクラウディウスはというと、勝手に飛び出したことをオリヴィエたちに怒られて大人しくしている。
「すまない、余のせいで……」
「…………いや……」
その先の言葉が見つからなかった。
これが俺の器の狭さだろうか。
『気にするな』
などと、言えないのは……。
「余は国を立て直すためにこのままベヒモスに戻る」
天井を仰ぎ、「ネロの為にも……」と小さく呟く。
そして、再度俺に向き合って続けた。
「ぬしには大いなる恩がある。その後に必ずシバに伺う。その時に出来る限り力になることを誓おう」
「…………ああ」
最後まで何も言えなかった。
言葉を見つけることができなかった。
俺は失っただけだ。
死んだのは俺ではなく、アートなのだ。
だから、彼の言葉を受け取れなかった。
俺は場を後にし、青空を仰ぐ。
こんなにも複雑なのに、空は清々しく澄んでいた。
「何をやってるんだろうなぁ……俺は」
分かってはいた。
それでも俺は願わずにはいられなかった。
全てが救われ、俺は復讐を果たす。
しかし、討たれるネロにも遺恨が残る。
それはクラウディウスもだ。
英雄の気概があれば、都合良く、都合のいい結末に持っていけるチートだと思っていた。
そう思っていたかった。
だが、現実はそんなに甘くない。
いいや、現実はそんなものだ。
俺は結局、甘えていたのだ。
ああ、全くもって怠惰だ。
「……様!アベル様!」
その呼びかけにようやく気づく。
相手はオリヴィエだ。
「ごめん、気づかなかった。どうした?」
「厚かましいかもしれませんが……また、お会いできますよね?」
「…………そうだな」
正直、先のことが全く考えられない。
俺はどうなっていくのか、どう生きるのか。
考える気もなかった。
だから、適当に答えてしまった。
「再会できたんだ。きっと会えるさ」
「では、約束していただけますか?」
珍しくオリヴィエは睨むような瞳で俺を見た。しかし、俺はその瞳に応えることが出来ず、ただ答えた。
「………ああ」
「……ひとつ我儘を申してもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「この首飾りは私が預かってもよろしいですか。……また再会できたとき、今度こそ必ずお返しいたしますわ」
母さんの唯一の形見。
俺は一瞬、ピクリと指を動かして躊躇した。
そして、ふいに彼女の瞳を見た。
「………っ」
震えた声。必死な瞳。
まるで、俺を引き留めているような気がした。
「……わかった。それは君に預けるよ」
「………約束ですわよ」
再び交わされた約束。
俺はひと頷きして、しばらく静寂が流れる。
ヒュゥ、と。
生暖かい風が吹かれ、俺は静かな空気に耐えられず黙って踵を返した。
「アベル様!」
その去り際、背後からの呼びかける声に振り向く。
そこには、頭を下げるオリヴィエの姿。
「父を助けてくれて、本当にありがとうございます」
そして、頭を上げて。
「それと………」
そこで言葉を止め、何も言わずに頭を下げた。
贖罪なのか、感謝なのか、あるいは両方か……
そして、彼女はそのまま去っていった。
「……………」
戦死者は敵味方問わず、等しく棺に納められる。棺はシバへ……英雄の凱旋とは別口から運ばれる。
勝ち鬨と、葬いを区別する為だろう。
そして、それはアートも含まれていた。
◇◆
その帰り。英雄の凱旋に参列した。
シバ国民の祝う声が行き交う中、俺は徹底した。
「……アル、無理してない?」
「ああ、大丈夫だ」
「……その大丈夫は何に対して言っているの?」
「………………大丈夫だ」
必死に『やりきった顔』を作った。
英雄らしく、光に溢れた瞳を取り繕った。
───気持ち悪い。
純粋な瞳で見つめる子供もいた。
その子に俺は穏やかな笑顔を作った。
希望の、憧れに応えるように。
───そんな目で見ないでくれ。
「そなたの冒険等級をSSへ昇格する。同時に、栄光の証として白翼勲章を授与しよう」
「…………ありがたく」
片膝をついて受けとる。
偉業を成した英雄らしく振る舞った。
大きな犠牲はあったが、前を向くべきだと。
「応、お前やりやがったな」
バァン!と背中に衝撃が響いた。
むきだしになったレイアの笑顔が眩しい。
それに応えるように笑みを返した。
───ああ、偽る自分に吐き気がする。
何が英雄。何がSS級。何が勲章。
そんなものいらなかった。
俺は、結局アートを守れなかったのだ。
「…………くそっ」
鏡を前に悪態をついた。
映る自分の偽る顔を見つめる。
その度に吐き気がした。
「………畜生が……」
はぁ、と一旦気持ちを整える。
水で顔を洗い、顔を見繕って出る。
長々と続く廊下を歩く。人がいなく、寂れている。
外に出払って勝利に酔いしれているのだろう。
それにしても、薄暗くて寂しい感じだ。
「……これで本当に……独りになっちまったか」
そこで突然、俺は足を止める。
何か、足りない事に気づく。
「……………………あ」
真っ先に姿を現わすと思っていた彼女がいない。
事あるごとに声を掛けてくる彼女がいない。
何かあれば爆破してくる彼女がいない。
ここにいるはずの、彼女がいない。
「…………ああっ!」
気がつけば、その姿を探していた。
その姿が見つからないことに、募り行く不安。
焦燥だけが自分を支配した。
「そんな、あいつまで………!?」
ふらふらと死人のように歩を進めた。
庭を、部屋を、廊下を徘徊した。
「いやだ、俺は、もう失いたくない……」
彼女の姿を必死に探した。
用事があって顔を見せないんだろうか。
六英雄が守護していたのだ。
王宮にはメズヴが結界を張っていた。
目立った被害はなかった。
無事のはずだ。
「エンジェ………!」
だが、確定でかない存在があった。
それは黒ハートだ。
警備の目を欺き、ディーヴに観測させずに侵入した。魔物を呼び出して奇襲したのだ。
その召喚陣から侵入した可能性が拭えない。
シバ国王オスカーは健在だったのだ。
よりによってエンジェを狙うなんて事はない筈だ。
……いや、ああ、もう考えたくない。
「お前まで失ったら……俺はもう…………!」
嗚咽にも似た声で俺は縋った。
最後の希望に賭けるように俺は必死に探した。
そして、一つの扉を重々しく開ける。
「あ………」
ふいに飛び出した光景に呆然する。
窓から夕暮れが溢れ、天蓋の内を照らしていた。
中にいるのは、朱鷺色のドレスの女性。
「エンジェ!」
俺は思わず駆けた。
「アベル?」
きょとんとした彼女の顔。
生きている。失っていない。
彼女は、そこにいる。
「……ちょ、ちょっ、どうしたの?」
彼女を抱きしめた。
存在を確かめるように。
「よかった………!」
震えながら抱き締める。
「…………うん、私はここにいるよ」
◆◇
エンジェのところに奇襲があったらしい。
小鴉丸も重傷を負って安静しているそうだ。
俺は項垂れて安堵した。
「……そっか。小鴉丸も無事なんだな」
そこでエンジェは何か気づいたように周りを見た。
そして、「あれ?」と零す。
「そういえば、アートは? いつも一緒に……」
「………………」
俺の沈んだ顔を見て、気づくエンジェ。
俺はあったことを、かいつままずに全て話した。
アートの気持ちを知り、主従契約を結んだこと。
ネロが支配の権能【畜生】を持っていたこと。
敗北したこと、アートに助けられたこと。
そして、その死を。
彼女は両膝の裾を握りしめて全部聞いてくれた。
実に、呆気ない結末だった。
「…………俺を讃える声が、羨望の瞳が、矢のように刺さるんだ。俺はそんな器じゃない。英雄じゃない。俺は……あいつの約束を守らせてやれなかった」
あいつは俺のために戦ってくれた。
俺の願望に尽くしてくれた。
俺が……アートを殺したのだ。
「それは違うよ」
俺の考えを見抜いたように、すっぱりと否定した。
「アートは、アベルの為に戦うと決めたんだよね」
「…………ああ」
「その気持ちまで否定しちゃだめだよ」
「……ッ」
エンジェは俺の手をそっと握った。
「だから……アベルの選択を後悔しちゃだめだよ」
「〜〜〜ッッ、後悔しない訳がないだろ! 俺が生きて帰ると誓ったから、あいつは死んだんだ!」
思わずエンジェの手を払って、荒げてしまう。
「…………すまん」
すぐに我に返った俺はエンジェから目線を外す。
しかし、エンジェは表情を崩さず、俺を見つめた。
「それでもアベルが動かなかったら、もっと酷い事になっていたと思うんだ。それに、アートは一度止めたんだよね。それを押し通したのはアートも引っくるめて、みんなを救いたかったからだよね」
「…………」
「全ては救えなかったけど、それでもみんなを救った英雄である事には変わらないんだよ。アベルが否定しても、私は肯定するよ。そして、アートも英雄……」
そこで言葉を止め、頭を振ってもう一度向き合う。
「アートは───君の英雄になったんだよ」
その言葉が、全身に伝わった。
それだけは否定してはならなかった。
「…………俺の、英雄」
俺は項垂れて、その言葉と向き合った。
アートは俺のために戦ってくれた。
命を懸けて守ってくれた。
そして───、救ってくれた。
その真実だけは背けてはならない。
逃げてはならなかった。
「…………ッ」
俺は唇を噛んで、拳を額にぶつけて堪える。
すると、エンジェは俺の背後。
俺の首に手を掛けるように抱いた。
「苦しいのは分かるよ。それでも受け入れなければならないんだよ。アベル一人で受け止めることができないなら、私も一緒にいた時間……せめて半分を背負わせて」
きゅっと強く抱き締められる。
「だから、そんな顔をしてまで我慢しないで」
一体どんな顔をしていたのだろうか。
ふと気がつけば、俺は大粒の雫をこぼしていた。
子供のように手の裾で拭うも、とめどなく溢れる。
「………」
いつも隣にいた。遠く離れたことはなかった。
毎日メシを食った。共に過酷な修業を乗り越えた。
あいつの成長が自分の事のように嬉しかった。
ずっと一緒だった。
幼い頃からずっと。
「……ああ、そうか」
俺は───寂しいんだ。
アートを失ってやっと気づいた。
あいつがいたから、寂しくなかったのだ。
「もう少し、このままでいてくれるか?」
寂しさを埋めるように。
温もりを手放さぬように。
彼女の手を握りしめた。
「…………いいよ」
そして、窓から溢れる光を辿って景色を眺めた。
窓越しの黄昏が、どうしようもなく綺麗に見えた。




