82話 ふたつの凶弾
見える───
ネロの動きが緩やかだ。
最初は不倶戴天の如く、胸の中に炎を燃やした。
しかし、今は静かだ。
振り回すネロの腕の外。意識の外に拳を潜ませる。
そして、ネロのこめかみを撃ち抜く。
「ぬうっ!」
後退するネロに、五発、拳を叩きつける。
「ぐっ……!」
さらに後退した距離を駆け、溜めた一撃を放つ。
「『破導掌』!」
ズザザ、と距離が再び開く。
それでも倒れないネロは前へ出ようと踏み出す。
その距離も利用して、一撃。
「『破導掌』!」
ネロを倒すためだけに動く。
主人のために、今戦わねばならない。
その一心で更に加速する───
「かあっ!」
ネロの気合が地を砕き、めくり上がる。
とっさに距離を開け、舞う足場を利用して接近。
斧のように振り落とされる豪腕を体捻りで流す。
捻った勢いのまま、蹴りを繰り出した。
「……ようやく、捕まえたぜ」
歪む笑み。
顔面を捉えた足を掴んで、逃がさない。
「っ!」
唸る豪腕で振り回され、地に叩きつけられる。
上げるうめき声。
叩きつける。叩きつける。
叩きつける。叩きつける。
絶対的な力の差を見せつけるかのように。
「ぐっぅっ!」
飛びそうな意識を歯をかち合わせて保つ。
地に叩きつけられるたびに、気を放って衝撃を僅かに軽減し、気鎧で耐えていた。
その中で少しずつ。
「『気衝』!」
掴んでいる箇所に気を集中させて放った。
そのままネロの顎を蹴り上げて、飛びのく。
開く距離。
「くくく……くははははははは!!」
「何がおかしい?」
「そうか、そうか!そういう事なのだな!俺様は試されているのだな!」
ネロの笑い声が響き渡る。
「良いだろう! それでこそ、超え甲斐がある!」
「何をトチ狂っているんだ。俺は試験でも何でもない。お前を打倒する、ただ一人の狼だ」
それは人外の戦い。
誰の介入をも許さぬ熾烈なものだった。
隻腕となった王と、黒き狼。
その死闘から、少し離れた場所。
翠瞳の少年は遺物を支えに歩いていた。あの後、どうにか意識を取り戻したが、未だに掠れている。
これは後頭部を殴られたせいだけではない。
「……あらかじめ転移を仕込んでてよかったにゃ」
ふらつく頭を抑えながら影に潜む猫の少年。その顔はいつもの狂気じみた笑みはすでに無く、落胆したような表情を浮かべていた。
「……感謝するにゃ」
向こうで戦っている黒い狼の言う通り。
ボクは、反逆している。
ボクはネロ様に拾われ、強く、優しい彼に憧れた。
彼の願望のために、戦いたくて強くなろうとした。
決して……獣人を使い潰すような行為に賛同する為ではない。
だから、進言した。
今のままでは兵が潰れてしまう。
破滅に向かわせぬよう勧めた。
すると、ネロ様はボクの肩に手を置き、落胆したような表情を浮かべた。
その時からのボクの記憶は途切れている。
洗脳、されたのだ。
「……ふぅ」
皮肉にも、アートが洗脳状態を解いてくれた。この洗脳を強引に解除した反動からか、吐き気するほどに頭の中が混乱している。
今にも気を失いそうだが、出来ることはある。
チェシャは瞳を閉じ、もう一度息を吐いて集中する。
「……失敗はできないにゃ。チャンスは一度にゃ」
───あそこに倒れている黒剣士を抹殺する。
ネロ様と同じ《禍》を持つ者。
彼さえ死ねば、ネロ様の戦う理由はなくなる。
殺されたっていい。
全ては、在りし頃の主君のため……
「ショット」
穿たれる二つの凶弾。
刺すような殺意を、黒き狼人は見逃さなかった。
その明確な位置を一瞬で嗅ぎ取った。
────やらせるかよ!
彼方より飛来する弾丸を一目で捉え、ネロとの戦いを一瞬で放棄することを決意した。
「『最大瞬功』!」
今出せる全力速。体の損傷を無視した速度で、ネロの全身に拳を叩き込む。
「ぬぅうっ!」
即座にその場から離脱し、一直線に駆ける。
置き去りするように腰の嚢から何かが零れる。
(遠い……!)
まだ距離が遠い。ここからでは間に合わない。
主人が死んでしまう、そんな焦燥が体を支配する。
(恩義が返せないからじゃない。主人だからじゃない。ただ、ただアベルを失うのが怖い)
生まれて直後に共にいた唯一無二の存在。数多の苦楽を乗り越えてきた相棒だからこそ失いたくない。
(……俺は、何の為に契約をした!)
契約することで強くなれる獣だからこそ、相棒であることよりも仕えることを選んだのだ。
(今! この瞬間を超えるためだろう!)
裂帛がごとき想いが、一房に染まった純白の髪が全身に染め、音を超え、光さえも置き去りにした。
そして────
「……アート?」
キィイン、と。
鉄が弾ける音が響くと同時に。
鮮血がエリーゼの頬に飛び散った。
「……ゴボッ」
アートの口から血が噴き出る。
「………くそ……しくじったか……」
弾丸の影に隠された───ふたつめの弾丸に貫かれたのだ。胸から零れる鮮血を見て、これはもう助からないということを否応なく理解させられた。
そして、後ろの二人の無事を確認するべく振り向く。
傷ひとつないことを確認して、安堵したよう顔を緩ませて、ゆっくりと膝から崩れ落ちる。
「……え」
キンッ、と。 音が遅れて。
星の欠片が落ちた。
◇◆
ブッ、とネロは口に溜まった血反吐を吐いた。
「敗者を庇うとは……面白くねぇ結末となったな」
その言葉に頭に来たのは他の誰でもない。エリーゼは俯きながら、血が滲むほどに剣を握りしめていた。
敗者。面白くない結末。
そんな言葉で片を付けられることが許せなかった。
「全く、チェシャの奴め。よくも面白くねぇことをしてくれたな」
ネロは、銃弾を放った後に気を失ったチェシャの方に目を向けて呆れた。
そこに、エリーゼは容赦なく首を一閃する。
「ふん、その程度で───」
ガギギギギギン!と一呼吸の間に十数の斬撃を叩きつけられた。変わらず傷一つないが、速度に於いて先ほど凄まじかったアートよりも、さらに早い斬撃。
その勢いは留まらず、鉄と鉄が弾かれる音が響き続ける。一撃は弱く、軽いが……速い。
そして、何よりも───
(……この俺様が、捉えきれんだと!?)
アートでさえ、まだ攻撃の筋は捉えられていた。
アベルのフェイントもまだ予測はできていた。
だが、この女は違う。
純粋な速度のみで、ネロの眼を凌駕していたのだ。
(それに、この気配は……)
うっすらと感じる嫌悪。
いや、嫌悪というよりも、拒絶だ。
ネロ自身が頭が拒否しているわけではない、どちらかというと中にある【禍】が拒絶している。
【禍】が拒絶する力は、たった一つでしかない。
「ククッ!」
ネロは不敵に笑い、大きく振りかぶる拳を地面に叩きつけた。衝撃と石礫が飛び散り、たまらずエリーゼは距離を取った。
「【覇哮砲】!」
「ッッ!」
意表をついて放たれる咆哮に面喰らいながらも盾を構え、衝撃に堪える。
「クカカカッ!思わぬものを見つけたぜ。その力は天敵になりうるかも知れんが、俺様には遠く及ばんな」
「……うるさい」
どこまでも傲岸な男に、ふつふつと怒りが煮えたぎっていく。
「戦争もその男を手に入れられば終わる。その締めにデザートとは……とことん俺様を試す気だな。だが、何者にも俺様を止められはせん!」
「うるさい……」
手が震える。どうしようもなく手に力が入る。
ネロは、私たちの故郷を奪い、あまつさえ新たな拠り所も奪おうとする不倶戴天の敵だ。
そんな敵に「面白くない結末」などと言われては、怒りを抑えられるはずもない。
この男────、ネロだけは!
◇◆
───……俺は深い、深い闇に沈んでいた。
己の中に禍も感じず、外に通じる方法がない。地面を叩いてみたり、魔力が放出しろ、と念じてみたりしたが、うんともすんともいわない。
暗闇に中に放り込まれてどれだけの時間が経ったのだろうか。数分?数十分?いずれにせよ、あまり時間は経っていないような気はした。
「………ん?」
すると、彼方に輝く光が見えた。
自分を呼びかける声も聞こえた。エリーにも似た声だが、少し違うような気もした。
そして、それに手を差し伸べると、突如耳元に戦闘音が響き、我に還るように体を起こした。
「ここは……」
元の世界に戻ってこれたようだ。
それに、この戦闘音は……
「エリー……?」
何者の介入も許さぬほどの熾烈な戦闘だ。俺の目をもってしてもエリーの姿は捉えきれず、物凄い猛攻のように見えるが、徐々にその勢いは失われている。
このままでは押し負けてしまう。俺は助けに入るべく体を起こそうとするが、ぬるり、と何か手に濡れて体勢を崩してしまう。
「これは……血か」
膝に血がべっとりと張り付いている。
俺の体からは流れていない。
なら、この血は一体……
「……アート?」
俺の前、その傍らに横わたる、アートの姿。
「おい、大丈夫か」
駆け寄る。虚ろな瞳だ。
気絶をしているんだろうか。
「目を覚ませ、エリーも頑張っているんだ」
揺さぶるも反応がない。
ネロを相手にしているエリーも明らかに劣勢だ。
だが、お前と俺が加勢すれば勝てる。
だから……
「……起きろよ」
アートを抱え上げる。
呼吸も、鼓動も、何も感じない。
「俺の力に、なるんだろ……」
約束しただろう。
頑固なお前のことだ。
道半ばに放り出さないだろう。
俺も生きて帰ると約束したんだ。
お前と一緒に帰るんだよ。
だから、目を覚ませ。
「約束……破るのかよ……」
間違いなく、二度と。
こんな血が出て。
助からない。
目覚めない。
動かない。
なんで。
わかっている。
理解、したくない。
「なぁ……嘘だろ」
頭が腕の内へと崩れ落ちる。
感情が壊れる。理性が剥がれる。
心に、孔が空く。
「あ……あぁ」
慟哭に喉を震わせ、俺は、堕ちた。
「あ、あぁ、ああああ………!」
ああ────また奪われた。




