75話 後悔先に絶たず
あの時も胸騒ぎが止まなかった。
アベルの母、イザベルさんが死んだ日。
ダンさんに引き連れられて一度船に避難したが、いても立っていられず、飛び出してアベルを探した。そして、匂いを辿った先にあった光景、泣き叫びながら戦うアベルの姿だった。
傍らにイサベルさんの亡骸があった。
だから、飛び出し、戦い、敗北した。そして、目を覚ますと戦った相手に弟子入りしていた。混乱したが、イザベルさんを殺した敵ではないとすぐにわかった。
その日からアベルは研鑽を欠かさず、彼はひたすらに強さを追い求めた。
修業の果てに、アベルは自分の願いを見つけた。
しかし、それでも漏らすのは未だに、後悔の念だ。
あの時強ければ、選択を誤らなければ、と。
「…………エリーゼさん」
「何よ? あと、エリーでいいわよ」
「分かった、エリー。アベルのことは好きか?」
「えっ!?」
突然すぎる質問に、一気に赤面するエリー。
ゴニョゴニョといじらしくなる。
「……すまん、言わなくていい」
「むぅ……アートも生意気になったわね」
「はは、元々こう言う性分だ。ちゃんと会話できたのは再会した時からだったしな」
「そうね、特異体質者だとは思わなかったわね」
通常、獣人体質。実例が少なく、かつては呪いとされていた。獣から、人から、獣人へと変質させることができる体質を指している。
「……ん?」
追ってくるエルヴィンたちの気配を感じない。
足を止め、背後を向けて目を細める。
「アート?」
「何か……妙なにおいがする」
森に二つの緑光が輝いた。
影から現れたのは猫耳の少年。
「にゃにゃ、君たちはすごぶる強そうにゃ」
白と緑が入り混じった体毛に、エメラルドの瞳。感じる気配は普通だが、不気味さが拭えない。
そして、悪戯好きな子供のような笑顔。
「左方のチェシャ。そういうキミはアートにゃね」
「邪魔を……ッ!?」
予備動作もなく、弾丸が眉間に迫った。
辛うじてかわすが、頬に大きな傷を負った。
「にゃ? すごい反射速度にゃ」
「……俺を知っているのか?」
「もちろんにゃ。ボクとキミは同じだから」
そこで、緑の瞳を動かして、横に銃を撃つ。
白の騎士は盾を構えて、弾丸を防いだ。
「っ! 不意を打ったと思ったのに!」
「にゃは、ボクの不意を打つのは難しいと思うにゃ」
エリーゼは魔術を使っての移動したはず。
それを目で追うなど有り得ない。
何かカラクリがあるはず……と。
「エリー!」
「……分かったわ!」
エリーゼは魔術を詠唱して先へと行く。
そして、それを傍観したチェシャ。
「見逃すのか?」
「にゃ? ボクの相手はキミだからね」
「……それはネロの命令か?」
「そうにゃ。あ、戦う前にちょっといいかにゃ」
長い銃を担ぎ、にっ、と口角を上げた。
「キミ、仲間にならないかにゃ?」
「…………はぁ?」
思わず眉間をしかめるアート。
「ネロ様はボク達みたいな特異体質者を集めて、世界を支配するにゃ。ボク達が蔑まれない世界……獣人がみんな、幸せになれる世界を目指さないかにゃ?」
獣人が幸福な世界。
「ボクもね、子供の時は人間だったけど、ある日突然毛が生え、目の色と変わり、猫耳も生えた。親にも忌まれたし、人間に忌避の目で見られてきた。キミも嫌な思いも沢山したんじゃないかにゃ?」
確かにした。
特に黒色の狼であることに蔑まれてきた。
「その眼は全てを憎んだ瞳にゃ。だからこそ、きっと理解し合える。ボクたちと行かないかにゃ?」
だが、なぜだろうか。
「一ついいか?」
「うん、いいにゃ」
彼の言葉が、願いが、上辺にしか聞こえない。
「お前の後ろ……狼人たちはどうしたんだ?」
「殺したにゃ」
「何……」
「アイツらは執拗に対抗する愚兵。もはや捨て置けぬとネロ様からの命にゃ」
「…………なら、一つ追加だ」
「にゃ?」
「獣人と獣人。今お前らが戦っている相手は……獣人たちだ。何故、守るべき獣人と戦っている?」
きょとん、とした表情になるチェシャ。
「ネロ様がお決めになったからにゃ。あの方のお考えはボクたち如きには分からないにゃ」
「…………」
「でも、ボクたちは信じているにゃ。導かれた先……ボクたちに幸福を与えてくれるにゃ。これも必要な犠牲だったんだにゃ」
純粋な瞳。奥には狂気じみた崇拝を感じた。
「…………はぁ」
そこで、大きく溜息を吐く。
「にゃにゃ?なんか気にいらないようにゃけど……」
「欺瞞だな」
「……にゃんだと?」
チェシャの吊り目が更に鋭くなる。
「お前のそれは忠誠ですらない、それはただの忠実な奴隷だ。……それに、俺は上辺だけのヤツは嫌いだ」
「…………では、断ると?」
「あぁ、断る」
「……残念にゃ」
互いに内包していた闘志が滲む。
「ショット」
初手は、チェシャ。弾丸を乱射する。
全てかわしきったとアートは思ったが、全弾掠めてしまう。
「にゃ……想定よりも疾いにゃ」
移動の先々に弾丸が迫る。チェシャの持つ銃がアートの動きを先取りするような捌き。
まるでアベルと相手しているかのような感覚だった。
「…………」
アベルの場合、予測だ。
気配、殺気、予備動作、全てから次の動きを読む。
だが、チェシャの場合は明らかに「見ている」。
動く先をなぞるように、瞳が動いている。
この事から察するに───
「予知か」
「正解にゃ」
固有能力、『予知』。
未来を瞳に映し、予言することができる。
チェシャの前では不意打ち、奇襲が効かない。そして、穿つ弾丸は全て、必中する。彼は、類稀なる能力と、狙撃用の遺物でネロの左腕に登りつめたのだ。
「『瞬功』」
────だが。
「にゃっ!?」
不意に、アートの拳がチェシャを捉えた。
まぐれか、と距離を取り、再びアートを視界に入れて動きを予知する。だが、見えない。
────映るは無だった。
「っ!?」
今度はより強く。飛ばされそうになる意識を保ち、チェシャは膝をつく。俯く白い髪の中から緑の瞳がアートを睨む。
「キミは……幸せに生きたいとは思わないのかにゃ。今まで苦しんで来たのなら────」
「……お前は俺のどこを見て不幸だと断じた?」
「…………っ」
言葉が出ないチェシャ。
「俺とお前が会ったのはついさっきのことだろう。一見で俺を不幸だと思うのは妙な話だ」
「……………………」
「確かに蔑まれたこともあったが、少なくとも今は不幸だとは思っていない。お前がどんな人生を送ったのかは知らないが、お前が俺を不幸だと思ったのなら、チェシャ、お前が一番自分を蔑んでいるって事だ」
「…………違う」
最初から妙だった。接近してきた時からだ。
確かに闘志はあったが、明確な殺気を感じない。アベルと相手にしている……そう、模擬戦をしている時と同じ気迫。
……殺す気がないのだ。
「それに、お前の語る理想。そして、お前の行動が一致していない。お前は都合の悪いことから逃げ、耳障りの良い言葉に目を向けたふりをしている」
「…………だまれ」
宣言する。チェシャの心奥に燻っているものを。
隠している本当の意思。
……それは《叛逆の意思》。
「本当は、主を信じていないのだろう」
「だまれぇえっ!」
激昂とともに銃を構える。
そこでチェシャの視界から外れ、後頭部を一閃。
意識を失ったチェシャは倒れた。
(……それでも、かつては信じていたのだろう)
これほど崇拝するのだ。
目指した理想に続く道をどこかで誤ったのだろう。
裏切れぬ忠誠、そして、叛逆の意思。
それらが拮抗するほどに彼は、ネロを信じていた。
「…………」
俺はアベルを信じている。
彼の選択が正しいと思えたから力を貸すのだ。
そして、二度と後悔させない為にも。




