首輪デート
曲がった通路の奥から近づいてくる冷たい気配。間違いない、ヘレンちゃんだ。コアを突いてから現れるまで数秒か。本当は突いた瞬間には転移しているはずだったのだが…………ブレアの様子がおかしい。
「ブレア!」
顔を見ると汗だくだった。何かと戦っているような……マナフィールドがそれを検知した。
干渉されている。通路の奥から『停滞』の意志が込められたマナが伝播してくる。それがブレアの詠唱を阻害していた。
だが、遅れているだけだ。完全に無効化されているわけではない。まだチャンスはあるはず。
ブレアの詠唱が終わらないまま、ついにヘレンちゃんの姿が露になった。
紺色のダサめのジャージ。『あなぐまはキノコも好むよ』と書かれたTシャツ。頭にはタオルを巻いている。
そして、手には輝く黄金のスコップが握られている。
穴掘ってたのか? 穴掘りの最中に悪かったな。
ヘレンちゃんは俺たちを視認すると緩慢な動作で手をこちらに向け────まずい!
「待ってください! それは、それはヘレンちゃんスコップ・ゴールドではないでしょうか?」
なんでもいい。時間稼ぎだ。よくわからんがとりあえず口をついて出てしまったし、スコップを全力で褒めたたえよう。
ヘレンちゃんの顔色が変わった。お、もしかして正解だったのか。
「…………わかるのか? 穴ガチャしたのか?」
会話が成り立った! 前回は獣のごとき暴れっぷりだったが、言葉をしゃべっている。すごい!
「ええ、はい。今回はこのグルガンを上から真っ当に攻略したのですが、途中の魔界村で穴ガチャを──」
「何が出た?」
俺の言葉にも食い気味に質問を重ねてきた。これはいける。
「ヘレンちゃんスコップ・シルバーがでました。他にも茶色のペンキや地獄のローラー、熊手……土が出た時はちょっとがっかりしたり、フィギュアが出た時は大盛り上がりで……」
「そうか、フィギュアまで引いたか。やりこんだのだな」
ちょっとだけ嬉しそうにしている。過去の所業への怒りと穴ガチャを人類が楽しんだことに対する喜びがせめぎあっているのだろう。
「フィギュアはどうした? 恥ずかしいからあまり見せたくはないのだがな」
「あ、それは途中まで一緒だった仲間が引いたもので。その仲間はいま魔界村にいますが、大切に飾っていると思いますよ」
「うむ、うむ。では他の物はどうした? 使っているか? スコップのシルバーはどうした?」
あ、しまった。ベルゼブブに売ってしまったぞ。これは心証が悪い。えーと、どうしよう。嘘とかバレる気がする。マナとか視えているだろうし……てことはもう既にやましい事があるとバレているのか。
俺が言葉を見つけられないでいると、ヘレンちゃんは視線をメスブタに移した。ああ、嘘をつけない人間がわかっているんだな……さすが女神。
「売ったっ!」
ド直球。
「フィギュア以外はまとめて白金貨10枚になったのです! すごい高値なのです」
ああ、アルマがいらない援護を。売れたのが自慢でしょうがないのだろう。
「貴様ら…………ガチャ舐めてんのか! 保管用、観賞用、使う用で全アイテムのコンプリート目指さんかっ!」
ヘレンちゃんが怒り心頭モードに移行しようとしたその瞬間。
「テレポート!」
ブレアの詠唱が完了した。
光が一瞬で渦巻き、俺たちを包み込む。
そして視界が切り替わった。
太陽がまぶしい。
俺たちは1階層に侵入するために穴をあけた何もない草原に立っていた。
「あ、危なかったな……」
「今回もギリギリだったのです。あと少しでやられてたのです」
「そうだな。みんな言動には気をつけような」
俺も詰まらずに上手く回答しないといけなかった。アルマも妙な援護をせずに『もっと必要としている人がいて泣く泣く売ったのです』とか言っていればまだ少しは引き延ばせたと思う。それが嘘だとはバレていても。メスブタはもはやどうしようもない。
「わかったっ! 気を付けようっ!」
メスブタは確かに気を付けるだろうが結果は同じだろうな……。
「反省なのです。ブレアちゃんは大丈夫なのです?」
「大丈夫よ。少し、いやかなり疲れたけど。詠唱を神に妨害されるのってキツイわ。あんなに普通に話しながらもどんどん妨害が強くなっていっていたのよ。ありえないわ」
「いや、穴の女神の妨害の中でも転移できたのはすごい。ありがとう」
「そうだなっ! ありがとうっ!」
「ありがとうございますなのです!」
「次はコアを突いた瞬間に転移できるように、神の妨害ありきで考えた方が良いわね」
「そうだな。ま、とりあえず街に行こう。ゆっくり休もうぜ」
3人がうなずく。服も汚れているし、汗もかいたし。ビンでもあれば汗を採取できるんだがな。
「あ、報告なのです」
「どうした?」
「さっきので爆発カウントがリセットされてまた365日でカウント再開したのです」
そういえばアルマの爆発のこと忘れてた。そうか、あれで踏破したことになったんだな。よかったよかった。アバドンちゃん倒してないのが、ほんのり気がかりだったが、結果的に良かった。
今回のグルガン攻略で得た情報や発見した課題はいくつもあった。天使や悪魔の存在、穴ガチャ、ボスをどうやって滅ぼすのか、ヘレンちゃんの登場タイミングと詠唱阻害の対処方法、などなど。
そして本当に真正面から攻略できたという実績。
さて、次はどうするかな。ぼんやりとそんなことを考えながら、街道を聖都とは反対方向に進んでいった。
◇ ◇ ◇
ダンジョン『グルガン』から聖都とは反対方向に1日。中規模の街があった。
適当な宿に泊まり、ぐっすり眠って起きるとベッドのわきにメスブタが佇んでいた。
「おわっ!」
思わず驚き声を出す。俺を起こすでもなく、ただ立っていたのだ。何してんだこいつ。
いつもと違ってもじもじしている。
「デ、デデデデデ、デデ、デートっ」
メスブタ使い過ぎて壊れたかなって思ったけど、デートね。赤くなっちゃってる。
「とりあえずおはよう。デートか、今日にするか?」
「行くっ!」
「じゃ、着替えるから見ててくれ」
「うんっ!」
すごく嬉しそうだな。デートに誘ってみて良かった。相手が俺でいいのかは気になるところだが。
服をするすると脱いでいく。メスブタはまじまじと俺の肉体を見つめている。
どうしようかな。パンツは脱ぐ必要ないけど…………初心なメスブタちゃんが真っ赤になって再起不能になったら困るのでパンツまでにしておこう。こいつのイケるラインとイケないラインはいまだに難しい。
「よし、行くか」
「首輪ないのかっ?」
「え?」
「ん?」
「ごめん、なんだって?」
「首輪ないのかっ?」
「首輪いるのか?」
「首輪いらないのかっ?」
話が全然見えないぞ。首輪?
「かつての帝国ではデートの際に首輪をつけていたのか?」
「え、それはわからないがっ! ただ男女が出かける際にはどちらかが主人となり、ブタに首輪をつけて引きずり回すと父上から聞いたっ!」
また変態皇帝か。皇帝の亡霊がメスブタの向こうで笑っている気がする。
だが、悪くない。是正するほどのことでもないし、ここはひとつメスブタの望みを叶える方向で前向きに検討しよう。
「そうか、じゃあまずは首輪を買いに行こう。ついでに首輪に合う上着も買うか?」
「かうっ! いこうっ!」
にっこにこだ。ブタというかイヌのようだ。
ブレアはすでに出かけていたようで不在だった。
アルマは天使の武器を高値で売りさばくために市場調査に出かけるようだ。
2人で宿を出て通りを歩く。
街並みは聖都に近く、青と白を基調とした建物が並んでいた。ただ、ところどころ他の色の建物も混ざっており、それが街の雰囲気をやわらげてくれている。
「あ、朝飯くっていないな」
「そうだなっ! あ、あそこの広場で食おうっ! 屋台があるっ!」
確かに屋台があった。変な広場だな。屋台は串焼き屋だった。
「これ何の肉?」
「オーケポの農場で育てられた高級ケポー鳥だよ。うまいぞ、食っていきな!」
「じゃあ20本くれ」
「20本? 仲間と分けるのか?」
「いや、こいつが結構食うんだよ」
とメスブタを指す。肉を見つめ、ふにゃっと笑うメスブタ。まさかこいつが上位の天使の股間を踏み潰すような女だとは思うまい。
「ま、食事量ってのは人それぞれか。ほれ、20本だ! 毎度あり!」
金を払って、広場のベンチに座る。俺が3本、メスブタが17本だ。
「思ったよりうまいな。もうちょっと食えたかも」
「うまい、にく、うまい、うまっ!」
不安になるな。こいつ大丈夫か?
「そういえばさ、メスブタの服ってきれいだよな」
前衛で戦っている割にほつれとかも見当たらない。いや、カーディガンだけちょっと汚れているか。
「むぐ、ンぐ。えっとな、この肌にピタッとくっついてるのはスキルで再生する。けどカーディガンは再生しないっ!」
「へー」
メスブタのマナフィールドがピタッとした服までを再生対象として認識しているのか。カーディガンだとふわふわし過ぎていて自分の一部とは認識できそうにないしな。
やはりカーディガンの代わりになる上着の購入でよさそうだ。
串焼きを食べ終え、適当に大通りを歩いていると、首輪を売っている店を見つけた。これはセバスチャン氏も垂涎物の店だな。
「いらしゃいませ」
店員は普通の紳士だ。彼も変態紳士の一人だな。広がっていく変態の輪。
「この娘に合う最高の首輪を見繕ってくれないか」
「かしこまりました…………それでは、こちらはいかがでしょうか?」
いかがでしょうか、などと白々しく言いつつも、その眼にはこれ以外にはないと有無を言わせぬ力強さがあった。
「メスブタ、つけてもいいか?」
「も、ももも、もちろんんっ」
俺がメスブタと呼んだ時に紳士の顔が変わったのを見逃さなかった。この見た目だけはあどけない少女に対して、ここまで自然にメスブタと呼ぶことが出来る俺に思うところがあったのだろう。
「似合っているな」
「そうかっ!」
黒地にピンクの柄が入ったかわいい首輪だ。彼女の髪色にもよく似合っている。
ふと見ると、黒のレザージャケットが売られていた。
「店主、あそこのジャケットもよさそうだな。合わせてみたいんだが」
「お目が高い。聖都でもなかなかお目にかかれない逸品です。どうぞご試着なさってください」
メスブタが袖を通す。おお、いいじゃん。首輪とすごくあってる。
「どうだっ?」
「かわいい」
そう返すとメスブタは口を真一文字にして黙った。なんだ、照れてるのか。
後は……店主に声をかけようとすると、すでに察していたのか、求めるものを渡してくれた。リードだ。
何も言わずメスブタの首輪にリードをつける。そして、ちょっと強めに引っ張った。
「あっ」
よろめき声を漏らすメスブタ。良い。
「よし、まとめて買おう」
「ありがとうございます。お会計はこちらで」
それなりに良いお値段でした。アルマの稼ぎに期待しよう。
そして、今回の目的の本屋さんに着いた。この街で一番大きな本屋さんだ。店に入るなり、店員に希望を伝えた。
「優しい本をください。適当に3冊ぐらいで見繕ってもらえませんか」
「へへ、承知しやした…………」
欲しいのは優しい本だ。内容がよくわからない俺が買うより店員に選んでもらった方が確実だろう。
狡猾という言葉をモットーにしていそうな丸眼鏡の小さな男が俺とメスブタを交互に見ながらニヤニヤしながら本を選ぶ。こいつに任せて大丈夫だろうか。
「メスブタもなんか欲しかったら言えよ」
「わかったっ!」
しばらく物色していると、欲しいものが見つかったのかメスブタがいそいそと近寄ってきた。
「これが欲しいっ!」
その本のタイトルはこうだった。
──淫乱メスブタ列伝~孤高の調教師~
「……やめた方がいいんじゃない?」
たぶん楽しくないよ。俺は欲しいけど。
「名前が一緒だっ!」
「エッチな話だと思うけど……」
「し、刺激的だなっ!」
どうしても欲しいようなので買うことにした。別に異論はないし。
そうこうしているうちに店員も見繕ってくれたようで、代金を支払い店を出た。
その後、更に街を見て回って昼食をとり、ちょっと散歩しながら宿に戻った。
他愛ない話ばかりだったが、考えてみたらメスブタとこんな風に話すのは初めてで、普段はあまり見れない恥ずかしそうな顔やうれしそうな顔、いろいろな表情を見ることが出来た。4人でいる時とはまた違う空気が俺を高揚させた。
俺の部屋で本を読もうと提案し、室内のソファに2人で腰掛けた。
「あ、本屋が見繕ってくれた3冊、確認してなかった」
袋から本を出す。
『優しい魔物の仕留め方』
そういうんじゃねーよ。なんだよ。ゴブリンを仕留める時は脳天をかち割りましょうって。そりゃ痛みを感じる間も無く死んだ本人には優しいかもしれないけど残されたものたちのことを考えてやれよ。
次
『彼の優しい嘘はあたしを救わない』
これはどう考えても優しい話ではない。多分悲しい話だ。あの本屋、タイトルに優しいが入ってるかどうかだけで判断してないか。
次、ラスト。
『優しいエッチ』
そうそうこういうこと。最後の最後で正解が出ました、って違うわ! アホか! センスは良いが顧客の要望をまったく理解していない。
「ニ、ニトはそういう事したいのか?」
優しいエッチ、あるいは淫乱メフブタ列伝に触発されたのか、苦手分野でも学ぶ姿勢を見せるメスブタ。
「したいけど?」
したいよ。当たり前じゃん。
「そそそそうかっ! て、てて、手だけ、ならっ」
「ああ、うん」
ソファでメスブタと手を繋ぐ。特に何があるわけでもない。窓からは夕陽が差し込んできていて、外には人の気配がたくさんあった。帰宅するもの、食事に行くもの、様々だ。
時間はゆっくりと過ぎ、ただ手に伝わる彼女の温もりが安らかな気持ちにさせてくれた。
聖都についてから多くのことがあった。禁忌のこと、マナのこと、世界のこと、何が何だかよくわからない。
誰が味方で誰が敵なのか。自分たちはどう立ち回るべきなのか。
わからないが、俺がどう生きるかを決めるのは俺だ。そして、それは決まっている。
変質神の質問の答え──ブレアとメスブタとアルマ。この3人との関係が何より大切にすべきことなのだと。
しばらくは、そうやって生きてみようと思う。
隣に座る少女の手はあたたかく、そして優しかった。




