迷いとは挑戦への一歩目である
朝になった。ほとんど寝れていない。聖女に受けた拷問のせいで体が痛む。しかし、痛みに反して心はとても穏やかだ。確かな満足感が俺を満たしている。
激痛をこらえながら起き上がる。無駄な動きをしないよう、慎重に体を動かして服を着替え、朝飯を食べるべく食堂に向かった。
食堂の入り口でラッキーキャットさんに出くわした。相変わらず汚いおっさんだ。
「昨日は楽しめたようだな……にゃ」
ニヤリと笑うラッキーキャット。殴りたい。だがここは人として我慢しよう。彼は俺が描かれる立場だとは知らなかったのだ。逆に俺が描くのであれば中々面白い道具だったのは間違いない。
「ありがとうございました。いや、しかしまさかあんな効果だとは思ってもみませんでしたよ」
「ふっ……使ってもらえて道具も本望だろうよ」
あんな風にガリガリやられて壊れてなければいいのだが。それでも本望なら何よりだ。
「はは」
適当に愛想笑いで返すと、ラッキーキャットは何かを思い出したような顔をして、ポケットに手を突っ込んだ。
「これをやろう…………にゃ」
「なんですか、これ?」
「四角い箱だにゃ」
「でしょうね」
四角い箱だ。サイズはだいたい5センチ四方の立方体だ。デザインは可愛い。それぞれの面に少しずつ異なる肉球の柄がある。
魔道具かと思ったが違うようだ。マナで探っても何もわからない。箱とは言われたものの開け方もわからない。
「使い方は知らん。古いものだと聞いているからどっかで役にたつだろう」
何という暴論。古いからどこかで役にたつとはどんな理屈なのか。まあ、どこかで売れそうだから完全に否定もできないか。
「貰ってもいいんですか?」
「……倉庫が溢れててにゃ。断捨離してるんだ。できれば昨日のも返さないでほしい」
「あ、そうですか」
ミニマリストになるのか。なるほど、ゴミを押し付けてるわけね。そんなことよりも、その小汚い格好をどうにかした方が良いのでは。
まあ、そんな事を言って不要な軋轢を生むこともない。ここでしばらく暮らすレイシャ達が拷問具を極める未来を想像しながら食堂へと入った。
ブレアたちはすでに朝食を取り始めていた。レイシャとユリーネの姿は見えない。
「おはよう」
「おはよう。ゆっくり寝れなかったみたいね」
そういうブレアも少し気が晴れない顔をしている。寝れてないのかな。
「あ、ああ。ちょっと体が痛くて」
「怪我でもしたのです?」
「戦ったのかっ?」
なぜすぐに戦うのか。
「そうだな…………うん、戦ったと言えば戦った。己の内に生まれ出る衝動を美という完結した世界に投影することで、俺は己に勝ったのだ」
「何を言っているのかさっぱり分からないのです」
「よく分からないけどっ、もっと自分の心の中の醜さを認めて大事にしないと、いつか大事なところで道を誤るぞっ!」
え。なんだろう。メスブタに痛いところを突かれた気がする。俺は昨晩、自分をごまかしはしなかったか? ちゃんと本音で、言いたい事を言えたか?
いや、問題なかったはずだ。あれが最高の…………最高だなんて安易に使っていいのか? くそっ。俺はまだまだだ。まだ、迷える。なら、それはまだ先を目指せるってことだから。行ってやるぜ、その高みによっ!!
「すごくしょうもないのは分かったから。怪我してるんでしょう、ニト。アルマに回復してもらったら?」
はい。すみません。しょうもなかったです。
「アルマ、悪いけど回復してもらえないかな」
「任せるのです」
あー、回復魔法ちょー気持ちいい。またベッドに戻って二度寝したい。
「ありがとう」
「どういたしましてなのです」
アルマの笑顔が眩しい。昨日あんな事をして怪我してるだなんて言えない。
少しの心の痛みを、昨日あんな事した痛みを無垢な少女に癒させたという興奮にすり替えて、朝食をとる。
その後、身支度を整え、チェックアウトする頃にレイシャとユリーネが起きてきた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
レイシャの頬が少し赤いのは俺との事のせいか、ユリーネとあんなことしていたのが俺にバレバレだからなのか。
ユリーネの方はニコニコご機嫌だ。性騎士は平常運転だな。ゆうべはお楽しみでしたね。
「すみません、寝過ごしてしまって一緒に朝食も取れず……」
「いや、初めてのダンジョンだったのですからお疲れでしょう。ゆっくり休めたのなら何よりですよ」
ゆっくり休んでない事など知っているがな。
歩きながら他愛ない話をして、門についた。
「では、ここで。お元気で」
そう言うと、レイシャとユリーネは頭を下げた。
「短い間でしたが本当にお世話になりました。このご恩は一生忘れません」
「ありがとうございました。何から何まで本当にお世話になって…………ありがとうございます」
「そんな、構いませんよ。気にしないで」
報酬は貰ったわけだし。
そんなやり取りをしていると、大通りの向こうからフィルトアーダくんが走ってくるのが見えた。何やら大きなリヤカーを引いている。
「すすす、すみません。おわ、お別れのご挨拶を、と」
みんなギリギリすぎ。余裕を持って行動しようよ。
「ああ、フィルトアーダくんも元気で。2人をよろしくお願いします」
「はははい、もちろんです。あ、これ、悪魔王様からです」
フィルトアーダくんがリヤカーから降ろしたのは予想通りみかん箱の山だった。 大量の冷凍みかん、みかんジュース、みかん酒もある。
「みかん箱か…………まあ、こっちのよくわからん箱よりはましか?」
そう言いながらポケットに突っ込んでいたラッキーキャットさんの猫の肉球ボックスを取り出し、手の上で転がす。
「あ」
それを見たアルマが固まった。
「どうしたアルマ?」
「旧世界の遺産なのです」
「旧世界?」
「神がこの世界の誕生に巻き込まれる前の世界の遺産なのです」
「どういう事?」
この世界の誕生に巻き込まれた? 創造神が作ったんじゃないのか?
「詳しくは知らないのです。でも神は好き好んでこの世界にいるわけではないのです。実は神々も出自とする世界が様々なのです。その中の神が死んだ世界の遺産がそれなのです」
「……そうなの? なんだかヤバそうなんだけど何に使えるんだ?」
「知らないのです。創世から存在してる者なら知ってるかもなのです」
「ベルゼブブかな」
「あああああの、悪魔王様はしばらく不在です」
フィルトアーダくん、慌てすぎて汗だくじゃないか。いくら顔が可愛くても男の汗はいらないから。
「あ、そうなの?」
「はははい。聖女を保護した件で神々に嫌がらせをするのと、美味しいみかんの苗木を探すため、しばらくお戻りになりません」
なんて理由だ。
「ま、いいか。行くか」
「え、あの……このみかんは?」
ちっ。スルーして行こうとしたのに気付かれたか。
「気持ちは嬉しいけどダンジョン攻略には邪魔だから……」
「た、たしかに……お、思いもしなかった、です」
愕然とするフィルトアーダくんの顔を見ないようにして、俺たちはみかんをひとつずつ掴み、次の階層へと向かうのだった。




