公民館へ行こう
悪魔少年フィルトアーダくんの朝は早い。
日の出とともに輝き始めるダンジョンの天井ライトにあわせて起床し、朝の仕込みに入る。
仕込んでいるのは冷凍みかんだ。悪魔はみんな冷凍みかんが好きなので、みかんを凍らせるのが彼の仕事なのだ。
人間の街で仕入れてきた大量のみかんを凍らせ終わる頃には村のみんなが起きる。
朝食の時間になると隣に住む淫乱悪魔お姉さんが訪れる。朝食をいつも一緒に食べているのだ。
食べるのはもちろん冷凍みかんだ。
お姉さんは食べ方が汚いので、大胆に開いた胸元にみかん汁をだくだくと垂らしながら食べる。
フィルトアーダくんはそれをドキドキしながら横目でチラ見し、でも見てないそぶりを装いながら朝食を食べるのだ。
もちろん、お姉さんはそんなことお見通しだ。だからフィルトアーダくんにこう言うのだ。
『あ〜ん、ベタベタになっちゃったぁ。ねぇ、拭いてくれないかしらぁ?』
フィルトアーダくんは毎朝おなじように慌てる。『むりむりむり、むりですよ。じじじ自分で拭いてください』そう言いながらタオルを渡すのだ。
そして、昂ぶる感情を抑え込み、向かうのは公民館だ。
公民館では魔界村の一切の政がまるで祭りのごとく執り行われている。というか政かどうかは関係なくお祭り状態だ。
神輿を担いでダンジョン探索に向かう者、会議を踊らせる者、出店で冷凍みかんを扱う者、様々だ。
フィルトアーダくんは、まず冷凍みかんを2つご神体に奉納する。かつて一部の神にマジギレした経験があるとは言え、基本的に他の神々に対しては信心深いのだ。マジギレした神に対しては今もなお、深く暗い怒りを抱いている。事情は悪魔それぞれだ。
続いて村長の悪魔王に冷凍みかんを3つ献上する。『毎朝ご苦労』と、お褒めの言葉をいただきフィルトアーダくんは満足する。
そして、冷凍みかんを村の各所に届けると、ちょうど昼ごはんの時間になる。村の食堂で昼食をとるのだ。ここでは、朝とは違うものを食べることにしている。解凍みかんだ。ずっと冷たいものだと体に良くないからだ。
食堂の看板娘に片思いしているフィルトアーダくんは、良いところを見せようと解凍みかんを丸ごと頬張って見せたりするが、逆にひんしゅくを買って意気消沈したりする。
そんな彼を優しく見つめるのは悪魔王だ。なんせ食堂は村に一つだからここ以外で外食なんてできない。悪魔王は毎日ここでフィルトアーダくんと看板娘のやり取りを見ながら冷凍みかんを食べるのだ。
さて、午後になるとフィルトアーダくんは忙しくなる。急いでダンジョンを駆け上がるのだ。慣れ親しんだ道なので慎重に進む必要もなく、持ち前の高い身体能力で一気に駆け抜ける。フィルトアーダくんはとても早い。
出会う探索者には漏れなく催眠をかけ、意識を混濁させる。『みかんを作れ、みかんを作れ』フィルトアーダくんは探索者たちにそう催眠をかける。
出入り口の探索者ギルド職員には日頃から丁寧に催眠をかけており、『フィルトアーダ殿、本日もご苦労であります!』といった様子なので、出入りで咎められることはない。
そして人間の街へ。多くの場合、行き先は聖都だ。
怪しまれない程度に魔物の素材や鉱物を売り、金貨を得てみかんを買う。そして急いで魔界村へと戻るのだ。
家に戻る頃には夕方だ。
そして、家に帰ると買ってきたノーマルみかんをしまい、晩御飯だ。晩御飯には隣のお姉さんは来ない。お姉さんは魔界村の酒場『これでもでーもん!』で働いているのだ。
代わりに食堂の看板娘が来ることがある。週に一度ぐらいだが。『こ、これはいつもお昼を食べてくれるお礼だから、特別な意味はないんだからね!』とか言いながら晩御飯を持ってきてくれるのだ。
さすがにヘトヘトのフィルトアーダくんはこの時間から晩御飯を用意するのは大変で、彼女が持って来てくれる冷凍みかんには感謝している。
やはり自分で作った冷凍みかんと違って、人が作ってくれたものは美味しい。感謝しながら食事を終え、フィルトアーダくんは看板娘をベッドに誘うのだ。ヘトヘトでも元気なところは元気なのだ。別腹というやつだ。
激しく燃え上がる2人。
しかし、2人は体だけの関係だ。心は別。やはりフィルトアーダくんの片思いであることに変わりはない。やきもきしながらも2人の距離は縮むのか、縮まないのか。
なお、フィルトアーダくんは何だかんだ元天使なので、かなりの年齢だ。見た目がショタでも性経験は豊富で、むしろかなりの性豪だ。
冒頭の淫乱悪魔お姉さんとのやり取りは、いずれ来るその時に向けた重要な布石なのだ。そう、最高の一発目を打ち上げるための。
性に関して催眠は使わない。それがフィルトアーダくんのポリシーなのだ。
「──ていう生活を妄想したんだけどどうかな?」
公民館へ向かう道すがら考えた『勤勉なフィルトアーダくんは日々みかんと縁を紡ぐ』というタイトルの物語をご本人に語って聞かせてみた。
「えっ! あ、えっと、その、だいたい合ってます!」
「合ってるのか。すごくビックリだよ。え、だいたい合ってるってどれくらい合ってるのかな?」
「え、えっと、えー、え?」
なんだろう。本当に合っているのか。それとも適当に答えたのか。悪魔らしく俺を惑わしているのか。
「今の話の真偽はどうでも良いのだけれど、悪魔の生活も人間とそう変わらないのかしら?」
あ、ブレアめ。悪魔の性事情を聞きたかったのに。
「あ、それはハイ。そうです。だいたい同じです」
何かと『だいたい』が多い。でもまあ、見る限りそうかもな。
たまに数名の悪魔とすれ違う。禍々しい翼を除けば、その容姿は人間と大差ない。特にこちらに敵意はないようだ。俺たちも敵意はない。彼らは普通にこの遺跡で生活しているのだ。小規模ながら店もある。
しばらく大通りを進んだ。
「お、あの建物がこの街──じゃない、村の中心かな?」
大通りをまっすぐ進んだ先、魔界村の中心らしき場所には、お堀に囲まれた建物があった。どう見てもお堀で囲むほどの価値のある建物じゃない。文字通り公民館だ。この不思議な景観の街にあって非常に浮いている日常的な建物だ。
「ははははい。そうです、あれが公民館。悪魔王の1人ベルゼブブ様が執務なさる館です」
「ベルゼブブ!?」
ユリーネが驚愕する。俺も驚いた。神話に登場する大悪魔だからな。そんな大物がこんなダンジョンの浅い階層にいたとは。俺たち以外の人類ももう少し頑張れば到達できるぞ。
そして何より、ベルゼブブが一日の食事を冷凍みかんで済ませていたことに驚いた。本当に冷凍みかんならだけど。
「ベルゼブブといえば暴食を司ると聞きます。冷凍みかんで足りているのですか?」
レイシャが俺と同じ心配をしていた。というか冷凍みかんが主食だと確信してしまっているようだ。本気で心配そうな顔をしている。馬鹿優しいんだな。
「あ、あの、あえ、暴食を司るというか、推奨、推奨してるんです。いっぱい食べなさいって、だから問題ないです」
「わかるっ!」
「メスブタはいつもいっぱい食べてるもんな」
わざわざ立ち止まって仁王立ちになり、大声で『わかる宣言』をしたメスブタを軽くいなして、俺たちは公民館の門をくぐった。




